ノルン平原を一騎の騎兵が駆け抜けていた。
周りに供周りはなく、風除けのフードを目深く被っていて表情は窺えなかった。
「止まれ!こんなところで単騎とは!帝国兵か⁉︎」
しかしこのノルン平原はガジュ公国軍の庭のような物だ。明らかに怪しいその騎兵はあっという間に派手な装飾を纏ったガジュ公国の騎兵隊に囲まれてしまった。
「帝国兵で間違いありません」
「何⁉︎何が目的だ!偵察にしても妙だろう!」
「故あってそちらに寝返りたいのです」
「なんだと⁉︎」
帝国兵という言葉にガジュ公国の隊長は身構えるが寝返るという言葉を聞いて、疑心を抱いた。
兵の寝返りなんてものは戦場ではつきものだ。勝ってもほどほどの給金止まりの雑兵にとっては命が第一だ。故郷に家族がいて踏ん張る兵士だっているが、身寄りのない半ば傭兵崩れのような連中は劣勢になればあっという間に寝返ってしまう。
昔はよく帝国の寝返り兵を異民族達は快く引き受けていた。
軍事こそ公国は帝国に騎兵の力で互角に渡り合っているものの、文化や技術、教養に関しては天と地ほどの差があるのだ。
その辺の帝国国民1人攫ってくれば公国では先生にもなりうる。そのため異民族時代から帝国の捕虜や寝返り兵を厚遇してきた。
だがそれもここ最近は不調になっていた。ベルズーフなる将軍が帝国北部に配置されてからというものの、民は守りの硬い土地に逃がされてしまった。戦況もなかなか帝国に勝つことができず、帝国軍の指揮も練度も格段に上がって統率が取れたのか、寝返りはほとんど起きず降兵も少なくなった。
だからこそ隊長もこの怪し気な騎兵をそのまま処分することはできなかった。なにせ久方ぶりの亡命者なのだ。
「まずそのフードを脱いでもらおうか」
警戒は解かず、武器を突き付けて帝国兵に促すと、素直に帝国兵はフードを脱いだ。
「ど、どうしたというのだ……その傷は」
結論から言えば、フードを脱いでもその素性はよくわからなかった。顔中にぐるぐると包帯がまかれており、左目と口元以外、伺い知れぬことができなかったからだ。
「……私は帝国ではそこそこの階級を持っていたのですが、明らかに不当な扱いを受けまして、この有様です」
戦場慣れした隊長にとってもなかなか見ない大けがでそれでも注意深く観察すると、その声色と、目元から、かろうじてこの帝国兵が女性だとわかった。
「……それが寝返りの理由か?」
「えぇ、そうです。帝国の為と思っていましたが、流石にこんなにされては逆に滅ぼしてやりたくなったのです」
「名前と階級を聞こうか」
まだ完全に信じたわけではないが、戦っていてこの扱いは答えるだろう。しかしこのままではらちが明かないので隊長は帝国兵の所属を聞くことにした。そこそこの階級というと、軍曹あたりか、もしかしたら尉官クラスかもしれない。
「ゼフォル・オデュッセル。帝国軍で中佐の位にいました」
公国兵に連れられたゼフォルはひと際大きな天幕まで連れていかれていた。もちろん手に持った武器はとりあげられていた。
引き立てられつつも周りを伺っていた。別にここはガジュ公国の中でも最中枢であるガジュ族の天幕ではない。彼らの顔の模様位なら帝国は把握しているからだ。
天幕では一般兵とは比べ物にならない豪華な服や装備を纏った一団がゼフォルを待ち構えていた。服装こそ違えど、顔についている紋様は控えていた兵士たちとに通ったものがある。それだけでここの一団が公国の一氏族だということが分かった。
「貴様がゼフォルか?随分と王国で暴れたという」
玉座でふんぞり返る、ひと際豪華な衣装に虎の毛皮を羽織った大男がゼフォルに声をかけた。その野性的な風貌にたがわず、何か動物を丸焼きにしたような肉をもっしゃもっしゃと丸かじりにしていた。
