本陣での会議を終えたゼフォルは再び本陣へと呼び出されていた。
昼間にはあれだけにぎわっていた本陣にも、既に人払いがされていて、陣内には総大将のベルズーフにゼフォルとエスメルしかいなかった。
「こうして二人で話すのは久方ぶりだなエスメル中佐?」
「はっ……」
相変わらず感情をたやすくは見せないベルズーフがゼフォルに問いかけた。会議が終わった後再びこの本陣に呼び出したのは彼だった。同じバルグリフ陛下の腹心同士であるエスメルを呼び出すのは理解できる。だが今回ゼフォルまで名指しだったのだ。さらに彼の視線はゼフォル一点を見つめていた。
「えぇウェストガルトでの……お別れの時以来ですね」
東部方面軍副司令としてベルズーフと話す機会は幾度かあった。あの時は少将であり、王国の最前線を任されていたのだから必然的に全軍の総帥たるベルズーフとの会話も多かった。しかし今のゼフォルは一中佐に過ぎない。
「あまり固くなるな、貴官らしくもない。昼間の献策見事であった。この調子で頼む」
ベルズーフからそう言われて、自分が足を竦ませていたことにゼフォルはようやく気が付いた。
ゼフォルは完全に変わってしまった。落ちた階級もしかり、敗北を刻まれた精神もしかり、そしてエスメルが自分の上官になって、好き勝手することはできなくなっていた。
ゼフォルが弱くなったわけではない。ただ後ろにいるご主人様に迷惑をかけられないという思いが、あれだけ敵視していたベルズーフを前にして少し足を竦ませていたのだ。
察せられないようにいつもの鉄面皮を維持していたつもりだったが、彼に限ってそれを見逃すことはないだろう。ベルズーフはゼフォルに気を遣って楽にするよう言った。こちらはさんざん、どう出し抜くかを考えていたのに、ゼフォルは情けをかけられたのであった。
いや情けをかけたとすら思っていない。敵対視して出し抜こうとしたからこそ知っている。ベルズーフはそんなせこい人間ではないのだ。この程度の弱みでどうこうしようという発想がないのだ。
だってそんなことをしなくてもいくらでも成果を稼げるほどに優れているから。今のも、ただ、緊張している部下にリラックスさせようとしすぎているに違いない。むしろここまで露悪的に考えるゼフォルのほうがおかしいのかもしれない。
わかっていたのだ。あの日負けて、エスメルのもとで頭を冷やしたときから、意外にも簡単な問題だったのかもしれない。 ヘルトアですらたどり着きかけていた。
ゼフォルとベルズーフをわかつ最大の違いは性格だ。戦術能力にあまり違いなどない。それは昼間の軍議で分かったことだ。主義や嗜好による差こそあれ度ベルズーフとゼフォルの戦術眼はほぼ互角といっていい。
ただゼフォルの独善的で傲慢な性格だけが足をひっぱっていたのだ。
「閣下、ゼフォル中佐と閣下のあいだでは様々のことがありました。緊張するのも無理はないでしょう……ご容赦を」
「む、それもそうか」
一人勝手に落ち込み始めたゼフォルを庇うようにエスメルが言った。その姿を見て、ゼフォルの感情も変わっていく。あるのはエスメルに庇われた情けなさと、彼女に仕えているという誇りだけ。
ゼフォルの気質はもう変えられないだろう。それは戦術を学ぶより難しいし、この気質で損をすることも多いだろうが、きっと得することだってあるはずだ。
昔、ベルズーフはエスメルを部下にしていた。しかし今やそのエスメルは自分の上司なのだ。ゼフォルではベルズーフに勝てなかった。しかしエスメルならば?彼と同じように穏やかな気質を持っており、かつ戦術、戦略も一流、そしてこのゼフォルが腹心を務める彼女ならきっと目の前の英雄を超える力を秘めている。
情けないことだとはわかっている。あれだけ誇り高かった自分が人生の目標を年下の少女に託しているのだから。
しかしそれでもゼフォルはエスメルの栄達を望まずにはいられなかった。
「まずゼフォル中佐の策でハルード要塞の包囲は盤石の物となった。あれだけの包囲、古の英雄ですら突破はできないだろう」
ゼフォルは一人内心で盛り上がっていたが、この場の本題は目の前の前線なのだ。この場で最高階級であるベルズーフが切り出す。置いていかれるわけにはいかないので、思考を切り替えた。
「だが、王国に潜ませている密偵から連絡が入った。王国軍が援軍に来る。その数、およそ6万はいるだろう」
6万の増援、その言葉に動揺するものなどこの場にはいなかった。この場の全員がこの程度の援軍織り込み済みだった。
