ゼフォルはヴァン・ウィルベートから帝都に向けた馬車の中で揺られていた。向かいには東部方面軍総司令官であるエスメルが座り、二人きりだ。最も乗っている馬車は重武装で周囲には多くの兵が護衛していた。
「……」
「……」
2人きりなら何かとゼフォルが突っかかってギャアギャア騒いでいたが、今日はやけに静かだった。先日、話したエルシアの会話がどうしても思い出してしまうのだ。
あんな話されても、いまさらというだけだ。そのはずなのになぜか距離を測りかねていた、しかし今はそんなことよりも帝都へ向かう理由の方が大事だった。
エスメルはいまや公爵家当主、そしてついに帝国軍人としても一つの頂点に達しようとしていた。
「お嬢様、この度は大将へのご就任おめでとうございます」
「今日で三回目よ。それ」
「……」
そうエスメルは帝国軍大将に就任しようとしていた。その受勲式で帝都に向かっているのだ。いまだ公表されていないことではあるのだが、上層部ではすでに公然の秘密となっていた。
大将と言えばかつては帝国軍の最高階級であった。それより上の元帥の座が皇族による名誉職であり、実質的に軍人としては大将が最高位だったのだ。
今は肥大化する帝国軍をまとめ上げるためにベルズーフが元帥になった。それに合わせて空いた大将の位に座ることになったのが二人いる。そのうちの一人がエスメルだったのである。
「けど与えられた階級の分、成果を出さなければならないわ。今になっての大将への昇格、これはどういうことか解っているでしょう?」
「えぇもちろん。ついに始まりますね、王国への攻撃が」
ハルード奪還というわかりやすい戦果があっても、中将から上がらなかったエスメルの階級が上がったのは、様々な理由がある。
まず、エスメルは東部方面軍総司令官に就任することで東のウィルベート家これにありと帝国中に知らしめることができた。改革で元気をなくしたとはいえ、古い貴族たちにはわかりやすくウィルベート家が復活したように映ったはずだ。それによるエスメル自身の影響力の増大がまず一つ。
そして最大の理由はいよいよ王国との決戦が近いということだ。帝国の国力はここ数年で大きく増大した。バルグリフ陛下が中央集権を推し進めた結果である。特に軍事力に関しては目覚ましいものがあり、北と南を片付けた帝国が自由に動かせる兵力は爆増していた。
対して王国は度重なる戦いの傷が癒えきってない。
いよいよ帝国は圧倒的な軍事的優位をもって王国に決戦を挑もうとしている。それの指揮を取らせるために戦果著しいエスメルを大将にしたのだ。
「報告書はもう読んである。けどそれとは別に貴女から見て王国はどうなの?」
「最早かつての力は残っておりません。帝国が全軍で……いや、うまくやれば我ら東部方面軍だけでも決着をつけられるでしょう」
「絶対にやらないわよ」
少しふざけるように言うと、エスメルはジト目で咎めてきた。だがゼフォルは半分は冗談だが半分は本気だった。今の東部方面軍の充実ぶりはすさまじい、悪くいってしまうが、オドールが総司令官であったころとは雲泥の差だ。絶対にないのは分かっているがエスメルがその気なら全力で成し遂げるつもりだった。
「とにかく、王国と帝国本気でやりあえば勝てる。そうよね」
「その通りです。私は油断も増長しているつもりでもありません。王国から入ってくる情報を精査したうえでの結果です」
「いよいよ王国との戦いも終わりね……」
感慨深そうにエスメルがそうつぶやいた。やはり根はまだ若い少女だ。自分の故郷が襲われることで始まった激動の戦乱が終わることに心底安堵している。
だがゼフォルは素直に同意できなかった。先日のエルシアとの会話から、自分に何ができるかを考えていた。エルシアの役割はもうあれで終わってしまったのだろう。あとは母親として、公爵家を支えていればいいはずだ。
