ヴァンダル高原を出立した第二軍はついにヴァン・ウィルベートに到着した。既に入城したゼフォルは久方ぶりのこの大城塞を見回していた。
城内には、エスメルの第二軍が入る前から大軍が駐屯している。言うまでもないベルズーフ率いる帝国軍主力部隊である。
周囲の砦や、威力偵察のために出陣している部隊もいるだろう。恐らくここにいるのがすべてではない。それでも5万近い数を誇り、その練度も全軍が第二軍に劣らないどころか、上回ってすらいる。現状帝国で最強、いや、北部の蛮族が壊滅した今、この大陸で最強を誇る軍勢であった。
ゼフォルらを迎え入れるヴァン・ウィルベートもまた、昔の記憶から装いが変わっていた。
三重に巡らされた巨大な城壁には投石機や連弩といった強力な兵器群が立ち並んでいたが、明らかにその数は増えている。そびえたつ櫓や尖塔には固定のバリスタが設置されていた。倉庫には軍需物資が所狭しと並べられ、それらの兵器の備蓄も十分だ。
過去の英雄ピエール・ウィルベートが作り上げたこの城塞都市は現代の英雄であるベルズーフが指揮をとり、現在の帝国の生産力がそれを支えることで、いままで以上の力を発揮していた。
この城塞に慣れ親しみ研究し続けたゼフォルだからこそよくわかる。ハルード要塞を落とされた今、このヴァン・ウィルベートを固めるのは当然だ。そのために帝国の切札といっていいベルズーフと、多数の物資をつぎ込んだのだろう。
増築された兵器群も、ただ闇雲に増やしたわけではなく、しっかりと防御の薄かった場所や、死角になる場所をさらにカバーできるように配置されていた。
メイド時代のゼフォルは築城したピエールに対抗意識を燃やしたこともあった。空想上で自分に無限の物資があればこの城塞をどう強化したか考えることも少なくなかった。そのときの妄想が具現化したような完成度だった。
相変わらずのベルズーフの才能に少し嫉妬しながらも、エスメルのスケジュールを確認し、ヴァン・ウィルベートの大会議室に足を運んだ。
「エスメル中将、昇格おめでとう。祝いたいのもやまやまだが、まずは援軍感謝する」
「お気遣いありがとうございます。我が力存分に活用ください」
大会議室では両軍の総司令官であるエスメルとベルズーフが硬い握手を交わしていた。将官というにはまだまだ若い美丈夫のベルズーフと、大人びてはいるが本当に階級に対して若すぎる美少女のエスメルは非常に絵になった。ここは御前会議の場ではない。ゼフォルもこの場に参加できた。ただ今の階級は中佐である。これ位の階級では参加できないものも何人かいる。あくまでエスメルの副官であるからゼフォルは参加できたのだ。
大将であるベルズーフは当然最上座に座っている。その次席にエスメルが座った。ベルズーフの側近の中には中将クラスも存在するが、ひとえにエスメルが一軍団の長ゆえだ。
「なによりヴァン・ウィルベートはわが故郷でもあります。父祖の地を守るため、全力を尽くしたいです」
「この地の土地勘は貴官の方が上だ。よろしく頼む」
そうエスメルを労わるベルズーフだが、ゼフォルは嫌味な奴だと思っていた。
すでにこうしてヴァン・ウィルベートを最適に近い形で増築しているのだ。土地勘の調査などとうに終わっているに違いない。彼の能力を評価しているからこそそう思ったのだ。
だが、一方でこんなことにいちいち目くじらを立ててもしょうがないともわかっていた。大将まで登りつめたベルズーフに友軍を陥れるような悪意があるはずもない。
彼が東部の土地勘を調査するのは軍事責任者として当然のことだし、そのことでエスメルに声をかけたのも純粋な期待と話のとっかかりとしてだろう。
これまで一方的に彼を敵視していたゼフォルだが今は一歩引いて物事を考えることができていた。大将になってなお、部下にこういった細かい気配りができるからベルズーフは帝国軍の長なのだ。それができずに少将から堕ちたゼフォルとはそこが違うのだ。人の上に立つには能力だけではなく性格も重要だとゼフォルは理解していた。
それを実行できるかは別の話で、その自信は正直言ってない。理屈は分かっていても親しい人と、能力が似通った人としかゼフォルは関わりたいとは思わないし、尽くすつもりもなかった。そしてその悪癖を正そうと焦ってもいなかった。
今もベルズーフ大将と言葉を交すエスメルを見る。
始まりはこのヴァン・ウィルベートの会議室だった。あの時、勇敢でありつつもまだゼフォルに頼りきりだった少女は今やこのゼフォルを追い抜いて全軍の統率者である大将と直接言葉を交しあっている。
そしてゼフォルと違って心優しく、気配りだってできる。自分が上り詰めなくてもエスメルならば、そういった考えがゼフォルの焦りを消し去っていた。
すでにゼフォルの頭は、いかにハルード要塞陥落の功績をエスメルに渡すかに代わっていた。
「お久しぶりですね、ヘルトア」
「はっ!お久しぶりです中佐!」
エスメルとベルズーフの挨拶も終わり、ヴァン・ウィルベートに駐屯している第二軍に余裕ができた。その余暇で、ゼフォルはヘルトアに会うことにした。
