入室したのは今や外戚であるクレッチマーだった。相変わらず飄々としていて、どこか頼もしさを滲ませている。
「呼んだのは他でもない。叔父上には相談事があるのよ。帝国軍少将としてではなく、ウィルベート家の外戚として」
「聞きましょう」
彼は一度王国に降伏しながらも今や帝国でも有数の出世頭だ。打診したのはエスメルとはいえ貴族としても公爵家の外戚と破格の地位を手に入れていた。
そしてまさにエスメルが政略結婚を打診したのはこれが理由だった。戦争はゼフォルに全て相談すればいい、しかし家の舵取りという貴族的なことを相談するなら彼が一番だろう。
「先ほど、ゼフォルに言われたわ。私は戦後、どういった役職につくかってね」
「ゼフォル大佐は……なんと?」
「王国占領軍総司令官」
「なるほど……」
そう言うと、クレッチマーはなんとも言えない表情をした。やはり思うところがあるらしい。
「叔父上、あなたも忌避のない意見を述べてちょうだい。脅すつもりはないけど、ウィルベート家が傾けば貴方の家も巻き込まれるでしょうから」
「ではお言葉に甘えて……エスメル閣下、少なくとも占領軍総司令官だけは打診されても辞退するべきです」
「何故……そう思うのかしら?」
本当に忌避なく、率直な意見にエスメルもたじろいだ。しかし言い放ったクレッチマーにはいつもの飄々とした様子もなくあくまで真剣だった。
「エスメル閣下、あなたは傾いた公爵家を立派に建て直しました。ピエール卿以来の傑物。中興の祖と言っていいでしょう。しかし少々建て直しすぎました」
「建て直し……すぎた?」
クレッチマーの言葉はエスメルにとって意外なものだった。自分なりにこのウィルベート家を盛り立てていたつもりで、その手伝いをしてくれたうえに外戚になったクレッチマーにはそれを評価する資格がある。だがやりすぎと言われるとは思わなかったのだ。
「どういうことなの」
「簡単です。今この帝国に力を持った貴族、いや公爵家がいくつあるでしょうか」
「ノースラン大公家があるわ」
「失礼ながらノースラン大公家は確かにバルグリフ陛下のご実家として大公位を得ました。その栄誉は帝国貴族一といえますがほぼ帝室と同化しておりのはや独立した貴族とは言えません」
そう言われて、エスメルはもう一度帝国に存在する公爵家を思い出していた。帝国には東西南北それぞれの地方に一つずつ公爵家がある。北のノースランは先ほどのクレッチマーの説明の通りだ。あとはかつての帝位継承者であるフィリクス皇子の外戚だった西の公爵家だが、彼らは完全にフィリクス皇子と共に没落した。南の公爵家はもともとパッとしない程度の力しかなく、バルグリフ陛下が後継者争いで勝利したときにあっさり恭順したし、南の小国家連合を占領したときに実権すら手放している。つまり残った公爵家は1つしかなかった。
「私……いや、ウィルベート公爵家だというの?」
「正解です。いや正確に言えばエスメル閣下ご自身です」
私と言いかけたときは少々自意識過剰かと思って訂正したがどうやら正解だったらしい。
「国いちばんの公爵家が力をもってなにが問題なのかしら?その力も全て国に捧げるつもりよ」
「もちろん、エスメル閣下の忠誠心はこのクレッチマー疑ってはいません。皇帝陛下もベルズーフ元帥も同じ考えでしょう。しかし今の帝国で、皇室にも並ぶ力を持っているのはそれだけでよろしくない」
「私は帝国を裏切らないわ!」
「話はまだ途中ですぞ」
「……続けなさい」
まるで自分が裏切るように言われてつい声を荒げてしまうエスメルだがあくまで冷静なクレッチマーに頭が冷え、続きを促した。
「バルグリフ陛下の政策で多くの貴族が力を落とし、陛下のもとに仕える官僚や将軍たちが力を持ち始めました。しかしこの時勢で皇族の血を引いているエスメル閣下、貴女だけ大きな力を持っている。これはよろしくない。最近、社交界であまり目立たぬ貴族たちが接触してきたのではないのですか?」
「……いたわね」
「それは良い兆候とは思えません、彼らは陛下に日陰に追いやられた連中、おそらく陛下に対抗する術としてエスメル閣下をあてにしているのです」
「だとしても私が連中の言うことを聞くとでも?」
「いや、聞かないでしょう。あんな小人にエスメル閣下をどうこうできるはずがない。しかしゼフォル大佐ならどうですか?」
「っつ⁉」
「そもそも王国占領軍司令官を勧めたのはゼフォル大佐でしたな」