「はい。長かったようで、短かかったようにも感じます」
「私には十分、長く感じたわ。戦争が終わったら何をしようかしら」
エスメルは何げなく言ったつもりだったのだろう。しかしなぜかその言葉が体を重く貫いた気がした。戦いが終わればゼフォルはただの顔がいいおさぼりメイドだ。戦争さえあればあらゆる勝利と栄光をエスメルに捧げることができるが、なければ精々、エルシアから習ったお茶くらいしか提供できない。それでは凡百のメイドと変わらない。
「私はそうですねぇ。お給金がいいですし、またお嬢様の専属メイドに戻りましょうか」
何気なくつぶやいたつもりだが、ゼフォルの内心はかなり屈折した感情を抱えていた。このまま終戦後も帝国軍にいれば一生は安泰だろう。しかし戦いもない世界で軍属を続ける気にもなれなかった。それ以上にエスメルと離れたくなかった。それだけじゃない。一番の家臣でもありたかった。
しかしこのゼフォルをしてそれは贅沢な夢だった。今はまだ戦いがある。だからゼフォルはエスメルの一番でいられる。しかし己は内政に精通しているわけでもない。平時では能無しなのだ。
「いいわよ」
「へ?」
「あなたが専属メイドを続けてくれるなら、歓迎するわ」
「い、良いんですか?」
「なんか不都合でもあるの?」
「ほ、ほらメイド雇うのならメイド長がいますし……」
「あなたの中で私はいつまでも母親をメイドとして侍らせてると思ったの?それに当主の母親と正式に認めたばかりよ」
そう言われてゼフォルはハッとなった。色々教え込まされすぎてどうしてもエルシアはメイド長というイメージがついてしまうのだ。
「わ、私って、メイド業務はすぐサボっちゃいますし、戦いが終わったら活躍もできませんよ」
「はぁ全く……あなたは私がそんな薄情に見える?」
「そ、そんなことはないですけど」
うろたえながら答えるとエスメルは真っすぐ視線をゼフォルに向けた。少し、いやかなり恥ずかしかった。
「ゼフォル、まだ私は自分を若輩者だと思っているわ」
「公爵家当主で帝国軍大将のどこが若輩者なのですか?」
「黙りなさい!まだ私は小娘よ、そう割り切れないこともある」
そう言ってエスメルは少し顔を赤らめて言った。
「貴女がいなくなったら寂しいわ」
「へ?」
「だから寂しいって言ってるの!小さいころからずっといるのに!」
ゼフォルの頭の中でエスメルの言葉が反芻される。どうしても目の前の少女の重苦しい肩書と声に出した言葉が乖離していたからだ。
しかし彼女が昔みたいに甘えてきただけだと気が付くと、それが嬉しくて、抱きしめてしまった。
「ちょっ⁉ゼフォル⁉」
「ちょっと殺気がしましてね、暗殺者からかばっています」
「嘘つきなさい!」
抱きしめてすぐ、ゼフォルも主人に何をやっているんだと羞恥心が襲った。それを誤魔化すように到底誤魔化せるとは思えない下手な嘘を吐いていた。エスメルだって一流の武芸者だ。殺気などしていないとすぐ気が付いただろう。
「まったくもう!」
「す、すみま」
「やめていいとはいってない!」
「えぇ⁉」
エスメルは昔のようにゼフォルについて回っていた少女ではないのだ。流石にまずいと思って離れようとするが、そうするとまた怒られた。
「いい!貴女からやって来たんだからね、私じゃなくて貴女が甘えんぼさんなんだから」
「ま、まぁはい」
「しばらくこうするのを許可するわ」
エスメルはそう言うと、返すようにゼフォルの体に手を回した。
「えぇ。そうですね……」
なんでこうなったのかははっきり言語化できない。しかしゼフォルもこの一時を楽しむことにした。
「今日、こうして集まってくれたことを喜ばしく思う」