「は、その通りでございます。失礼ですが公国の中でも勇猛果敢なガルド族を束ねるカユン様でございますか」
「ふん、勉強はしているようだな」
カユンの反応からして合っているらしい。ガルド族はガジュ公国を構成する氏族の中でも二番手か、三番手ほどに大きな氏族だ。この辺りの有名どころくらいなら帝国でも情報は集まったのである。この為にゼフォルは勉強をしていた。
「で?なぜ我らに降った?」
「……帝国で、この北部で不当な扱いを受けました。私は東部で罪を犯しましたがそれを込みでも手酷い仕打ちでした」
「それが、その傷か?」
「はい」
「脱げ」
そう不躾にカユンが言うと、場に動揺がはしった。ガルド族の本陣の中は男所帯であり、カユンの周りに侍っている少数の女中以外はゼフォルしか女性がいない。
だが抵抗せずゼフォルは軍服を脱いだ。
これぐらいの確認は当然のことだ。別に傷を負っていなくとも亡命はできるが、今のゼフォルは明らかに怪しいからだ。
ゼフォルの裸体が露わになる。誰もが羨むだろうそのスタイルには痛々しい傷と包帯に塗れており、とても見られたものでなかった。
事実、この戦場で何を期待していたのか好色な視線で見ていたものなどは興味をなくして視線を逸らしている。
「ふむぅ……どうやら本当のようだな。もういいぞ、見苦しい」
あんまりな言い様だがゼフォルは特段気にすることなく服を着なおした。
「貴様の活躍は王国の連中からよく聞いているぞ、ずいぶんと東部で暴れたそうだな」
王国の連中という言葉にゼフォルは引っ掛かりを覚えた。いや、正解を得た。恐らく王国の支援はかなり深いところまで至っているのだろう。
「所詮敗軍の将です」
「自己評価はどうでもいい、問題は貴様が俺にどう役に立つかだ。まさか、元少将にして何も手ぶらで来たわけではあるまい」
「もちろんです。帝国軍の補給所、そのすべてを暗記しております」
そうゼフォルが言うと周りがざわついた。公国では帝国の補給を攻撃する戦略が最重要のはずだ。間違いなくこの情報は値千金の価値があるはず。
この情報をゼフォルは公国に高く売る予定だった。
「まぁ今では中佐だったか?それだけの階級があるなら知っていてもおかしくはないか。でこの地点を攻撃しろというのか?」
「まさか、カユン様は来たばかりの降将に部隊の進路を任せますか?」
「くははははは‼」
そう答えるとカユンが口を大きく笑い始めた。
「よくわかっているではないか、ここですぐに攻撃しろと言われればお前をすぐにでも切っていたぞ」
「光栄です」
「ではどうするつもりだ?情報をもってきても生かせないのであれば俺の軍勢に無駄飯食らいを抱えておく余裕はないのだがなぁ……」
「別案をよろしいでしょうか」
「言ってみろ」
「この情報を……そうですね、補給所の中でも小さなものを前回の戦いで手痛い損害を受けたノボク族の方々に流してはどうでしょうか?」
ノボク族は前回アルセリアとゼフォルを追撃して大損害を受けた一族たちだ。損害の穴埋めに躍起になっているだろう彼らは、帝国の物資が喉から手が出るほどに欲しいだろう。
「ほう……ノボク族か……しかし連中はほかならぬ貴様が痛撃を与えたのではないか」
「えぇ。ですからその迷惑料です。仮にこの情報が罠でもカユン様にとっては痛くないでしょう?」
「本当に食えぬ女だなお前は、我がガルド族とノボク族の仲を知っていたか」
「ご想像にお任せします。ですが……私は降るにおいて誰に恨みを買っているか、誰にこの情報を売れば最も高く売れるかを重視したつもりです」
