帝都にて準備を整えた帝国軍第二軍は現在帝国軍の大本営が置かれているヴァン・ウィルベートへと出立した。
その軍勢は3万を超えていた。総司令官であるエスメルが中将に昇格したのをきっかけに第二軍は戦力の増強が行われていた。元いた2万に追加することの1万である。
この1万の内訳は、ほとんどが新兵であり、士官クラスになるとエスメルの同級生すらいた。
「まぁまぁ及第点か?」
「あれはあれでいいのではないですか?」
ヴァン・ウィルベートの道中、帝国の一大穀倉地帯でもあるヴァンダル高原で第二軍は休憩がてら駐屯していた。この地は穀倉地帯だけあって食糧がいくらでもあるので、大軍が駐屯するのに便利なのである。だからこそ帝国と王国もこの地で大軍を並べて睨み合ったし、ゼフォルも東部から帝都に行くときは必ず駐屯した。
そんな何回も立ち寄るヴァンダル高原でゼフォルとアルセリアは待陣命令を出した眼下の大軍に視線を巡らせていた。
ゼフォルはもともとエスメルの副官として彼女の周囲を固める親衛隊とも言うべき精鋭数千しか率いない。そのため練度の高い彼らはあっという間に陣を引き終わり、今は待機中だ。
アルセリアも同じくである。戦闘が開始すれば真っ先に最前線で戦う野戦部隊を率いているのだ。数は1万近くに迫り第二軍の中核をつとめている。戦い慣れた彼らは陣の構築など朝飯前だ。
つまり仕事が終わってゼフォルとアルセリアはそろって暇なのだ。そこで眺めるは今回補充された新兵1万、彼らはいまだに陣地を作るのにすらまごついていた。
「あれでいいって……この程度なら前線で囮なりなんなりで使い潰せばいいかと思っているだろ?」
「まぁ……その通りですが」
新兵たちは役に立たない。そんなの当たり前の話だ。ゼフォルはそんな当然のことに悩んだりはしない。新兵なら新兵なりに使えるように作戦を組めばいいのだ。例えば、初めから攻撃の激しい箇所において囮にするなり、伏兵が潜んでそうな所に突っ込ませて敵の奇襲を空振りさせたりいくらでもある。
東部方面軍の時はこれが当たり前だった。自分の兵がやられるくらいならクレッチマーの部下に損害を押し付けたし、気に入らないという理由でこっそりと西部貴族の兵の損害が大きくなるように仕向けたのも一回や二回ではない。
生半可な指揮官ではできない芸当だが、ゼフォルにはそれを可能にするだけの戦場をコントロールする力があったのだ。
そういったゼフォルの個人的な好き嫌いがあったのも事実だが、合理的に考えても正しいと思っている。なにせ最前線でベテランの兵士は黄金より貴重なのだ。彼らを失うくらいなら新兵を失った方が得である。
そうやってつかい潰してなお生き残った者がベテランの兵になるとゼフォルは信じていたのだ。
「お前なぁ……そりゃ、一理あるけど、1万の兵が増強されたという時点で帝国にはこれだけ余裕があるんだぞ?」
「わかっていますよ。彼らが前線で足手纏いにならないようにする。それが我々の役目です」
だがアルセリアの言うとおりその常識はすでに過ぎ去っていた。
新兵をむやみやたらに使い潰す。それは余裕のない国家がやる行為だ。近い例として、ゼフォルが攻め込んだ時の王国がこれにあたる。
彼らは国家存亡の危機に多くの新兵を放出して無理やりゼフォルの進撃を阻んだ。決死の覚悟の防衛は功を奏したものの、損害はかなり大きかった。
確かにゼフォルを防げたのは良いかもしれないが、国家にとって重要な労働力である若者を多く失ったのは後々に響いてくるはずだ。
2年前のこのヴァンダル高原にまで攻め込まれた帝国もそうだったかもしれない。
だがこの高原も今は戦火の後も完全に復興し、稲穂を豊かに実らせている。今の帝国を表しているかのようだった。
四方の前線を東の一つまでに絞った帝国はもうベテラン兵の確保に困ることはなくなっていた。東でこそ大きく損害を被ったが、南は小国家群を完全に屈服させ、南部方面軍は最低限の駐屯部隊を残して解体された。
帝国北部はまだ不安が残るため北部方面軍の多くが占領統治を行ってはいるが、それでも幾ばくかの兵力を帝都に転進して再編成を行っている。
彼らが教官役となれば新兵達の教育が捗るだろう。そしてそれは歴戦の兵を抱える第二軍も行うべきことであった。
