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「引いたわね」
「引きましたね」
ヴァン・ウィルベートのいつもの高い櫓の上でゼフォルはエスメルと城外を見回していた、眼前にはあれだけいたロッソ王国の大軍は髄分と少なくなっていた。
おおよそ1万より多いくらいであろうか。
「とりあえず、作戦勝ちですね、これで帝国中央が落されたら我々はまんまと主力を素通りさせたアホですけど」
「けどどうにもならないことを考えてもしょうがないでしょう?」
真剣な表情でエスメルがゼフォルに言う。
エスメルはゼフォルと同じ考えを持っている。もはや細かい説明は不要だった。
ロッソ王国軍はこの地での無用な消耗を避けて最も重要な帝国中央の決戦へと向かった。兵士の消耗もそうだがそれ以上に攻城兵器をこれ以上失うのも避けたいだろう。王国から帝国にまで巨大の兵器を運び込むのも大変な労力がかかる。ヴァン・ウィルベートより硬い要塞など帝国どころかこの大陸にあるかどうかであるが、それでもここから帝国中央に進軍するのには多く城や都市を落とさないといけない。
「まぁその通りです。とりあえず我々の首はつながったことを喜びましょうか」
「えぇそうね」
手許には何もないが二人は現在の戦況を喜んだ。
とにかく峠を越すことはできた。もはやロッソ王国の残った留守番戦力ではヴァン・ウィルベートを陥落させるのは不可能に近く、そしてしっかりと踏みとどまって籠城戦を行ったエスメルに帝国から褒章はあっても罰せられることはないだろう。そのほかの一族は知らないが。
「とにかくこれでお嬢様のヴァン・ウィルベートでの立場は盤石、ロッソ王国の包囲も薄くなりやれることが増えました」
城内の空気もエスメル支持一色となっている。戦時で頼りになる兵士などの実働戦力は現状不敗のエスメルとゼフォルを皆支持している。特にあの家臣どもの顔と言ったら爽快だった。生贄だと思った二人がこうも鮮やかにロッソ王国軍を撃退するものだから慌てて必死に媚びを売り始めた時などゼフォルは笑いをこらえるのに必死だった。真面目なエスメルは苦笑いしていたが、ともかく文官である家臣たちもここまでの鮮やかな戦勝によりかつてはあんな小芝居を打たないとまともに言うことも聞かなかったのに今では二つ返事で二人のいうことを聞いている。
計画通り退いていったロッソ王国軍に、ひとまずエスメル中心にまとまった城内、ようやく敗戦以来混乱し続けてきたウィルベート公爵家は纏まりと安寧を得ることが出来ていた。
「けど、やれることと言ったら基本的なことばかりね」
「ほう?ではお嬢様の策を聞きましょうか」
ここで珍しくエスメルから発言したのをゼフォルはそのまま続きを促した。
相変わらずエスメルの伸びしろには目を見張るものがあり、この成長ぶりも楽しみだった。
「まずここで変に動いてもロッソ王国軍の主力が帰ってきたら本末転倒でしょう?それだったらひとまず今は耐えて城内の負傷兵と予備の兵士を再編成する。そうすれば7千は用意できるわ。そしたら貴女と私なら包囲のため四方を囲って兵の密度が薄くなっている1万のロッソ王国軍ぐらい蹴散らせるでしょう?そしたらそのまま私たちも帝国中央に向かってロッソ王国の主力の後背を突く……こんな所かしら?」
エスメルがスラスラと策を言い終わるとゼフォルは拍手をした。
全く自身の考えと同じである。ここですぐさま背を見せた王国の主力に突撃だの言いださないあたり、すでに軍略家としてある程度成熟した落ち着きが見える。
「流石ですね、もう私いりませんか?」
「それは嫌」
ちょっとからかうつもりであったが普段のエスメルらしくない低い声で返されてゼフォルは少し驚いた。
「絶対いらなくなんてならないわ。ゼフォル、あなたはずっと私に仕えるのよ、将軍にしたのは私よ?」
冗談を流すようないつもの可愛らしい目つきではなく、どこか据わった目つきでエスメルはゼフォルを見つめていた。その整った顔もあって迫力がすごい。
「じ、冗談ですよ、私がお嬢様のもとを離れてどっか行くなんてありえないじゃないですか」
「ならいいわ」
そう言って普段の調子に戻るエスメルに安堵しつつもゼフォルはこの戦争の後のことを考えていた。最近は戦況も安定してきたので、先のことも考えるようになっていた。