そう言うと、クレッチマーはなにやら考え込んだ。もともとこの件をエスメルは彼に相談するべきだったのだ。それが早まっただけなのにエスメルは異常に緊張していた。
「閣下はどうなさるつもりですか」
「それを相談するために叔父上を呼んだのよ」
「まずは閣下のお考えをお聞きしたい」
「わからないわ。本当にわからないのよ。ゼフォルも勧めてくれた。だから帝国にもっと尽くすためにこの地位に就いてもいいと思っている。けどそうしたら失ってしまうものもある。そんな気がするのよ」
「その憂いは正しいものです。閣下が占領軍の総司令官に就任すれば、時期にバルグリフ陛下の陣営にいられなくなります。閣下のお力が強くなりすぎるのです」
ズカンと、頭を殴られたかのような衝撃がエスメルを襲った。クレッチマーはエスメルが感じていた悪い予感をこの上なく言語化して叩きつけてきたのである。
「閣下はもはや、帝国の英雄にして重鎮、武官に限ってはベルズーフ元帥しか上にいる者はいません。そして彼らの中で最も若く、なによりその身には皇族の血すら流れているのです。それが王国の地という地盤を手に入れればその力は飛躍的に伸びるでしょう」
「そんな上手くいくとは思えないわ」
「そう思わせるだけでも十分なのです。いや、閣下は自分のお力を過小評価しておられる!おそらく現皇太子であるユースクリフ殿下よりも英雄エスメル・ウィルベートを支持しようとするものは多いでしょう。なにより貴女にはゼフォル大佐という決して裏切らない最強の懐刀があるのです。彼女を利用すれば王国の地で割拠することも可能です!」
そう声を荒らげるクレッチマーについにエスメルは剣を抜いた。そしてそれを容赦なくクレッチマーの首に突きつけた。
「さっきから何が言いたいのかしら叔父上?そんなに私が帝国を裏切るとそう言いたいの?」
もはや長年支えてくれた家臣とも、外戚とも思わなかった。容赦なく首に剣を押し付け、その薄皮に刃を入れた。まるで彼が自分をそそのかしているように見えたのだ。
若いながらもエスメルはいまや帝国を代表する大将だ。しかしそんな彼女の覇気を受けてもクレッチマーはひるまず言葉をつづけた。
「いえ。むしろ逆です。私は自分が思う最悪の未来を予想し、進言しているのです。エスメル閣下どうかそのようなことだけはなさらないでほしいのです」
「なっ——」
突き立てられる刃にも関わず、クレッチマーは席をおりて土下座をした。これにはエスメルも驚き、慌てて剣を引いた。
「か、顔を上げなさい!」
「いえ、私はこれからウィルベート家の栄光ではなく帝国の平穏について進言いたします。お家のために質問なさっている閣下の信頼を完全に裏切るものなのです!」
「その私が許可をする!顔をあげて話を続けなさい!」
そう言い切ると、やっとクレッチマーが顔を上げて席に座りなおす。この数分だけでエスメルは焦りっぱなしだった。
「ありがとうございます。先ほど言いましたが、エスメル閣下が王国の占領軍の総司令官になること、これは長年帝国東部を治め、王国と対峙し続けてきたウィルベート家にとってはこの上ない栄誉です。しかし帝国にとっては最悪といってもいいです」
「さ、最悪って……」
「いえ、最悪です。さきほど言ったように今皇室に対抗できる貴族はエスメル閣下しかいません。それが基盤にするにはもってこいな王国の占領軍を率い、帝国に残る皇族に反抗的な貴族の支持を受ければ独立国家すら作れます。もちろん、エスメル閣下にそんな気はないのは分かっていますし、バルグリフ陛下も無策ではないでしょう。しかしその役職に就くだけで確実に火種は残ります」
エスメルは帝国に歯向かうことなど考えたこともなかった。それでもクレッチマーにこうも丁寧に、鬼気迫る表情で説明されれば理解はできてしまう。エスメルがこれまで積み上げていたものそれ自体が凶器になりつつあるとそう言うのだ。
「そして万が一、この火種が燃え上がってしまえば最悪です。エスメル閣下にゼフォル大佐が率いる軍団はおそらくベルズーフ元帥にも対抗できるでしょう。そうなればイスペリア帝国にとって最大の国難といってもいい、フィリクス皇子や北部蛮族、いや今の王国すら超える脅威になるでしょう」
そう言われて確かにと思ってしまった。こうなったらゼフォルは嬉々として帝国に攻め込むだろう。エスメルためにだ。
