「私は貴族の生まれでもなんでもありませんでした。公爵家のお抱えの密偵部隊、それを代々務める一族に生まれました」
その生まれを聞いてゼフォルは疑問ではなくむしろ納得しかなかった。ゼフォルに勝るとも劣らない身体能力といい彼女が貴族の娘なわけでも一般的な市民の出でもないだろうと予想はついていた。
「一族の中でも私は優秀でした。適当に任務をこなしているうちに気がつけば公爵当主の直参の諜報員にまで出世し、表向きは公爵家の一メイドとして日々を過ごしていました」
これも別に疑問には思わない。明らかにエルシアの能力は平均的な諜報員のそれを上回っているからだ。諜報員でやっていける器用さがあればメイドもやっていけるだろう。ゼフォルにもできたのだ。
「直参の諜報員になって任される任務は重要なものになってきました。時には帝都にまで潜入して、敵対貴族の情報を探ったり、時には王国奥地にまで潜入し、兵の動向まで探りました」
聞いていて順風満帆な諜報員ライフでしかない。本当は過酷だろうに、それを感じさせないのはエルシアの能力が故であろう。
ゼフォルだってメイドから将軍に職を変えたのは第三者視点で狂気でしかない。しかし本人からすれば苦どころかやる気に満ち溢れていたのだから。
「私が任務を達成する一方で、一族の他の者や同じ諜報員達は次々と命を落としました。しかしそれもどうでも良かったのです。連中には才能がないのだと、そうとしか思わなかった」
ここにきてどこかで聞いたような性格をしているなとゼフォルは思った。少なくとも今のエルシアはこんなに傲慢な印象はない。
「その考えは任務をこなしていくうちに強くなっていきました。私からすれば簡単な任務すら達成できない同僚、もってきた情報を上手く使っているとは言いにくい上層部、任務は別に過酷でもありませんでしたが、私の成果をうまく行かせない連中を見てだんだんとこう思うようになっていました。」
やっぱりどっかで聞いたような話だ。ゼフォルはエルシアを見ているはずが、その瞳の奥にいる自分を見ていたような気がしていた。
「私が上に立った方が良い成果を出せると」
エルシアの過去話にゼフォルはまるで出来のいい小説を読んでいるかのように自己投影ができていた。能力のベクトルこそ違えど、あからさまに自分のような話だったからだ。
「しかし、私は所詮一諜報員、ゼフォルのように大軍を率いる才能ならともかく、どこまでも後ろ暗い仕事の成果だけでは、絶大な権力を得ることはできませんでした」
気がつけばエルシアもまっすぐとゼフォルを、いやゼフォルの瞳に映っているだろう自分を見ていた。
前提が碌でもない話でしかないが、ゼフォルとエルシアはお互いに相手のことを自己投影していたのだ。
「そこで私は考えました。私では逆立ちをしても公爵家で権力を得ることは叶いません。ですがもし、私に公爵家の血を引く子供がいれば、その子供が公爵家当主になれば、私は大して能力を持たない連中に変わってこの巨大な家を差配できる。そう思ったのです」
ここでゼフォルはようやくこのエルシアの過去語りに強烈な感情を示した。大方の結末を予想できたからである。エスメルが冷遇されていた理由も大方予想が付いた。
「そう考えてからは速かった……あの人を、エスメルの父親にあたる前当主様を誘惑し、子種をいただき、私の持つ全てを持って当主争いに勝たせました」
あの王国相手に戦死した前当主を思い出していた。ウィルベート公爵家で尊敬できるのはエスメルとピエールくらいしかいない。と思うくらいには前当主もパッとする人物ではなかった。
公爵家相応の風格はあったがそれだけで能力は凡だ。この程度で巨大な公爵家の当主になれるのかと思っていた。
しかし合点がいった。平凡な力しか持っていなくても、エルシアが味方に付けば、公爵家の情報源を押さえたのも同然だ。当主争いでは優位に立てるだろう。
それにエルシアの美貌は娘のエスメルと同じように極上だ。諜報員なのだから色仕掛けの心得もあるだろう。こんな美女に誘惑されて、公爵家当主の座に座れるなどとんでもない運の持ち主なんだなとある意味ゼフォルは羨ましがった。
「後は正妻の座に座り、生まれたエスメルを次期当主にするだけ……最期の仕上げと私はエスメルより上の兄弟、その母親、その実家、全てのスキャンダルを調べ上げ報告しました。あの人は私の美貌に夢中でしたし、仕事ぶりにも満足いただいていた。今回も取り上げていただける。そのつもりでした」
そう物憂げな表情で語るエルシアにゼフォルは末恐ろしいものを感じ、あっさりと他の血族を追い落としたと語る内容に納得しかなかった。この美貌に優秀さ、そこらの公爵家の盆暗では相手にもならないだろう。
