帝都から帰還したゼフォルはエスメル率いる帝国軍東部方面軍の拡充に追われていた。
これまでの戦力は方面軍本拠地であるヴァン・ウィルベートに本軍3万、最前線であるハルード要塞に2万、帝国東部各地に2万と合計で7万の大軍が在籍している。
しかし今回のエスメルが大将に昇進したことによって3万の増援が与えられていた。
これは何もエスメルだけが特別扱いされているわけではない、同じく大将になったベラムトも元北部方面軍を中心に手が空いた他の方面軍をかき集めて10万規模の軍勢を任されるという話だし、あのベルズーフはその二人を超える軍勢を編成しているという。
王国への最終決戦を見据えた帝国軍最後の大軍拡だった。ゼフォルの予想ではおよそ30万以上の総兵力が用意されるだろう。
「この地形で戦うとき、どのように戦うべきか……」
「この場面で最適な補給路は……」
「風向きが戦局に与える影響は……」
今ゼフォルは、ヴァン・ウィルベートの小会議室一つを貸し切って士官たちへの教育を担当していた。
与えられた3万は、数こそ立派だ。しかし新兵や新任の士官たちが多く、とてもではないがすぐ前線に繰り出しても役には立たない。
窓からは熟練兵の大きな号令と、新兵の悲鳴のような返答が響いている。大多数を占める前線士官や、新兵らの教育は副指令であるクレッチマーが担当しており、ゼフォルは参謀長として士官クラスや、新任参謀の教育を行っていた。
「参謀長、この局面での作戦に関してですが!」
「ショクバ少佐ですか、良いでしょう答えてみなさい」
ある程度の全体指導は終わり、今は個人で課題をこなさせているところだ。そこに新任の参謀の一人が答案を提出してきた。彼は新任の参謀らの中でも成績がいいと評判だった。
「参謀長の課題である山地に細い街道がある地形の防衛ですが戦力の絶対数がたりないです!ここは援軍を請うか、撤退すべきかと!」
「撤退も援軍も許可できなければ?」
「ならば山地の頂上に陣を構え、逆落としで敵を殲滅します!」
どうだと言わんばかりに答えるショクバだが、ゼフォルからすれば30点程度の回答だった。
「では質問ですが、敵が山を包囲し守りを固めてしまったらどうするのですか?」
「そこは逆落としの威力で……」
「この山には有力な水路もありません、つまり周りを固めるだけで貴方の隊は飢え死にです。それが分かってしまえば敵も逆落としをまともに受けず守勢に入り続けるでしょう」
「むむむむむ……」
ゼフォルの反論にショクバは唸るだけだった。まぁ新任ならこんなものかといいつつも今ゼフォルは指導をする立場なのだ。適切な回答をしなければならない。
「私なら、狭い街道を封鎖します。それだけで敵が多少大軍でもその歩みを止めることができます」
「し、しかしこの戦力では不安が……」
「いいですか少佐、人類はいまだ自然というものをなに一つ制御しきれてはいない。地の利というのは使い方によっては万の大軍を凌駕する。大方狭い街道の守りはともかく、敵が数の利を生かして迂回してくるのを警戒したのでしょう。だから一撃で敵を撃破できる逆落としを選んだ」
「そ、その通りです」
「そこでこの水場のない山こそがカギとなります。ただでさえ山越えなど困難きわまる行為です。さらに水場がないという困難な条件、敵が山をわざわざ迂回する可能性は限りなく低い。よしんば無理をおして越えてきたとしても疲労困憊な少数の部隊でしょう。それも山頂に偵察部隊を置いておけば察知は容易。すなわち撃退も容易ということです」
「な、なるほど……い、いや参りました」
そういってショクバはおとなしく頭を下げた。プライドが高そうだと勝手に思っていたが、意外に根は素直らしい。彼もまた礼儀をわきまえた新任士官なのだ。ならばゼフォルは教官として飴もあげなければならなかった。
「ですが……ショクバ少佐、あなたは誰よりも速く課題を提出しました。そこは高評価です。拙速は巧遅に勝るといいます。特に戦場ではろくに考える暇もないときがあるでしょう」
「本当ですか!」
「えぇ本当です。判断力にかけては合格です。この調子で最適解を導けるようになれば貴方も一流になれるでしょう」
「精進いたします!」
そういってショクバは嬉しそうに席に戻っていった。
その姿をみて丸くなったものだなとゼフォルは思う。かつての東部方面軍副司令官はもっと冷酷だった。西部貴族が相手なら連中の能力に見切りをつけて、指導なんて贅沢なことは一切せず、どれだけ操り人形につなぐ糸を強めるかに腐心していた。
