「二人とも流石ね。我が東部方面軍に相応しい練度だわ」
「「光栄です」」
ヴァン・ウィルベートの城壁の上でエスメルのねぎらいの言葉にゼフォルはクレッチマーと頭を下げていた。
あの後いくばくかの月日がたって、ゼフォルとクレッチマーは新兵3万とそれを指揮する士官たちを完璧に仕上げ立てていた。隣のクレッチマーとはエスメルの進退で思うところはあったが、それは置いておいて二人で協力すれば、面白いように新兵たちは育っていった。
「あとは実戦経験を積ませるだけかと」
「まぁそうなるわよねぇ、いまの帝国じゃ碌に小競り合いも起きないし」
「アルセリア准将に増員要員として交代で送りましょう」
「いきなりの王国戦だけど、アルセリアなら大丈夫か、許可するわ、ゼフォル」
「はっ!」
そう許可を得ると既にゼフォルにはアルセリアへの指令書の内容を頭の中で描いていた。今のおとなしい王国相手なら、新兵がいても彼女ならうまくやるだろう。
ここでクレッチマーの顔をチラリとみる。いつもどおりの飄々とした顔だがやはり軍務ではまだゼフォルに軍配が上がっていた。
城壁での会話の後、エスメルも休憩の時間に入り、ゼフォルも供をしていた。
「お茶です」
「ありがとう」
いつものように席に座ったエスメルに茶を入れる。彼女にこれだけ距離が近いのはゼフォルだけだ。クレッチマーでもこうはいかなかった。
ある意味これが一番のアドバンテージかもしれない。ただの公爵家の不義の子と仲が良くても誰もうらやまないが、帝国軍大将閣下の側は誰でも羨むだろう。
それを活かして話したいことがあった。しかしどう声をかけていいのかわからず、ゼフォルはいつもの鉄面皮で控えるだけだった。
「……なんか言いたいことでも?」
「い、いえその……は、はい」
「私と貴女の仲じゃない。今さらな何言いにくそうにしているの」
「い、言わせていただきます!」
そうもたもたしてたらエスメルから声をかけられてしまった。
「その、先日戦いが終われば、私を専属メイドに戻していただけると言っていただきました」
「えぇ、言ったわね」
「とてもうれしかったです。しかしですね……」
「何?いまさらいやだっていうの」
そうしどろもどろに言うと、エスメルの纏うオーラが物騒になる。
「ち、ちがうんです!あれは冗談だったといいますか……けど!お嬢様にずっとお仕えしたいという気持ちは変わりません!」
「そ、そう。ならいいのよ」
必死に否定するとエスメルも困惑しつつ、顔が赤くなる。お互いなにを恥ずかしがっているんだと思いつつも、ゼフォルは言葉を続けた。
「私は今、帝国軍大佐です。まだ辞めるには早いと思ったのです」
「確かにそうね」
ゼフォルは現在帝国軍大佐だ。この後の王国撃破の功績で将官を狙えるかといった所だ。もし、帝国軍が戦後、大規模に軍縮を行ったとしても、急に首にはならないくらいの地位はあるのだ。
「けど、軍に所属していても、お嬢様の元にはいたいのです。そこでお聞きしたいのですが、お嬢様は戦後、どうなさいますか?」
「私の戦後か……」
エスメルの戦後の進退はかなり重要な話になる。ゼフォルやクレッチマー以外にも気にしている人物がいることだろう。帝国軍大将という階級を抜きにしても、公爵家にして皇帝の信任厚い存在なのだ。その存在感はゼフォルなんぞよりも数段重い。
「あまり考えていなかったわね。今の地位になるまでは必死に上を目指したけど、もうある意味安定しているわ。帝国軍大将にして東部方面軍総司令官、ウィルベート公爵家として恥ずかしくない地位を手に入れたもの。あなたのおかげよ」
「いえいえそれほどでも……ではなく、お嬢様も戦後を見据えたほうが良いかと思います。公爵にして大将です。身の振り方一つで帝国の趨勢も決まるでしょう」
「言うようになったわね。だけどその通りかもしれない。けど本当に今の私には別になりたい役職はないのよ。皇帝陛下からの決定に従おうと思っているわ」
「それはいけません、お嬢様は間違いなくこの戦争の功臣の一人、何かしら欲を見せないと上も困るでしょう」
「じゃぁあなたは何を求めればいいと思う?」