「ですが、そうはなりませんでした。家の余計な詮索をしたと叱責され、その日から私は興味を失うどころか、急速に腫物として扱われました。私どころか赤子だったエスメルの立場も危うくなりました」
まぁそうなるだろうと思っていた。エルシアは小人ごときには扱いこなせる人間ではなかったというわけだ。大方前当主も、それだけの情報を集めれるエルシアにその気になれば自分の弱みもすぐ握れると思ってしまったのだ。
大人物ならそれも承知で使い潰せばいい。しかし小人にすぎない前当主では。優秀な愛人として味方だと思えず、ただただ恐ろしい存在に感じてしまったのだろう。
「私にやれることは1つでした。幸いこの身には公爵家のあらゆる情報を記憶させています。それを物質に愛人の座も諜報員としての座も返上し、表向きの役職であるメイドとしての業務を本業として公爵家の運営にはもう関わらないことを条件にエスメルともども、ウィルベート家に残ることだけは許されました。しかしあの娘は、不義の子として扱われてしまいました。これがわたしの半生なんですよ。ゼフォル」
言いきったエルシアは、明らかに沈痛そうな顔持ちをしていた。しかしどこかつっかえが取れたような開放感を帯びていた。
「で?それを聞いて私にどうしろと?」
「それは……」
結局ゼフォルの言いたいことはそれだった。確かに今自分はウィルベート家の重鎮、武官筆頭だ。しかし前時代の権力争いを聞いて今さらどうこうしろなど思わない。
これを材料にエルシアを糾弾しろとでも言うのか?だがそんな事はゼフォルの得にもならない。ここで彼女を失脚させてどこぞの馬の骨が台頭すれば無用な手間がかかるだけだ。
そう思いつつも、言いたいことはよくわかっていた。エルシアは懺悔をしたいのだ。
母親らしいことは一切できず、代わりに姉のようにエスメルの世話をしていたゼフォルに自分のせいでこんな目に遭わせてしまった。そう言いたいのだ。
「……怒ってはくれないですか」
「愚問です。貴女の行いに怒っていいのはお嬢様だけです。私から言えることは……そうですね、たかだか前当主に拒否されたというだけでなぜ諦めてしまったのか、そこに一言ありますね。メイド長の実力なら強行に出て邪魔な血族全員暗殺してしまえば良かったのに、その後は腑抜けた前当主様を傀儡にでもすればよかったのです」
「……それも、考えました。あの時の私は公爵家すべてを相手にしても情報戦でずたずたにして勝てるという自負があった。けどできませんでした。私一人ならどうとでもなったと思いますが、生まれたばかりのエスメルを守り切れないと悟ったのです。私には信頼して預けられる交友関係すらありませんでしたから――嗚呼、あの時貴女さえいてくれれば」
いよいよエルシアの目がやばくなってきた。長い付き合いだが、こんなに危なっかしい目をしているのは初めてだ。王国に攻め込んで負けが込み始めた自分のようだった。それだけ本気でゼフォルがいればと思ってくれているのだろうが、明らかに健全な思考ではない。
「どうしようもない嫉妬なのは分かっています。あの日貴女にはエスメルがいた。あの子にはゼフォルがいた。本当にいい友を持ってくれたと私は思っています。母親として、上司として素直に祝福してあげたかった。しかし心の中でどうしても思ってしまうのです。あの時の私には誰もいなかったのに……!」
「ま、まぁその辺で、メイド長が自分の野心より生まれになったばかりのお嬢様をとったのは理解できました。ならなおさら、あの日なぜヴァン・ウィルベートで名乗り出てくださらなかったのですか?あの時はお嬢様も良く育ち、私もいたではないですか」
エルシアの懺悔を聞いてゼフォルは頭を抱えたくなった。かつてエスメルが、私が生まれたせいでエルシアはこうなったのかと嘆いていたが、まさか本当にその通りだとは思わなかった。
もちろんどう考えても悪いのはエルシアだ。彼女も結局エスメルという玉を手に入れながらそれを守り切る算段を付けることができなかった。
同時にこの話を聞いて、疑問も出てしまった。エルシアが王国に襲撃される前のヴァン・ウィルベートで、エスメルとゼフォルに任せきりだったのを悔やんでいるのは知っていた。もともとそういう指導者には向かない気質だったから。そう考えれば納得できたが、前提が違った。
エルシアから語られる過去の彼女は、その生き様はまさにゼフォルそのものだ。自分と同じような燃えるような野心、そして他を見下せるほどの能力があるなら、今こそと言わんばかりに立ちあがればよかったのだ。