ゼフォルに割り当てられた佐官用の執務室に彼女を呼び出し、再会を喜んでいた。
「無事に卒業できたようですね」
「中佐の戦術書のおかげで成績優秀だったのと、これまで務めた兵士業務の年数の長さが認められて繰り上げ卒業です」
軍服をしっかりと着込んだ彼女の階級は少尉だ。最低ラインだが、士官の一人であり、無事に士官学校を卒業できたのを現している。もっともゼフォルは自分の戦術書を読み込んだ彼女ならと、卒業の心配をしていなかった。最もこんなに早く卒業してくるとも思っていなかったが、そこは戦時の特例というやつなのだろう。
「素晴らしいです。私も牢に入れられた甲斐があったというもの」
「は、はぁ」
「出征先で、手慰み程度の物しかありませんが祝いましょう」
「あ、ありがとうございます!」
どう反応していいかわからないゼフォルのジョークに苦笑いをうかべるヘルトア、まぁうけなかったジョークはどうでもいいのである。本題である将官や上級貴族向けの茶菓子に、ゼフォル自ら茶を注ぐ。
「中佐!いくら何でもお手を煩わせるわけには⁉」
「まぁ待ちなさいヘルトア、淹れ方にもコツがあってですね……」
才能の塊だが、一兵士上がりのヘルトアである。こういった上流階級の流儀には詳しくない。それをいいことにゼフォルはお茶の淹れ方一つでマウントを取り始めた。
「どうですか」
「お、おいしいです!こんなの呑んだことありません」
「なら良かったです」
ゼフォルの茶を飲んでヘルトアがそう目を輝かせながら言った。まぁ一兵士のヘルトアが、公爵当主に出す相当のを飲んだらそうなるだろう。驚くとは思っていたが、こうも純粋に喜んでくれるのを見てゼフォルは心がほっこりした。
専属メイドの頃ならともかく、帝国の最上部クラスまで上り詰めたエスメルはもう飲みなれているだろうし、エルシアはそもそも腕が上だ。アルセリアも喜ぶがあれも上級貴族の一員だったので反応が薄い。
こうも心から大げさなリアクションをしてくれる彼女が新鮮で、なおかつ無意識にマウントを獲りがちなゼフォルにとって良い反応だった。
「ほらこちらも食べてください」
「ありがとうございます!」
さらには高級なお菓子も勧めるとヘルトアはさらに目を輝かせた。真面目で堅物な彼女だが、この年齢の女性など、甘味に目がないだろう。ゼフォルだって好きだ。しょっちゅうメイド時代、周りの目を盗んではウィルベート家の茶菓子を盗んで食べたり、こっそりエスメルに与えたのだ。
もっともこの茶菓子は帝都でオドールにもらったものだ。彼は戦争の腕こそへたくそだがこういうセンスは抜群なので味に間違いはないだろう。
おそらく人生で初めて食べるレベルの菓子に目を輝かせるヘルトアを生暖かい視線でゼフォルは見ていた。
「ここがこうで……この先にこう通路があって、ここに見張り塔が……」
「はい。なるほど……一つ質問いいですか?」
「なんでしょうか?」
「な、なぜ私は中佐の部屋でお勉強会を……」
持ち込んだ茶菓子もなくなりそれを恐縮するヘルトアを尻目にゼフォルは紙を広げて疑似的な軍事講習をひらいていた。
「へルトア、私は貴女を二番目の弟子に思っています」
「こ、光栄です!」
「牢獄の勉強会の延長と行きましょう。手始めにこの地形をどう突破するかを答えてください」
そういって用意した課題を渡す。困惑しつつも受け取ったエルトアは、ゼフォルの用意した紙を見るなり一転して真剣な表情となった。
「この通路は殺し間の可能性が高いです。ここは梯子をかけるかどうにかして、見張り塔を奪うべきかと」
「では見張り塔をうばってこういう地形が見えました。どうしますか?」
「これならば多少の損害を許容してでも十分な準備ののち、殺し間の通路から通るべきです。下手な迂回は思わぬ損害を生みます」
「成程、成程」
よどみなく答えるヘルトアに、ゼフォルは内心高評価を下していた。
どちらかと言えば、答えた内容よりヘルトアが突発的な質問によどみなく回答できたことを評価していた。内容も思い切りのいいもので、ゼフォル好みだったのである。
「ふっ、なかなか思い切りがいいではないですか」
実はゼフォルはこういった机上論争は嫌いだ。前線では目まぐるしく戦況が変わり続けているし、結局一番の成長はお勉強ではなく、最前線での積み重ねだと思っているからだ。いくら机の上で議論を重ねようと結局は己の眼でみた戦場がすべてだと思っている。ようは大人数で出した結論より最前線で下した己の決定こそが最適だと思っているのだ。
だから実力を認めてくれるエスメルの傍に侍るのも好きだし、何でもはいはい言ってくれるオドールの元も悪くなかった。
もしヘルトアがここで下手に熟考を重ねてまどろっこしい戦法を披露していたらこんなものかと目をかけるのをやめていただろう。しかしその心配は杞憂だった。
あとは経験だけだ。元兵士なのだから前線は慣れっこだろうし、これだけの判断の良さがあって、なおかつゼフォルの戦術書を読んでいるならある程度の信頼もおける。不足しているところは何かしらの方法でカバーすればいいのだ。
「では次に行きましょうか、この城塞の地形を……」
「はい!がんばります!」