ゲルドラ城に帰ったゼフォルは門前でエスメルの帰還を待っていた。城壁の上で様子をうかがうのも考えたが、もはやゼフォルはエスメルの勝利を疑ってもいなかった。
見張りの兵士に紛れ込んで待機していると門が開かれ、主君であるエスメルが3千の兵とともに帰還した。
「エスメル将軍だ!」
「蛮族どもを撃退したぞ!」
小さな勝利ではあるが、長い間北方蛮族に悩まされていたゲルドラ城の将兵にとってはそれでもうれしいのだろう。
エスメルの帰還に門周辺の兵士達が一斉に歓声を上げた。
もしくはこの中央からの援軍で来た彼女の麗しさがそうさせているのかもしれない、少なくともベラムト中将は貫禄と頼もしさこそあれど麗しさなんてゼロだからだ。
「おかえりなさいませ、閣下」
「えぇただいま」
馬から降りたエスメルを他の兵たちを押しのけるようにゼフォルは迎えた。もっとも、ゼフォルの評判とエスメルとの関係を良く知っている兵たちはその歩みを止めることはなかった。
エスメルの獲物であるゴルガマスの大斧をうやうやしく……一瞬ふらついて何とか受け取ることができた。腕力に自信があるゼフォルをもってしてもこの大斧は重かった。
顔にも態度にもださないが、腕の先だけプルプルと震えている。一呼吸おいて何とか垂直に立ててバランスを取り、持つことができた。
ゼフォルでも持てないことは無い、だがとてもではないが武器として振り回すことはできないだろう。
エスメルは確かにほんの少しだけゼフォルより身長が高いが一体そのしなやかな体のどこにこれだけの力があるのだろうか不思議に思った。
何とか意地で姿勢を崩さず城内入り口までお供し、道中で何とかエスメル配下の兵に大斧を預けることができた。
兵士たちは三人がかりで大斧を運んでいった。道理でゼフォルが大斧を持った瞬間、エスメル配下の兵士たちが感嘆していたわけである。そう思いながらエスメルの指揮官室まで付き従った。
エスメルの部屋は完璧に整えられていた。ゼフォルがやったわけではない。なにせ追撃してきた部隊を追っ払うだけで、アルセリアの部隊の帰還と、エスメルの隊の帰還にさほど時間差はなかったからだ。
そこからアルセリアの副将として部隊の帰還と、待機命令を出し、その後、自身の身だしなみを清めたりで時間がなかったのだ。
それらを後回しにしてエスメルの部屋で迎える準備をしようかとも考えたが、流石に軍属として自分の兵団の片づけをしないのはできなかったのと。戦場帰りのみっともない姿でエスメルの部屋に入ることはできなかった。
ゼフォル以外で此処まで完璧に部屋をセッティングできるのは彼女しかいなかった。
「おかえりなさいませ、閣下」
そこにはエスメルと同じ銀の髪をした、瓜二つとまではいかないが、明らかに血縁を感じる美貌にかっちりとしたメイド服をまとったメイド長であるエルシアが立っていた。
「えぇただいま」
「……」
「なんですかゼフォル中佐」
「何でもないですよ」
そうは言いつつもエスメルを迎えるエルシアをゼフォルは不満そうに見ていた。確かに対応は遅れてしまったが、本来なら副官としてゼフォルはその役目をこなしたかったのだ。
今気が付いたが暖炉にも火が入っている。しかしここで横入りしてもみっともないのでエルシアが主人のコートを脱がし、着席するまでを見守ることしかできなかった。
「まぁまぁゼフォル、エルシアの仕事を奪わないでやって頂戴」
「別に私は……」
「わかりやすすぎよ、ほらそこにかけなさい」
指摘されたことに恥ずかしさすらも感じつつ、ゼフォルはエスメルに指定された席に座った。するとエルシアが紅茶をエスメルとゼフォルにも配膳された。
「お嬢様、北部異民族の動向ですが……」
「まぁまぁ、待ちなさい。帰って来たばかりで疲れたでしょうあなたも」
「いえ、そんなことは」
「私は疲れたわ」
「そ、それは失礼しました」
自分のやる気を示したつもりだったが、主人への配慮が足りなかったらしい、慌ててゼフォルは頭を下げた。
「冗談よ、そもそも夜通し撤退してきたあなたの方が疲れてるはずじゃない」
「そ、それは」
「先の小競り合いの結果は明日クレッチマーにアルセリアも集めて第二軍の正式な幹部会の場で言ってもらうわ。私ももう立場のあやふやな次期当主じゃなくて正式な帝国軍の少将よ、二年前みたいに一人で抱え込むことはないわ、それにあの時みたいに役立たずばかりじゃなくて、クレッチマーもアルセリアもちゃんと私たちに匹敵するくらい優秀よ」
「っつ⁉」
エスメルの言葉に東部方面で独りよがりで暴走しきった過去を思い出してしまう。あれだけはこの後のゼフォルの人生に一生ついて回るだろう。負けるとはそういうことだ。それにエスメルはその弱点をさも当然のように克服しているのだった。
「あぁ、そんな暗い顔しないで頂戴、過去は過去、今は今よ。貴女は今から直していけばいいわ、間違えそうだったら私がいるもの」
