北方の戦いを終えた帝国軍第二軍は帝都に帰還をした。既に北方蛮族がわが物顔で闊歩していたノルン平原は帝国軍北部方面軍の統治下にはいり、帝国の優秀な役人たちが派遣され、新領地としての運営が始まっている。もうこれ以上の実戦戦力は不要と彼らと入れ替わる形での帰還である。
総司令官のエスメルをはじめとした帝国軍第二軍は帝都に入るなり都民らの熱烈な歓声をもって迎え入れられた。北方蛮族と常に隣り合って緊張状態だった北部方面の人々に比べればあっさりとしたものであったが、それでも都民レベルの教養を持っていれば、北部蛮族がどれだけ長年帝国を苦しめていたかよく理解している。
なにより人口の多さがあるので、歓迎は壮大なものになっていた。
さらには皇帝陛下が直々に門前までエスメルを迎え、功を労うというパフォーマンスを見せていた。
その光景をゼフォルは一歩引いたところで見ていた。いくら戦勝とはいえ皇帝陛下の近くに恩赦で出獄したての自分がいるのはまずいという判断だ。
さらに今、エスメルの近くには、アルセリアもクレッチマーもエルシアもいた。この三人ならば、任せるのに不足はない。いやむしろこういったことならゼフォルより三人の方がいいだろう。今では当然の判断だが、ゼフォルがエスメルの大事を人に任せることになるなど思ってもいなかった。
そんな主人の最大の晴れ舞台をゼフォルは感慨深く見つつ同時に冷静に分析していた。帝国の久方ぶりといっていい文句なしの外征による完勝なのだ。バルグリフ陛下にしてもこれを国威発揚に使わない手はないだろう。
帝国の戦勝と言えば、忘れることのないヴァンダル高原の勝利がある。しかしこれはあくまで攻め込んだ王国を撃退しただけで、むしろ帝都近郊まで攻め込まれたのはむしろ汚点といってもいい。
西部貴族との戦いはあくまで内戦であり、バルグリフ政権の勝利であって帝国の勝利ではない。小国とはいえ南部小国家群を降伏させたが、国家としての驚異がそもそも小さかったのと、同時にゼフォルが盛大に負けたので、やはり決定的な勝利とは言えない。
そんな中で長年の敵である北部蛮族に対する完勝だ。それも皇帝陛下即位のすぐ後にである。プロパガンダにこれだけふさわしいものはなく、あの賢いバルグリフ陛下が使わない手はないだろう。そうゼフォルは位置的にも一歩引いているがゆえに思考も客観的に分析していた。
「そういえば、エスメル将軍、今回の戦では、ゼフォル中佐が敵地に潜入して功を上げたと聞いている。彼女はどこにいるだろうか」
「陛下、しかし中佐は……」
「良い良い、勝敗は兵家の常、敗北の責はすでに清算したのだ。功には報いなければならぬ」
そうこう考えているとゼフォルの名前が呼ばれた。まさか名が上がるとは思わなかったので心の中には驚愕していたが、何とか表情には出さなかった。
「は。陛下がそうおっしゃるのなら。ゼフォル中佐、陛下がお呼びだ」
エスメルに呼ばれて前に出て跪く。東部に長くいたのと中佐になって会えなかったのもあってこうも玉体に接近するのは久しぶりだった。
「よく、帝国の為の献身、感謝する。そなたのおかげで余は長年の宿敵を倒し、帝国の万民に安寧をもたらすことができた」
「光栄です」
「エスメル少将は余にとって娘も同然。これからも彼女を支えてほしい」
「ははっ!」
短い言葉ではあるが、バルグリフ陛下がゼフォルに労いの言葉をかけた。
完全なリップサービスだと分かってはいる。だが皇帝陛下から直々にそう言われてしまうと、自然と気分が高揚するのを止められなかった。相も変わらず人の心をつかむのが上手い方だ。まぁだからこそ帝国の君主としてふさわしいのだろう。
エスメルが娘同然という言葉もあながち間違いではないのだ。帝国の大貴族である公爵家には過去の婚姻関係から皇族の血も混じっている。何よりエスメルの後見人はバルグリフ陛下であり、まさにエスメルは皇帝の子飼いといっていい立場にあった。
なによりわざわざゼフォルは呼ばれたことによって、凱旋中に皇帝とエスメルが並ぶ最大の晴れ舞台に一瞬だが立つことができた。それはとても満足だった。
帝都に帰ってきた帝国軍第二軍は軍団ごと休暇に入っていた。あれだけの功績を立てて帝都に帰って来たのだから当然である。
