案の定メルドゥは大敗した。あんな少し頭の回るだけの男がゼフォルに匹敵するアルセリアに勝てるはずがなかった。それでもその逃げ足はさすが北部蛮族といったもので、あのアルセリアを相手にしてある程度まとまった兵力が後退してきた。
日も落ち始め、帝国軍も公国軍も陣地へと引き返していく、勝敗は痛み分けといったことだろう。公国軍は結局帝国軍の馬防柵で囲まれた帝国陣地を突破できなかったし、帝国軍も柵を攻撃してはちょこちょこ逃げ回る公国軍に大きな打撃を与えることができなかった。
族長の天幕でゼフォルはカユンと今日の戦況を話し合っていた。カユンは当然といった風体でただの椅子というには豪華だが、玉座というには粗末なものに座り、対面するようにゼフォルは敷物の上に正座をしていた。周囲にはカユン直属の腕利きが彼の周りを固め、ゼフォルの背後にも立っている。
「ち、帝国軍め、なかなかやりよるわ」
「ベルズーフが不在とはいえこの地に主力を集めております。致し方ないかと、今は兵力を温存できたことを喜びましょう」
ガルド族の被害といえば、アルセリアに挑んだメルドゥの部隊が多少やられたくらいで、戦力のほとんどは健在だった。そんな吉報があっても二人の顔は暗い、公国軍も全力で仕掛けたが、ろくに帝国軍の陣地を突破するきっかけすら見いだせなかったからだ。
「メルドゥめ、奴もあれだけ大口叩きながらふがいない、せめてアルセリアとやらを道連れにすれば良いものを」
「それは流石に酷でしょう」
「ほう?ならばお前ならできたとでも?」
「この怪我さえなければ」
この場は、護衛の兵達こそいれど、陣営を動かす頭脳担当はゼフォルとカユンだけだった。唯一の頭脳担当だった軍師メルドゥは敗走中受けた傷を治療中だった。
「ふん、まぁいい、いずれそのアルセリアとやらは我がガルド族の猛者たちを集中させて討ちとってくれるわ。しかしその状況を作ろうにも周りの帝国軍をどうにかしなければなるまい、明らかにその練度と密度を増している」
「やはり南部小国家群の脱落が痛かったかと、これまで帝国は公国、王国、小国家群の三つを相手にしなければなりませんでしたが、今は二つでよろしいのです」
「あまりその辺りは詳しくない、南部小国家群はどれほど帝国の足を止めていたのだ?」
「ベルズーフのような指揮官こそいないものの、3万の常備兵とそれなりの指揮官を南に配置しておりました」
「成程……」
その言葉にカユンは少し声のトーンを落とした、なんともないように振る舞ってはいるが、帝国の戦力3万がフリーというのは指導者の一人として許容しがたいだろう。
「カユン様、しかし私には帝国はいまだ弱点を抱えていると思っております。でなければ私怨があるとはいえ降ったりはしません」
「……良い、言ってみろ」
そんなカユンを励ますようにゼフォルは提案した。今しかない、腰巾着のメルドゥもなく、今は何かを提案できるのはゼフォルだけだ。ここで考えうるすべてを高く売り込むつもりだった。
「確かに帝国は南部小国家群に勝ちました。しかしそれはあのベルズーフの力あっての事なのです。帝国はここ数年で幾多の戦いを起こしました。しかし西部諸侯の内乱も、南部小国家群との戦いもその総司令官はベルズーフでした。帝国の弱点はベルズーフが2人いないことなのです」
「子供でもわかることを言うな、同じ人間などこの世に二人といない」
「そうです。カユン様。同じ人間など此の世に二人いなく、帝国にはベルズーフの代わりになる人間すらいないのです!あれだけ広い国土を持ちながら!それを証明するように彼のいない王国戦線で帝国は負けました。そしてその後片づけに出払ってしまっている」
「今北部方面軍にベルズーフがいないことが弱点といいたいのだな?」
「その通りです。そして帝国は盤石に見えてその基盤は意外にも脆い、現皇帝バルグリフはベルズーフの武をもって、周辺の敵を一掃しましたが、それゆえ多くの敵を抱えております。万一最も強力な勢力基盤である帝国北部を失陥してしまえば、その政権はどうなることやら。あのベルズーフを北部から動かしたことで帝国は弱点をさらけ出しているのです」