ハルード要塞は今や王国の貴重な占領地である。地図から見れば小さい城塞一つでもれっきとした帝国から奪った領土なのだ。その事実だけで国威を上げることができる。だから王国は必死で守るだろう。
むしろ6万程度かとゼフォルは内心で王国をあざ笑っていた。
北部での公国の早期降伏がよほど応えたのだろう。恐らく王国は、公国を囮にしている隙に戦力の補充をするつもりだった。だから北部の異民族に公王の位まで与えてやったのだ。しかし公国はゼフォルの偽装降伏であっという間に降伏してしまった。王国の想定より幾分速いはずだ。
王国軍からすればこの帝国軍の15万近い大軍は脅威でしかない。これだけの戦力ならハルード要塞どころかそのまま王国本土に殴りこめる戦力なのだ。しかしもはやその危機に6万の兵しか派遣できていない。それだけ帝国と回復した戦力に差がついてしまっているのだ。
「さて、本題だが……ゼフォル将軍、ハルードの攻略に何人いる」
真剣な表情でようやく感情らしいものを見せたベルズーフが問いかけてくる。そこにはどこか確信めいたものをもって尋ねてきた。
「ハルード要塞の勝手知ったる兵を3万です閣下」
「つまり……エスメル中将の第二軍を当てよということだな」
「そうなります」
悔しいがベルズーフは本当に聞き分けの良い上司だった。オドールには悪いが、東部方面軍ではずっとゼフォルが説明しっきりだったからだ。
事実、ハルード要塞を攻略するにおいてはエスメルの第二軍こそがふさわしいのだ。そもそも構成員の中に元東部方面軍のものが多く、彼らは要塞の構造を知っているどころかそこに住んでいたのだ。構成する幹部であるアルセリアやクレッチマーも皆ハルード要塞に一時期、居を構えていた。ようはかつての家のようなものだ。勝手などよく知っている。
攻城戦では城の構造の知識がものをいう。そう考えれば、第二軍ほどの適材はないのだ。
「ではエスメルの第二軍は当然として……あとどれくらいいる」
「いりません」
どれほどの増援が欲しいかと尋ねる。しかしゼフォルはきっぱりと断った。
「ちょ⁉中佐⁉」
ゼフォルの即断にエスメルが焦った声を出す。無理もない。ハルード要塞はおそらくこの世で最も固い城塞の一つといっていい。明確に上回っているのはエスメルの生家であるヴァン・ウィルベートくらいだ。正攻法で落とすなら今回連れてきた帝国軍全軍をぶつけてようやくといった所だろう。それでも損害は3万は降らない。
「エスメル閣下の第二軍のみで十分です。ベルズーフ閣下はごゆるりと王国の援軍の相手をなさってください」
「ゼフォル!いい加減に……」
「抜け道か」
自身の所属する第二軍の進退を好き勝手に、それも地獄へ突っ込ませようとするゼフォルについにエスメルはベルズーフの前というにも関わらず、声を荒げて静止しようとする。しかし突拍子もないゼフォルの提言にベルズーフだけが冷静にその目的を言い当てた。
やはりエスメルは優秀だが経験が足りないのだろう。しかしそこは成長するまで己が支えればよいのだ。事実ベルズーフの一言で全て合点がいったのか、エスメルは一瞬驚いた顔をした後、恨みがましい視線をゼフォルに向けていた。
「エスメル中将から送られた報告書には確かに抜け道はあった。しかしあれは要人脱出用で軍勢は送り込めない。それに王国がすでに見つかっている可能性が高いぞ」
「あんなもの唯の見せ札でしかありません。ハルード要塞の抜け道は複数に及びますが、本命があるのです。1千は通れます」
「そのようなものは報告書になかった」
「ええそうです。あれの情報にはここにしかありません」
そう言ってゼフォルは自身の頭を指さす。ゼフォルのいう特別な抜け道はこの明晰な頭脳にしかない。他の誰も知りえないのだ。
「なぜ報告しなかった……というのは今は置いておこう。しかし王国にばれているということはないのかね」
「えぇ絶対にです。工事に参加した大工は皆、オドール閣下の伝い手で遠い帝国西部に仕事を紹介して口止めしています。使った人夫は元王国軍の捕虜に西部貴族のなかでも素行の悪い兵達です」
「……その人夫はどうなった」
「捕虜たちは脱走容疑で処刑。兵らは皆王国の戦いで死にました」
ベルズーフの追及にゼフォルはよどみなく答える。とんでもないことを自白しているが勝算があった。今ここでゼフォルを呼びだしたのはベルズーフも薄々、ゼフォルがハルード要塞に切り札をもっていることを悟っていたのだろう。昼間の会議での会話で察していたのだ。