ゼフォルはあまり立ち寄ることのなかった貴族街を訪れていた。帝都のこんな場所に知り合いなどいるはずもなく、訪れたこともなかったが、今日はどうしても会いたい人物がいたのである。
帝都の中でも緻密に整えられた区画を軍服で歩いていく。周りには貴族しかいないのだ。メイド服ではどこかの従僕と間違えられるし、ゼフォルの持っている私服の中にこの場に適したものはない。必然的にこれになっていた。
中佐の階級章ともらったばかりの勲章をじゃらりと並べて歩いていれば、住民たちの反応は悪くなかった。流石に警邏の衛兵はそこらをうろついているので、軍人に対する忌避感はないのだろう。それに今帝都では北部での戦勝ムーブ真っ盛りなのだ。それに上流階級である彼らは勲章の内容を知っている。それでいて東部でやらかしたことは知っていてもゼフォルの顔などは知っているはずもないので、今のゼフォルはただの北部で功績を上げた将校なのだ。
貴族街は意外な盛り上がりを見せている。既存の貴族たちはその多くが、バルグリフ陛下の中央集権で特権を奪われたものが多かった。しかしいくら特権を奪われてもその資金力とコネクション、信頼できる身分と教養は健在なのである。
この場に住む貴族たちは皆、特権を失ってなお、商売なり新政権の官僚としてなり、成功していたのだ。だから未だ帝都の一等地で豊かな暮らしを営むことができている。それができないものは落ちぶれてどこぞへと追い出されている。まさに今の帝国の国風を現しているようだった。
そのため商人やらなんやらも意外と歩いていた。そんな中を階級章を誇示するように歩きながらゼフォルは目的の屋敷に就いた。
すでにアポイントは通していたため、門衛に名前をだせば、中に案内される。
客間でくつろいでいると、今日会う予定だった人物が現れた。
「ゼフォル将軍……いや今は中佐だったな」
「オドール閣下、お久しぶりです」
現れた瞬間にたたずまいを正してゼフォルは頭を下げる。
そこにはかつてゼフォルの上司であった帝国軍東部方面軍総司令官にして中将、そして現予備役であるオドールがいた。
ゼフォルと同じように軍法会議に掛けられた彼は釈放された後、彼が責任をとって予備役になったことは聞いていた。
ゼフォルも恩赦で出獄した後、エスメルに許可をもらって会おうと思えば会えた。だが会わなかった。単純に合わせられる顔がなかったし、今さら何を話せばよいのかという気持ちがあったからだ。
しかし彼の情報は集めており、こうして貴族街で屋敷を持てるくらいには落ち着いているのを知っていた。
お互い言いたいことはいくらでもある関係だ。しかしオドールも当面の生活は安定していて、ゼフォルも北部での活躍で名誉挽回を果たした。ならばこうして顔を合わせてもいいはずだとゼフォルは今日オドールに会いに来たのだった。
「ははは、もう頭を上げてくれ中佐、私はもう閣下と呼ばれる人間ではないよ、軍もやめたし、家督も息子に譲ったんだ。もう家のお荷物でしかない」
そう自嘲するオドールだが、それはそれとして穏やかな顔をしていた。中将だったころの彼は尊大な態度をとることが多かったが、どこか無理をしているようにも感じていた。それに少し瘦せた。やつれたともいえるが、少々太り気味だったのでこれ位が良いだろう。
「それをいうなら私は命を掛けるといいながら、生き恥を晒しております。オドール様を差し置いてのうのうと軍籍に残り、いまだ軍のお荷物です」
「謙遜はいかんぞ中佐、君の北部での活躍はよく聞いている。それを考えれば君が生き残って本当に良かった」
そういってオドールは家令にお茶と茶菓子を運ばせ、ゼフォルにふるまった。一口飲むと、彼がハルード要塞で振る舞っていたものだとわかる。それも好みの味で、ハルードで出されるたびに多めに食べていたものだ。
ゼフォルは当時のオドール見下し、利用していたつもりだったが、彼は彼なりに誠意をもってゼフォルに接して、好みを覚えていたのかもしれない。
「オドール様が責任を負ってくれたおかげです。そうでなければ私は生き残っても首が落ちておりました」
「感謝はありがたいが……私が負ったのではない。情けない話だが、妻が……な」
「それはどういう……」