イスペリア帝国、首都イスペラント、その中央にそびえる帝城の大ホールにおびただしい数の文官、武官が集まっていた。いま行われているのはただの朝儀などではない。常に帝城で働いている家臣団以外にも、帝国各地から重鎮が集められていた。ゼフォルも、東部方面軍総司令官の最側近として末席に名を連ねていた。
広い謁見室が、狭いと錯覚するほどの家臣たちが集まっている。しかし彼ら一人一人が帝国の歯車にして趨勢を決めるといっていい、優秀な能力を持っているのだ。そんな大勢からの視線を向けられながら玉座に君臨するのは今世の英雄といっていい、帝国の君主、バルグリフ・エスカロン・イスペリア。彼は並みいる家臣らの前で宣言した。
「諸君らの献身と活躍によってイスペリア帝国は嘗てない強い力を得た。南と北の脅威を排除し、健全化した経済は多くの富と力をこの帝国にもたらしてくれた。もはや帝国は一地域を束ねるだけの存在ではない。この大地を、大陸を統べつつある」
そうバルグリフ陛下は力強く宣言した。権力者にありがちな曖昧な答弁などでは決していない。これこそが天命と言わんばかりの気迫と覚悟が見て取れた。
「一方で、わが国の長年の宿敵、ロッソ王国は諸君らの奮闘によってその力を落としつつある。これはまさに千載一遇の好機だ。我が忠勇なる帝国の臣民諸君よ、バルグリフ・エスカロン・イスペリアは誓う。余の代で王国を倒し、この大陸を統一すると」
それはある意味、帝国にとって力強い宣言であり、同時に後戻りできないものでもあった。こんな公の場で放った宣言など、貴族の伝い手やら民の噂なんだので一瞬で大陸全土にまで駆け巡るだろう。一国家が一国家をこうも明確に制圧するなどという宣言は長いこと睨み合いが続いたこの大陸で聞いたこともない。
平時ならすぐさま、外交的に不利だの、相手に攻撃のタイミングを教えるだけだので、批判の的になるはずだ。
だがこの場にいる帝国の家臣団に文句を言うものは一人も現れなかった。むしろやってやらんとばかりの静かな熱気が場を支配しつつある。皇帝陛下の御前だから誰も物音1つ出さないが、もしそうでなければ今ごろ帝都中に響かんばかりの雄叫びがなっていたはずだ。
ゼフォルにしてもそうだ。エスメルの付き添いとはいえ、この歴史的場面に居合わせることに成功していた、きっと後世に伝わる立派な絵画の片隅にクール美女が描かれることになるだろう。それはおいておいてこの宣言を妥当だとも思っていた。今の戦況を考えれば、皇帝陛下の御言葉はきっと実現するだろう。
「それを成し遂げるため、今日、二人の忠臣を昇進させたいと思う。ベラムト・ジークフリット中将、エスメル・ウィルベート中将、両名は前へ」
バルグリフ陛下に呼ばれて二人の将官が前へ足を踏み出した。その容貌は余りにも正反対だった。かつて天才ベルズーフの後任として北部方面軍総司令官を勤め、ついには北部蛮族の殲滅を成し遂げたベラムトは、相も変わらず年齢を感じさせぬ頑健な体付きをしており、豪華な将校服を纏ってなお、その重厚さは際立っている。
一方の言わずと知れた東部方面軍総司令官のエスメルは、流麗な銀髪に化粧によって残っていた幼さは鳴りを潜め、刺すような美貌だけが際立って残っていた。ゼフォルよりもわずかに高いスラリとした長身を将校服で着飾っている。
北方の老将と、東方の女性将校、まさに正反対といっていい、しかしその威風纏った様は帝国軍将校の鏡であった。
「ベラムト中将、貴官は我が帝国の宿将として、長年にわたり仕えてくれた。特にあの北方の蛮族どもに戦い続け、遂に滅ぼしつくしてくれた。その功績に報いるためと、来るべき決戦の為、帝国軍大将に任ずる」
「拝命いたします」
