閣下、私は覚えています。
あの騒がしくも和やかなあの
閣下を中心に全てが回り、その鶴の一声でキヴォトス中を駆け回ったあの頃を。
秩序を失った市街は見るに堪えず、移動にすら身を隠すことが求められる現状は歯がゆいばかりです。我々が身に纏った制服はその有効性を失い、逆に見つかれば攻撃を受ける始末。
我々を見つけては彼女に差し出そうとする者たちも存在するようで、あれらのせいで我々の同志のどれだけが斃れたことか。
回想をしているところに、アラームの音が聞こえてきます。
ミレニアムのカプセルホテルは初めてでしたが、なかなかどうして悪くないものです。ゲヘナのクオリティと比べるのが申し訳なくなるぐらいには快適で、最新技術によって提供される計算され尽くした休息の空間は、しばらくぶりの快眠を私に与えてくれました。
昨日ミレニアム入りして情報を集めたので、今日から本格的に交渉を開始するつもりです。
エージェントについて聞きまわったところどうやらメイド部、正式名称をC&Cというところに
そんなことを考えつつホテルを出たところで、こちらに近付く影が一つ。
白く丸い無機質なボディを持つ、ミレニアムでは日常に混ざり込んでいるドローンです。
『あなたがC&Cを嗅ぎまわっていたというゲヘナ生ね』
「これは……もしやあなたが『約束された勝利の象徴』ですか?」
『いいえ。そのエージェントは私の部下よ』
その声が聞こえてくるドローンには『AMAS』というモデル名と思われる文字が刻まれていました。戦闘能力はないように見えますが、ここはミレニアム。自爆機能ぐらいはついていてもおかしくありません。警戒するに越したことはないでしょう。
しかし制服姿だったとはいえ、昨日の今日で自分が嗅ぎまわったことが既に割れているというのは、我々と違って組織が機能しているようで羨ましい限りです。監視カメラで私の行動が筒抜けなのか、あるいは私が声を掛けた者の中にこのドローンの向こう側にいる人間のお仲間が存在していたのか、原因は判別できませんが自治機能を喪失していないということがとても羨ましく感じられます。
『ゲヘナの状況は聞いているわ。私たちに手を貸してほしいのでしょう』
「お話が早くて助かります。ミレニアムのエージェントをお借りしたいと思っておりまして――」
『待って。往来で話すことではないわ。場所を変えましょう』
ついて来て、と言い終えた後にカメラの向きを変え、ぐるりとその機体を半周させたドローンの後に続きます。罠かもしれないと少しばかり警戒しますが、そうするメリットが彼女にないことに気付いて異を唱えずに足を動かすことにしました。
所詮はゲヘナのこと。他自治区の政治に口出したい気持ちがあったとて、今の私をどうこうしても意味を持たないことは彼女も理解していることでしょう。
私の想定通り、ドローンは人気のない道を進みこそしましたが、私に危害を与えるような意図は持たず、主人の元へと私を
「お初にお目にかかります。ミレニアムのビッグシスター」
「流石に私のことは知っていたのね。なら早速だけど――」
「おい、ちっとは説明しろよ」
ミレニアムのビッグシスター、調月リオの言葉を遮って割り込んできた存在に目を向けます。
先程からそこにいるのは認識していたのですが、スカジャンを着たチビ、という印象しかなかったので無視しておりました。しかし、今の発言的にはどうやら背丈こそ低いものの立場的には調月リオと対等あるいはそれに近しい場所にいる様子。であれば彼女の存在も我々にとって重要な存在と捉えた方が良いのかもしれません。
そんなことに頭を巡らせていると、調月リオは拗ねたような声音でスカジャンを着た生徒に言葉を投げます。
「今から説明するつもりだったのだけど」
「そいつが到着する前にこっちには共有しとけってんだよ。わりぃな。こいつ、自分の考えてることを他人が自然と理解できてると思ってる節があってな」
「いえ。お構いなく。意図を語らない上司には慣れておりますので」
閣下も多くは語らない人でした。
それが思いつきが多かったからそうなっていたのか、あるいは調月リオのように説明などせずとも通じると思っていたのか、今となっては判別することは叶いませんが、皆戸惑いながらもその指示に諾々と従っていたことを思い出します。今みたいに部下から直接言葉をぶつけられる機会も幾らかあったような記憶はありますが、閣下はそのほとんどを聞き入れていなかった気がしますね。
そんなことを考えているうちに、調月リオが折れたのか一つ大きく息を吐きました。
改めてこちらに向き直り、ちらりと口を挟んできた生徒の方に目を向け、そして語り始めます。
「改めて、私がミレニアム総合学園の生徒会長、調月リオよ。そして、そこにいるのがC&Cのエージェントにしてコールサイン
「彼女が……」
「そういうわけだ。で、あたしは何すればいいんだ? 見たとこあんたはゲヘナの生徒だろ?」