それこそあの時は自分の身を守るくらいはできるようになったエスメルと、ゼフォルがそろっていたのだから。
「貴女達、二人の邪魔をしたくなかったからです」
「邪魔?」
「私は所詮、親としても野心家としても半端者だったのです。あの窮地にあって、粛々と公爵家の実権を握ろうとするエスメル、これを機に名を上げようとするゼフォル、二人ともとても眩しく見えました。過去の私など問題にならないほどに。それに水を差すようなことはできなかった……」
聞いといてなんだが、ずいぶんとまぁこじらせたものだと思う。だが本気で責めることはできなかった。ゼフォルもまた、自分が失敗したのを皮切りに己の野望をエスメルに全てを託そうとしている節があるからだ。
ゼフォルは他人の人生相談を聞くほどできた人間ではない。自分にするくらいなら教会なりなんなりに行けと思うし、特に今は元上司で主君の母親という人間に相談される。厄介ごと過ぎて笑ってしまいそうだった。
だが奇妙なことに、いくらでも共感ができてしまった。ゼフォルとエルシアはそれだけ似ているのだ。
「まぁ私は別にどうとも思いませんよ、その判断で出世ができましたし、メイド長も密偵役を買って出てくれたではないですか。それにもうお嬢様には怒られたのでしょう?」
「えぇ母として情けない限りです」
「ならもうよいではありませんか」
「しかしっ!」
「メイド長、罪だと思うなら、なおさら与えられた地位を全うするべきです。かつて私はお嬢様に語りました。メイド長が正妃、お嬢様が正当後継者、私が将軍ならウィルベート家は王国に無様を晒すことはなかったと、悪いのは見る目がない前当主だと、その話を聞いても結論は変わりません」
確かにエルシアの行いはよろしくない、だが一方的に責めるという気にもならなかった。同じ野心家として、権力の座に挑んだという向上心には共感してしまうからだ。
「要はメイド長の提案を前当主が受け入れればよかったのです。そうなれば先ほどの、私の妄想が形となって実現できたでしょう。少なくとも、兄弟そろって失脚か戦死よりはいくらでもマシな未来があったはずです」
そうゼフォルはエルシアを励ました。彼女はいつものように元気にゼフォルを叱ってほしかったからだ。けっして不出来な部下である自分に頭を下げてなんかほしくはなかった。
「あまり私を甘やかさないでください……」
「ぶっちゃけメイド長も私を相当に甘やかしてたでしょう?メイド時代、首にならないか心配でしたよ」
「貴女の生きざまは私によく似ていて、エスメルを任せるのに値すると思ったからです」
「急に恥ずかしいこと言うのは反則ですよ……」
真面目な顔で変なことを言うエルシアにゼフォルの頬は少し紅潮していた。やはり似ているのだ。その流麗な銀髪と言い目つきといい、親子というだけでそっくりだった。なによりエルシアはまだまだ若々しく、ふとした動作にエスメルの面影を感じてしまうのだった。
「ま、まぁとにかく、当主にお嬢様、武官に私、正式な母方としてメイド長、いま、ウィルベート家は盤石といっていい布陣を誇っているのです。それを娘から与えられたものだとか言って投げ出すのはいけません」
「たしかに……そうですね」
「自分のせいで虐げられる羽目になった、娘のおかげで過去の夢がかなってしまった。それは辛いことだと思います。ですが今さら降りられてはもっと迷惑です」
「……」
「私もこの命をお嬢様に救ってもらいました。ならばお互い命を懸けるだけ。そうでしょう?」
そう言ってゼフォルは手を差し出した。こんなことで主君の母親と握手するなんて聞いたこともない。しかしどうしてもやりたかった。
エルシアがこのことをゼフォルに相談したかったのも理解できる。気質が似ているのは言うまでもないが、お互い、弱音だけはここで吐くしかないのだ。エルシアは母親としてただでさえ情けなく娘のエスメルに怒られている。ゼフォルも失敗の叱責はともかく、弱音をエスメルの前で吐くわけにはいかない。
「えぇそうですね。ゼフォル。私はエスメルのためなら命を惜しむつもりはありません」
「その調子です。私だって同じ思いです」
そうゼフォルはエルシアと固い握手を交わした。
「けどゼフォル、忘れないでください。私はエスメルの忠臣である貴女にも命を懸けて良いと思っています。当主の母という身分に逃げてから言うことでもありませんが、あの子の配下でまず死ぬのは私であるべきです。貴女ではありません」
これにて一件落着かと思いきや改まった表情のエルシアからそう言われ、ゼフォルはどうすればいいんだと困惑した。
それでもそんなにも信を置かれた事はうれしかった。