ピレンネで休息をとっていた公国軍、いやカユンが率いるガルド族1万と少しはようやくゼフォルの進言通り、撤退戦の準備にかかっていた。
「ゼフォル。ようやく貴様の言うとおり撤退だ」
「我が策取り入れていただきありがとうございます」
掛かった時間は三日である。軍事的には十分早いといって良かった。カユンは宴の時は既存の氏族たちの機嫌を取ったが、ゼフォルの要望もできるだけ速く取り入れる姿勢を見せてくれていた。
「すまんな、本当はお前の方が連中より優れているのは分かっている。しかし組織というのは複雑なものなのだ。わかってくれ」
「いえ、お気になさらず、仰ぐ旗こそ違えど私とて組織人でしたから」
そうゼフォルをフォローするカユンにさすがだと思った。この男、野心も能力も十分だが、族長として人の上に立つ力も十分なのだ。この言葉にだってどれだけの打算が隠されているかわかったものではない。
冷静に考えればカユンは公の場ではゼフォルを見捨てて、こういった個人的な会話でのみゼフォルを持ち上げているのだ。
こういった裏のリップサービスをする価値があるとゼフォルを認めているということだし、食えないやつだと思った。
なにせゼフォルも東部方面軍では息を吐くようにオドールの前では西部貴族を貶して、西部貴族の前ではオドールを貶していたのだ。だからそれを悪いことだとは思わなかった。
「まぁとにかく、この三日間で、いくつかの氏族を味方につけ、物資も十分に接収した。後は撤退するだけだ」
「少々、私にも焦りがあったように感じます。帝国は先の闘いでもそうですが、十分に陣地を張り巡らせなければ騎兵主体の公国に野戦を挑んだりしないでしょう。三日ではまだ追いつけぬかと」
「そうだな」
素っ気なく返すカユンだが、少しゼフォルの案を退けたのが後ろめたそうだった。もっと冷酷な男だと思っていたが、存外にゼフォルを気に入っているらしい。
「して、他の氏族らは?」
「まだ撤退せず、戦利品あさりに精を出している連中もおる。だがもう知ったことではない」
「英断かと」
そう冷徹に他の氏族を見捨てる判断を下し、ガルド族の一軍は山間部の集積所を後にした。そしてピレンネの狭い出口に差し掛かった時、伝令が駆け込んできた。
「山の外を警邏していた兵から伝令です!帝国軍の一団がこちらに向かってきています!」
「なんだと!数は!」
「およそ4千ほどかと」
慌てて駆けこんできた伝令からの情報を整理し、即座にゼフォルは口を開いた。
「おそらく帝国の先遣隊です。カユン様。今のうちに強行突破で抜けるべきです。ぐずぐずしていれば出口を固められます。いまなら物の数ではありません」
「うむ。その通りだ。全軍作戦に変更はなしだ!ピレンネから突破する!これで他の氏族どもの尻にも火が付くだろうよ」
そうカユンが号令を下せばガルド族約1万の雄叫びが山に響いた。たった三日とはいえ、帝国の物資で英気を養った彼らの士気は天を突かんばかりである。先鋒が意気揚々と駆けだし、ゼフォルとカユンは中軍をゆるゆると進んでいった。
帝国軍が来ても全軍には気楽な雰囲気が覆っていた。忌々しい記憶であるピレンネへの攻撃を成功させ、宴の余韻が残っているからだ。やってきた帝国軍もいまだ少数、いくらでも跳ね返してやると意気軒昂である。
しかしそのある種の余裕に水を差す報告が入った。
「ほ、報告!わが先遣隊が帝国軍に撃退されました!」
「な、何だと!」
そうカユンが伝令に聞き返すと何かを爆破したような音と悲鳴が山間部に鳴り響いた。
「カユン様!魔術師です!帝国はこの地に魔術師を配置しました」
「魔術師だと!おのれ小癪な……構わん!どうせ魔術師などそう数をそろえられん!すぐに息切れする!全軍続け!突破するぞ!」
そうカユンは剣を抜いて攻撃を指示した。
ゼフォルから見てもそう間違った判断ではない。このまま手をこまねいていても帝国の後続部隊が到着すれば最悪だ。ならば多少の損害を覚悟で突破してしまった方がいい。
多少、帝国の魔術部隊を軽視している節があるが、それは公国全体の風潮だ。歴史上、北部蛮族達の人口では纏まった魔術部隊をそろえたことがないのもあって酸っぱい葡萄のような扱いをしているのもあるが、このノルン平原での戦いに魔術師は余り役に立たないからだ。
魔術師は攻城戦や歩兵が固まったところでは無類の破壊力を発揮するが、馬に乗って高速移動する北部蛮族には非常に相性が悪い、単純に当てるのが大変だからだ。それに当てたとしても大平原では兵力が散開していることが多いので、余波で周囲を巻き込むのも難しい、このノルン平原では魔術などちょっと派手な弓とそう変わらない。
そういったことも後押ししてカユンは攻撃を指示したのだろうゼフォルはそう判断した。
