ノルン高原の闘いは停滞状態に陥っていた。
互いが大軍だけあって大小様々な小競り合いこそ頻発していたものの、帝国軍は足の速い公国軍を殲滅し切ることはできず、公国軍は帝国軍の巨大陣地を突破し切ることができず、お互い決定打に欠けていたのである。
「帰ったぞゼフォル」
「おかえりなさいませ」
今日も何事もないガルド族の本陣に、族長であるカユンが顔に喜色を浮かべて帰ってきた。
それをゼフォルは主人を迎えるように恭しく向かい入れた。
既にこのガルド族においてゼフォルはまるで軍師のように振る舞っていた。名目上はまだメルドゥがガルド族の軍師の座にあるが、彼はまだ先の戦いの戦傷が癒え切っておらず、未だ床に伏せっていた。
その後釜にゼフォルは降将でありながらさも当然といった体で居座っていた。
もちろん、メルドゥ以外にも重臣たちがいたが、残りはみな腕っぷしだけの武官まみれでこういった献策はできない。
それにゼフォルも彼らが軍議を行っているときに進んで口出しはせず、族長のカユンが聞いてきたときだけ発言するので、重臣である彼らもカユンの発言を遮るわけにもいかず、自分達の領分を犯さないゼフォルを決定的に嫌うこともなかった。最も、その包帯まみれの体と異様なほど族長から気に入られていることから不気味がられはした。
「どうでしたか?先ほどの軍議は」
「ふん、ガジュ族の連中よほど攻めあぐねていると思われる。王国の武官どもも肩身狭そうにしておったわ」
「それはよろしいことで」
そう先ほど、公国の族長会議から帰ってきたカユンは相変わらず不遜な態度でゼフォルに答えた。
ガジュ公国の一員であるカユンがそこの公族と協力している王国の武官達が攻めあぐねているのをよろしいとはどう言うことか、答えは単純である。
カユンは決してガジュ族を好んでいない、それどころかゼフォルと同じように憎んですらいる。当然だ、ガジュ族は確かに大きな氏族ではあったが、ガルド族とそんなに差があったわけではない。ただ、王国に取り入って公王位を手に入れただけだ。
カユンからしてみれば同格だった相手と、外国であるはずの王国の人間がふんぞり返っているようなものだ。面白いはずがないだろう。もっとも今、ガルド族も帝国人であるゼフォルがふんぞり返っているが、それはそれだ。
「くくく……では集積所への攻撃を成功させているカユン様をさぞ羨ましく思っているのでは?」
「おうとも、連中、明らかな嫉妬の色が隠せておらん」
現在の停滞する戦況でガルド族だけが明確な戦果を挙げていた。ゼフォルが予想し、カユンに提案した帝国の物資集積所への襲撃は予想がぴたりと当たって、成功を収めており、これによってガルド族は少なくない物資の収奪に成功していた。
「では連中の求心も」
「ああ、お前の言う通り奪った物資を気前よく配ったら我らになびく連中が多くてな、良く思いついたゼフォル。褒めて遣わす」
「ありがたき幸せ」
カユンの称賛にゼフォルは感謝を述べた。ゼフォルは奪った物資を気前よく公国軍全体に振る舞うように提案していた。基本的に北部蛮族達の社会は修羅の世界だ。住んでいる者に生活のゆとりというものはなく、氏族間でも物資の奪い合いは常態化で、いまのように協力して帝国と対峙するときは自重するが、基本的には奪い合っているのが普通なのだ。
戦利品や収奪品のとりわけも単純明快で奪った氏族の物になるのである。単純かつ明快なそのルールは公国になっても通じており、いくらガジュ族でも他人の戦利品に手を出せば、顰蹙を買うだろう。
しかし今回ゼフォルはカユンに気前よく略奪品を配るように提案していた。
今公国軍で物資や食料はどこだって喉から手が出るほど欲しいだろう。今でこそ戦況は睨み合いになっているが、それでも対陣しているだけで物資はどんどん減っていくからだ。
どこかで決戦でもおきればその消費量は一気に跳ね上がる。元がまずしい土地ばかりの公国軍は物資収奪を前提に戦争計画を立てており、守りを固めている帝国軍からは物資を奪うことができない。ただの睨み合いだが、それによってじりじりと物資が減っていくのはさぞ焦ることであろう。