「だが見てください。確かに及第点を与えても良いかもしれませんが、どこか気が緩んでいます。張り巡らせる柵の一つ一つが自らの生死を決めるものとわかっていないのです」
それでもゼフォルは新兵達を良い目で見られなかった。彼らは確かに実戦を知らないが、基本的な動作はできている。
今の帝国に余裕があるからこそ訓練を繰り上げや飛ばし飛ばしではなく、そのカリキュラムを最後までこなしてきたのだろう。
だが必死さがないのだ。教わったことを淡々とこなしているだけ、そういった印象を持っていた。
「お前だって西部貴族の私兵どもを訓練してたじゃないか。私が言うのもなんだが西部の弱兵どもをよくあそこまで鍛え上げたと思うぞ」
「それは環境が今より酷かったからです。敗残兵である彼らはかの地で勝たねばもう後がなく、いつもいつも王国の小競り合いを繰り返さなければならない日々。だからこそ決死になっていました」
西部貴族をあれだけ色々と悪く思ってはいたが、その麾下の兵士たちは嫌いではなかった。
激戦区である東部方面で名を上げなければもう後がないと言うのをよく知っていたのだろう。
戦争の知識自体は、目の前の新兵達より劣るほどしかなかったが、それでも生き残るため喰らいつくように数少ないベテラン兵達から知識を集めて、すぐ即戦力になるか死んでいたのだ。
そのハングリー精神は嫌いではない。自分もそうやって成り上がったのだから。
思えばゼフォルはそういった兵士たちしか見てきたことがなかった。2年前のヴァン・ウィルベートを守ったときも緊急で徴兵された新兵がいたし、東部貴族連合の中にもいた。そしてその時帝国は劣勢、だからこそ彼らも皆必死だった。
それだけ今の帝国が優勢で平和が訪れつつあるのは理解している。だがその平和のもとで訓練された兵士たちが活躍できるかどうかは別だとゼフォルは考えていた。
「私も前線上がりなんで、平和に調練されてきた兵の扱いなんて知りもしませんよ。むしろアルセリアの方がわかるんじゃないですか?」
「いや、私のところも特殊すぎてな、エインヘリル家が武門の家なのは知っているだろう?」
「知っていますよ。西部海岸線を代々守っていたのでしょう」
「そうだ。だが、そんなのもう遠い過去の話だ。海を超えた大陸は潜在的な敵から貿易のお得意様になり、エインヘリル家のような海岸線を守る家はほとんど貿易で益をなすようになった」
ゼフォルもその辺の歴史は知っていた。何せ西部貴族のおべっかのため、勉強していたからである。帝国西部のさらに西には大海原が広がり、その先には別の大陸とそれらを統治する国々が点在している。
100年ほど前。航海技術が発達し、彼らと接触した帝国はまず海からの侵略を警戒し、有力な貴族達をその防衛に就かせた。この時期帝国は拡張期に入っており、各地に火種を抱えていて、これ以上敵が増えるのを嫌ったからである。
だがそんな心配も杞憂であった。いくら航海技術が発達していたといえど、大海原を超えたその先の大陸に侵攻する兵力を送り込む力も巨大な船もお互いなかったのである。
それはともかく自分の大陸にはない特有の作物や、香辛料などを相手が持っていることが判明すると、一部の商人や貴族達の動きは速かった。
あっという間に大海原には貿易船が行き交い、莫大な利益を生み出すことになった。帝国中央も最初はこの貿易を禁止しようとしたが、西部貴族達の多額の賄賂、そして向こうの大陸に侵攻する気がないのがわかるとあっさりその貿易を公のもとして、むしろそれで得た利益を西以外の侵攻に活用していた。
これによって西部貴族達は一気に力をつけて、ついにはフェリクス皇子という帝位後継者を擁立するに至ったのである。最もその彼も失脚したのだが。
「私の家はまるでその流れに逆行していてな。未だ海からの侵攻を警戒して武芸ばかり磨いていたんだ。他の貴族の子女が綺麗なドレスを着ているのを見て、羨ましく思っていたんだ」
そう話すアルセリアはどこか寂しそうだった。まぁゼフォルもその気持ちは分かる。自分は別に生まれながらに綺麗な顔をしていると自覚しているから、何を着ても様になると思って気にもしなかったが、エスメルがそういった服を羨ましげに見ていたのを何度も見ていたからだ。
