ノルン平原では雲霞のごとき大軍が睨み合っていた。
規則正しい装備に旗印、馬防策をぐるりと張り巡らせ、どっしりと構えている10万近い帝国軍と、様々な模様の旗印に装備、最低限の天幕を張った7,8万に近い公国軍だ。
見てくれだけでいえば、10万近い帝国軍がしっかりと防御を固めているのに、こちらも大軍とはいえ数の少ない7,8万の方は何を悠長に構えているのかと感じるだろう。
しかし、公国軍も馬鹿ではない、むしろ平原を埋め尽くすように騎馬部隊がずらりと並び、突撃の時を今か、今かと待っていた。この騎馬兵を縦横無尽に動かすのなら、下手な陣地は不要なのだろう。
その公国軍ご自慢の騎馬部隊の一角、ガルド族の天幕でゼフォルは立っていた。
その装いは公国特有の毛皮のコートに包帯で覆われた痛々しい体を完全に隠しきり、フードを目深にに被っているので、ほとんど露出がなかった。だれが見てもゼフォルだとは思わないだろう。
そんな怪しい風体で、ガルド族の族長であるカユンの隣にゼフォルは控えていた。そのさらに反対にはメルドゥも控えている。
ゼフォルはすっかりカユンに気に入られていた。常にカユンの傍らでその頭脳をもって働く役割を求められていた。今やゼフォルを含めたこの三人がガルド族の頭脳といって良かった。
「帝国軍もよくもまぁ飽きないものだ。わざわざ平原に出てくるとは」
「あのままゲルドラ城に籠っていても士気が下がるだけですからね」
「ぞ、族長、しかし帝国軍はこちらより多いようですぞ」
族長らしいふてぶてしい態度で戦況を眺めるカユンと、あくまで冷静な声色で話すゼフォル。それとはうって変った情けない声でメルドゥが返す。
フードと包帯で周りにはばれないのをいいことにゼフォルはこの情けない先輩を思い切り見下しきった視線を向けていた。見ればカユンも大きく溜息をついている。
「メルドゥ、帝国軍が我らより多いことなど日常茶飯事ではないか、どれだけ人口差があると思っているのだ」
「は、はぁ……」
「それにいくら柵で守りを固めようが、あの忌々しいゲルドラ城の城壁はないのだ。平原で我らが負けるはずなかろうが」
さすがに武闘派であるガルド族を良くまとめているだけあって、メルドゥとは比べ物にならない、重厚な威厳をカユンは纏っていた。ゼフォルから見ても長としてふさわしいと思った。
情けない同僚と、勇敢な新しい主人、これは働き甲斐がありそうだと、ゼフォルは包帯の下で密かに笑っていた。
ついにノルン平原にて両軍は激突していた。公国の騎兵部隊と帝国の騎馬兵が馬を激しくぶつけ合い、矢の応酬を浴びせているのを変わらずゼフォルはガルド族の本陣から眺めていた、なにせ今は怪我人なのだ。しかしそれを補うようにゼフォルの頭は戦況を注意深く分析していた。
「敵、騎兵部隊突進してきます!」
「す、すぐ迎撃しましょう!」
「……ゼフォルはどう思う?」
「帝国騎兵の総数などたかが知れています。騎兵のみの突撃部隊などすぐに息切れを起こすでしょう。むしろ下手に追って歩兵と連携される方が厄介です。適当にあしらって静観すればよいかと」
「な、なにを弱気な!」
ゼフォルの意見にメルドゥが噛みつく。しかしゼフォルは意にも返さなかった。こんなやつよりカユンの反応が大事だからだ。
「お前がそういうならそうしてみるか」
「か、カユン様⁉」
「良いではないか、ほれ見ろ。隣のトクスナ族が追撃しているではないか、あれを見てからでも遅くない」
そうカユンが指さす先にはガルド族とは違って、帝国軍の騎兵部隊を追撃していく公国軍がいた。トクスナ族なるその一団は勇ましく帝国い騎兵を追撃し、ある程度進んだとところでハチの巣になった。
「帝国軍弩部隊の十字砲火ですね、まともに食らったようです」
「敵ながらうらやましい火力だな、まぁいい、どうせトクスナ族もいずれは敵だ」
「……」
そう思い思いの感想を言うゼフォルとカユンにメルドゥは絶句といった表情をしていた。作戦でゼフォルに負けた以上に、二人の冷酷さにおののいているようだった。肝が小さいことだ。
「ゼフォル、これでは我らは攻勢に出られんぞ」
「消耗しない軍隊などこの世にはいません、もうしばらく時を待ちましょう……周りの氏族の方々は頑張っておられるようですし」
「健気なことだ」