まぁどちらにせよカユンの命令に口をはさむこともできないので黙ってついていく。どうせゼフォルには率いる兵もいないのだから。
そのままカユンの率いる中軍は帝国軍に接敵した。布陣する帝国軍を見渡すとカユンが怒りを隠さず叫んだ。
「先鋒は何をしているのだ!みすみすと陣形を整えられているのではないか⁉」
強行してきたはずの帝国軍はあっさりとピレンネの脱出口をふさぐように陣形を整えていた。急ごしらえというわけでもなく、しっかりと組み立てられたものであった。この短時間で、この完成度、相当な練度の隊が来ているとわかる。
「カユン様、落ち着きを、我々の脱出を阻止するため、敵は選りすぐりの精鋭を投入してきたのでしょう。ですがそれだけでわが先鋒が破れるはずがありません。今なら向こうも魔力を使い果たしているはずです。ここが正念場です」
「まぁそうだろうよ!皆の者!ここが正念場だ!疲弊した敵精鋭と魔術師を粉砕する!不用意に仕掛けたことを後悔させてやれ!」
そう叫ぶとガルド族の軍勢は雪崩れ込んで帝国軍に攻め込んでいく。
「ゼフォル、お前も傷病の身だが無理をさせるぞ。何とか後ろをついてこい!もしかしたらその体も治せるかもしれんのだからな!」
「御意」
そうゼフォルに気遣って、カユンも突撃した。ゼフォルもその少し後ろに続いて突撃した。
族長であるカユン自らの陣頭指揮に全軍の指揮は否が応でも上がっていた。
「これはいけませんね」
しかしそんなガルド族全力の攻撃もいなされている。こちらの圧力が強いところはすんなりと引いて、勢いの落ちたところで再び分厚く陣形を固める。そしてガルド族が突出した反対側では逆に攻撃に出て、最前線の兵力を間延びさせ、これ以上の進出を躊躇させる。まさに軍事大国であるイスペリア帝国の緻密な兵力運用そのものだ。狭い地形で大軍を活かせぬとはいえ、ガルド族の大軍が少数の帝国軍を相手に翻弄されていた。
ゼフォルは前に出て、陣頭指揮を執るカユンのもとにまで走った。
「カユン様!」
「ゼフォルか!何だこれは!まるでベルズーフがいるようだぞ!」
「慌てる必要はありません!所詮敵は少数、張り合う必要はないのです!ここは一点を食い破って脱出しましょう!こちらの損害も大きいかもしれませんが、どこか食い破ってしまえば後は崩れていくだけです!」
ゼフォルも持てる知識を総動員してカユンを援護しようとする。帝国の戦術を履修しているゼフォルにとって所詮こんなのまやかしでしかない。戦術書にある遅滞戦術を、対公国向けに発展したものを高度に運用しているだけだ。いやここまで高度に運用できるだけ敵の指揮官をほめても良いが、同じことをゼフォルだってできる。
そう思ってカユンを説得していると急にゾワリと背筋が凍った。すさまじい殺気がカユンの本営周辺を覆っている。
そして見えたのだ。視界の先に、敵将の姿が、身の丈を超える大斧に、相反する白銀の髪と漆黒の鎧、紫色の瞳が絶対零度の視線をこちらに向けていた。
間違いない、エスメルだった。ある意味ゼフォルは納得していた。ここまでに極められた指揮と魔術の腕、その二つを両立させた指揮官など彼女しか知らない。
そしてこちらに延ばされた腕の先にはその瞳と同じ、紫色の紫電が輝いていた。
「カユン様!危ない!」
気が付けばゼフォルは上下関係などかなぐり捨ててカユンを突き飛ばしていた。
次の瞬間、紫電がほとばしり、轟音と衝撃がゼフォルを襲う。だが、何とか直撃は避けていた。
「うっ……ぐっ……」
「ゼ、ゼフォル⁉あれはなんだ!いったい何なのだ!」
何とかカユンも助かったらしい、普段の冷静さをかなぐり捨てて、ゼフォルに食って掛かった。
「か、考えうる限り最悪の事態です。カユン様、一度引くべきかと」
「ば、馬鹿を言うな!このままでは……うぉお⁉」
喋っている暇もなかった。エスメルが第二射をはなつと、また近くに直撃し、カユンの側近たちが消し飛ばされる。
「相手は敵軍の副将エスメルです!魔術の天才でもあります!こんな狭いところでは狙い撃ちです!」
「し、しかしここで逃げれば、脱出口が塞がれてしまうぞ!」
「ここで無駄にガルド族の兵を失っては立て直せなくなります!ここは他の氏族の力を使って!」
「だ、だが……」
「カユン様!」
いまだ煮え切っていないカユンにゼフォルは一喝してこちらに意識を向かわせた。
「恨み言を1つ言わせていただきます!私の言うとおり初日でとっとと退散していればこんなことにはなりませんでした」
「⁉それは……そうだが……」
「あれを倒すにはアルセリアどころではありません!ガルド族だけではなく他氏族の力を必要とします!そしてその時、ガルド族が損害を受けすぎて主導権を失うことだけは避けなければいけません!」