盛大かつ壮大なゼフォルの提案にさしものカユンもこめかみを押さえて考え込んでいた。
「確かに、一理ある。帝国北部を我らで落とせれば、そのまま押し込めるかもしれん」
「はい。しかしこの策とて時限式です。いま東で踏んばっている王国が落ち着いて、ベルズーフが帰ってくれば其れまでなのです」
「だが、今日の戦いをよく見ただろう。いまの公国軍ではベルズーフのいない帝国すら突破できないではないか」
「いえ、まだ戦いは……ぐふっ⁉げほっ!げほっ⁉」
続きを言おうとしてゼフォルは盛大にむせてしまった、いやこれはむせたのではない、興奮した衝撃で傷ついた身体にダメージが入ったのだ。
「おい、ここで貴様に死なれては困るぞ!ゼフォル!誰か軍医を――」
「いえ、大丈夫ですカユン様、あと少しで、少しで私はあのベルズーフをだしぬけるのですから。まだ、まだ頑張れます」
医者を呼ぼうとするカユンを手で制する呼吸を整え、改めて向き直った。
「まずは公国の、いや北部騎馬民族基本の戦術を忘れぬことです。いまガジュ族の公国首脳陣は公国という国家に昇格したことに思い上がって、無駄な攻撃をしているように思います。カユン様も心当たりがあるのでは?」
「その通りだ。ガジュ族の連中め、公国などという虚構の玉座に胡坐をかきおって」
ゼフォルも気になっていたところだ。
今回の攻撃、明らかに公国軍の攻撃は合理的とは言えない。
まさに大陸中央でありがちな大兵力をずらりと並べてにらみ合っていた。王国の仕官が軍事顧問としているようだが、ゼフォルからしてみれば有効打とは思えなかった。
「そうです。帝国軍を撃退するだけなら従来やっていたことを拡大させるだけでいいはずなのです。すなわち、騎兵の足で敵の補給線をひたすらに叩くこと。帝国軍は確かに戦力を結集させいつもより多いかもしれませんが、多いがゆえに補給の確保は大変なものです。補給さえ断てれば勝手に自壊する張子の虎なのです」
「そこまで言うからには手はあるのだろうな」
「もちろんです」
そう言い切るとゼフォルは広げた地図を指を刺した。
「私が指さしたこの地点のいくつか、おそらく帝国の物資集積所があるでしょう」
「お前の寝返りはすでにばれているだろう?もはやその知識はあてに――」
「これらはすべて私の予想です。いくらノルン平原広しと言えどいくつも集積所に相応しい場所などそうありはしません。むしろ私が寝返ったことでこれまでの場所を変えたのなら、それ以外の場所を予想すればいいだけです。ですが同時にカユン様には私が頭の中で覚えてきた情報ではなく、考えてきた才能を信じてほしいのです」
そう言って手をついて頭を下げる。カユンは乗ってくるはずだ。これまで彼にゼフォルは最適解しか示さなかった。今やぬくぬくと寝ているメルドゥの何倍も役に立つ、会話の節々に見える彼の野心が本物なら、ゼフォルを捨てるはずがない。
「ああ、信じようじゃないかゼフォル、もう私はお前を帝国の裏切り者とは言わん、ともにガルド族の栄光をつかまんとする大切な同志だ」
「ありがたきお言葉」
ついにゼフォルは手に入れた。あのカユンの信頼を得たのである。まだこれは演技で心の底では疑っているかもしれない。それでも、こうして腹心の護衛達がいる前で発された言葉は相応に重いはずだ。
やはりこの、孤独な族長は対等の相談相手を欲していた。その気持ちはゼフォルだからこそわかる。いくら自分の才能に自信があって、孤高を気取ろうと人間としてどこかでしなだれかかる理解者は欲しい者なのだ。
とてもではないがメルドゥでは務まらなかったのだろう。
そしてゼフォルはさらなる綱渡りをする。けっして彼にとっても悪い話ではないはずだ。
「この物資集積所襲撃も単なるこれまでの戦略の延長にすぎません……続きがございます」