「それで私も着たいって言ったら怒られたんだ。そんな贅沢な服、心が鈍るとな」
「それは……ご愁傷様です。けどアルセリアはそんなの着なくても――」
「で、怒った私はその場でからかってきた兄弟達を投げ飛ばし、気がつけば父上にスパルタで教育されて今に至ったんだ。なんだかんだで父上も喜んでくれて嬉しかった」
「……じゃあ良いじゃないですかそれで」
ゼフォルなりに励まそうと思ったが、杞憂だったようだ。ドレスがどうこうと言い出したときは帝都で流行りの恋愛小説みたいな青い話が出てくるかと思ったが、アルセリアはやっぱり武人だった。
彼女の武勇はゼフォルですら認める。二人でやり合ってもどちらが勝つかわからない。それだけの力があれば武門ではちやほやされるだろう。本人も満足しているなら何をいえば良いのか、そもそもアルセリアの過去語りはなんだったというのだ。
「……え?その話となんか関係あります?」
「すまん、話が逸れたな。そんなこんなで私の家は金よりも武を重んじ、娘にすら平気でスパルタ教育するところだ。これはもちろん兵士たちにも当てはまる。エインヘリルは実戦はほとんどないのに練度を維持するため、新兵は海に無理やり沈められたり、訓練で死者が出ることも珍しくなかったんだ」
「道理で強かったわけですよ……」
アルセリアの説明を受けてゼフォルも合点がいった。
金を稼ぐのがメインの西部貴族の弱兵っぷりなどゼフォルは身に染みてい。実際戦った時は本当に弱いと思った。
しかしアルセリアだけはこのゼフォルに食い下がった。彼女自身だけではなく、その麾下の兵達もである。最後は彼女を逃すために殿に残った。
彼らはまさに兵の鏡だった。西部貴族達の中でこれだけの練度を持つものがいるとは思えなかったが、今の解説で納得した。
「だから、私も適切な新兵の訓練なぞわからん」
「はぁ、エスメル様配下の双璧がそろって情けない」
「お前だってそうだろうに。まぁクレッチマー少将に任せておけば良いんじゃないか」
「そうですね」
2人がこの様なので、結局新兵の扱いはクレッチマーに一任されていた。彼は兎にも角にも常識人である。現在進行形で新兵達の面倒を見ていた。これもエスメルの判断である。軍歴の長い彼ならそつなくこなすであろうとゼフォルも納得していた。今もそつなく新兵達が陣地構築をこなしているのは彼らの訓練もあるだろうが、やはりクレッチマーが全体の指揮をとっているのが大きい。
「クレッチマー将軍が見ていなければ案外、その不甲斐なさに私もお前も怒鳴り込んでいたかもしれんな」
「私は別に怒鳴り込みませんよ」
「お前は怒る前にしれっと非情な決断するから問題なんだろうが……うん?あそこの隊は意外と動きがいいな」
「新兵たちの中でも練度が均一なわけではないでしょう。私のような天才がいるときはどっかにはいるでしょう」
「しれっと自画自賛するなよ」
新兵の訓練という面倒ごとをクレッチマーに丸投げしながら見ていると、新兵のなかにも動きの良い部隊がいくつかあった。気になったゼフォルは手元の名簿をパラパラとめくる。
確かに自分が新兵の訓練に向いていないのは理解している。しかし今のゼフォルは昔ほど傍若無人ではないつもりだった。確かに昔はひたすら敵を叩いていればそれが評価されただろう。だが今はエスメルの副官なのである。
今回の人事の目的は理解できる。これから第二軍は戦地に向かわなければならない。当然新兵たちも殺し殺されの世界に身を投じることになる。もう時間がないのだからその手のことに慣れているクレッチマーに投げるのは当然だ。しかしゆくゆくはゼフォルもできるようにならなければならない。
そのためゼフォルは後学のためにこの光景を見ていたのだ。色々いっているが隣のアルセリアも同じだろう。
「確かにあの隊は格別に動きがいいですね。指揮官は……あぁ彼女でしたか」
気になって名簿に目を通す。そこにはゼフォルにとって見知った名前があった。へルトア。かつて獄中にて教え子だった看守の名がそこにはあった。
「忠勇な帝国軍指揮官諸君、第二軍へようこそ。もう知っていると思うけど、改めて自己紹介させてもらうわ。私はエスメル・ウィルベード中将、この軍の指揮官よ」