すでに当初の目標を果たしつつあった。帝国が敗戦のショックでどこまで変わるかはいまだに未知数だが、すでにヴァン・ウィルベート防衛戦の功で悪いようにはされないだろう。今後の身の振りようによっては将軍の座がそのままもらえる可能性も十分にある。しかしその時、エスメルとの関係はどうすべきであろうか、最も理想的な形は正式に公爵家当主になったエスメルの武官として仕えることだが残念だがそう簡単にはいかないだろう。ゼフォルの将軍位は武功を上げればどうにでもなる。今帝国は戦時であり、なおかつ劣勢に立たされている。いかに没落騎士爵の娘であってもすぐに引き立ててくれるだろう
しかしウィルベート公爵家というこの帝国でも有数の爵位はそのまま得るには重すぎる。エスメルがいくら功績を上げたとしても、領土を統治するための教育もなく、家臣団もほとんどいない。それに今回の戦争での一族の罪が重すぎる。いまだ不安定な立場のエスメルに国の最前線であるウィルベート公爵領をそのまま帝国上層部が与えることはないだろう。そうなったとき自身はまだエスメルに仕えているだろうか。
そうすこしマイナスのことを考え、思考を打ち切った。どちらにせよまだ先のことだ、戦況も安定してはいるがまだ勝ったわけではない。まずは目の前のことに集中しようと、かなり減ったロッソ王国軍を見ながらそのまま主であるエスメルと会議をつづけた。
二人だけの会議を終えると総大将であるエスメルと次席のゼフォルはそのまま形式上の軍議を開いた。こちらは要塞内にいる有力な家臣や武官たちによる大人数の会議であるが、櫓の上以上の実りのある話は出なかった。相変わらず文官らは戦争に関しては頓珍漢なことしか言わないし、武官にしてもしっかりと教育を受けた将校はほとんど戦死していて少なく、ゼフォルから見ても頭一つ抜けた存在はいなかったからだ。幸い武官たちは勝利の最大の貢献者であるゼフォルと若輩ながらしっかりと総大将をこなしているエスメルを敬服し忠実であり、それに押されるように文官たちも文句を言わないが、あまりに自身とエスメル中心すぎる城内の空気がゼフォルにとってもプレッシャーになっていた。
最初は退屈なメイド業務から城内のすべてを差配できる立場に興奮していたが、こうも周りが役に立たないと自身の判断一つ一つに城中全ての命がかかりさすがに参った。エスメルに凡庸な才能しかなく、本当に城内を一人で支配していたらどんな判断を下していたかわからなかった。
とはいえ、いまだ敵に囲まれたヴァン・ウィルベートで新たな才能など期待できるはずもなく、ゼフォルはその頭を全力で回し続けた。そしてまた新たな布石を一つ打った。
「相変わらず時間ぴったりですね」
「将軍の招集に遅れるわけにはいけませんから」
人数が多いだけの退屈な軍議を切り上げるとゼフォルはメイド長のエルシアに会っていた。場所はヴァン・ウィルベートの複数ある隠し部屋の1つであり、今は二人しかいない。情報が漏れる可能性は皆無であった。
「にしても私が初めて怒られた場所って言ってよく覚えていましたね」
「忘れるはずないでしょう……」
すこし茶化すように言うゼフォルにエルシアはこめかみを抑えていった。
「冗談は程々にして、どういう風の吹き回しですか?メイド長が密偵に立候補するなんて」
「……」
詰めるように言うゼフォルにエルシアは押し黙った。密偵を出すのは今ロッソ王国軍が減り、包囲の穴が大きくなったことでゼフォルとしてもぜひとも情報収集のためにやりたいことであった。当たり前だが今後反撃に出るにしても情報は大きな武器になる、しかし残念ながら密偵をこなせるような人材はいなかった。しょうがないのでゼフォル自身でやろうかとも考えたが、それは将軍が城を空にするなんて論外とエスメルに一蹴されあきらめかけていたところをなんとエルシアが立候補してきたのだ。なぜメイド長がと思いつつも、目の前の元上司ならばこなせるだろうという確信もゼフォルにはあった。
「昔からすごかったですよねメイド長、この秘密の部屋は誰も知らない私だけの場所だったのにすぐ見つけましたし、私がどんなに手法を変えても貴女だけはすぐ見つけてきました。……それで貴女は何者なのです?」
平和ボケした公爵家の警備はゼフォルにとって潜り抜けることなどそこまで大変ではなかった。その好奇心と、至る所に軍事的な隠し場所があるヴァン・ウィルベートは数か月もすればゼフォルにとっては絶好のさぼり部屋まみれだった。しかしどうやっても目の前のエルシアは見つけてきた。最初は長く勤めているからだと思ったが、警備兵にも見つからないどころか知らない場所であるはずなのに何度も見つかり、指導され、気が付けば真面目に働かされてエスメルの専属メイドにされていた。ウィルベート公爵家には凡庸な人材しかいないと考えていたが、エルシアだけは別格であった。
だからこそこの非常時において彼女の旗色を明らかにしなければならなかった。
