AT限定先輩は俺とドライブしたいらしい   作:天津乱饅

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車酔いで死んだあと、手癖で書きました。


嘔吐マ?

吐き気がしてきた。ネットでよく見る「オエっとした」みたいな比喩表現ではなく、現実に胃が揺れているのを感じる。

 

「窓、開けていい?」

 

「いいよ。お腹しんどい?だいじょぶ?」

 

暗い車内の中、手探りでスイッチを押し込む。音を立てて開いた窓から11月の風が吹き込む。

なんだか冬らしい爽やかな香りに少しだけ気持ちがほころんだ。しかし、すぐさま生気を奪うような肌寒さがなだれ込んできて、それがややつらい。

 

冷風を浴びることと引き換えに吐き気を誤魔化し切れているかは微妙だけれど、気休めなりに効果があることだと思いたいから、運転席の先輩に向けて少し強がってみる。

 

「あざます。ちょっと、楽になった」

 

半年ほど前に作り直したメガネは俺に似合っていないような気がして、先輩の前では裸眼で過ごしている。ぼんやりとピントのズレた視界では、真っ暗な道路を信号機と先行車のバックライトがやかましく彩る。

 

気持ちが悪いときに、同じような景色は見続けていられない。視覚の変化による刺激が薄れるぶん、より胃の中でうねる今日の夕食を意識させられる。

 

先輩と食べ放題の焼き肉に行く日は、気分が高揚して注文をしすぎてしまう。どうせだったら元を取れそうな牛肉を中心に俺なりの最強一軍部位で食卓を構成するつもりでいたが、先輩が食べているやつがおいしそうに見えて、ふだん手を付けない豚肉を頼んだのがよくなかった。

 

俺の胃は豚の脂身に弱い。

 

お互いに満足いくまで肉を貪ったのち、会計を済ませて先輩の車に乗り込んだところ、ものの2分で揺れる車内は地獄の様相を呈してきた。

 

自宅まで徒歩の行軍を強行すれば2時間はかかってしまう距離だが、もはやそれでもいいのかもしれない。胃もたれと軽微な車酔いがマリアージュを演出する中、鍵のかかったドアを蹴破って車道に転がり込みたい衝動に駆られる。

 

少しの間だけまぶたを閉じて、また開ける。右手を後ろに回してパーカーのフードを揉み、後ろ首に触れる。

そういう意味のない動きが、吐き気をわずかに誤魔化してくれる。

 

幸い、いますぐ嘔吐してしまいそうなほど危機的な状況ではない。このまま、静かに、穏やかに。時が過ぎるのを待つだけでいい。しんどいけれど、降ろしてもらうほどではない。

 

身体がグッと左側に引き付けられる。3カ月前に先輩が自分の軽自動車を手に入れてから、何度もこのあたりの道を通って送り届けてもらっている。

 

そういや、ここ急カーブ。

思わず背を曲げて下を向く。

 

胃酸を伴ってせり上がってくる。

 

「おうっ」

 

住宅街育ちの俺はヒキガエルを見たことがないけど、きっとこんな声で鳴くのだろう。

吐しゃ物は膝の上に着地した。

 

ツナ缶みたいな味の彼らが喉から外へ飛び出していく瞬間は、いつも閾値を超えた不快感とほのかな涼しさが畳みかけてくる。

胃の中が空っぽになってから、先輩の新車の中で嘔吐したことによる途方もない罪悪感が俺を襲う。

 

「うっわ!」

 

「すいません」

 

罪の意識があっても、吐いた直後に言葉は回らない。

 

「いや、すいませんっていうか、さあ!」

 

きっと耐えられるだろうと思ってしまったが、変に強がっていないでどこかで停車してもらうべきだったのだ。子供のころからそういう見通しの甘さはよく指摘されてきた。俺は生きている価値が無いのかもしれない。俺の口から出たゲロも、また俺だ。

 

「すいません」

 

「いや、ええ、もう!とりあえず口ゆすいで!」

 

戸惑いながらも運転を続けるしかない先輩は、右手のドアポケットから7割ほど中身が残った天然水を取り出した。

 

受け取ったぬるいペットボトルは大した手ごたえもなく、するりとキャップが開いた。

優しすぎ。好きだ。これって間接キス?

 

「それあげる!」

 

先輩の厚意に甘えて、水を口に含む。口元の不快感が拭われるだけで、気分はずいぶんマシになった。

 

「助かります」

 

「うるせーボケ!おまえもう二度と乗せてやんないからな!ってか、ソレ掃除しろよ!?」

 

「そんな!掃除はします」

 

尻を浮かせ、後ろポケットからタオルハンカチを取り出す。大部分は俺のズボンが受け止めてくれたものの、車内に散った吐しゃ物も合わせて拭っておく。ある程度こすると、とりあえず見かけは元通りになった。

 

布越しに伝わる感触は控えめに言っても最悪に近いが、どちらかといえば先輩の気分の方が最悪かもな。

しかし、俺の方はなんだか少しだけ爽やかな気分だ。まあ吐き出したからか。

 

「おい、なんでハンカチ持ってたのに吐くとき使わなかった?」

 

吐き気のつらさに思考が鈍くなっていたのか、すっかり忘れていた。

 

「確かに、それもそうですね」

 

「オマエ、オマエさあ!!はぁー!!死ね!!」

 

先輩が叫ぶと同時に、どこかの車両がクラクションを鳴らした。

 

その後、異臭が漂う車内で30分ほど過ごして俺の家にたどり着いた先輩は、うちの玄関からファブリーズをふんだくって帰っていった。

 

吐しゃ物が沁み込んだ服を着替えた俺は、スマホを開いてメッセージを打つ。

今日のことはさすがに申し訳なくて、きちんと謝罪をするべきだと思う。

 

『本当にすいませんでした』

 

『くたばれ』

 

『にどとのせてやらない』

 

『今度メシおごります』

 

『ゆるさない』

 

ダメか。こういうときはラーメンを奢ってあげるとなんだかんだチャラにしてくれるのだけど、そう甘くはなかった。

お詫びについてはまた明日考えることにして、もうシャワーを浴びて寝てしまおう。

 

そんなふうに思っていたのだけど、風呂場を出て髪を乾かし終えた俺を待っていたのは3件のメッセージ通知だった。

 

『むらさめや』

 

『全部のせ醤油』

 

『大盛り』

 

なんと、寛大な御仁だろう。むらさめやは俺の家から車で30分ほどかけた距離にあるラーメン屋で、濃厚な味噌スープで名を馳せる良店だ。先輩はどの店に行っても醤油ラーメンしか頼まないが。

 

『ははー』

 

『仰せのままに』

 

送った瞬間に既読の表示がついて、すぐに返信がくる。

 

『やくそくね』

 

翌日、俺を迎えに来た先輩の車にはファブリーズとエチケット袋が常備してあった。

 

「えっでも、それ、俺んちのファブリーズ」

 

助手席から抗議をした俺の顔面に向かって、先輩は無言でスプレーを吹き付けてくる。

 

車内はフラワーブロッサムの香りに包まれた。

 

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