ハルード要塞での任務を終えていたゼフォルは荷物を纏めてヴァン・ウィルベートに帰還していた。大佐の階級と役職を提示すると、すぐに案内の兵に連れられていく。その先はヴァン・ウィルベートの総司令官専用の私室であった。
「ゼフォルです」
「入りなさい」
許可がでると番兵が扉を開ける。特に臆した様子なくゼフォルは総司令官室に入室した。
ヴァン・ウィルベートの総司令官室、かつてウィルベート家当主の執務室だったそこは、過剰な装飾品は省かれ、軍の施設に相応しいように飾り直されていた。
実務で使うにふさわしい、総司令官用の執務机、そこには東部方面軍総司令官にしてこのヴァン・ウィルベートの主、エスメル・ウィルベートが君臨していた。傍らにはウィルベート家のメイド長であるエルシアが控えていた。華美な装飾の将官服に身を包んだ彼女は、側にカッチリとしたエルシアをひかえさせることで大変絵になっていた。
「参謀長ゼフォル。任を終えて帰還しました」
「ご苦労様。私もあなたの帰りを首を長くして待っていたわ」
ハルード要塞の攻略成功によって帝国軍の人事は大きく変わった。まずベルズーフがこれまでの功績に加え、全軍のハルード要塞攻略時、全軍を率いた功績で帝国軍元帥へと昇格した。元帥などこれまで皇族らがもつ名誉職でしかなかったが、ついに帝国軍全軍を統べる最高の役職として復活し、帝国史上初の皇族以外の元帥位が誕生したのである。
そして第二軍を率いて実質的にハルード要塞を奪還したエスメルは帝国軍東部方面軍司令官へとなっていた。
東部方面軍。これはオドールが失脚したときから、ベルズーフが兼任することで実質的に廃止になっていた軍団だ。しかし今回、ベルズーフが元帥になり帝都で全軍の指揮を取るため帝国東部を離れることになり、バルグリフ皇子の覚えめでたいエスメルを総司令官として復活していた。
「ハルード要塞の任務はうまくいった?」
「はい。全霊をかけて仕上げました。それに主将はあのアルセリア将軍です。不落を保障致します」
「すでに城塞の見取り図は受け取っているわ……見取り図以外に変な機能をつけたりは?」
「してません」
「よろしい」
エスメルからの追及にゼフォルは即答した。全く言いよどむ様子がないことに安心したのか、エスメルも満足そうにしている。
相も変わらず、エスメルはゼフォルの扱いが上手い。嘘はつかないが、本当のことも言わないといった詐術を警戒しているのだ。オドールが上司の頃はそんなことしょっちゅうだったし、エスメルをだます気など毛頭ないが、よく昔はこの手口でからかっていたので警戒しているのだろう。
「で?ハルード要塞周辺の戦況はどうだった?」
「アルセリアが数千率いて圧勝した小競り合いが五回といった所です」
「全部勝つあたり流石はアルセリアね」
「ええ。アルセリア任せておけばハルードは落ちません。放った密偵からの報告では王国軍も大規模な侵攻を行う気配はないようです」
「もし何かあればすぐに報告なさい」
そう言い放つエスメルだが、そこに王国軍を侮る様子はなく、純然たる事実を整理したうえで言い放っていることがわかった。
王国軍が大規模な軍事行動をとっていないのは国境の様子だけでよくわかっていた。国境の守りこそ一万と少し程度の数を揃えているが、それだけではとてもではないが帝国に攻め込むのは不可能だ。
東部方面軍に割り振られた密偵部隊も王国軍の内地で活動をしている。
彼らの能力はゼフォルが作った付け焼き刃の密偵部隊とは大きく異なり、中央で鍛えられた精鋭だ。もし王国軍が大規模な軍勢を動かそうとしたら真っ先にゼフォルの耳に入ってくる。そこから援軍を動かせばハルード要塞が落ちるはずもなかった。
「けど、もう王国軍がそう大きく動くこともないかもしれないわね」
「というと?」
「それだけ、これまでの戦いで王国へ与えたダメージは大きいわ。帝国も損害を受けたけど、南部と北部の敵対勢力の一掃によっておつりがくる」
「それほどですか?」
エスメルはエスメルで、独自の情報網がある。何せ今や彼女はベルズーフに次ぐ軍団指揮官にして、バルグリフ皇帝の懐刀と言っていい立場にいるのだ。もっと戦略的に洗練された帝国首脳陣の情報も得ている。
先日のアルセリアの報告といい王国はかなり疲弊しているらしい。
「けど、それが油断する理由にはならない。参謀長として密偵部隊の指揮は以後も任せるわ。王国に動きがあればすぐに報告なさい」
「かしこまりました」
「今日は疲れたでしょう?エルシアをつけるからゆっくりするように」
そう名指しされてエスメルの傍に控えていたエルシアがペコリと頭を下げる。
確かに彼女のメイドとしての能力は比類ないほどのものがある。しかしやはり元上司と2人きりというのはどうしてもなれなかった。
「ありがとうございます」
だがエスメルからの好意なので、エルシアに案内されて部屋を後にした。
エスメルの総司令官室の近くに用意された参謀長用の私室に帰る。部屋に2人きりになった途端、それはもう甲斐甲斐しくエルシアが世話を焼いてくれた。
仰々しく佐官用のコートを脱がせてもらい、引いてもらった椅子に座り掛けると、すぐさま茶と菓子が出てくる。その間エルシアは無言であり不気味ですらあった。
「あー、何か言いたいことがあるんじゃないですかメイド長」
完璧に業務をこなすエルシアに、ついゼフォルは声をかけた。なんだかんだで部下として長いので、何か言いたげであることくらいは察したからだ。
「ゼフォル……参謀長」