「構わん、ここまで言ったのだ最後まで言えい」
「願わくば、御人払いを」
「……いいだろう、お前たち下がれ」
「し、しかし……」
「この俺が重病の女一人に負けるはずがないだろう」
この提案をカユンは拒まなかった。ゼフォルをこれだけ信頼するといっておいて、いざ人払いを拒めば、族長としてその言葉は軽く、深手の女一人をおそれたと思われかねない。
そんなことをカユンは許せないだろう。あるいは本気でゼフォルを信頼してくれたのかもしれない。
護衛の兵士たちはみな頭を下げて天幕から出ていき、そこには正座をしたゼフォルと椅子から立ち上がって剣を抜いたカユンだけであった。
今、ゼフォルが変な気を起こしてもいつでも切れる構えだ。カユンも相当な剛の物なので、無手で座っているゼフォルでは勝てないだろう。
「では改めて……カユン様、今の公国は好きですか?」
「なんだと?」
「王国からの叙勲に浮かれて、操り人形のように帝国と戦うこの国家が好きなのか聞いているのです」
そうゼフォルが言うと、カユンの刃の切っ先がゼフォルの首に当てられた。
「貴様⁉ついに本性を現したか!この俺を甘言で惑わす気か!」
「甘言……確かにそうかもしれませんね」
あまりにあっさりと認めるゼフォルにさすがのカユンもおかしいと思ったのか、剣の切っ先を当てるだけで動かさなかった。それをいいことにゼフォルは言葉をつづけた。
「このままガジュ族を中心に帝国と削りあって、はてさて公国に未来などありますか?確かにうまくやれば二つの国家の力で帝国を倒せるかもしれません。しかしその後、いい様に使われたガジュ公国が王国に歯向かえるでしょうか?」
切っ先は完全に止まっている。カユンもその表情を動かさないが、目だけは続けろと訴えかけていた。
「歯向かえるはずがございません、王国の軍事顧問によってガジュ族がほかの氏族を使い潰すその国家は、最期は王国にガジュ族ごと使い潰されます。それならまだいいほうでしょう!今日の戦いを思い出してください。このまま北の戦いもわからぬ王国の無能な指揮官に、北部騎馬民族全部滅ぶまで付き合わされるというのもあり得ましょう!」
ヒートアップするゼフォルにカユンの瞳も何か熱いものを帯びてきた。やはりこの男もゼフォルのように野望を抱いているに違いない。
「慎重なカユン様なら私の来歴を知っているでしょう。私にこんな仕打ちをした帝国が嫌いです。そのきっかけを作った王国だって嫌いです。こうしてノルン平原にやってきましたが、王国の犬のガジュ族はもっと嫌いです。だから!」
そういってゼフォルは身を乗り出して顔を近づける。こんなことをしてもカユンは剣を動かさなかった。
「ガジュ族から公王の座を簒奪しなさいませ、どうせあんな無能連中に氏族の未来を託してもいいことなどありません。ガジュの名が気に入らなければガルド公国にすればいいでしょう。公国が気に入らないのであれば帝国を滅ぼしてガルド帝国がいいでしょう。そしてこの策を、いやこの私を用いなければここで首を落としてください。お情けで生かしてもいいことはないですよ?」
そう言ってゼフォルはこの首を落とせと言わんばかりに頭を垂れ、落としやすいように首を差し出した。長いようで短い静寂が流れ、カチンと剣を納める音がした。
「長く族長をやっていたつもりだったが、まさか帝国の降将から忠臣を得るとは、人生とはわからぬものよ。面を上げい」
その言葉に合わせて、ゼフォルは顔を上げる。ほんの一瞬のはずなのに久しぶりに見たカユンの顔は、まとっていた疑念は鳴りを潜め覇気を纏っていた。
「私も、真に偉大な主君を降った先で得るとは思いませんでした」
「私の負けだゼフォル。よくもまぁこの胸の内の燻りを燃え上げさせてくれた」
「まるで宝石を掘り当てた心地です」
「メルドゥはいずれ解任させる。後任はお前だゼフォル」
「御意」
ゼフォルはカユンにあらためて頭を下げた。包帯の下にはあまりにもギラついた笑みがあふれていた。