彼女とて帝国に愛着がないわけではないだろう。しかしあの溢れんばかりの征服欲とエスメルへの忠誠を考えればその天秤は一瞬で後者に傾く。それだけ彼女は自分を気に入っている。
しかし納得したからこそエスメルはショックだった。公爵家を建て直すために、ゼフォルの主に相応しくあるためにこまで頑張ったのだ。しかしこの結末はそれらの全否定といって良かった。
「それを……それを聞いて私はどうすればいいの⁉帝国の為に尽くしたのに。いつの間にか祖国の驚異になっていたなんて!」
「若い閣下にはお辛いでしょう。こんな処世術、本来はもっと年齢を重ねてから得るもの。しかしそれだけウィルベート家が帝国内の均衡を破っているということです」
「じゃあなに!私は爵位も階級も捨てて引退しろってこと⁉」
「その通りです」
「なぁっ⁉」
クレッチマーはいまやウィルベート家の外戚なのだ。エスメルの凋落は彼の地位も落とすことになる。そう思って意趣返しをしたつもりだが、彼は即答をしてきた。
「これまでの私の予想ももしかしたらただの杞憂なのかもしれません。しかし臆病な私はこの処世術だけを頼りに生き残ってきました。そして次は絶対に身を挺しても進言をすると決めていたのです」
「……まるで一回進言をしなかったことがあるみたいな言い方ね」
「そうです。私はかつてオドール閣下率いる東部方面軍に所属していたとき、王国攻撃を進める当時少将だったゼフォル大佐に私は何も言えませんでした」
「そうか、そうでしょうね……」
確かに納得がいった。エスメルは自分を欲が少ないと思っていた。最悪、ゼフォルだけ傍にいてくれればいいと思っていたからだ。だがいつしか彼女に相応しい主君になるため、強欲になってたのかもしれない。そんなエスメルも今、進言を受けて怒ったのだ。それより強欲だろうゼフォルなら怒るどころか切り殺されるだろう。
「ゼフォル少将を止められなかったからこそ次は必ずどんなことでも進言をすると決めていたのです。その機会が今でよかったとすら思っています。エスメル閣下に忠言ができたのならゼフォル大佐にも顔向けができるというものです」
「……わかったわ。もう遮ったりしないわ。なら私は戦後どうすればいいの?」
「少なくとも、軍は引退した方がいいでしょう。せめて官僚なり、法衣貴族などの帝都勤務の文官になるかいっそノースラン大公家のように名誉職を受けて、実務的には引退してしまうことです。さすれば必ずバルグリフ陛下もベルズーフ元帥も悪いようにはしないでしょう。帝国の英雄として隠遁生活を送ることができるはずです」
「そう、ね……一応聞くけど叔父上、私を引退させたい誰かの回し者ではないでしょうね」
「閣下やゼフォル大佐のようなものならともかく、私のような小物、誰も相手にしません。ただの臆病者がウィルベート家も帝国も双方の平穏に暮らせる未来を想像しただけでございます。数年は閣下のことをその若さで出世をあきらめたものと嘲笑するものはいるかもしれませんが、きっと後世では英断だと評価されるはずです」
そう言われてエスメルは目を閉じてしばし考えた。すこし初心に帰ることができたのかもしれない。
帝国に背く気はエスメルに一つもない。そしてゼフォルも一度、専属メイドに戻るのを了承してくれた。ならこのまま自分も引退してもいいかもしれない。もはやウィルベート家の名誉は回復しきったのだ。だれもケチはつけることはない。むしろ無用な火種を残さなかったと開祖ピエールも喜んでくれるだろう。
「クレッチマー叔父上、進言感謝するわ。言われなければ私は今の立場の危うさに気が付かなかった」
「いえいえ、エスメル閣下なら時期にお気づきになれたでしょう」
「そう?でもまぁいいわ。ウィルベート家の家長として私は戦後、要職を退く。それでいい?」
「もちろんです」
そう深々と頭を下げるクレッチマーの姿にエスメルは満足した。幸運に恵まれてゼフォルという忠臣を手に入れたが、どうやら彼女以外にも忠臣を持てたらしかった。
ゼフォルという家臣を拾えたのはまさに運命だった。しかしクレッチマーは自分がここまで公爵家を建て直さなければついてきてくれなかっただろう。ある意味自分の功績によって彼を外戚に出来たことを今まさに感謝していた。
この話で嵐の前編は終わりになります。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
次章も明日から投稿できると思うので、よろしければお楽しみください。