ゼフォルとて公国の内情はある程度勉強していた。ノボク族とガルド族の仲はすこぶる悪い。一方的にガルド族がノボク族を征服戦をしていたときに、今の公国の覇者であるガジュ族の仲介で渋々和平したという背景があるからだ。そのため、目の前のカユンはノボク族を捨て駒のように使うことに拒否感はないだろう。
「ハハハハハ!!良いぞ!気にいった!おれは変に賢い女は嫌いだが賢い部下は好きだ!ゼフォル!お前を歓迎しよう!先ほどの策、すぐにとはいわんが重臣たちと相談しよう!今日はここまで逃げてきて疲れただろう!部屋を案内させる、今日は休むがよい」
「ありがたき幸せ」
そう頭を下げるゼフォルはひとまず歓迎されたことに安堵していた。
話せばわかるが、カユン族長はなかなか頭が切れて、リーダーシップがあった。配下の将たちもゼフォルという異物が入ってきながらみだりに騒がず、統率が取れている。ここは良いところに寝返れたとゼフォルは満足していた。
「ぞ、族長、本当にあの者を引き入れてよかったのですか」
あの降将が去った後、家臣の一人が恐る恐るカユンに聞いてきた。
「なんだ、ではここで切り捨てろというのか」
「王国の者は口をそろえてあのものを悪魔といっております。懐に入れては何をされるかわかりません」
「ふん、だからこうしてノボク族を囮に使っているのではないか」
「みだりに公国の戦列を乱すわけには……ひぃっ⁉」
あまりに弱気な意見打を述べるその家臣をカユンはジロリと睨みつけた。家臣たちの中である程度頭が回るから側近においていたが、臆病なだけではないかと最近思っていた。
カユンにとって今の公国を支配するガジュ族など目障りでしょうがなかった。本来この平原でガジュ族とガルド族は勢力として差があるわけではなかった。
しかしケチが付いたのは帝国のベルズーフに大敗したときだ。あの時、前線を張っていたガルド族は大損害を受けてその勢力を減衰させてしまった。
その時のゴタゴタもあってカユンは族長になった。情けない親兄弟に気に入らない有力者を粛正しての即位だったが、そのあとが地獄だった。
ベルズーフによる大敗と、内戦によってガルド族の勢力は大きく減衰したのである。それでもそこらの氏族に負けることはないが、かつて同格程度だったガジュ族には到底勝てない差をつけられてしまった。
その差を埋めるためにノボク族を征服しようとすればガジュ族が仲介に入り、勢力差で渋々承諾し、そのままあれよあれよと王国の手によってガジュ公国が建国されてしまった。
カユンにとっては屈辱でしかなかった。このノルン平原を征服し、そのまま帝国に乗り込むのはこのカユンの夢なのだ。決してガジュ族どもの、ベルズーフから運よく逃げられた臆病者の物ではないのだ。
カユンはガジュ公国も、王国も帝国も嫌っていた。
「王国など、所詮はガジュ族に取り入って居るだけの臆病者ではないか、それに結局あのゼフォルなるものはその王国に敗れたのだ。心配はいらん」
「は、はぁ……」
こうも予防策をとっているのに、まだ不安そうなその家臣にカユンは内心でため息をついた。これでもマシな方なのだ。帝国や王国に比べて、公国の人間は腕っぷしの強い荒くれ者ならいくらでもいるが、頭の回るものとなるとあまりいない。特にガルド族は下手に頭の回るものはカユンが直々に内戦時に粛正してしまった。あの時は枕を高くして寝られると、喜んだが今は苦労ばかりだった。
「本当なら奴の情報は貴重だ。しばらく泳がせてやれ、もちろん監視をつける。あの傷で何かできるとは思えんが、馬も取り上げろ」
「かしこまりました」
碌な家臣がいないからこういった頭脳業務も族長であるカユンがやらないといけない。かつては氏族の全てを請け負って満足していたが、今はただ、この業務の多さと、役に立たない部下が煩わしかった。