この抜け道を作るのはゼフォルをもってしても細心の注意を払った。作業中は常に自らが監督していたし、参加者は念入りに口封じをした。流石に大工に手を出すことは憚られたので、彼らはオドールのコネで王国とは正反対の帝国西部の割のいい仕事についてもらっている。だがそれ以外の単純作業に従事した兵やら捕虜はゼフォルの手で全員あの世送りだ。つかった資料は全て暗記した後、破棄した。
巧妙に出入り口も隠蔽しており、占領した王国軍が気づくこともないだろう。
「ゼフォル中佐、そなたの策は相変わらず周到だ。だがこれは手放しで褒められん。今後はまず上官に相談するのだ」
「承知しました」
「だが追及する時間も証拠もない。この件は直接の上官であるエスメル中将に任せる」
「もちろんです」
話しを切り上げたベルズーフにエスメルが是と返す。責められるはずがない、この抜け道が本当ならこれこそ帝国の大きな勝因となるのだ。堅物だが清濁併せ吞むベルズーフならこれを受け入れるだろう。
円滑に会議を進め、部下の言いたいことを引き出し、悪いところは咎め、功があれば許す。本当にできた総司令官様だ。ゼフォルは純粋に彼との会議のやりやすさを実感していたし、上官としての能力も認めていた。
しかしなにもエスメルの前で話させることないだろうに。今まさに隣のエスメルからの咎める視線にさらされている。それだけがネックだった。
だがこれも考えているのだろう。言ってしまえばゼフォルはベルズーフから何を怒られようとも反省することはない。それだけは断言できる。だったらエスメルに怒らせたほうが反省するし、角も立たない。ベルズーフはそう言った人間関係を見抜いているのだ。。
「話がそれたな、どのように3万とその抜け道でハルード要塞を落とす?」
「私が精鋭1千を率いて抜け道を通ります。そしてそのまま城内になだれ込み敵要塞首脳陣を皆殺し、後に門を開けてエスメル中将を迎え入れれば、勝利は確実です」
そうふてぶてしいまでに自信満々でゼフォルは答えた。あの抜け道はただの抜け道ではない。出ればすぐに司令部を突けるのだ。そして指揮系統を無茶苦茶にしてしまえば、あとはどうにでもなる。ゼフォルの庭であるハルード要塞で機能不全に陥った敵など怖くもなんともなかった。
「いや、この攻撃さえ決まれば確かにハルード要塞は落ちるだろう。しかしまだもう一撃が欲しい。エスメル中将」
「はっ」
「君も突入部隊に加わるのだ」
「御意」
そのベルズーフの指示にゼフォルは目を丸くして驚いた。エスメルが突入部隊など冗談ではない。負けるつもり等毛頭ないが、危険度の高い場所になぜ好き好んでエスメルを連れて行かなければならないのか。せいぜいゼフォルとアルセリアでも連れて行けば事足りるはずなのだ。
「大将閣下、エスメル中将は第二軍の要、攻城部隊から引き抜くなどもってのほかです」
「第二軍にはクレッチマー少将もいる。彼なら代役の任に堪えうるはずだ。それにエスメル中将は魔術の天才でもある。狭い城塞の中なら彼女の魔力を十全に活かせるはずだ」
確かにベルズーフの言うとおりだ。魔術の力は戦争でいくらでも有効活用できる。特に役に立つのが兵が密集する攻城戦だ。城壁にずらりと並んだ敵兵に打ち込むだけで大きな効果があるのに、抜け道の先になる城塞内部ともなればその破壊力は想像をも絶するだろう。
「それと我が軍からも部隊を100人だそう。すべてが魔術師で構成された精鋭部隊だ。存分に使うといい」
それでも、エスメルをひっこめさせようと考えるが、ベルズーフの次の手に封殺される。まさか総司令官閣下にここまで好条件をつけられて断れるはずがない。
「ベルズーフ閣下のご厚意に感謝します!必ずや戦果をこの手にあげて見せます!」
しびれを切らしたエスメルがベルズーフの命に返事をしてしまう。そして目でゼフォルも礼を言うよう訴えかけた。
「エスメル中将に同じくです。ハルード要塞を必ずや閣下の手に渡しましょう」
そう会議の主導をにぎって終わらせるベルズーフに、ゼフォルはらしくなく感心していた。
本当にすさまじい手際だ。結局ゼフォルはエスメルを危険な目に合わせたくないという私情でしかない。しかし援軍の確約をもって彼はこのゼフォルを完封したのだ。
だがまぁ、悪い気はしない。これでハルード要塞の功績は第二軍のものだ。あとは何とかしてエスメルの身の安全を確保するかにゼフォルは思考を割り切った。