「情けない身の上話になる。逃げ帰った私に減刑の為の準備や根回し等一切なかった。皇帝陛下やベルズーフ閣下にとにかく頭を下げてすべての責任を取るつもりだった。だが妻は、無能な私と違って事業を成功させてていた妻はその稼ぎと、実家まで手を回してくれて、軍と当主の座を降りることを条件に命だけは助かったのだよ」
東部方面軍でゼフォルは奥方との不仲をなぜか相談されたりで、それしか知らない。まぁ高位貴族の政略結婚などこんなものかとスルーしていたが、少なくとも話の中で出てくる奥方はいかにも性格が悪そうだった。
それがこうしてオドールを全力でかばっていたのだ。人の陰口など全く当てにならなかったということだろう。
だがそうするとオドールの以前の態度は全くもって擁護できなかった。そんないい奥方がいて、ゼフォルなどという悪女にそそのかされたのだから。
「オドール様……それは……」
「嗚呼、わかっているとも、私は西部貴族でありながら商才に恵まれず、権力闘争に負け、妻にも嫉妬していた。それで軍事に走った半端者でしかなかった」
そう懺悔するように言う、オドールは、本当に心の底から悔いているようだった。ならばゼフォルに言うことない。もとより、同罪のようなもののゼフォルに口を出す資格などありはしないのだ。それにそう話す彼は穏やかだった。何とか折り合いはつけたのだろう。ならこれ以上の口出しは不要だった。
「あなた?誰か来ているの?」
「なっ!ま、待て!」
そう二人に妙な空気が流れていると客間のドアが開けられる。そして何やらオドールが焦っていた。
入ってきたのは金髪の気位の高そうな美人だった。切れ長の瞳がとても気が強そうで、明らかに良い生地のドレスを纏っている。
「あなたまた変な商人に騙されて、貴女は……?」
「お初にお目ににかかります。帝国軍で中佐の位を拝命しております。ゼフォル・オデュッセルです」
「ヴァレリア・クロウリッチよ……」
ひとまず客人ではあるので丁寧に挨拶をする。まさかゼフォルも高位貴族の屋敷に行くなど思ってもいなかったが、エルシアの教育があったので問題なかった。そしてゼフォルの挨拶にオドールの奥方……ヴァレリアも貴族として挨拶を返す。
あくまで模範的な挨拶であったが、圧倒的な動体視力を誇るゼフォルはヴァレリアがゼフォルの名前を聞いた瞬間明らかにその秀麗な顔を嫌悪にゆがませたのを見逃さなかった。
見抜いておいてなんだが、しょうがないことだと思う。ここまでの情報から彼女がオドールのため、クロウリッチ家の為に駆けまわっていたのは分かっている。
そんな彼女にとってゼフォルは嫌悪の対象どころか、害悪でしかない。オドールをたぶらかして無意味に前線を拡張して敗北したのだ。
これならまだ財産目当てにすり寄ってくる悪女の方がマシである。なにせゼフォルは財産どころか、職に配下の命全てベッドさせて大負けしたのだから。へんなカルト宗教にはめて破滅させたのと同じようなものだ。
「ご主人にはご迷惑をおかけ……」
「悪いけどかえってくれないかしら」
「おい、お前……」
「前回の戦いで大勝したのは知っています。けどもう主人を巻き込まないで頂戴。貴方もいい加減戦争で名を上げるなんて夢はやめて!」
随分と嫌われたものだがしょうがないだろう。それだけの悪名がゼフォルには轟いていた。タイミングも良くない。北部で勝ったのを理由に再びオドールにすり寄ってくる。そう考えればいいタイミングだっただろう。
そんな勘違いをされつつもゼフォルは悪い気をしなかった。ほんとうに立派な奥さんを持ったのに自分に現を抜かすなどだらしないことだ。いや、抜かさせてしまうほどゼフォルが悪く、魅力的な女だったということなのだ。
「ヴァレリア、もう私にそんな気はない!本当に旧交を温めようとしただけだ」
「嘘を尽きなさい!いったい貴方が東部方面軍の総司令だったときにいくらつぎ込んだというの!」
「それは……」
「投石機16台、衝車13台、攻城櫓12基、兵糧3万石、兵士3千に矢玉20万本、その他装備もろもろ」
「「なぁっ⁉」」
「私がご主人に強請った目録です奥方様」
「いい度胸をしているわね……本当にそれだけ?この人は女好きだから、宝石とか送られなかった?」
「前線では飛ばす石1つに劣りますれば、私から求めることも、ご主人から送られることもありませんでした」
そう正直に頭を下げる。ベクトルこそ違えど、ヴァレリアは本当に家のこと思う女傑だ。それにこの件はゼフォルが全面的に悪いのだから。