「えぇ、わかっています。私はもう間違えません、何かあったらお嬢様、私を叱ってください」
そう言って頭を下げると、エスメルが驚愕しているのが伝わる。後ろに控えているエルシアもだ。少し前のゼフォルならば、いくらエスメル相手でもこんなことで頭を下げることはなかっただろう。
「うふふ……当然よ!あなたは私のかわいい従者だもの、いくらでも助けてあげるわ!さ、こんな話は終わりにしてみんなで休憩しましょうか」
そんなゼフォルの姿を見てエスメルは嬉しそうに言った。
エスメルの宣言で執務室はすっかり休憩室に早変わりしていた。幸せそうにしつつも紅茶と茶菓子を流麗な動作で食するエスメルに、ゼフォルも遠慮なく、目の前の食事を楽しむことにした。
さすがはあのメイド長が淹れただけあって、美味い、いまだにゼフォルも勝てるものではなかった。少し悔しく思いつつもあっという間に飲み干した。
「お代わりください」
「どうぞ」
ゼフォルの目の前に座ったエルシアが完璧な動作でティーカップを満たす。恐らくだがこういった動作やかける時間でも味は変わってしまうのだろう。しかし何度見てもなにが違うのかはよくわからなかった。
そしてエルシアも、先ほどまではエスメルの後ろに立っていたのに、エスメルに座るよう言われて座っていた。
「この三人がそろうのもいつぶりかしらね」
「なにかと忙しかったですからね」
意外にもこの三人がゆっくりと集まる機会はそんなになかった。ゼフォルが釈放されてからは、しばらくエルシアと二人でいることが多かったが、エスメルは軍全体でゼフォルのやらかしの片づけをしていたし、受け入れ準備で忙しかった。
ゼフォルが副官になった後も、北部への援軍の為、第二軍が大きく動く時期だったので、何かと忙しかった。皮肉にもこの遠征地の待機時間で一息つくことができたのである。
「まぁ……これはいい機会ね」
「お嬢様?」
「ゼフォル。あなたにはここで改めて言せてもらうわ。ただの一介の従者の身ながら、私たちウィルベート家を危機から救ってくれたこと感謝します」
そうエスメルが立ち上がると、エルシアもそれに従い、二人そろって深々と頭を下げた。
慌てて、頭を上げるように言おうとするが、エスメルの決意を感じ取ってゼフォルはそれをしなかった。
これはウィルベート家全体のけじめなのだ。この件に関しては色々話題に上がったが、その時はエスメルが学生で立場があやふやだったり、いまや当主の母であるエルシアが不在で正式なものとはいいがたかった。
しかし今回はエスメルはしっかりと学院を卒業し、皇帝バルグリフの正式な信任を得て公爵の座にある。……
そして母であるエルシアも役職こそメイド長のままだが、この場にしっかりといるのだ。この謝罪を中断させることの方が不敬だし、今まさにエスメルは自分の血筋ではない家臣であるゼフォルに最上位の礼をもって接してきているのだ。
「……過分なお言葉、身に余る光栄です」
本当に過分としか言いようがなかった。もしかしたらあの時勝っていれば、ゼフォルは帝国軍大将として最上級の階級と軍服を背負って、この場に立つことができたかもしれない。
そんな妄想をするが、すぐに記憶の彼方に追いやる。なにせ今、こうやって生きて感謝を受け取っているだけで贅沢は言えないのだ。
「しかしお嬢様、私は公爵家の軍を預かっておきながら貴重な兵を失いました」
「そもそもあなたが活躍していなければ、皇室に取り上げられるか、無意味に王国軍に撃破されていた戦力よ。それにあなたは最後まで兵を逃がすように計らってくれた。勝敗なんて兵家の常、損耗しない軍隊なんてこの世にいないのよ」
「……は」
「恩があるから私はあなたの罪を擁護した。けどそれ以上にこれまでと変わらぬ忠誠に戦果を公爵家当主として期待しているわ」
どこまでも女々しい、ゼフォルの自己批判は、エスメルの秀逸なたとえに打ち砕かれた。損耗しない軍隊、面白いたとえだとも思った。むしろ自分が言いそうなものだ。
学院の高等教育以外にもしっかりとゼフォルの教育もいまだ頭の中に残しているらしかった。
「さ、格式ばった話はこれで終わりにしましょう」
「そう、ですね」
「……」
そうエスメルが笑顔で促すがゼフォルもエルシアも反応が芳しくなかった。この場にいる三人は帝国でも有数の強者ではあるのだが、うち二人は功罪が強すぎるのだ。どうしてもこういった話の後だと、緊張してしまう。
「あーもーつれないわねぇ。ゼフォル、いつもみたいになんか面白い話をしなさい」
「む、無茶言わないでください」
「そういえば私の斧、もってみてどうだった?あれ重いでしょう?」
「ま、まぁ確かにかなりの重量ですが振れないことはないですよ」
「へぇ!そしたら貴女の曲剣と交換しようかしら?重かったのよあれ」
