「ここを開ければ、ハルード要塞です」
息を殺し、気配も消した1千の軍勢の最前列でゼフォルは小声でそうつぶやいた。
目の前は行き止まりのような壁でしかない、しかしゼフォルだけがこの壁の機能を知っている。
その声を聴いて、司令官であるエスメルも、歴戦の1千の軍勢も、最精鋭の魔術部隊の面々も気を引き締めたのか空気が変わるのが分かった。
いまやエスメルの率いる軍勢に弱兵は一人もおらず、帝国、いやこの大陸でも最強と言っていいだろう。そんな部隊を任されていたのだ。
もはやゼフォルが少しでも味方の士気を上げる小細工を弄する必要もない。この軍勢はただそこにあるだけで最強だ。あとはその方向さえ導けばよいのだ。
「皆さん、作戦は周知したとおりです。この先は、ハルード要塞本城に突入できます。第一目標は敵司令部の破壊、その後、本城を完全に制圧し、各尖塔に魔術部隊は移動。城壁上の敵軍を攻撃します。残った一千は、本城の守りを維持になります」
そうゼフォルは簡潔に作戦内容を反芻する。すでにこの精鋭達には城内の地図も記憶させているし、下士官たちはどの通路を通るのかすら理解していた。一千という少数と、この練度だからこそできたことだった。
「ではお嬢様、お願いします」
「わかったわ」
そういうとエスメルの手に紫電がほとばしり、魔力が練られる。暗い通路が明るく照らされ、圧のようなものがほとばしるのを確認するとゼフォルも己のやるべきことを始める。
ゼフォルがつけている髪飾り、何も変哲のないその辺に売ってそうなものだが、それを髪から外し真っ二つに割ると、鍵のようなものが出てくる。そして、行き止まりの壁、そのある一点の節目をなぞるとガコンとへこみ、そこにある鍵穴に差し込んだ。
この秘密のカギを髪飾りに仕込んだ理由はただ一つ、ゼフォルの首が落ちることなどあるはずがないと思っていたからだ。
あの日の敗走で結局、ゼフォルの首は王国軍の手で落ちそうになったし、自分の命より兵の脱出を優先して抜け道をつかわなかった。だがいまこうして捲土重来を果たそうとしている。ゼフォルだけなら唯の抜け道で、精々普通の奇襲にしかならず、要塞を混乱させても決定打は与えられない。だが、エスメルがいるならば
ゴゴゴゴと音を立てて壁が動いてく、エスメルの魔力だけが輝く殺風景な隠し通路に、外界の光が差し、ハルード要塞の指令室があらわになった。
「…………⁉」
別にどこの国が占領しようが、要塞の機能が大きく変わることはない。造られたときに構造も配置も決まっているのだから当然だ。そこには豪華な服を着た王国軍の指揮官たちがそろっていた。
突然のことになにが起こったのかわからず、騒ぎもせず、ただただ固まっていた。しかしその視線の先は紫電に輝く魔力の塊、天才エスメルの指先にある魔力弾に集中していた。
「お嬢様」
「えぇわかってるわ!」
そうゼフォルがエスメルの名前を呟けば、好戦的な笑みを浮かべながらエスメルが答えた。
「消し飛びなさい!」
エスメルの紫電が、迸り、ハルード要塞の指令室に大爆発が起こった。
「戦果は大……どころではないですね」
今や軍司令部とは言えぬほど、ハルード要塞の本城は喧騒に包まれていた。
その絵を描いたゼフォルは逃げ惑う王国兵を適当に処理すると、エスメルの魔法に焼かれた死体を適当にひっくり返した。顔はもはや誰だかわからないほど焼けただれているが、着ている服、特に胸についている勲章や階級章などはまだ判別がついた。
その辺に転がる豪華な服を着た死体をひっくり返せば、王国軍の将軍や、高級将校、上位の参謀がゴロゴロ転がっている。流石に死んでしまえば彼らが優秀なのかそうでないのかの判断はつかない。だが、確かにあの一撃で王国軍は軍隊の頭脳である上層部を消し飛ばされたのだ。
その影響は目に見えてわかった。本城に一撃加えられたというのに、王国軍はいまだ有効な反撃をできていない、どの兵士も慌てふためいていているだけで、どう動けばいいか解って居なさそうだった。
「このまま階段を登れば上層です」
「えぇ!わかったわ!全軍このまま城塞を制圧しなさい!」
そういってエスメルは魔術部隊を中心にした一隊を率いて上層へと突撃していった。
まことに残念だがゼフォルも元東部方面軍を中心とした隊を率いて逆に下層へと進撃する。いくら奇襲に成功しようと、ゼフォルらはせいぜい1千と少し、ハルード要塞に籠る王国軍が1万5千はいる。これに対抗するためには一兵も無駄にはできないのだ。それは指揮官クラスであるゼフォルも同様でエスメルと別れて行動することになっていた。
エスメルが魔術部隊を中心とする300を率いて上層へ、ゼフォルが残った800を率いて下層へそういった作戦だった。
「い、急げ!指令室で異変が!な、何で帝国軍がこんなところにいるんだよ!」
「行動がおっそいですねぇ」
そう叫ぶ王国兵を血祭りにあげながら突き進む、あとに続く帝国兵達もよどみなく進撃している。当然だ。かつてここで暮らしていたのだから、勤務先を王国兵に我が物顔で占領されていた恨みを晴らすため、ゼフォルとその兵らは進撃していた。
