閣下、私は覚えています。
共に笑い、共に泣いたあの刹那の青春を。
ロマンを求め、戦車の機能美を追求し、細部のデザインで意見をぶつけ合う閣下たちを見るのが好きでした。
どこで作られたものかもわからない無骨な戦車が闊歩しているのを見る度に、あの日々を思い返して胸が痛くなります。
時折無力化して身を隠すために戦車の中で過ごすときには、一度だけ同じ戦車に同乗させていただいた時の閣下の横顔を思い出して過ごしております。
そんな懐かしい回想をしているうちに、視界の奥に情報部の建物が見えてきました。
情報部の建物は不用心にも私の侵入を拒まず、結果的にその懐まで私は容易に足を運ぶことが叶いました。
今の情勢ではそういった面倒な手続きは不要だと断じたのか、あるいは手が回っていないのか。どちらにせよ、良くない兆候だと思われます。風紀委員会が免疫だとすれば、情報部は脳を動かす血液。そこが害されることに対して何も手段を取らないというのは、ゲヘナを思う身としてはなかなかどうして受け入れられることではありません。
情報部と外界を隔てる鉄の扉は、不愉快な金属音を響かせながら、しかし何の障害もなく開きました。来るもの拒まず、ということなのでしょうか。強盗だったらどうするのだろうかと考えずにはいられません。
そうして情報部の建物内へと足を踏み入れた私を出迎えたのは、私の同学年、以前より付き合いのあった顔見知り。
「お前、逃げ延びてたのか」
「ここに来るまでに少し戦いはしましたがね。彼女には出くわしませんでした」
「運が良かったな。お前がいたとなれば飛んできそうなもんだが」
「まさか。私なんて彼女の眼中にもありませんよ」
「そうかねぇ。『閣下』の仲間なんて一番アレの気を引きそうなもんだが」
私を嘲るようにそんなことを宣う目の前の人間は、脱力したように机の上に片腕を投げ出してその上に頬を預けるような体勢のまま私を出迎えます。こいつが私に対して舐めた態度を取るのはいつものことですが、今日ばかりは許してあげるとしましょう。今日は喧嘩をしに来たのではなく、情報をもらいに来たのですから。
そっちこそ、という言葉は返しませんでした。
「うちは機能停止状態だよ。アレにコテンパンにやられてね」
「そうでしょうね。人の少なさを見れば分かります」
「ここで残っているのは奥の部屋にいる先輩だけだね」
身体を動かすのも面倒なのか、視線だけを最大限奥の部屋の方向に向け、そしてそれが最後の譲歩だと言わんばかりに目を閉じます。
整頓された部屋を見るに、恐らく疲れてしまったのでしょう。瞼を下ろした彼女に聞こえるかはわかりませんでしたが、知人として声を掛けておくこととします。
「……お疲れ様」
少しだけ眉が動いた気がしましたが、確かめる気にはなりませんでした。
ベタベタと靴の裏に張り付こうと精を出す床の上を帰るときも通らなければならないことに気が付いて、早くも道を戻りたくなりつつも、しかしそれでは目的が果たせないため前に進みます。
そうして開けた扉の先に、部屋の隅で一人震えている生徒を見つけました。
「こ、来ないで」
誰かが部屋に入ってきたことに気付いたのか、彼女は頭を抱え込んでぎゅっと体を縮こませ、背中だけで帰ってくれと意思表示を続けます。震えていた声の様子からも、よほど酷い目に遭ったのでしょう。
私が一歩、また一歩とそちらに距離を縮めるごとに跳ねるように体を揺らす彼女を見るのはこちらが悪者になったような錯覚を覚えますが、まずは彼女に安心してもらうことから始めねばなりません。
「あの――」
「イヤッ!」
彼女の肩を叩こうと手を伸ばしたその瞬間、彼女は弾かれるように身を翻してこちらに銃を向け、こちらが制止するより速く目を瞑りながらその引き金を引きました。
こちらもキヴォトスの、もっと言えばゲヘナの人間です。こんなものは挨拶にもなりません。
だからここは穏便に。閣下のように広い懐で応えましょう。
「ご安心ください。私はあいつらではありませんので」