スカジャンのチビ改め美甘ネルが私に向き直りそう言います。
人は見た目に依らないということは閣下の仇敵の存在もあり理解していたつもりでしたが、なかなかどうして人は視覚に頼ってしまう部分があるようです。調月リオと対等な立場の補佐の生徒なのかと思っていたのですが、彼女が私の探していた『約束された勝利の象徴』だったとは。
調月リオは何も言いません。先程の発言からゲヘナの状況を把握しているはずですが、それでも私の口から言わせたいのでしょう。そうすることでようやくゲヘナの生徒から依頼を受けた、という形にできますから。彼女の気質を考えればどちらかというと私の意図を勝手に組んで動いた結果、私から梯子を外されることを恐れているのかもしれませんが。
「ゲヘナに無力化してほしい相手がいます。その対処に、貴女の力をお借りしたいのです」
「へぇ? どんなやつだ?」
「私の方で入手した映像があるわ」
そう言うと、調月リオは彼女の姿を画面に映し出しました。
小さな背丈と左腕の腕章、顔を
映像を見てその脅威を悟ったのか、美甘ネルは私に向かって口角を上げて見せます。
「なるほどな。確かにこれは、アタシじゃないと厳しそうだ」
「勝てますか」
「さあな。やってみねえと分かんねえが、最後に立ってるのはアタシだろうよ」
大した自信だなと思ってしまいますが、それは恐らく彼女がこれまで積み上げてきた実績と経験に裏打ちされたものなのでしょう。『約束された勝利の象徴』なんて二つ名が付くぐらいには確実に依頼をこなしてきたからこその自信。
私では到底持ち得ないものを有している彼女に、少しばかり嫉妬心を抱かないと言えば嘘になります。ですがそんな個人的感情は目的達成に不要なこと。
ゲヘナを取り戻す。その目的が果たされるまでは、私は自身のことなど気にしてはいられないのです。
「で、作戦はなんかあるのか? いつそっちに向かえばいい?」
「――ちょっと待ってちょうだい」
ノリノリでこちらに協力の姿勢を見せた美甘ネルに対して、ストップの声が掛かりました。
その声を上げたのは無論、私と彼女をここで引き合わせた張本人、調月リオ。
私はその意図を理解できましたが、美甘ネルはそうではなかったようで、突っかかるような態度で調月リオに対して疑問を投げかけます。
「何だよ。お前もゲヘナにアタシを派遣するつもりでここに呼んだんだろ?」
「ええ。その予定は変わらないわ。でも、こちらの最高戦力を貸すのだから、こちらにも何かメリットがないと。C&Cを動かすということはミレニアムの守りを疎かにするということを意味するのだから、相応の対価が必要なの。学園間の取引というのはそういうものよ」
「あァ? んな面倒なことが必要なのかよ」
「ええ。それで、今のゲヘナは私たちに何を提供できるのかしら」
あくまでも調月リオは交渉のテーブルに立っただけ。ゲヘナが無法地帯だとしても、生徒会の生徒を無下にはできないという姿勢なのでしょう。あるいは単純に、交渉をしたがっている他学園の生徒を発見したがために呼び寄せただけなのかもしれません。
ですが今はなりふり構ってなどいられません。後で誰に文句を言われたとしても、私が持てる全てを以て手を尽くすのみです。
下手な交渉はしません。一手目で、相手が思わず息を呑むほどの条件を。
「作戦に参加いただければその成否に関わらず、ヒノム火山の調査権を提供しましょう」
「……正気?」
予想通り、調月リオが食いつきます。美甘ネルの方はいまいち事の重大さに理解が及んでいない様子です。
「我々がお渡しするのは調査権です。安全の保障もしなければ、出土品についても関知しません」
「それはつまり、何が出てきても自己責任ということ? それが何を意味するか分かっているの? もしも私たちの調査隊が『アビス』に到達して取り返しのつかないことになったら――」
「――あなたであれば問題ないでしょう、ビッグシスター」
調月リオの言う通り、『アビス』には何が埋もれているか分かりません。トリニティの『カタコンベ』からアリウスが出てきたように、『アビス』からゲヘナ学園に災いをもたらす何かが出てこないとは限りません。
ですが調月リオならば。ミレニアムが誇るビッグシスターであれば。準備に準備を重ねて、鬼が出ようが蛇が出ようが、その全てを蹴散らしてみせるでしょう。
少なくとも、我々が情報部を通じて知っている『調月リオ』は、そういう人間です。
「藪蛇をつつくことになるでしょう。ですが、それぐらいはあなたであれば問題ないでしょう?」
「高く見積もられたものね」
「できませんか。では、交渉は不成立ですね。諦めて、他の手段を探ることにします」
「待ってちょうだい。できないとは言っていないわ」
踵を返そうとした私に対して、調月リオが制止を掛けます。