「私はただのメイド長です。それ以上もそれ以下でもありませんよ」
「別に私が唯のメイドだったらその回答でも良かったですよ?しかし今は公爵家の筆頭将軍なのです。それで納得できるはずがありません。公爵家レベルだとメイド長は魔術書を不義の子に渡して自身もホイホイ魔法を使えるのですか?」
「……」
何とか反論を引きずり出し、あり得ぬ道理を追及して追い詰めた。ゼフォルの見たところエルシアは優秀だがどうも口はあまりうまくない、何か言葉さえ引きずり出せばこちらのものだった。かつてゼフォルはエスメルと秘密の特訓をしている時にエルシアに見つかって雷が落ちるのを覚悟していたが、落ちたというより、渡されたのは魔術書だった。なんでこんなものをと思いつつもエスメルに読ませると綿が水を吸うようにエスメルは学習していった。
魔術師というのは、自分にあった魔術書を手に入れるだけでもかなり苦労するらしい。なぜメイド長が一発で合うものが分かったのか、なぜそれを持っていたのか、しかし今回の籠城戦でようやく尻尾をつかんだ。戦場で味方側からエスメル以外の魔法を見たからである。それは魔力の色からエスメルと同系統だとわかったが、明らかに練度が一致しなかった。そして味方でそんな魔法を打てる者など心当たりは一人しかなかった。
「本当に邪推ですけどね?こんな優秀なのにメイド長が公爵家で疎まれていたのも、お嬢様をやたらと気にかけていたのから考えればですよ、あなたが何者かはなんとなくわかりますよ?」
「なんのことだか……」
ゼフォルの追及にしらばっくれるエルシアだが、明らかに動揺しており、いつも叱ってくる時の覇気はなかった。
ゼフォルとて別に公爵家の複雑な家庭関係を暴きたい訳でも、エスメル以外で信用できるエルシアをいじめたい訳ではなかった。
「まぁ別に私は部外者ですからね、聞き出そうとは思いませんよ、むしろやけにメイド長が協力的なのもわかりましたし」
「ゼフォル……」
「けれどですよ、私はお嬢様の敵を打ち滅ぼすことはできても母親代わりなんて無理ですよ、姉替わりくらいならいいですけど。邪険にされていたとはいえ、お嬢様は肉親を多く失ったばかりなのですから少しは身の振りようを考えてくださいね。私なんてあんな家族のことなんて忘れられるように振る舞ってしまったのですから」
「わかったわ……」
ゼフォルはウィルベート公爵家自体あまり好きではない。エスメルのことを不義の子として扱い、目の前のエルシアも邪険にした。それでも大貴族なのだからこういったこともあるだろうと納得はしていたが、偉そうにふるまっていた連中に限って敗北するわ逃げ出すわで評価など地に落ちていた。だからこそこういった役割は目の前のエルシアに任せなければならなかった。
シュンとするエルシアに、しかし最後の試験をしなければならないとゼフォルは突如腰の剣を抜き、振り下ろした。
先の戦いでは多くの兵士を切り裂いた一撃がエルシアに迫り――ガキン!という金属音が鳴り響き、ゼフォルの剣は小さなナイフに止められていた。
「何をするのですか⁉」
「あー、怒らないでください寸止めのつもりでしたよ」
突然の凶行に怒るエルシアを前にゼフォルは内心ではこの一撃が止められたことに驚愕していた。寸止めのつもりなのは本当だったが、本気の一撃だった。しかしそれを小さなナイフでエルシアははじき返したのである。これだけで彼女が相当な強者だとわかった。
「まず謝罪します。急に剣を振り下ろしてすみませんでした」
「いったい何なのですか⁉私が信頼できないのですか⁉」
「いや、本当に密偵をこなせるかのテストですよ」
「だからと言って剣を抜きますか⁉」
「そりゃ非常識かもしれないですけどね、私の指示で失敗して死なれたらお嬢様にすごい申し訳ないじゃないですか」
「っつ!」
ゼフォルの一言にエルシアは再び黙った。ゼフォルにしても自身以外で唯一エスメルの味方になってくれるであろうエルシアは貴重だ。何よりここまで知って死なれたら寝覚めが悪いなんてものではない。
「とにかく死ぬのだけは勘弁してくださいね、最悪戦況なんて私の軍事的才能でどうにでもしますから」
「けど……あの子が頑張っているのに、それに貴女も巻き込んでしまって……」
「私のことはどうでもいいですよ。大出世しましたし、ただお嬢様との関係だけは留意してくださいね」
「そうですね、あの子は繊細だから……」
「私が繊細じゃないみたいな言い方ですね」
もう隠すつもりがないのではとゼフォルは思いつつ、ただでさえ公爵家の敗北の後始末までしているのに、あのメイド長の複雑な事情まで面倒見ているのかとゼフォルは現状にため息をついた。