その言葉を聞いてようやく私が敵でないと気が付いたのか、固く閉ざされていた瞳がこちらを向き、その視界に私を捉えます。そして私の制服を見てひゅっと喉を詰まらせて、しかしふるふると頭を振るともう一度こちらに向き直りました。
そこで気が付きます。彼女も気が付いたのでしょう。
我々は互いに、お互いが知人同士であることにようやく気が付きました。
「その服、まだ、着てるんだね」
「ええ、今となっては、閣下との唯一の繋がりですから」
「か、変わらないね。ずっとあの人の事、大好きだったもんね」
「先輩は随分と、いえ、失言でした」
変わってしまいました。目の前にいる少女と、記憶の中にいた快活な少女の姿が一致しません。
何がどうすればこんな借りてきた猫のような状態になってしまうのでしょう。いや、語るまでもないでしょう。閣下とつながりがあった。それだけで、彼女がここに来る理由には足り得ます。それが繰り返される中で、快活な少女の輝きは失われていった。あの事件以降、よくあることです。
「ここに来たってことは、情報部に用があったんだよね」
「そうです。生き残りがどれだけいるか、分かるでしょうか?」
「少ないよ。とっても、少ない。不良に流れた子もいるけど、あの子に捕まった子も多い」
その迷いのない口ぶりから、建物内の惨状にも関わらず情報部としては機能していることが伺えました。
だからこそ、その回答の信憑性は上がってしまいます。再起が難しいことは理解していたはずなのに、それを突き付けられるとこんなに胸が軋むのはどこか楽観視していた自分がいるからかもしれません。
集められる仲間は少数。つまり、我々が知るべき情報の方向性は人数に頼らない戦術です。
「彼女の攻略方法は、何かわかりませんか」
「正直、正攻法ではどうにもならない、と思う」
「彼女に通用する武器が必要、ということでしょうか」
「そうだね、それも必用だと思う」
それも、という言葉を使った彼女の続きの言葉を待ちます。その言い回しをするということは、彼女には別に何か方法があると踏んでいるということでしょうから。
彼女は言い淀みました。
ですが観念したように足元へ目を落とし、絞り出すようにそれを私に伝えます。
「ミレニアムに、『約束された勝利の象徴』と呼ばれるエージェントがいる、……らしい」
なるほど、彼女が言い淀んでいた理由が分かりました。
目的を果たすためだとしても、彼女の情報部として過ごしてきた日々が他学園の力を借りることを良しとしないのでしょう。どれだけ緊急時だとしてもそういった思考が混ざるのは職業病と言うべきか、あるいは現状を諦めていないが故か。
しかし手段を選んではいられないでしょう。
対策の手はいくつあっても困りません。理外の相手と相対することを考えれば、どれだけ備えてもやりすぎということはありません。
「そのエージェントであれば、彼女を止められると?」
「保証はないよ。でも、頼る価値はあると思う」
「……わかりました。まずはミレニアムを訪ねてみることにします」
次の目標が決まりました。
ミレニアムであれば役立つ技術や機械も見つけられるかもしれませんし、選択としては悪くないと思います。
「残っている者たちを集めておいてもらえますか」
「本気で、あの子をどうにかするつもりなの?」
「無論です」
これは、我々がつけるべき
今のゲヘナを作り出した彼女をどうにかしなければ、我々に未来はありません。
諦めてひっそりと生きていくという選択の方が賢いのかもしれません。ですがそんな生き方をしていたら、閣下に合わせる顔がなくなってしまいます。
「わかった。本気なんだね」
「よろしくお願いします」
それから少しだけ他愛のない会話をして、私は情報部の建物を後にしました。
部屋を通り過ぎるときに見た顔見知りは先程と変わらない姿勢のまま眠っていました。
「彼女」という単語を使いすぎてわかりにくかったかも。次回、ミレニアムにて。