公式大会出禁プレイヤー、ジョージ・スケベワークスのDLCエリア転移録 作:幕霧 映(マクギリス・バエル)
「すうー……」
俺は数秒かけて、胸いっぱいに空気を吸い込み、
「はあー……」
ゆっくりと、また数秒かけて吐き出した。
「……リアル外だな。
"空気がうまい"って、こういうのをいうんだな。
生まれてこのかた、東京のコンクリートジャングルから出たことが無かったから知らなかった。
「ログアウトは……無理か。
そもそもインターフェースが出てこなくなってやがる……
フレンドリストも見れないな、これじゃあ……」
先程からなんどもユーザーインターフェースへのアクセスを試みているが、いつもなら視線操作ひとつで出てくるはずの半透明のウィンドウは、まったく応答しない。
……怖いが、最終確認だ。
俺は、腰のベルトからカランビット・ナイフを手にとって、自分の指先にチクリ、と当ててみる。
「いてっ」
すると、
人差し指の腹から、ぷくりと血のドームが膨らむのが見えた。
俺はそのワインレッドの液体を、表情の抜け落ちた顔で見つめる。
「ははは、まじかよ……」
心臓が、早鐘のように脈打っている。
ありえないことだ。
民間のVRデバイスは安全性の観点から、痛覚ならび触覚の再現機能が、厳密な基準で
普段はセーフティがかかっている、とかじゃない。
VRデバイスとそれで遊ぶゲームに、痛みなんてものは器質的に発生し得ないのだ。
だが俺は今、たしかに痛みを感じた。
それの、意味するところは……
「うそだといってよ」
この状況が、"ゲーム"ではないということだ。
「おーい、エーケーさーん!
……れぼさんでもいいよー!?」
返事はない。
俺の叫び声が、むなしくこだまして消えていく。
……あのふたりも一緒に来ているのではないかと思ったが、少なくとも近くにはいないようだ。
「ってか、どこだよここ……
こんなロケーション、知らないぞ……」
きょろきょろと辺りを見まわして、俺はそうつぶやいた。
俺は、サービス開始初週からの古参プレイヤーだ。
オープンワールドゲーとはいえ、『R:E.O.』内ならどこも庭のようなもの──な、はずなんだけども……
マジで見覚えがないんだな、こんな風景。
白い空と、黒い地面。
草木が生い茂り、自然豊かなはずなのに、まったく生命の息吹きというものが感じられない……異様な環境。
「"
いや、それにしては葉のついた植物が多すぎるよな……」
──"ガサッ"。
「ん……?」
ぼそぼそと思い当たるマップを考えていた俺の耳に、なにかが身じろぎするような音が聞こえた。
……右横にある茂みだ。
なにか、いる。
「な……なんだよ、でてこいっ。
かかってこいよコノヤロー!」
"ファイッ!"と叫んで自分を鼓舞しながら、俺は茂みに向かってナイフを構えた。
ゲームの時のスキルとかシステムとか、どのぐらい使えるのかわからんけれども、こちとらレベル100!
カンストアバターの暴力で捻り潰してくれるわ!
『ヴルルルル……』
「ああぁ……ほんとに出てきちゃった……」
──まっ黒い、狼に見える。
ものすごい迫力だ。
"ゲーム"の時の比じゃない。
飢えているのか、舌をだらんと垂らした口からは、絶え間なくよだれが流れ落ちている。
同時に、濃密な血なまぐささと獣ぐささが、俺の鼻をついた。
「本物じゃん……やっぱ無理ぃ……
勝てるにしても、動物殺すとかキツイって……」
そして、すでに腰が引けかけている俺に、追い打ちをかけるように。
その狼の頭上には、とある文字列が浮かんでいた。
【『
「ひゃっ……はあああ!?」
──適正レベル105!?
俺は、あんぐりと空いた口がふさがらなかった。
『
どうなってるんだ、マジで──!
