閣下、私は覚えています。
噂に振り回され、様々なことに挑戦したあの日々を。
閣下が人の視線など気にせず、自由気ままに動いていた様を。
私は百鬼夜行で、無数の目に囲まれておりました。
人の目を模した黒い泥。衆人環視という恐怖を体現した百物語。
「出ないの? それ、鳴ってるみたいだけど」
ミレニアムからの緊急回線がおとなし目に鳴り響きます。本来ならば私以外には感じ取れないような微弱な音と振動なのですが、それが可能なのは周囲の目で些細なことも読み取っているからなのでしょうか。
しかし、通常回線ではなくこちらの回線で呼び出したということは、それ即ち作戦に支障が出るほどの何かがあったということに他なりません。
つまりこの回線は鳴った時点でその役目を終えているのです。
「私が通信を行っている間、悠長に待ってくれるのですか?」
「そんなわけないでしょ」
その回答と同時に引かれた引き金に反応して飛び退きます。次の瞬間には、着地地点に次弾が迫っていて、私は顎を狙ったその弾丸を腕で庇い決着を防ぎます。
そのすぐ後に見えたのはこちらに振り切られた足。遅れて左側方に衝撃。建物が瓦礫へと変貌する音と共に、私の右っ腹がダメージを訴え始めました。
何をされたのかすら把握するのに時間が掛かるほどの彼我の差。
早くも百鬼夜行を訪れたことを後悔し始めているかもしれません。
「百鬼夜行の現状は、あなたが?」
「そうだよ。レンゲもキキョウも、ニヤもカホも、……ナグサも、私が殺した」
冷え切った視線が鋭さを増します。逆鱗を踏んだかもしれません。
咄嗟に横に飛んだのは、英断でした。
「チッ」
持っているのはスナイパーライフルのはずなのに、まるでショットガンのような攻撃範囲での攻撃が飛んできました。先程までの獲物を追い立て、痛めつけるような狩りを行う動きとは打って変わって、確実に相手を仕留めようと意思を持った行動です。
私はこれ以上の時間稼ぎは不可能と判断して全速力で離脱を図ります。
彼女――七稜アヤメもこれ以上の引き延ばしは不要と断じたのでしょう。先程までは使うことのなかった周囲の汚泥を動かして袋小路を作ろうとしているのが見て取れます。
本来ならば作戦時に彼女を誘導する用に使おうと持っていた装置を取り出し、煙幕弾を叩きつけると同時に起動します。
「逃げられた……。でも、あっちは確か……。
まあ、精々頑張りなよ。自分自身の手で何かを為そうとする人は、あんまり嫌いじゃないよ」
瞬間的な加速装置。
対戦車を想定していると言っていたエンジニア部の言は間違いなかったようで、こちらに触手のように伸びてくる目玉の泥による追撃を振り切り、突き当りの屋敷まで吹っ飛ばされました。
衝撃で建物をぶち抜いて転がされましたが、あれから逃げ切れるなら必要経費。
そう思いながら上半身を持ち上げたところに、
「へぇ、これはこれは、面白いお客さんですね」
蛇の声が、聞こえました。
目の前には、大量の爆薬。
大規模な爆発。霊体に近しい彼女にはほとんど意味を為さないのかもしれませんが、それでも煙と炎は視界を塞ぎます。視線を感じはしますが、目の前の蛇とは別人のものだという己の感覚を信じ、走りました。
街を抜け、訳も分からないまま雪原を走ります。
それでもいつまでも、どこまでも、視線は消えません。
そして私は、逃げて逃げて、逃げた先で、辿り着きました。
ようやく視線から解放されたと感じて顔を上げた先には、雪の中に桜舞う、
「ここは、一体……」
夢を見ているのか、あるいは既に悲願を渡ってしまったのか、そんなことを想います。
でも後を戻る気にはなれず、私はその石階段を上ります。
「ふむ、ゲヘナからの旅人とは、珍しい客人じゃの」
「あなたは……」
「なるほど、トリニティの予言者の紹介かえ。狐の因子を持つ者同士、引かれ合うものがあったのかもしれんの」
どうやら、私が百合園セイアと会った事を知っている様子です。
この場所の様子も加味すれば、彼女が超常の力を持っていのは間違いないのかもしれません。
「しかし……妾は其方がここを見つけられるとは思っておらなんだ。ここは過去の残滓。過去の光を追う者は過ぎし影が目に止まらぬもの。妾も其方のことを見紛っておったようじゃ」
その難解な言い回しに、頭を巡らせます。
周囲の景色を見ても、ここが常ならざる場所であることは一目瞭然です。見つけられないと思っていたという言からも、きっと誰もがこの場所に足を踏み入れられるわけではないのでしょう。
過去の光を追う、というのは恐らく、私が閣下の影を追っていると言いたかったのでしょうね。その状態の者は既に終わっている物事を受け入れられず、見つけることができない。だから彼女は私がこの場所を見つけることはできないだろうと考えていたようです。
実際、それは否定できる要素はないでしょう。
だからきっと、私がここに来れたのは。
「閣下との日々は眩しい光のような記憶です。ですが、あの
「なるほどの。其方はもう、光に背を向けていたのじゃな」
「そうしなければ、自分のやるべきことが見えないではありませんか」
私がそう言の葉を紡げば、彼女は満足そうにその口角を上げました。彼女のお眼鏡に適ったということなのでしょうか。