「私は、お嬢様ならもっと上に行けると信じています。王国を倒したとしてもその占領地は広大です。王国占領軍の総司令官の座など良いのではないかと思います」
そう言ったとき、ゼフォルにこれまでの人生で経験したことのない背徳感が襲った。
今ゼフォルはずるいことをしている。昔から仲が良かった。それだけの理由で外戚のクレッチマーを出し抜いて進言をしている。普段ならそんなことしない。真正面から議論を重ねても圧勝する自信があるからだ。だが今は、クレッチマーの論にも利があると思っているからこんな姑息な手をつかっていた。
まるで穏やかで物欲のないエスメルの野心をどろりと煮えたぎるゼフォルの野心で塗りつぶしているような気がしたのだ。
「王国占領軍の総司令官ね……戦後帝国には必要だし、大変名誉ある役職だわ。私に務まるかしら?」
「いえ、むしろお嬢様以上の適任はいません、長く東部を預かってきたウィルベート家として王国に精通していますし、内政ならクレッチマー、反乱に対しては私とアルセリアがおります。気がすすまないかもしれませんがメイド長を動かせば防諜も完璧です。それにお嬢様の性格なら敵地でも慈愛を持って占領するでしょう」
エスメルならつつがなく王国領を軍事的に占領しきることができるだろう。それにゼフォルだってアルセリアだっているのだ。多少王国軍がゲリラ的に抵抗したとしても問題はないし、そもそもエスメルの手腕なら王国民を刺激することなく平穏に治めることができるはず。
さらに言えば帝国東部をずっと治めてきたウィルベート家にとってロッソ王国は先祖代々の宿敵だったのだ、それの占領できるということはウィルベート家の中でも最高の栄誉だ。すでにエスメルは開祖ピエールに次ぐウィルベート家の英雄であることは疑いもない。ここで占領軍を率いることによって、ピエールすら超えることができるだろう。
「王国を撃ち滅ぼし、その地を占領すれば、先代の仇討ちも、ウィルベート家の宿願もすべてこなせるでしょう。そうなればお嬢様の功績は歴代で最高のものとなります」
「買い被りすぎよ。私なんて貴女がいなければこんなに——」
「ずっと私は傍におります」
熱が入ったように話していると少し落ち着けと言わんばかりにエスメルが謙遜する。しかしその言葉がさらにゼフォルを燃え上がらせた。
多少の無礼は承知で顔をぐいと近づけた。
「ちょ、近いわ」
「お嬢様のそれは謙遜です。先ほど挙げた誰よりもお嬢様が最も優れています。しかしそうおっしゃってくれるならそれはそれでいいでしょう」
実際エスメルの言葉を鵜呑みにしたわけではない、ゼフォルもクレッチマーもアルセリアもエルシアもある分野ではエスメルを超えているかもしれないが、総合値ではエスメルには及ばない。いやそもそも今の帝国にエスメルを超えるものが何人いるというのか。
「アルセリアは私もお嬢様のことも裏切らないでしょう。クレッチマー将軍にいたってはウィルベート家の外戚になりました。そしてメイド長は絶対に裏切りません。それは断言できます。これだけの家臣団をそろえ、本人も優秀な帝国貴族がお嬢様以外にいますか」
すこしうろたえているエスメルにたいしてゼフォルは畳みかけるように言った。今の帝国にエスメルを超える貴族などそれこそベルズーフくらいしかいないだろう。
「強いて言えばベルズーフ元帥ですが、彼は戦後、元帥として帝都を離れることはありません。お嬢様と同格にベラムト大将がいますが、彼は高齢で外地の占領にわざわざ立候補しないでしょう。となればこの重責はお嬢さまが果たすべきなのですよ」
ゼフォルはエスメルのもとで社交界に出席することが多くなった。つまらないと思いつつも、やってくる帝国の重鎮には目を光らせていたのである。それでも今のエスメルを超える貴族はいなかった。バルグリフ陛下の政策で大きな力を持つ貴族は力を削がれていたのもあるし、そもそもエスメルの才能を超える貴族などいなかった。
そう。いないのだ。先日皇太子であるユースクリフ殿下にも会ったが、実戦を経験していない彼自身もその家臣団もこれからといったところでやはりエスメルには及ばない。