『ヴオオオオッ!!!』
「っ、お──!?」
黒い狼、
そして、俺の首めがけて、その鋭い牙で噛みつこうとしてくる。
俺は咄嗟に、噛みつきを腕で防御する。
すると首のかわりに差し出した前腕に、とんでもない熱が走った。
「わあああ! うわあああ!」
痛い! すっげー痛い!
俺は腕をぶんぶんと振って、噛みついてきた黒狼を振りほどこうとする。
するとなんとか、唸りながら離れてくれたが。
噛まれた箇所はじんじんと痛み、噛みちぎられて出血していた。
『ヴゥゥゥ……』
「はぁ……はぁ……
や、やりやがったなワンコロ……!
実家のハスキーにも噛まれたことないのに……!」
ぼたぼたと、流血が止まらない腕を抑えつつ。
俺は
【残HP:30%以下に減少】
システムボイスが、冷酷にそう告げてきた。
俺のキャラビルドが回避前提の紙耐久なのを差し引いても、ガードに成功してこれとはとんでもない攻撃力だ。
「……なるほど。
ユーザーインターフェイスは開けなくなってるけど、敵モンスターの名称と適正レベル、そして残りHP量のアナウンス機能は、生きてるわけね」
激痛のおかげか、頭が冴えてきた。
これが、紛れもない現実だと、否が応にも突きつけられた。
──やらなきゃ、やられる。
この痛みの先にあるのは、間違いなく『死』だ。
『ヴオオオオッ!!!』
再び襲いかかってきた黒狼。
目を凝らす。時間が遅くなる感覚。
俺は、向こうの牙が触れる直前で──こう念じながら、その場を飛び退いた。
──クイック・ステップ。
回避成功。
やつの牙が、空を切った。
俺はすかさず、
『ヴォ……』
黒狼の首すじに、ナイフの一閃を走らせた。
「……ぐっろぉ。」
切り込んだ首すじから噴水のように吹き出す、なまぬるい鮮血を全身に浴びながら、茫然自失に俺はつぶやいた。
殺しちまった……
モンスターとは言え、動物っぽい姿のものを……
俺が、その事実にグロッキーな気分になっていると。
またもや、先ほどの茂みの中から、ガサガサという音が聞こえてきた。
「っ……」
咄嗟にその音から距離をとり、再び臨戦態勢を取る。
草むらから飛び出して来すぎだろ。ポ◯モンじゃないんだぞ。
【『
【『
【『
血の匂いを嗅ぎつけてきたのか。
先ほどの黒狼と同じモンスターが、群れをなして俺に牙を向いていた。
「モブだったんかーい……」
俺はナイフを構えたまま、じりじりと後ずさる。
あちらも仲間が倒されたのを知ってか、俺の出方を伺っているようで、すぐには飛びついて来そうにない。
──ならば。
俺はくるっと狼の群れに背中を向けて、全力ダッシュで逃げ出した。
戦いは数だと誰かが言ったが、だったら逃げれば良いのだ!
『『『ヴォォォォ!!!』』』
「うおおおお!!!」
後ろに目もくれず、一心不乱に走る。
幸い、いくら全力疾走してもまったく息が苦しくならない。
カンストアバターの脚力が、まるで風のように俺の体を運んでいる。
「は、はははっ……!」
顔を叩く風と、高速道路みたいな速度で流れていく風景が、不思議なぐらい心地よかった。
アドレナリンがドバドバ出ているのだろう。
腕の痛みも感じないし、なんだかハイになっているみたいだ──
「──あっ?」
ふいに、俺の足から地面を踏みしめる感触が消えた。
そして訪れる、浮遊感。
「あ……」
嫌な汗が背を伝い、下を見ると──深淵のような闇が口を開けていた。
俺は勢いあまって、断崖絶壁から、思いっきり空中に飛び出してしまったようだった。
「あっあっあっ」
古いカートゥーンのように、空中で腕と脚をバタバタさせてみるも、現実は無慈悲。
俺の体は、底が見えない断崖絶壁のはるか下へと、落下していくのだった。
「うわあああっ!!!」
やばい、やばいやばい。
HP3割以下でこの高さからの落下ダメージは、死ぬ可能性が高い。
いや……大丈夫、大丈夫だ。
落下死に対する対策方はいくつか持ってる。
息を整えろ。
落ち着いて対処すれば、俺なら死にはしない──!