そんな中ガルド族だけが物資集積所への攻撃を成功させて潤っているのである。そんなもの本人たちの努力不足でしかないのだが、ほかの氏族たちから無用な嫉妬ややっかみを受けてしまうだろう。
そこであえて、得たものを気前よく公国軍の公庫に配ってしまうのだ。流石に欲深いほかの氏族たちも、ガルド族がわざわざ国家のために献上したものには手を出せないし、むしろ公国軍全体を考えて物資を供給したガルド族に感謝するしかなくなる。
それは同時に宗主であるガジュ族への不信につながる。
構成氏族の中でも2,3を競うほどの勢力を持つとはいえあくまで公族でもないガルド族がこうやって公国軍全体の為に物資を供給し続けているのに、ほかならぬ宗主であるガジュ族は外国である王国の武官と共に後ろから指示をだすだけで、公国軍の損害を重ねているだけだ。
この停滞した戦況を打破する目途すら立てていないのだ。
こうなれば構成氏族からガジュ族への不信が広がるのは必然であり、ガルド族を指示する者すら現れるだろう。
「このままなら、宗主の座も夢ではありません、カユン様が公国全体を率いたほうが帝国への勝率も上がり、全氏族が幸せになれるでしょう」
「全氏族の幸せか……優しいことだなゼフォル。俺はお前を拾えたことは幸運だったと思っている。ガルド族の繁栄にお前は必要不可欠だ」
「過分なお言葉で……うぐっ!ゴホッゴホッ!」
そう二人でガルド族の繁栄のためたくらむがゼフォルは再びせき込んだ。日に日にその数は増えてしまっている。
「大丈夫か?まだ倒れられては困るぞ」
カユンももう慣れたものなので慌ててはいないが、心配を隠さなくなった。人間的な良心で心配をしているわけではないだろうが、少なくともゼフォルに今倒れられては困るのだろう。
「いえ……少なくともこの戦役は耐えられます。それにカユン様も私のような人間が長生きしても困るでしょう」
「最初はそう思った。だがメルドゥがあのざまで、他の連中も頭脳担当にはなれん」
そう悔しそうにカユンは絞り出すように言った、ゼフォルもこの短い期間で相当に尽くしたつもりだったが、思った以上にカユンは自分の事を評価してくれているようだった。
「……ありがとうございますカユン様、私もあなたの覇業を最後まで支えたかった」
「縁起でもないことを言うな。王国の魔術師にでも見せれば何とかならんか」
「それはいけません。奴らの宮廷魔術師を討ち取ったのは私です。……私に生きてほしいですか?」
「……まぁ、な」
そう本音で言ってくれるカユンにゼフォルは降将として勝負に出た。
「あまりに博打ですが、一手あります」
「言ってみろ」
「私のこの傷は、帝国の魔術によるものです。直すには帝国の有力な魔術師を捕まえなければなりません。一番は帝都にいる宮廷魔術師を捕まえることですが、それは現実的ではない。ですが幸い、この北部戦線には今帝国の主要な戦力がそろっています。北部方面軍の魔術師にも治せるものがいるかもしれません」
「だが戦況は……」
「そうです。この拮抗状態はちょっとやそっとじゃ崩れないでしょう。なにせ何十年も帝国北部は決定的な決着はつかなかった。あのベルズーフがいてもです」
あのベルズーフをたとえに出してもカユンの関心はゼフォルの寿命のようだ。我ながら随分と信頼されたものだ。
「このまま睨み合っていては、私の寿命がもたない。ですが、この戦況をひっくり返す手があるのです」
「……それは何だ?」
「しかし相応のリスクと、カユン様も大きく動いてもらう必要があります」
「言ってみろ」
「ピレンネ山、あそこの盆地を襲撃するのです」
「なんだと!」
ゼフォルの提案にカユンは驚きの言葉を上げる。無理もない。ピレンネ山は公国軍にとって、50年前先祖たちが負けた因縁深い地であり、今では不吉の象徴として公国軍は近づかないほどだ。
「もちろん、かの地がもはや不吉とまで言われているのは知っています。ですが、だからこそかの地は今や帝国最大の物資集積所になっています」
「知っていたのか」
「知っていました。ベラムトが馬鹿笑いしながらこんないい場所を公国は襲うことない、我らの先祖が負けたからなと言っているのを聞きましたし。軍の計画表でも確かに確認しました」