もちろん受ける側も大きく違うのは分かっている。西部貴族とその一派は敗戦したくせにプライドだけは高くて、金を持っているだけの怠惰な連中だった。下手に人生経験を積んでるせいで素直さもない。教育などしたくもない連中だ。
それに対して先ほどのショクバ少佐は少々自信家過ぎるところもあるが、根は素直で、階級が上のゼフォルの言うことを聞いてくれている。
新任とはいえしっかりと士官教育を受けているのだ。だから多少戦術講義が的外れであろうとも必要以上に強く当たる必要はなかった。
それにゼフォルはこれまでエスメルにヘルトアと二人の生徒を持ったことがある。その経験があるからか、多数の生徒を持っても苦ではなかったし、エスメルほどではないが彼らの成長を楽しみにしていた。
しかし、同時に物足りなさも感じてしまった。熱心に参謀たちが紙に一心不乱に書き込む。あいかわらず、外からは兵達の喧騒が聞えてくる。かつてゼフォルは、周りを信じず、その両方を教育していた。
ぶっちゃけてしまうと西部貴族とその兵を教育するのは大変ではあったが嫌いではなかった。金しか取り柄のない馬鹿な貴族を内心で貶す一方で、その部下の兵達には必死さがあった。
西部で負け、東部の王国との最前線に逃げ込んだ彼らは、金のある主人とは違って後がない。破落戸同然でしかないが、確かな勝利への渇望があったのだ。
彼らの底力があったからこそゼフォルもあんな無理な攻勢ができたのだ。帝国内での権力争いの負けを王国から補填しようというあんまりにも低俗すぎる野心だが、それは確かに王国を追い詰めた。エルディムという英雄すら生まれたのだ。
今の生徒たちは優秀だ。しっかりと教育されているだけあって、基礎的なことはできているし礼儀正しい。しかしゼフォルとしては西部敗残兵の必死さと渇望を兼ね備えた獣たちを己の番犬に仕立て上げていたときの方が、性に合っていた。
「全軍!方円の陣を敷けい!」
ヴァン・ウィルベートの城外に広がる平原を、帝国の旗を掲げた軍勢が蠢いていた。ベルズーフが率いる軍勢や、エスメルが率いる東部方面軍の主力には及ぶはずもないが、ちゃんと東部方面軍の将校の号令に併せ、まずまずの練度を持って布陣を敷いていた。
その様子をヴァン・ウィルベートの城壁の上から、クレッチマーと共に調練した兵の動きを眺めていた。
「なかなかの仕上がりではないか」
「しかしまだ粗が目立ちます。左翼と右翼でずれが発生しています」
「ゼフォル参謀長、そう簡単に熟練兵は育つものではない。むしろこの短期間でよくやった方だ」
ゼフォルが辛口に評価するとクレッチマーに宥められた。兵を訓練していたクレッチマーと、士官を育てていたゼフォルだが、今回ついに新兵と新米仕官が一体となった実戦訓練を行っていたのである。
宥められつつもゼフォルもまぁこんなものかと思っていた。自分的には士官たちを一定以上の練度に短期間ながら伸ばしたつもりだったし、兵の様子を見るにクレッチマーもよくやっただろう。それでも、いざ軍勢だった集団行動を行うとなるとやはり難しいものがあるのだろう。
「それよりどうだったかな?士官たちの教官役というのは?才気あふれる貴官のことだ。意外と楽しかったのではないか?」
「は。悪いものではありませんでした」
そう顔を綻ばせながら言うクレッチマーに是と返す。嘘でも何でもなく、ここ数日、人にものを教えてきたが、楽しかった。
正直言って目の前の軍勢を今ここで的確に運用することなど容易いことだ。すべての士官たちにゼフォルの命令にはいと言うだけ仕込んで、ゼフォル自身が全軍の指揮を執ればそれだけで最精鋭部隊といっていい動きをさせることができるだろう。
しかしそれではかつての東部方面軍副司令官だったときの過ちを繰り返すだけだ。何よりこの3万の軍勢は最終的に参謀長であるゼフォルが率いるのではない。東部方面軍への増強戦力として各指揮官に振り分けられるのだ。ゼフォルの操り人形を渡されても困るだろう。
「この調子なら王国の進撃までには良い練度を持った部隊になるだろう。帝国、ひいてはエスメル大将の力になってくれるはだ」
「えぇ……もちろんです」
そう朗らかに言うクレッチマーに、ゼフォルは少し暗い思いを抱いていた。彼の練兵の手腕は疑うなくもない、この短期間でこれだけの練度を上げることができたのだからその手の能力も高いのだろう。その手の能力はゼフォルだって負けていないはずだ。士官連中をそれに負けないレベルで育て上げた自負がある。