ヴァンダル高原の一大穀倉地帯を管理する都市ヴァンダル。その貴族向けの迎賓館、その大部屋でエスメルの明朗とした声がひびいていた。新兵といっても全員がただの兵士というわけではない。それらを統括する新米士官も存在するのである。彼らの歓迎会が行われていた。
こんなもの帝都でやれば良いのではないかとゼフォルは思ったが、ハルード要塞の攻略を急ぎたかったのだろう。元東部方面軍の将兵が多い第二軍はせかされていたわけである。もっとも、昼の行軍訓練の後にやるのも軍隊らしくてありなのでないかともゼフォルは思っていた。
最上座に総司令官であるエスメルが座り、次にクレッチマー、アルセリアと幹部が立ち並ぶ。そこから下座に下っていくにつれ、まだ帝都から出たばかりの新米士官たちが並んで座っていた。さも当然といった自然体で座る第二軍の将校とは違って、新米将校たちは緊張した顔で座っている。
そしてゼフォルといえば、階級に倣った席に座るのではなく……なぜかエスメルの傍らに突っ立っていた。
なぜ私だけこんなところに突っ立っているのでしょうかとゼフォルは過去に思いを馳せた。
『ゼフォル明日の歓迎会で相談があるわ』
『なんですか?スピーチの内容とかですか?』
『違うわよ。新しい部下を迎えるにあたって私も威厳というものをみせたいのよ』
『あの大斧をもってれば十分なのでは?そのあとみんなに持たせる感じで』
『なんで歓迎の場でそんなもの持ってかなきゃいけないのよ。実はもう考えているのよ』
『まさかあの化粧……』
『違うわよ!あなたにも付き合ってもらうわよ女中将軍さん』
『へ?』
そんなやり取りをした結果、ゼフォルはなぜかこの場に軍服ではなく公爵家のメイド服をきてエスメルの後ろに侍ることになった。
これには意外な効果があり、新米士官たちは畏怖の視線でゼフォルと侍らせているエスメルを見ていた。
現在ゼフォルの女中将軍の名は意外なほど轟いている。二年前はヴァンダル高原の戦いで王国軍の後背をついた英雄として、そして東部方面軍では王国をあと一歩で追い詰めつつも敗北した戦犯として、そして今では身をなげうってガジュ公国へと潜入し、長い間続いていた北部前線に終止符をうった功労者としてである。
悪名すら混じっているが、なにかしらの志を持って軍に入った新米士官たちにとって、ゼフォルは注目の的ではあるのだろう。そんなゼフォルが女中将軍の異名の通り、メイドのように侍っているのである。今もまさにエスメルの空になったグラスに恭しくヴァンダル高原の葡萄ジュースを注いでいた。
もちろんこの場は軍の中でも士官クラスばかりが参加しており、グラスが空になれば給仕が注いでくれるが、エスメルのものだけはゼフォルがすべて担当していた。
効果は一目瞭然だった。ゼフォルを下僕のように従えているエスメルは新米士官たちに畏敬の念を抱かせていた。
なおアルセリアは笑いをこらえるどころか半笑いだったし、あのクレッチマーですら口角が吊り上がっていた。
アルセリアは後で適当に仕返しをするとしてエスメルの威厳に拍が付くならまぁいいかと思っていた。よく自分のことを知っているクレッチマーやアルセリアから見れば道化だが、こういう目でみられることは嫌いではない。
そう思って新米士官たちを見回すと。見知った顔がいた。
へルトアだ。かつてゼフォルの看守だった彼女は夢をかなえたのかこうして軍の士官となって、同じ第二軍に入ってきてくれた。
士官たちの中でもゼフォルのことをよく知っているからか過剰に畏怖することもなく、こちらを見ている。メイドの格好をしていることに驚いているようだった。これだけは恥ずかしく、今の姿を後悔した。
軽く視線を向けて目だけで合図をすると生来のまじめさはそのままなのか軽く頭を下げてくれた。
新たに来た士官たちなどゼフォルは期待もしてない。王国と戦うにおいてはアルセリアとクレッチマーがいれば十分だと思っている。
だがこうして教え子であるへルトアが来るというのならば期待しても良いかと思った。
こうして歓迎会にてゼフォルはエスメルの後ろに侍るだけで終わった。
料理は美味しそうだったが気を利かせたエルシアがとっといてくれたので後で食べられる事ができたのでまぁ良しとした。