──
「……え?」
次の瞬間、俺を襲ったのは。
落下の衝撃ではなく──なにか、粘性の高い液体の中に飛び込んだかのような、奇妙な感触だった。
「なんだ、ここ……」
先ほどまで落下していたはずの俺の視界を、ひたすら"黒"が満たしている。
一筋の光もない、深淵の暗闇。
上下も左右もわからない、目がおかしくなりそうなほどの漆黒が、俺の周りを満たしている。
ぬちゃ、ぬちゃ、と。
俺の足が、泥ともなんともつかない粘着質なものを踏みつけるような音が響く。
……まるで、墨汁の海の中にでも入ってしまったみたいだ。
だが、息はできる。
すぐに死ぬことは無さそうだ。
「……んん?」
しばらくのあいだ、闇の中を歩き回っていた俺の目に。
なにか、白いものが映った気がした。
「なんだ……?」
俺は目下唯一の希望である、その"白いなにか"へと、ぬちゃぬちゃ地面を踏みしめて向かっていく。
近づいていくにつれて、その"白いなにか"の正体が──わかった。
「…………」
「──女の子?」
遠目からは"白いなにか"にしか見えなかったそれの正体は。
小さく膝を抱えて座っている、色白の少女だった。
……それも、素っ裸の。
年の頃は、十代の半ばから後半……中高校生くらいに見える。
ぞっとするくらい、美しい少女だ。
ここまで完璧で非の打ち所のない造形が、この世に存在することが、とても信じられないほどに。
その冷ややかな美貌に射すくめられるだけで、心臓に冷たい感触が走る。
ひたすら広がる暗闇の中で。
その少女の白い裸身と、それにかかって映える黒髪が。
そして俺をじぃっと見つめてくる、血よりも
夜闇に浮かぶ月のように、
「……」
「……ぉ、」
じぃっと、少女と視線がかち合う。
一切の感情が欠落した、無表情だ。
惜しげなくさらされた自身の裸体を恥じる様子も、一切ない。
作り物めいた美貌とあわせて、一瞬だけ人形なのかと疑うほどだったが。
裸ゆえにいろいろと見えてしまう、少女の体の生々しい部分が、けしてそうではないことを伝えてくる。
けしからん。
「あーっ、と……あの、ええっと。
俺、ジョージっていうんだけど。」
「…………」
「ここ、どこかなー……って。ははは……
ちなみに、君はいつからここにいるの?」
「…………」
目のやり場に困りながら、俺は少女にそう聞いてみたが。
彼女は三角座りの膝に顎を乗せて、無感情に俺を見つめるばかりで。
なにも、言葉を返してはくれなかった。
……無視、とは少し違う気がする。
そもそも、こっちの言葉が通じていないような感じだ。
顔立ちからして、もしかすると外国人なのかもしれない。
「あー……ええっと。まいねーむいず……」
俺が、カタコトの英語でも試してみようかと思いはじめた、その時──
【『
【……対象とのレベル差が大きすぎるため、情報の取得に失敗しました】
【※警告:
「……おいおい」
ピロンっ、と。
少女の頭上に、とんでもない文章と、聞き捨てならないシステムボイスが響いた。
──人間じゃないどころか、
「…………」
あまりの衝撃にフリーズする俺の内心を、知ってか知らずか。
少女は、その大粒の宝石のような真紅の瞳で、俺を射抜き続けていた。