そして彼以上に実戦になれば活躍できるはずなのだ。北部蛮族を蹴散らし、ハルード要塞を奪還したゼフォルの手腕は伊達ではない。
だがそれだけだ。ゼフォルはどこまで行ってもエスメルに敵兵の首を捧げることしかできない。しかし目の前のクレッチマーは違う。
彼は将軍としてはゼフォルに劣るが、それ以前に立派な帝国貴族なのだ。それがエスメルの外戚となった。これまで以上に、公爵家の運営に密接にかかわることができるようになった。
それでも、まだゼフォルこそがエスメル一番の臣下だと言うことはできた。王国という外敵がいる限り、ゼフォルは戦果を捧げ続けることができるからだ。
だが、戦争が終わってしまったらどうなるか、戦後は公爵家の実務の本番は内政方面に移っていくだろう。そうなったときに活躍するのはゼフォルではなくクレッチマーだ。彼なら領地をつつがなく納めることだってできるし、他の貴族や皇族との外交だってうまくやるだろう。
一転してゼフォルはせいぜい残党狩りや兵士の調練しかやることがなくなる。そうなったとき、胸を張って自分はエスメル一番の家臣だということができるだろうか?いや、言えないだろう。
「副指令、失礼ですが質問をよろしいですか?」
「なんだろうか」
「戦後、ウィルベート家はどうなるでしょうか?」
ゼフォルにはよくわからなかった。エスメルの功績なら帝国の中でも相当に上に行けるだろうが、どういったポジションに就くかは未知数だったのだ。希望だけなら戦後でも軍隊の多い役職についてほしかった。
「もう戦後の話か、いささか気が早いのではないかね」
「そんなことはないと思うのです。もちろん、王国を侮るつもりは一切ありませんが、帝国の総攻撃を受ければもはやひとたまりもないでしょう。その後、戦後の世界で主君がどう立ち振る舞うべきかを考えるのはいけないことでしょうか」
ゼフォルはそのプライドを隅に追いやりクレッチマーに質問していた。以前なら自分の中で勝手に完結していただろう。しかし今回はエスメルの進退に関わる重要なことだったから信頼しているクレッチマーに質問したのだ。
「……いやそんなことはない。視野を広く保ち、主君の未来を予想する。見上げた忠誠心だと思う。質問を返す形で悪いが、大佐はいかなる役職を考えているだろうか?」
「帝国中央軍の総司令官、もしくはそのまま東部方面軍総司令官に続投、一番の狙い目は王国占領後の駐屯軍の司令官。これらではないでしょうか」
そうゼフォルが言い切ると、クレッチマーは一瞬何とも言えない表情をしていた。すぐにいつもの飄々とした表情に変わったが、ゼフォルは見逃さなかった。
「そうだな。たしかに武功高きエスメル大将ならそのあたりの役職をほしいままにできるだろう」
「そう思いますか。ベルズーフ閣下が元帥に落ち着いた以上、実働部隊の長はエスメル大将かベラムト大将のどちらか、しかしベラムト大将はもうご高齢で戦後は士官学校の校長を希望しているだとか、十二分にエスメル閣下にも目があるはずです」
「そこまで知っていたとはさすがだな」
そう褒めるクレッチマーだが、やはり何とも言えない顔をしていた。
「ではやはりこのあたりの役職が適任でしょうか」
「一理あると思う。だが私としては中央で官僚になる道もありではないかと思うのだ」
「官僚ですか?」
「そうだ。エスメル閣下の能力は軍事だけではなく、戦略や内政にも及ぶ、帝都学院を首席卒業なのだから資格も十分だ。戦後、平和が来るというならばそちらがいいのではないかと思ったのだ」
成程と思う一方で、どうしてもクレッチマーに複雑な感情を抱いていた。ゼフォルがエスメルのことを思って考えているのと同じことをしているだけだ。彼もまた、外戚として真剣にエスメルの将来を考えている。それは嬉しいことだ。武官での出世しか考えて居なかったゼフォルと違って、文官という選択肢を提示するなど、貴族らしい視野を持っていた。
それでも、どうしても対抗心を抱かずにはいられなかった。エスメルが武官として出世すればゼフォルに出番はある。しかし文官の道を選べば、一番頼りになるのはクレッチマーになるだろう。
「しかし大佐、最終的に決めるのは私たちではなく閣下ご自身だ。進言をするのはかまわないが最後は閣下の判断を仰ごうじゃないか」
「えぇもちろんです」
暗い感情がわいてきたゼフォルだが、ここでクレッチマーは話を打ち切る。何となくだが、彼には今の暗い感情が察知されたようにも感じる。完全に気を遣われた。しかしゼフォルもそれに甘えるしかなかった。