通路や死角も大体知っているのだ。今も、また待ち伏せしていた王国兵がその甲斐なく串刺しにされ、隠れているところを引きずりだされた。ゼフォルも嬉々として王国軍をズタズタにした。
難なく本城下層を制圧した。城壁に敵が押し寄せてもいきなり本城に現れるとは予想していなかったのだろう。
それにしても兵の練度が低い、ハルード要塞から迎撃してきた王国軍は強かったはずなのだ。余裕のない王国軍は敵の手の及ばない本城付近には二線級以下の兵しか配置していないのだろう。
「ここの将軍は誰だかわかりましたか?」
「確認とれました。ヘイゼル将軍です」
「かなり優秀な指揮官だったはずですが……運がなかったですね」
報告に来た。ベルズーフ配下の密偵から報告を受ける。与えられたのは魔術部隊だけではなかった。貴重な密偵すら10人ほど借りていたのである。あの司令部にあったひと際豪華な将校の遺体をその場で見分させていたのだ。
王国軍ヘイゼル将軍、ゼフォルは当たったことはなかったが、このハルードでベルズーフとにらみ合い続けた優秀な将軍だと聞いていた。だがそんな彼もこの奇襲は予想外だったらしい、生きていれば恐ろしい敵だったかもしれないが、いまやエスメルの魔術で消し炭だった。
「敵は混乱しきっています。200人続きなさい。本城周辺の敵を一掃します。残りはこのまま本城下層へ残りここで籠城する準備を整えてください」
「承知しました!」
事前の計画に従い、ゼフォルは麾下の兵に指示をだす。
圧倒的な戦果だが、やはり1千という数ではやれることも限られている。そのため籠城中の敵要塞の中でさらに籠城するという作戦をゼフォルはとっていた。
指示をうけた兵士が、せっせと本城付近の倉庫から資材を持ち出し、バリゲートを作っていく。これもゼフォルの知識をいかした作戦だ。
このハルード要塞、いたるところに陣地を設けられる構造にしているし、倉庫の場所も全部覚えていた。そのため即席のバリゲートを組むことが可能だった。
だがそれだけでゼフォルが済ませるはずがなかった。200の兵を率いて、本城から城内の屋外通路や広場へと出撃する。
「ほ、本当に帝国軍がいやがる!」
「は、速く援軍を!」
「馬鹿言うな!今さっき外の帝国軍の総攻撃が始まったばかりだぞ!」
外は城中以上の大喧騒だった。本来ここは安全な後方のはずなのだ。それが急に司令部が壊滅し、王国軍は早々に崩壊状態になっていた。
どうやらクレッチマーとアルセリアも仕掛けたのだろう、遠くの城壁の方角もなにやら騒がしい、そしてそれ以上に上から聞こえる爆破音が特によく聞こえた。
「派手にやりますね、お嬢様」
本城から延びる尖塔から、続々と魔力弾が発射され、城内の王国軍に襲い掛かった。エスメルの方もうまくやったのだろう。最もエスメルの能力は疑ってはいない、しかし心配なものは心配だった。だがどうやら杞憂だったらしい。
ゼフォルが完璧といっていいほどに仕上げたハルード要塞は無敵の防御を誇る、城外の地形にも気を遣っており、投石機の飛んできそうな場所は特に硬く造っており、生半可な攻撃ではまともに打撃を与えられない。だがそれは外からの攻撃の話であって、本来最期の守りである本城から飛ばされた攻撃をいなすような構造にはなっていない。鉄壁のはずのハルード要塞の守りは内側から崩れつつあった。
たしかに王国軍は数だけはそろっている。しかしその内訳は怒号を上げて統率をとろうとする少数の指揮官、城壁にいけばいいのか、本城に行けばいいのか驚き戸惑っている多くの兵士たち、あくまで武器も持たず、補給用の物資を運んでいる者の姿も見られた。
「全員、首の稼ぎどころですよ。すでに敵将ヘイゼルは消し炭、クレッチマー少将もアルセリア大佐も攻撃を開始しました。エスメル総司令官にいたっては上で元気に魔術をぶっ放しています。我々が遠慮をする必要は?」
「あるわけないですか少将!いや今は中佐でしたな!」
「閣下の階級は戻りませんが、せめて我らの家は取り返さなければ!」
良くもまぁ軽口を叩いてくれたものだとゼフォルは内心で笑った。そう笑ったのだ。彼らはヴァン・ウィルベートからの古参中の古参、軍歴だけでゼフォルの年齢より長いものだっている。そしてずっと最精鋭として動き続けてくれたのだ。だからこんな軽口すら心地よかった。
あの日ゼフォルはなんてことない東部方面軍の兵士たちと最期を共にしようとした。この精鋭たちは、エスメルの為にアルセリアに託して返してしまった。
もちろん、ゼフォルに最期までついてきたエルディム少佐をはじめとした兵士たちも英雄だ。のうのうと生き残っているのがゼフォルなのだ。
そして今、彼らの仇を、最強の精鋭で晴らす機会を得ることができたのだ。上空から飛ぶひときわ目立つ紫色の魔法弾がゼフォルの進路の王国兵を焼き払う。
「あぁ……お嬢様、露払いをしてくれるのですね」
そしてハルード要塞でもひときわ高い尖塔を見あげれば、そこにはエスメルが立っていた。かなりの距離が開いているが、今確実に目が合った。持てる最強の兵団に、敬愛する主の援護、そしてエルディム少佐らの仇討ち、それらすべてがゼフォルを後押ししていた。