「あなた、これは本当?」
「う……その……」
「どうなの」
「そ、そんな細かい数字覚えておらなんだ」
「はぁ……まぁそうよね。昔から大雑把だし、顔を上げてくださいゼフォル中佐」
そう言われてようやく面を上げる。あいかわらずオドールはオロオロしているが、ヴァレリアはもう一方的に追い出そうという気はなかった。
「正直に主人から物を強請ったのを告白してくれました。客人として向かい入れましょう。今日はどういった用件で?」
「本当に邪なたくらみはありません、ご主人とは色々とありましたが東部方面軍で戦い抜いた仲であります。ひとまず生き残ったことを喜びあおうと思いました」
「本当なのね?オドール」
「そ、そうだとも!もう私は戦争に出るつもりはない!ゼフォル中佐には本当に世話になったから会っていただけだ!」
「……そうですか。ならば私の誤解でした。謝罪を……」
「いえ、奥方様、私なんぞに謝罪は不要です。私はご主人を利用しつくして名を上げようとしました。今日はその謝罪です」
「ゼフォル中佐⁉」
「噂ではとんでもない悪女と聞いてたけど正直なのですね」
ヴァレリアという人間を見てゼフォルは嘘偽りなく接すると決めていた。彼女はゼフォルとは別ベクトルでできる。商才も情報網も一流に違いない。だがそこにはゼフォルがエスメルに仕えるように筋を通す性格が見え隠れしていた。ならばすべてを包み隠さずはなして誠意もって接した方が良いと判断したのだ。
「はい。奥方様、私ご主人から換算すれば膨大なものを強請りました。そこらの性悪な女が可愛く見える程です。それをもっと大きくして返すつもりでしたが、あえなくすべて失いました。しかも今の私には到底払いきれる額ではありません」
「貴女なら、ウィルベール公爵に泣きつけばいいのではなくて?」
「それができぬゆえ謝罪に来たのです」
そう真っすぐと視線をそらさずに言えばヴァレリアははぁとため息をついた。ゼフォルは貴族ではあるが資産など無いに等しい、少将だったころの給料はまとめてアルセリアにくれてやったし、最近ようやく中佐の給料が入ってきたが、佐官の数か月分など貴族としては雀の涙程度だ。エスメルにたかるなど論外である。
「いまさらクロウリッチ家として回収する気はないわ。それにこの人も貸したのではなく上げたつもりだったでしょうし、本当に今日は旧交を温めにきただけのようね」
「えぇ偽りはありません」
「ならば私に言うことは何もありません。オドール。中佐に失礼のないように」
「あ、あぁわかった」
そう言ってヴァレリアは去っていった。後には妙な空気になったオドールとゼフォルが残された。
「すまん、中佐、うちのがその……」
「よい奥方様ではないですか」
心からの称賛であった。確かにヴァレリアは少し冷たい印象があるが、その行動は家とオドールに一貫している。聞いただけでは何をするかわからないゼフォルに家の為とは言えあの啖呵の切りようは称賛にすら価した。
少なくともいい顔して近付いてきて毟るだけむしって大失敗したどこぞの性悪クール美女の何倍も良いだろう。オドールはなんで後者に現を抜かしたのかを問いただしたいくらいだ。
「とにかく、誤解も解けたし私の借りもなくて万々歳です。話を前に進めましょう」
「あ、ああそうだな!」
まるでハルード要塞の頃のようにゼフォルがオドールに続きを促した。
「ヴァレリア様がいればオドール様の心配は無用そうですね。もう私のような女に引っ掛かってはいけませんよ」
「そうだな……いや中佐を卑下しているわけではなく私には過ぎたものだったよ」
「閣下には私より奥方様のほうが過ぎたように見えます」
「……その通りだな」
つい失礼なことをゼフォルは口走ってしまうがオドールももうよくわきまえているらしい、激昂したりせず素直に認めていた。
彼は確かに出たがりだったが、意外と聞き分けがいいのは知っていた。現状と風聞からゼフォルの最期の忠言も守っているらしく、尽くしてくれるヴァレリアがいればもう間違いは起こさないだろう。
オドールはもうベルズーフを超えることはできないだろうが、それはそれで人生の選択の一つだと彼の穏やかな人生をゼフォルはらしくなく祝福した。
その後二人で旧交をあたため、ゼフォルは持ちきれないほどのお土産を持たされ、帰路についた。