「ゼフォルでいいですよ」
「そういうわけには……」
「いいですって」
今日のエルシアにはどうもキレがない。仕事こそ完璧にこなしてるが、明らかに何か思い悩んでいるのが丸わかりだった。
「別に言いたくなければいいですけど」
「いえ、こればかりは言わなければなりません」
ゼフォルらしくもなく気遣うとエルシアは居住まいを正す。そしてペコリと頭を下げた。
「まさかあの娘がヴァン・ウィルベートの当主の間に君臨する日が来るなんて……思いもしませんでした。あなたには感謝しきれません」
「……やめてくださいよ。北部で親子そろって私に頭を下げたばかりではありませんか」
口ではそう言いつつも全く悪い気をしなかった。自尊心が高いゼフォルは他人からの嫉みやら妬み、畏怖などといった感情が大好物だが、親しい人間からの素直な感謝がなんだかんだで一番うれしいものだ。エルシアは元上司以上に同じ主を支えた同僚として親密な関係を築いているつもりである。そんな彼女からの称賛は心地よいものだった。
「わかっています。私が貴女にしてあげられることなんてありません、あれだけ放っておいた娘を介さなければ報いることすらできない」
そう気を落としたように言うエルシアにようやく彼女が何を気負っているのかを理解した。
生真面目な彼女は凋落したウィルベート家の復興にいまだゼフォルを巻き込んだことを気に病んでいるし、年上という立場なのに娘にたってもらわなければ恩返しも出来ないと思っているのだ。
「メイド長、流石にそれは私を舐めすぎというものですよ。私はいつまでも雇われの一メイドでいるつもりはありません。出世のきっかけはウィルベート家、しくじればメイド長とお嬢様に救われました。いまやこの身の全てお嬢様に捧げるつもりです」
「ゼフォル……」
「そりゃ入ったときは、給金がいいだの有名な武門で勉強のし甲斐があるだの考えて居ましたし、お嬢様の専属になったときもなんで私が子供の世話しなきゃいけないんだとか思いましたけど……今ではウィルベート家一の忠臣であるつもりなんです」
かつてのゼフォルはウィルベート家すら踏み台といってよかった。王国の最前線にあるこの領地なら何かしらチャンスがあると思っていたし、事実公爵家が負けたときは自分の力がようやく日の目を見るかもしれないと喜んですらいた。
エスメルは仲がいいので、その命の保証くらいはするつもりだったが、その後は目の前のエルシアに任せるなりしてゼフォルは一人で出世していくつもりだったのだ。
エスメルが中将まで出世して、ゼフォルの立場まで救ってくれるのはその頭脳をもってしても全て計画外だった。
「メイド長はむしろ不真面目でふがいない同僚を叱責するべきなのです。私が帝国東部でふらふら遊んでいる間。お嬢様を帝都で守ってきたのも貴女なのですから」
「ふらふらだなんて……東部で戦い続けてきたあなたの方が立派です」
「あれは私だけの私的な戦いですよ。あげくの果てに負けましたし」
2人が二年間遊んでいたわけではないのはよく知っていた。エスメルは学園に通いつつもウィルベート家当主としての立場を盤石のものとするために当時皇子だったバルグリフ陛下との関係も強化していたし、遺産狙いの親族も排除してきた。その間彼女を支えていたのは他でもないエルシアだったのだ。
ゼフォルが東部で圧倒的な戦果を挙げれば公爵家への間接的な援護とはなると思っていたが、その野望は先の敗北で完全に潰えた。むしろゼフォルはエスメルの家庭内争いに何も寄与しなかったのだ。だからおとなしく家臣としてもエルシアの1つ下でいようと思っていた。
「ありがとうゼフォル。これからも公爵家をよろしくお願いします」
「えぇこちらこそ。ウィルベート家にはお世話になります。共に盛り立てていきましょう。メイド長」
「……」
この数年間で帝国貴族は大きな変革を余儀なくされた。バルグリフ皇帝の治世は国家を、そして特権階級である貴族たちの在り方を大きく変えたからだ。西部貴族のように歯向かって叩き潰されたものも居れば、南部貴族のように特に何もせずその力を落としたものも居る。一方でベルズーフをはじめとして能力があれば国家の要職まで上り詰めたものだっていた。
そんな中でウィルベート家は最も大きな変化をしたといっていいだろう。公爵家でありながら、この大陸の動乱で多くの血族や家臣を失ったウィルベート家はこの変革期において本来、真っ先につぶされるような家だったはずだ。
それがエスメルという傑物のもとで不死鳥のごとく蘇りつつある。行政権こそ持ち合わせていないものの、東部方面軍総司令官ということはかつてのウィルベート家領地の軍事権を持っているのに等しいからだ。家臣の総数はいまだ多いとは言えないが、些細な問題だ。戦死なり失脚なりした連中がいくら数だけ揃えようと、このゼフォルとエルシア二人の方が勝っているはずだし、直参の貴族としてクレッチマーやらアルセリアを迎え入れてもいい。どうやってもエスメル率いる公爵家は以前より強大なものになるのは間違いない。
生まれてきて人に使えることなんてないだろうと思ってきた。しかし今は目の前のエルシアを同僚に、エスメルに使えるのが当たり前だとゼフォルは思いつつあった。
そう思って彼女に声をかけるが反応が著しく薄かった。なにかまた余計なことを言っただろうか?そう自分の発言を思い返すが変な所はないはずだった。
「ゼフォル、あの!」
困惑したゼフォルをよそにエルシアが口を開く。続く内容はゼフォルをして驚くものであった。