「作戦が成功した場合、『アビス』調査で緊急事態が発生した場合の対処にゲヘナ学園の力を借りられるようにしてちょうだい。それが私たちができる譲歩よ」
「わかりました。その要求を呑みましょう」
丁度いいラインに落ち着いたのではないでしょうか。
ミレニアムとゲヘナの位置関係ではそこまで影響がないのかもしれませんが、それでも彼女という脅威は排除しておきたいですから。協力しない手はないと分かっているのでしょう。
どうせ作戦が失敗したならゲヘナ学園は終わりです。そうすれば支援もクソもありませんし。
「念のため緊急用の通信回線を渡しておくわ。作戦の連絡は普通の回線で問題ないけれど、ミレニアムも不安要素がないというわけではないの。もしどちらかに問題が発生して作戦に支障をきたす場合、この通信回線で連絡しましょう」
「わかりました。では詳細が決まり次第、こちらで連絡させていただきます」
やることは多い。
もっと戦力と情報を集めなければ。
そう考えて早々にその場を立ち去ろうとした私に対して、後ろから声が掛かります。
「一つ、聞いてもいいかしら」
「何でしょう?」
「どうして、あなたはこんなことをしているの?」
「おい、そういう聞き方はねえだろ」
彼女の言わんとしていることは解ります。こんなことをしても、何も変わりません。
でも、そうだとしても、私は認められないのです。ゲヘナがあんな、地獄とそう変わらない場所になっているのは。閣下が築いた混沌の中に確かな調和が存在するあの日のゲヘナが、もう戻らないと諦めてしまうのは。
それだけは、私が私を許せなくなってしまいます。
「何をしても、閣下が戻らないことは理解しています。ですから、これは言うなればケジメです。私たちの誰かが挑み、それがどんな結果に終わったとて、それを受け入れるしかない。そこそこの立場に居た人間は彼女に顔を覚えられています。皆をまとめられるような人間はもう数が残っていません。だから、私がやるんです」
私の言葉に、二人は押し黙ってしまいます。
思ったよりも単純な解答で興が冷めてしまったでしょうか。私の動機なんて面白くもない、至って普通のことですから。
いいや、でも、本音を語るのであれば。
「ただあの日々を取り戻したい。取り戻せないと分かっていても、諦めたくない。本当のところはただそれだけの幼稚な理由です」
絞り出すように漏れたその本音に、ミレニアムの最強が応えます。
「いいんじゃねえの、それで。さっきの捏ね繰り回した理屈より、そっちの方がよっぽどあたしは好きだぜ。……おいリオ。こいつは情報を一個出したんだ。お前も何か情報を渡してやれよ」
美甘ネルの言葉に調月リオが一度そちらに目を向け、呆れたように息を吐きます。
しかしタブレットに目を落とした後は真剣に渡せる情報を探しているようで、私たちは彼女が口を開くのを待つしかありません。
この短時間でお二人の人となりは理解できました。この二人が組んでいるのは、単に生徒会長とミレニアムの最強戦力、というのが理由ではないのでしょう。合理性と利益追求を調月リオが、人情と目的達成を美甘ネルが担うことで噛み合っている。それをお互いに理解しているからこそ、彼女たちは手を取っているのでしょう。
いいコンビだと、思わずにはいられません。少し気色は違いますが、まるで閣下と彼女を――
「アビドス砂漠。そこで『雷帝の遺産』を見た、という情報があるわ」
「『雷帝の遺産』……」
「彼の人が作った兵器であれば、彼女にも問題なく抵抗できるはずよ」
「おい、ちょっとは相手のことを考えろよ」
「いえ、問題ありません。情報、ありがとうございます」
「もしも我々が動けなかったとき、保険は必要でしょう?」
次の目標が決まりました。
アビドス砂漠に行くならば、ミレニアムである程度準備が必要でしょう。ついでにこの機会にいくつか彼女の対策になりそうな装置も見繕っておきましょう。
「まあ、何て言っていいか分かんねぇけどよ……」
建物から出たところで、美甘ネルから声が掛かります。
案じてくれているのでしょうか。ゲヘナの現状をあの事件を彼女も知っているのでしょう。だからこそ、同情してくれているのだと思います。
ですが、手段は
目的を果たすまで私は誰に指を差されようと、諭されようと、止まるつもりはありません。
だから哀れみの目を、私に向けないで。
「頑張れよ」
その優し気な笑みが、私の思考を硬直させます。
そのあまりの眩しさに、あまりの混じり気の無い善意に、いつかのあの子を思い出して涙が零れてきそうです。
ああ、いけません。折角応援してくださったのですから、何か、返さないと。
「はい、ありがとうございます」
その言葉を受け取ったのを最後に、挨拶してその場を離れました。
ミレニアムでいくつか装置を調達し、情報部の先輩宛てに幾らか送っておきました。
ネルリオを書いてたら文量が増えてた。次回、アビドスにて。