ゼフォルから見ても帝国軍の動きは完璧といって良かった。まぁ当然だろう、ベラムトは歴戦の猛者だし、次席であのエスメルが控えているのだから。
公国軍は全体的に勢いよく攻め立ててはいるが、どれもこれもいなされている。一部の優秀なものが陣形の縫い目を見極めて攻め、ある程度の成果を上げてはいるが、それでも致命傷とは言い難かった。
「ほ、報告!敵の一隊が我が正面を突破しました!こちらに向かってきております!」
「ゼフォォォォォル‼︎‼︎そこにいるのだろう‼︎いるんだろうな‼︎出てこい!この卑怯者!私がその首切り落としてやる!」
そう冷静に戦況を見守っていると、つんざくような大声で名前を呼ばれる。ガルド族の前線を食い破り帝国軍の一団が迫っていた。先頭を駆けるは流麗な赤髪を一つにまとめた女指揮官、アルセリア・エインヘリルが、長剣に血を滴らせ叫んでいた。
奥の方に布陣しているのにその叫びがここまで聞こえた。すごい怒っている。流石のゼフォルもビクリと体を震わせた。
「よく通る声だ。知り合いか?」
「……えぇ、知り合いです。アルセリア・エインヘリル大佐、私が抜けた今、帝国軍きっての野戦指揮官といえます」
「ほう?ならば奴の弱点くらい知ってるのだろう?」
「もちろんです」
いくばくか、怪訝そうな表情で問いかけるカユンにゼフォルは澱みなく答えた。
「少なくとも3倍、できれば4倍の兵力で圧殺するのです。さすればアルセリアの首は取れます」
「……ふざけているのか?」
全くもってふざけた提案だとは思っている。事実、流石のカユンも声色に怒りを滲ませていた。
しかしゼフォルは大真面目だった。アルセリアはゼフォルの切り札だったのだ。生半可な兵力であれが倒せるはずがない。東部方面軍でゼフォルがいくら酷使しても戦果をあげつづけた彼女の力は伊達ではない。
ゼフォル自身でも同数で倒し切れるかわからないし、倍の兵力を持ってやっとというところだ。
「大真面目です。カユン様、あのアルセリアなる者は剛のものにして頭も回ります。倒すおつもりならそれだけの労力と覚悟が必要です。ここは適当にいなして引くのをお待ちください」
「貴様は先ほどからいなしてこいというばかりではないか!」
そう冷静に提案するゼフォルにメルドゥが食ってかかってきた。
ゼフォルとしては本当に帝国軍に隙がなく、はっきり言って困っていた。それをとりあえず言語化しているだけだが、彼にはそう見えなかったらしい。
だが、降ってきたばかりの将がこれでは疑われるのも無理はないだろう。事実メルドゥが下手なことを言ったせいでカユンの目に少し疑念が入った気がする。
「流石にその言いようは失礼ではないですか、私はあくまで戦局を冷静に――」
「古巣が相手だから情がわいているのではなかろうな⁉︎」
「……そんなに私をお疑いなら、メルドゥ様は何か策がおありで?」
「アルセリアなるものがいくら強いと言っても所詮は一部隊ではないか!わがゲルド族の精鋭に掛かれば一呑みよ!」
「なら攻撃を命じになればいいではないですか、所詮私は降将です。意見はいえど軍師様のご提案に反対はしませんとも」
そう言ってやるとメルドゥはうぐぐと押し黙ってしまった。
ゼフォルを疑ってかかるのは悪くないのだが、やはりその先が続いていない、半ば呆れたようにカユンに向き直り、沙汰を待った。結局はメルドゥがどんなに疑ってる提案しようと、全てを決めるのはカユンなのだ。
「まぁ、ゼフォルが慎重なのはよくわかったが、このまま何もしないのも外聞が悪いだろう。おいメルドゥ、お前が一当てしてこい」
「わ、私ですか⁉︎私は本陣での業務があるゆえ、ここは敵情がよくわかるゼフォル殿の方が……」
「流石に無情すぎます軍師様、この傷で最前線に行けと言うのですか?」
そう言ってやればメルドゥは観念したようにはいとだけ返して、本陣から去っていった。
自分で唆しておいて何だが酷なことをしたと思う。メルドゥ如きではアルセリアに勝てるはずがない、多少多めの兵を引き連れるだろうが間違いなく負けるだろう。
だがあそこで消極的な意見を言って疑われるのも面白くないのでどうでもいいことだった。
ゼフォルの関心はメルドゥが勝てるかどうかではなく、生きて帰ってくるかどうかに向いていた。