ゼフォルは二年前と同じ、メイド服を着て給仕室でエルシアとお茶を淹れていた。降格したとはいえ、中佐というそれでも高い階級になったはずのゼフォルがこのようなことをしているのには理由があった。
まだ完全な復帰までには時間がかかるということで、エスメルからしばらくは待機するように命令があったのだが、その時にこう言われたのだ。
『ゼフォル、軍に復帰するまで時間があるわ。しばらくエルシアのもとでメイドとしてまた働きなさい』
『な、なぜでしょう?』
『私は貴女の欠点も含めて好きだけどそのままにする気はないわ、二年前にエルシアが教育しなおすといったの覚えているでしょう?せいぜいしごかれてきなさい』
そう言われて復帰するまでの時間をメイドとして過ごすことになったのである。前なら今さらそんなことして何になるのかと反抗していたかもしれないが、今のゼフォルにそんなことは口が裂けても言えなかった。
それに純粋に軍事以外のことで、息抜きをしてみてもいいと思った。これまでのいかに戦功をあげることばかりを考えていたゼフォルにとって信じられないほどの心境の変化だが、本気だった。
ここ二年、ゼフォルは戦うか戦いの事ばかりを考えていた。殺し殺されは嫌いでないが、さすがに疲れてしまったのかもしれなかった。
こうして始まったゼフォルにとって久方ぶりのメイド業務だが、結論から言えば楽しかった。
すでにウィルベート公爵家は爵位こそ残っているものの形骸化しており、仕える主人はエスメルしかいない。公爵家だけあって他にも血族はいたが、有害なものはほとんど二年前の責任でエスメルが粛正し、無害なものは細々と帝国中央で役人をしているほどで、エスメルほどの要職についていなかった。
二年前なら、世話などしたくもない血族やら兄弟などといったくだらない連中やそれらに傅くだけのくだらない同僚がいて嫌々どころかサボりまくっていたが、今はエスメルとなんだかんだ尊敬しているエルシアだけなのだ。働きやすいことこの上なかった。
「よくできましたね、ゼフォル」
「あ、ありがとうございます」
紅茶に口をつけたエルシアの素直な賞賛をゼフォルは少し照れ臭そうに受け取った。そのまま自分も一口飲んでみるが、以前とは比べ物にならぬほどおいしかった。
「まさか貴女がこんな真面目にこなしてくれるとは……やればできるではないですか」
「で、できますよこのくらい……」
エルシアの教育はそれはもう熾烈を極めた。二年前以上に厳しいものだった。多分ゼフォルはエスメルと仲良くやれているから優しかっただけなのだろう。だがそこにはいまだゼフォルに向き合ってくれる真剣さがあった。だからゼフォルも全力でそれに答えた。
そもそもゼフォルは戦術書なら何十冊も暗記できるほどには物覚えがいいし、さぼりがちだがメイド業務も問題ないくらいにはこなせていた。真剣に取り組めばやれないことなどないのである。
何より上手くこなすだけエスメルに美味しい紅茶を入れられると思えば全く苦にはならなかった。
「そ、そのメイド長……」
「なんですか?」
「これなら、ウィルベート公爵家のメイドとしてちゃんとやっていけますか?」
「……とりあえずお茶の淹れ方だけは及第点です。他にも覚えることはたくさんありますが」
「はい……」
一方で逃げの感情も少しだけあった。最も得意とする戦争で負け、それで役に立てないなら、いざというときはメイドとしてでも役に立とうという気持ちがあった。ようは本業で不安が出てきたから、副業を安定させようというのだ。
「よっぽど弱っているのですね」
「流石に私も弱ることだってありますよ……お嬢様は私のためにどれだけ頭を下げたのですか?」
今のゼフォルは本当に心から殊勝な態度でエスメルに尽くそうとしている。だがこんな奉仕は焼け石に水に過ぎない。
9万の大軍、国家の一方面軍を率いて盛大に敗北した。その後始末を受け持ってもらったのだ。一生をかけても償いきれないほどの迷惑をかけているのは百も承知だった。
察しているからこそエスメルには直接聞けなかった。結果だけ言えば、ゼフォルは皇帝即位の恩赦があるとはいえ、命どころか中佐まで階級を維持したのである。風の噂だが、オドールは予備役になったらしい。
理由なんて明白だ。エスメルが方々を駆けまわってゼフォルの助命やら減刑やらを嘆願したからにほかならない、そのエスメルの努力が軍法会議のアンス侯爵の首だけということはないだろう。