「なぜ、言わなかった」
「恐れ多いことですが、いきなりピレンネを攻撃を提案しても、取り上げられるどころか、ご不興を買って処断されないかと不安があったのです。ですがカユン様の人となりを把握し、今ならと提案しました」
そうゼフォルは改めて提案するが、カユンの反応は芳しくない。頭を抑えて、何かを考えている。しかし、信じてくれるはずだ。その一心でゼフォルは待った。
「ゼフォル、彼の地にはどれだけ物資がある?」
「あそここそ北部方面軍遠征時の主要な兵糧庫そのものです。それまで襲撃した集積所などそれらの枝葉にしかすぎないのです。彼の地の収奪を成功させれば、帝国軍は撤退しかなく、公国軍は少なくとも3ヶ月は戦い続ける物資が得られるはずです」
「得たその先も考えていような」
「もちろんです。この攻撃を成功させ、その物資で公国軍を潤すのです。対して干上がった帝国軍は撤退どころかゲルドラ城の防備を固める余裕すらなくすはずです。そのままの勢いで帝国北部を奪うことすら視野に入ります。そして!これらの功績の立役者にカユン様がなれば公国の主権はガルド族のものです!」
そこまで言ってやると、カユンは深く、それはもう深く考え込んだ。先ほどの倍の時間がかかり、ようやく口を開いた。
「それは……いいな。だかピレンネ山の地形の厄介さは本物だ。あそこはどうしても騎兵の利点が死んでしまう。勝算はあるのか」
「あります。50年前たしかに彼の地で公国軍は敗れましたが、それは盆地に逃げ込んで抵抗するという愚行を起こしたからです。帝国軍の援軍が来る前に撤退できれば何も問題はないのです」
「しかしあまりにも短時間では物資を運び出せんぞ」
「ええ。ですからやるならこの地にいる公国軍の全力で挑むべきです」
そう言うとゼフォルは地図上のコマを全て動かし、ピレンネ山に集中させた。
「この拮抗状態、公国軍が撤退したと見せかけるのに十分な状況です。何せ歴史上何度も勝てぬと見ては北部騎馬民族はとっとと撤退したと言う実績があるからです。それを活かして公国軍全軍でピレンネ山を攻めます。撤退したとばかり思っていた帝国軍はその素早い動きに対処できないでしょう」
そう言ってゼフォルは地図上のピレンネ山に×印を書いた。
「そして長年公国が手を出さなかったピレンネ山の防衛部隊も油断し切っています。そこに公国軍全7万の奇襲が入れば一瞬でその守りは瓦解し、7万の兵全てをかければ大量の物資を奪い切るのも不可能ではありません」
そう一息に説明し切る。カユンは考え込んでいるが感触は悪くなさそうだった。
「しかし公国全軍となると俺の権限だけでは動かせんぞ」
「そこでこれまで分けてきた物資による人気取りが役に立ちます。明らかに功績を上げているカユン様の言葉をいくらガジュ族の連中でも無視できないでしょう。一度くらい公国全軍を使う作戦を立案するくらいカユン様なら容易いです」
「ここまでを考えていたのか?」
「考えていました」
「これのために俺にガジュの連中を説得しろと?」
そう言葉ではいっているものの、カユンは心から嫌そうではなかった。
「そうなります。ですが、私もさきの短い命を使っての最後の博打です。カユン様、どうか聞き遂げてくれませんか?私があの帝国を、ベルズーフへ復讐する最後の作戦なのです」
このまま自らの願望を通すため、ゼフォルは手をついて頭を地面に擦り付けて言った。
「悪いが聞き入れられん」
「……そうですか」
「勘違いするな、聞き入れられんのは最後の博打と言うところだ」
「……⁉︎」
カユンの拒否に一気に体が強張り、急いでどう説得するか考えるゼフォルだが、カユンの次の言葉で光明は差した。
「やってやろうゼフォル。この戦いで俺は公国の全てを、お前は帝国の魔術師からその体の治し方を得ればいい。だから最後などと言うな」
「カユン様!」
「すぐにピレンネを攻める作戦を考えろ、そのためならメルドゥの部下も使っていい。俺はガジュ族の連中を説得してくる」
「承知しました!」
カユンの力強い言葉にゼフォルは包帯の下でその顔をニヤリと歪ませていた。