「して、其方はなにゆえここを訪れた? ただ百物語から逃げ延びるためだけではあるまいて。それならもとより百鬼夜行など近付かなければ良い話。あのトリニティの予言者から妾の存在を示唆されて、其方は妾に何を問わんとする?」
「……先生は、ここに来られましたか」
「否じゃ。せっかく便りを送ったというのにあの阿呆、あんな半端者にやられおって」
なるほど。百合園セイアからシャーレの先生へ目の前に居る彼女――クズノハの情報が共有されなかったとは考えづらいです。
灯籠祭で先生が百鬼夜行を訪れた際には、彼女を訪ねなかったということになるでしょう。
「先生も焼きが回ったものですね」
「そうさな。シャーレの先生の不在で、忍術研究部は動かなかった。それが天地ニヤを終わらせた最大の要因にして、百鬼夜行の存続の希望が潰えた決定的な要因と言えるじゃろうな」
「……忍術研究部?」
天地ニヤ。陰陽部の部長。彼女は掴みどころのない人物ではありましたが、優秀な人間だったと記憶しています。
彼女が百鬼夜行自治区を終わらせた原因だというのは理解できますが、それに忍術研究部が関わっているというのがいまいちピンときません。
ゲヘナとの交流会で大活躍した、後輩二人におんぶにだっこの珍妙な部活。『忍術』研究と呼ぶよりは『忍者』研究と呼ぶ方が適切な活動内容の彼女たちが、どうして百鬼夜行の運命を握る立場にあったというのでしょう。
そこはよくわかりませんが、百鬼夜行が終わってしまったということは彼女たちにも、もう会えないということ。それはイブキさんが、悲しみますね。
「ほれ、言うてみい? 先生のことなど本題ではあるまい。何が知りたい?」
「私があなたに聞かなければならないのは――」
ゲヘナに戻る道中、放置していたミレニアムからの緊急通信があったことを思い出して、その録音を再生します。
何の音か分からないノイズのような音が入っているのが分かりました。まるで建物が崩れるような大きな音がすぐ壁の後ろで発されているかのような、くぐもった、しかし確実に緊急事態だとわかるような環境音。
『……こちら、ミレニアムC&C、飛鳥馬トキ。リオ様のメイドです』
知らない名前です。が、あの調月リオが不用意に緊急用の回線を自分以外の誰かに渡すとは考えづらいため、本当に彼女から託されたものと考えられます。
その声は息切れしているように掠れていて、どこか悲しみと後悔に満ちていました。
『ミレニアムは崩壊しました。私はリオ様に逃がされてしまいましたが、先輩方も全滅。そちらの作戦に人を送るような状況ではありません』
イヤホンから聞こえるその声に耳を傾けつつ、手元のタブレットで情報の真偽を確かめます。
まずは情報部の先輩へ一報。そしていくつかの報道に情報がないか確認し、ミレニアムの現状が映し出されました。
「これは、無理ですね」
物理法則に反するように渦巻く瓦礫と、激しい戦闘痕。いくら爆発とその修理に長けるミレニアムとて、修復にかなりの時間を要するであろう都市の損壊。これは言うなればあの日古聖堂が崩落したような景色が、ミレニアムの都市すべてで起こっているような惨状でした。
ほどなくして、情報部の先輩からもその情報が入っていると報告が入ります。
ミレニアムが崩壊してしまったことは、もう疑いようがありません。
『「申し訳ない」とそう伝えて欲しいと、リオ様からの言伝です』
「わざわざ連絡させてしまって、こちらこそ申し訳ありません」
わかっています。これは録音データ。
それでも、言わずにはいられませんでした。
ブツリ、と何かがぶつかるような音と共に再生が終了します。私にできることは、連絡役をしてくれた飛鳥馬トキの無事を祈ることぐらいです。
そんなことをしながら歩いていると、通信が入りました。トリニティからの通信です。
『こちらトリニティ正義実現委員会っす! 百鬼夜行との境界付近側に「彼女」が移動してます! 戻ってくるときには注意を――』
「――ええ、見えています。もう発見されてしまったようです」
先程から速度を上げてこちらに近付いてきている彼女を視認しています。
幸か不幸か、私は彼女と邂逅することがありませんでした。こちらが目撃情報をもとに探しても私がその場所へ辿り着くころには既に別の場所に移動してしまった後だったのです。
だから、その大きな車体を見るのも随分と久しぶりのことです。
そろそろ射程圏内でしょうか。彼我の距離は縮まるのみで、私も彼女もまだ動きを見せません。
彼女を止めること。
それが、残された私の生きる目的。
開戦を告げるように、『巡回中』と書かれた板が提げられたその砲塔がこちらを捉え、火を吹きました。
「さあ、最後の仕事を始めましょう。見守っていてください――」
私が最後の一人の幹部として、終わらせますから。
「――マコト閣下」
戦車の弾は原理不明のエネルギー弾として発射され、私のすぐ近くで炸裂します。
砲撃の爆風で崩された体勢を整えながら、私はその車体の中にいる先輩の名前を呼びます。
「必ずあなたを救ってみせます。イロハ先輩」
一応齟齬が出ないように頑張っていたはず。
次回、最終回。この後すぐ投稿します。