「王国占領を私たちをつかって完璧にこなすのです。そうなればきっと——」
「ストップ!少し熱くなりすぎよ」
そのまま言いきろうとするゼフォルだがエスメルが人差し指を立ててゼフォルの唇に当てた。
「あなたが私に出世してほしいのはわかったわ。けど私の気持ちも考えてほしいの」
「す、すみません⁉」
「いえ、いいのよ。それ以上に貴女がわたしのことを大切に思ってくれるとは思っていたから。それに私も帝国に仕えるものとしてそれ位の心構えをしなければと思ったわ」
思い返せば主であるエスメルを置いてきぼりにして燃え上がりすぎてゼフォルは素直に謝った。しかしエスメルも気を悪くしたわけではないようで朗らかに流してくれた。
「あなたの進言、私も無駄にはしないわ。中央から戦後の役職について打診があったら参考にさせてもらうわね」
「あ、ありがとうございます!」
「一旦、難しい話は終わりにして休憩にしましょ、ほらお茶のお代わりが欲しいわ」
「はい!」
幾ばくか、無理に話を変えられた気がしたゼフォルだが、主の命令を無視するわけにもいかなかった。それに伝えたいことは大体伝えたのだ。エスメルは無碍にはしないだろう。その後ゼフォルはエスメルとの二人の時間を楽しんだ。
「はぁぁーっ……」
お茶と茶菓子を楽しんで、ゼフォルが去っていった後、エスメルは豪華な将官用である自分の席に深く座り込み、ため息をつくと頭を抱えて天を仰いでいた。
エスメルだって流石に自分の立場がどれだけ帝国にとって重要なのかは理解している。まさに戦後の話は現在進行形で頭を悩ませていることだった。
基本的にエスメルは上の判断に従うつもりだったのだ。もともとそのつもりだったし、何より中央との温度差を感じるようになってきた。
バルグリフ陛下に採り上げられてからは彼やベルズーフの元で粛々と働いていた。ただただ彼らのために戦果を上げ続けた。だが帝国軍大将になったとき、エスメルに取り入ろうとする人間は随分と増えた。その結果、バルグリフ陛下の子飼いとしての地位はほとんどなくなっていた。
エスメル独自の人脈が出来ていたのである。最初の頃はウィルベート家がかつての力を取り戻しつつあると気にしなかったが、最近になってできてきた中央との距離がエスメルを不安にさせていた。
「本当ならしっかり断るべきだった……」
占領軍の総司令官、その地位自体は魅力的だ。ゼフォルの進言の通り、今のエスメルと優秀な家臣団ならツツがなく統治できるだろうし、公爵家の権勢はさらに強まる。
しかしエスメルはさらに大きくなる公爵家自体が不安だった。なぜなら主君であるバルグリフ陛下の政策に反抗していると言っていいからだ。
エスメルは今の帝国政府を気に入っている。彼らの元で取り立ててもらったし、帝国を任せるにたる優秀さだからだ。
「ゼフォル……貴女なんて顔するのよ……」
本当はハッキリと言うべきだったのだ。今の地位で満足している。中央の意向に従うと。しかし進言するゼフォルの表情があまりにも艶めかしすぎて言い切ることができなかった。
普段、彼女はあんな表情をしない。自分の顔を美しいと言い切るほどにナルシストだがその時はまるで子供が自分のことを可愛いでしょ?とアピールするように純粋な表情で言ってくる。
なのに戦争や出世のことを語るときはいつも同性であるエスメルすらドキリとするような妖艶な表情で語るのだ。
特に今日はとびきり誘うかのような表情でエスメルが占領軍の司令官になるべきと誘ってきたのだ。あんな表情エスメル以外に向けて欲しくないが、生き方が違えばとんでもない傾国の美女になっていたのではないかと思った。
だがそれに惑わされっぱなしでいいはずがない。エスメルはゼフォルが退室した後、別に人を呼んでいた。
幸い決定権はエスメルにあるのだ。自分が間違わなければそのままゼフォルと道を踏み外すことはない。
その手のことでは彼女より信頼できる専門家を呼んでいたのだ。
しばらく頭を悩ませながら待っていると扉がノックされるのを待っていましたと言わんばかりに入室の許可を出した。
「閣下、クレッチマー参上いたしました」
「待っていたわ。叔父上」