「ベルズーフ閣下は当然として、ご学友の方々にまで頭を下げていましたね。……今の貴女にはすべて話した方がいいでしょう。お嬢様はベルズーフ閣下にアンス侯爵をどうにかすることを対価に貴女の助命を願い出ました。恩赦による釈放も計算のうちです」
ゼフォルが言えた話ではないが、ベルズーフはまだいいだろう。エスメルの直接の上司だったし、帝国きっての傑物である彼に嘆願するのは理にかなっている。
しかし学友となると話は別だ。確かに学院の皇子グループに属してたらしいエスメルはさぞ帝国の要職に就いた父親に持つ学友が多いだろう。だがエスメルはそんな中でもトップクラスの公爵にして現当主なのだ。さらに軍において少将という階級も持っている。
そんなエスメルにとって学院の学友などほとんどが目下の者だろう。親が出張ってくれば何か対価を払うことになったかもしれない。エスメルはゼフォルと違ってそこまでプライドの高い娘ではないがそれでも主に頭を下げさせ、身銭を切らせた罪は重い。
だが同時にエスメルがそういった手回しもこなせるということだ。口先と才能でごり押しして我を通すゼフォルにとって不得意とすることだ。きっとエスメルが独力で習得したのだろう。
「す、すみま」
「謝るくらいなら、これからの働きで返しなさい。貴女ならきっとできますから」
「わ、わかりました」
今受けている教育といい、エルシアはとてもゼフォルに優しかった。人にやさしくされるのをらしくないと思いつつもここ最近ゼフォルはエルシアにべったりだった。
気恥ずかしくてしょうがないが、単純に傷ついた心が潤うのだ。エスメルは忙しいし、これまで姉のように振る舞っていたので過剰に頼るのは最後の残ったプライドが許さなかった。
逆に言えば、今ゼフォルは元上司のエルシアになら弱みも見せたし、甘えてすらいた。
ゼフォルはエスメルの傍らで軍人ではなくメイドとして侍っていた。一体何年ぶりの事だろうか。
エスメルの執務机の上にはおびただしい量の書類が積み重なっている。
量は問題ではない。この程度の書類はゼフォルにとっても苦でも何でもない。東部方面軍の頃はこれ以上に積み重なる書類の山をオドールの物と偽装しながらさばいていたので、量はどうでも良かった。
事実これを裁くエスメルも手慣れたもので次々と山を小さくしていっている。
問題は書類の内容だった。中身の内容をチラ見で確認するがほとんどが東部方面軍関係なのである。実際今の帝国軍はどこの部署もこれの後始末ばかりなのだろう。他の連中はどうでもいいが、エスメルが現在進行形でさばいているのを見ると心が痛んだ。
「そろそろ休憩いたしませんか?」
「そうしようかしら」
書類がひと段落したところでエスメルにゼフォルはそう声をかけた。何気ない、いつも通りの声色で言ったつもりだが、少し声量が小さく遠慮したような声が出てしまった。やはり書類の件が後を引いている。
机の上の書類を片付け、きれいに整理する。エスメルがどこにどういったものをしまうかもすべて把握済みだ。完璧にこなす。
整理が終わればナプキンを敷いて、茶菓子を並べる。そしてカップに紅茶をそれはもう慎重に淹れた。
このゼフォルがたかが紅茶一つ入れるのにこんなに緊張することなどなかった。容量の良さでうわべだけまねて、そこそこの物を入れて満足していたし、以前のエスメルにも、それを出していた。
だが今は違う、エルシアの教えを一言一句思い出しながらうわべだけはいつもの鉄面皮を維持して丁寧に淹れていく。ゼフォルはこの時、戦場の時のように真摯に緊張していた。
「どうぞ」
「ありがとう」
エスメルがゼフォルの淹れた紅茶にちびりと口をつけた。この時もゼフォルは緊張しっぱなしで、冷や汗が止まらなかった。
「滅茶苦茶美味しいじゃない。練習したわね」
「……メイド長に少し」
以前のゼフォルなら、この程度当然だの、少し練習しただけですよとか言っていた。少なくともエルシアに習ったなどは言わなかっただろう。それでも少しとつけたのはせめてもの抵抗だったのかもしれない。
「いいわね。私は前線にあってもこの紅茶を飲めそうだわ」
「⁉では!」
「えぇ、晴れて三日後軍に戻れるわ。ゼフォル中佐、私の副官として期待しているわ」
「は、はい!」
いつもはクールを気取っているのに思ったよりも無垢な、純粋な喜ばしさが出てきたような返事が出てしまう。その事実に少し顔が赤くなった気がしたが、我が事のように喜んでくれるエスメルを見てどうでも良くなった。
短いですがこの章は終わりになります。
元々次の章と一緒にするか悩んだのですが、わけることにしました。
その分次章は早めに投稿できると思います。
これからもよろしくお願いします。