そういうとカユンは目の色を変えた。恐らくだが、ガルド族がかつてベルズーフに大損害を食らって、その力を落としてしまったのを思い出したのだろう。
「ですからどうかご決断を!」
「わ、わかった!撤退だ!撤退!」
そうカユンが叫ぶとガルド族の兵は雪崩を打って撤退を始め、再びピレンネの山間部に帰っていった。ゼフォルも何とかカユンと共に他の兵に拾われ、その場を撤退していった。
その間、帝国軍は追撃をしてこなかった。いっそ不気味ですらあった。
「恐ろしいことで……お嬢様」
散々な公国軍とは打って変わってビクともしない帝国の完璧な布陣をみながらゼフォルはポツリとつぶやいた。
なんとか撤退に成功したガルド族は陣払いしたはずの場所に戻ってきた。
「なぜ突破できんのだ!」
「そんなことよりこのままでは袋の鼠だ!」
「これではほかの氏族どもに示しがつかんぞ!」
撤退してすぐ本営に有力者たちが集められ会議を開いたが、荒れに荒れていた。ゼフォルも黙ってカユンの隣に侍っていた。
今回の敗因など明確だ。帝国軍は確かに数千ほどの少数であったが、その質が尋常ではななかった。兵の中に弱兵は存在せず、まるで1つの生き物のように公国の攻撃を防ぎ切り、何より閉所にて絶大な威力の魔術で猛威を振るったエスメルがいたのだ。わずか三日の日数で帝国は、偵察部隊などといった二線級の戦力でなく、一級品の戦力でこのピレンネを封鎖しに来た。それが現実だった。
物資漁りや戦勝祝いなどせず、とっとと持てるだけの物資を持って引けばこんなことにはならなかったのだ。しかしこの場にいる誰もその事実だけは言おうとはしない。そうしてしまえばこの場で正しいのはゼフォルだけになってしまう。またこの降将に過ぎない重病人にでかい顔をされると思っているからだ。
「まぁまぁ皆様、公国軍は何も我らだけではないのです。今、他の氏族の方々にも、帝国の襲来に対し、迎撃のため出陣されました。あの程度の数公国軍総出でかかればなんということもありません」
騒ぐほかの有力者を遮ってメルドゥが発言する。最近軍師なのに影が薄かったのを気にしてか、彼らしくなく大きく動いたようだ。
「何を勝手な!それではほかの氏族に借りを作ったのか!」
「借りとは心外ですな、そもそもこのピレンネを落とせたのは我らの力あっての事、次は他の氏族たちも頑張っていただかなければ」
「それはそうかもしれんが……」
「それに、今回の相手にした帝国軍は強力です。下手に手を出して損害を出すのは面白くない、他の連中と潰しあってもらえばよいではありませんか」
そう得意げに持論を語るメルドゥに他の有力者は黙らされた。目の付け所は悪くないとゼフォルは思った。好き好んで大敵と戦う位ならその役割を気に入らない味方に押し付ける。良くできた作戦だ。だがゼフォルからすれば見通しが甘かった。
そう思いながら軍議を黙って聞いていると伝令が駆け込んできた。
「報告!ノボク族が攻撃を仕掛けましたが、跳ね返された模様です!」
「まぁ、ノボク族程度ではこんなものでしょう」
「報告!カイエン族が攻撃をしかけましたが撃退されました!」
「むぅ……だがしかしこれ以上の波状攻撃には耐えられまい」
そう余裕ぶるメルドゥだが、その後も続々とくる撃退、敗北の報告に明らかに焦り始めてきた。
「ほ、報告!ガジュ族が攻撃を仕掛けましたが撃退されたようです!敗走してきます!」
「な、何だと⁉馬鹿を申すな!ガジュ族といえば公国の主力部隊なんだぞ!」
ついに宗主であるガジュ族敗退の報告に完全にメルドゥは取り乱していた。いや、メルドゥだけではない。ガルド族の有力者たちもついに現状が理解できたのか、取り乱すどころか顔が真っ青になり始めた。
ようやく現状を理解したかとゼフォルは包帯で顔が見えないのをいいことにメルドゥらを見下しきっていた。恐らくその速さに驕り切っていたのだろう。こんな袋小路に追い詰められ、逃げることすら叶わぬと、カユンとゼフォルはとっくに気が付いたことをようやく思い知ったのだ。
メルドゥもあれで軍師だというのだから笑えてくる。大方兵力数だけを見て、公国の総力を挙げれば何とかなるくらいに思っていたのだろう。アルセリアに負けたというのに学習もしない。先祖の敗北から学ぶ頭もなかったのだろう。アルセリアも恐ろしいが、間違いなくそれ以上にエスメルは強力だ。
「……もう良い。このまま話しても埒が明かぬ。全軍出陣体制を整えたまま、待機だ」
「か、カユン様」
「案ずるな、時は必ず来る」
そう言ってカユンは軍議を切り上げてしまった。なんともない風を装っているが、明らかに裏で様々な思索が渦巻いている。おおかた周りが頼りにならぬと考えこみはじめたのだろう。ゼフォルも似たような事態に陥ったことが多かったのでよくわかった。