そうバルグリフ陛下は自らの手で、ベラムトの胸元に大将の階級章をつける。同時に万雷の拍手が上がった。
きっとベラムトは幸せなことだろう。その経歴といい、風貌といい、軍人一筋の人生だったはずだ。皇帝陛下直々に軍の最高階級に任じられるなど、長い軍人人生が報われたことだろう。
残念ながらゼフォルはあの場に立てない。あの時、もし独力で王国を滅ぼせばチャンスがあっただろうが、そうではないのだ。だがそれでもよかった。
自分の事のように喜べる主君を持てたからだ。
「エスメル中将、貴官はその若さで、あらゆる激戦区を戦い抜いてくれた。若手の星だと思っていたが、いまや帝国軍人として、いやすべての臣民たちの星といっていいだろう」
「光栄です」
「貴官はまだまだ若い、私だけではなく、同年代のユースクリフにもよく仕えてやってほしい。そして来るべき決戦に備え、帝国軍大将に任じる」
再び会場は万雷の拍手に包まれた。ゼフォルもベラムトの時以上、いやこの場の誰にも負けないような勢いで手を叩いていた。別にベラムトが嫌いなわけではない。エスメルが大好きなだけだ。
エスメルが大将になると聞いたときから、内心興奮しっぱなしだったが、こうして多くの家臣らがそろう場で、皇帝陛下自らの手で任じられる姿を見ると何十倍もの実感がゼフォルを襲っていた。
ついにあのかわいい教え子が、帝国軍の最高階級を得ることができたのだ。軍の拡張によってベルズーフが元帥の座に上がったため、実質的には序列二位だが、少し前まで最高階級だったのだ。
エスメルの年齢は間違いなくこの場の誰より低い。さらに少数派の女性だ。確かに公爵家という家柄はあった。しかしそれも口を開けて待っていたのではなく、エスメルが勝ち取ったものだ。かつて離宮に押し込められていた小さな少女は、帝国軍を代表する大将にまでなっていた。
ゼフォルでも届かなかった。エスメルの母親であるエルシア、彼女もまた公爵家の全てを狙った野心家ではあったが、エスメルはその野心すら飛び越えた存在になりつつある。
たまに思うときがある。ゼフォルやエルシアだって怪物的な能力を備えた存在だったはずだ。それでもエスメルの成長ぶりに及ばなかった。エスメルが2人を超える能力を持っていると結論づけてもいいが、それにしてもあんまりな差だ。一体何が違ったというのだ。
「前例はないが、帝国軍は二名の大将を迎えることになった。両名は元帥であるベルズーフをよく助け、帝国に勝利をもたらしてほしい」
「「御意!」」
『イスペリア帝国万歳!ベラムト大将万歳!エスメル大将万歳!』
皇帝の言葉にベラムトが厳めしい声で、エスメルが流麗な声で是と返す。それによって場の熱気は最高潮達し、ついに帝国と二人を讃えて万歳三唱が行われる。同時にゼフォルの内心も最高に燃え上がっていた。
ゼフォルの階級など、この場では末端でしかない。しかしエスメルはそうではない。文官も集うこの場では厳密な序列は決めることはできないが、武官だけでいうならば、明確な上は二人しかいない。
まず帝国法で役職もなしに無条件で軍の最高司令官と位置付けられている皇帝陛下、そして今回は主役ではなかったので目立たなかったが、ずっとバルグリフ陛下の傍に仕えていたベルズーフ元帥、その次に大将であるベラムトにエスメルだ。軍歴の差でベラムトの方が上といっていいかもしれないが、それは人間の普遍的な価値である年功序列がそうさせているだけで、厳密にいえば、二人は対等だ。つまりエスメルの上にはあと二人しかいない。
ゼフォルは自分の合わせ鏡のようなエルシアの話とエスメルの抱擁を受けてからずっと考えていた。戦争はもう長く続かないだろう。残った時間で自分はいったい何を成して、何をエスメルに与えられるだろうか、その答えがこの場にある気がした。