「え、えーとですね、あの曲剣は手に馴染んでいるのでそのままがいいといいますか」
「けど、ゼフォルは昔からいろんな武器を扱いこなしていたわ」
「確かにそうですが……」
「槍も斧も振っていたし、投石や弓だって百発百中だったわ。この大斧、流石王国一の名将の物だけあってすごいのよ!その曲剣よりいいものだわ」
子供の頃の記憶力とはこんなにもいいものだったろうか。かつてのゼフォルを見るようなキラキラとした瞳でまくしたててくる。
これはまずい、エスメルの賞賛は心地よいものだったが、このままではとてもではないが振り回せないデカブツを押し付けられてしまう。
「ほらメイド長にどうです?仕えさせてるメイドがあんな断頭台みたいな大斧持っていれば周囲はビビるでしょう」
「はぁ⁉ゼフォルまたあなたは適当なことをペラペラペラペラと!今日という今日は許しませんよ!」
「いいじゃないですか!お嬢様の隣で持って立ってるだけで威圧感抜群です!」
突っ立って持ってるだけでいいんだからこれ位良いだろうと思っての発言だったが、突然のゼフォルのキラーパスを食らったエルシアに気遣いは存在せず、受け取ってくれるどころか怒りになって投げ返してきた。
「エルシアは駄目よ。私がまだ学生だったころ兵も従えていなかったとき持ってくれてたけど、とても戦場で振るえる感じではなかったわ」
「持てはしたんですねメイド長……」
「従者として主人の獲物を持つなど、当然です」
エルシアの獲物はナイフや暗器など、隠密用の小ぶりなものがほとんどで、一番長いものでも直剣ぐらいだろう。長物は彼女の器用さと万能さなら使えないわけではないだろうが慣れていないはずだ。
その中でも大の兵士三人がかりで持つ獲物を持てるあたりエルシアもエルシアで規格外だ。
「ゼフォル、貴女もかつて従者だった身、主人から下賜されるものを断ってはいけません」
「そ、そうですねぇ……」
本当にまずいことになった。エスメルにいい顔しようとしただけなのにこのままでは戦場であれを振るう羽目になってしまう。ゼフォルは力よりどちらかと言えば技巧派なのだ。
「うふふふ……あっはははは!」
どうするか悩んでいると突然エスメルが笑い出した。
「冗談よ、冗談。私今じゃこの武器結構気に入っているし、ゼフォルはその曲剣が似合っているわ。どうかしら?私も結構腹芸が上手くなったと思わない?」
そういたずらが成功したといわんばかりの顔で言われてゼフォルはかぁっと顔が熱くなるのを感じた。
「さ、最初から渡す気なかったんですか⁉」
「えぇそうよ。だってさっき持ってるときも少しプルプルしてたでしょ?持てても満足に振れないわ。それにしても面白いように引っかかってくれたわね。あなた昔から私には見栄っ張りで意地っ張りなんですもの!」
「お嬢様は意地悪です!」
「だって先生のあなたが意地悪だったんだもの!」
こんな簡単な嘘にゼフォルは本来ひっかりはしない、ただ今回は相手が悪かった。ゼフォルは人前では狡猾に、必要であれば自分を卑下してまでことを進めようとする。しかしどうしてもエスメルの前では大きなことを言いたくなってしまうのだ。
「あんなでかい斧お嬢様以外だれが振れるっていうんですか⁉」
「ぜ、ゼフォル!それは⁉」
「そう、やっぱりそうよね……」
悔し紛れにゼフォルが斧そのものの欠点を指摘してやると途端にエスメルはしょぼんとした。
「学院の訓練でもあの武器振ったら化物扱いだったわ。クラス一番の力持ちが顔を真っ赤にして何とか持ち上げていて、変だと思ったもの……」
さすがに乙女として力が強すぎるというのはそれはそれで困るらしかった。なにやら地雷を踏んでしまったので急いでゼフォルは弁明した。
「いえ……私は……基本的に武器も好きなのでその大振りの大斧はすごく格好がいいと思います。前の所持者は嫌いでしたが、それとは打って変わって華奢でお美しいお嬢様が持っているのはギャップがあるといいますか」
しどろもろになりながらなんとか答えた。ゼフォルは万の大軍だろうが打ち負かす作戦を考えることもできるが女性の慰め方など知るはずもない、そもそも自分だって女だ。何を言っていいかわからないので正直に気持ちを伝えることにした。
「あのいかつい黒い鎧に黒いマント、相反するような銀髪にその美貌、軍事の表裏を司どる戦女神のようです。私は好きですよ」
思うままに言葉に出したが、どんな慰め方だろうか、少なくともこういわれてゼフォルは嬉しいかもしれないが公爵家の女当主であるエスメルに言っていいことではないだろう。
「ふ、ふふふ!なによその褒め方!とっても変だわ!」
「す、すみません」
「けど、戦女神ねぇ……」
案の定エスメルに変と言われ、慌てて謝るが思ってた以上にエスメルの機嫌は良さそうだった。
「あなたにそう例えられるなら悪くないわ」
そう女神のような飛び切りの笑顔でエスメルはゼフォルに笑いかけた。