夕立達が帰港してから
見切り発車トレインが見切りじゃなくなっていく
波の音はない。
爆音も悲鳴もない。
聞こえるのは、規則的な空調音と、遠くで誰かが動く気配だけ。
ゆっくりと、呼吸が胸を満たす。
私達"は"生きてる。
瞼を閉じると、時雨の顔が浮かぶ。
最後に見た表情。
震えた声。
私達を守るために深海棲艦にへと向かって行った背中。
砲撃の光に照らされて遠ざかっていた姿。
逃げる途中、微かに聞こえた爆発音。
──未だに、時雨は帰ってきてない。
胸が痛む。
心臓ではなく、もっと奥。
その痛みは深く、鋭く、拒めない。
「……時雨を……犠牲にして……」
口にした瞬間、世界がひどく静かになった。
否定する声も、慰めも、理屈もない。
あるのは、重く冷たい現実だけ。
生きた。
その結果、大切な人を失った。
──コン、コン
「──入ってくれ」
ガチャリと扉を開ける。
「白露型駆逐艦4番艦、夕立。入ります」
提督は椅子に座り、こちらを見ていた。
こちらを憂うような優しい目で。
「……報告」
声がかすれる。
目が熱くなって、涙が出そう。
「作戦は……失敗しました。
敵戦力は予想以上で、通信も出来ず、被害は甚大……撤退戦に……移行しました」
言葉が喉で止まる。
言ってしまったら、それを認めてしまったような気がして。
「時雨が……囮になって……帰還…できませんでした……」
「……提督!……私が悪いの、あの時。無理やりにでも…!
私が……私が殺しち"ゃった"の………
時雨を"……わたっ…私が───」
言い切る前に、提督がゆっくり口を開いた。
「それは、違う」
「その判断を背負うのは……指揮官である俺だ」
提督は続ける
「だから、自分を責めないであげてくれ」
……涙が止まらない。
提督の顔が涙で見れない。
ぎゅっと提督が抱きしめてくれる。
「報告。ありがとう、夕立。
君も、疲れているだろう。ゆっくり休んでくれ。」
───ツゥ………
涙が一粒、頬を伝った。
それは静かで、音のない涙で…
けれど、その一滴を皮切りに堰は音を立てて崩れる。
呼吸が乱れ、喉が熱くなって。
声を押し殺すなんてもうできなかった。
「……っ、ひ……ぅ……っ……!」
泣いた。
みっともなく、声を詰まらせて。
格好なんてつけられない。
胸に埋めた顔から、涙が止まらず溢れた。
肩が震えるほど泣いた。
体の中にまだこんなにも水分が残っていたのかと、思うほどに。
提督は何も言わない。
責めない。
慰めようとも、無理に抑えようともせず。
ただ抱きしめたまま、僕の震えが収まるのを待ってくれていた。
泣き声が少しずつ呼吸に変わっていき、涙の痛みが静かに落ち着き始めた。
胸の奥の空洞のような痛みはまだ消えない。
けれど——少しだけ、温度が戻った。
僕はかすれた声で、やっと言えた。
「……夕立。生きて、帰って……よかった……っぽい?」
提督はほんの僅かに腕の力を強めて答えた。
「——ああ。帰ってきてくれて、よかった。」
その言葉が胸に触れた瞬間、
また静かに涙が零れた。
──その一言に救われて……
……
……………
『………ぐれ………──こちら、時雨』
瞬間、空気が揺れた。
大淀がヘッドセットに手を伸ばし、提督が振り向くより早く叫ぶ。
「提督!入電です!時雨さんから!」
提督の顔が驚きに揺れ、次の瞬間には命令が飛ぶ。
「!……急いで返答を!」
「はい!……時雨さん、大淀です。聞こえますか?」
数秒の沈黙。
心臓が、ひとつ、強く打つ。
そして——
『大淀!うん、聞こえる…聞こえるよ!』
その声はかすれていたが、確かに生きていた。
誰かが息を呑む音がした。
涙の気配が空気に滲む。
大淀は震える声を押し殺しながら言葉を紡いだ。
「今、どちらに?!」
雑音と風の音の向こうで、息を整えるような間があった。
『今、東シナ海…いや、佐世保近海に入ったね』
答えは頼りなく、それでも十分すぎるほどの希望だった。
提督は深く息を吐き、低く、しかし穏やかな声で命じる。
「よくぞ生きて戻ってきてくれた……!大淀。至急回収のために駆逐艦の子達を集めてくれ。夕立の話からしてかなり疲弊しているはずだ。すぐ向かわせよう」
大淀は通信機に向かい直す。
声にはもう迷いや恐怖はなく、しっかりとした救助の意志が宿っていた。
「はい、提督。時雨さん、今から駆逐艦の子達をそちらに向かわせます。合流し、そのまま鎮守府帰港してください。」
通信機の向こうで、小さく息が漏れる。
それは疲労とも、安堵ともつかない音だった。
『やっと、帰れるんだね……』
その瞬間、周囲にいた者たちの肩がふっと落ちた。
張り詰めていた糸が、静かに緩む。
提督は目を閉じ、ゆっくり言葉を落とす。
「……時雨。よく帰ってきた。
今は、それだけでいい。」
通信越しに沈黙が落ちた。
だがそれは、静かな安堵の沈黙だった。
「そうだ、大淀。夕立達にも知らせてあげてくれ。時雨が帰ってくるって」
フッと提督の顔が笑顔になる。
「はい!伝えておきますね」
………
…………………………
港には湿った潮風と、夕陽に染まる波の光景が広がっていた。
桟橋に足が触れた瞬間、ようやく実感が胸に落ちてくる。
──帰ってきた。
「時雨。ただいま帰港しました」
提督が前に出る。
その隣には夕立。
少し離れたところにみんなの姿がある。
(みんな、寒いだろうに……)
そんなことを思っていると、夕立が駆け寄ってくる。
「時雨……っ!おかえり!!」
胸が熱くなる。
返す言葉なんて、本当は一つで十分だった。
「……うん。ただいま。」
拍手が起きるわけでも、歓声が上がるわけでもない。
ただ静かに、皆が近づいてくる。
その静けさが、何より温かかった。
(長かった。ようやく帰れたんだ……)
時間で見れば、任務自体は決して長くはない。
けれど──
あの夜の闇の中で過ごした数分、数秒。
あれは、永遠にも感じられるほど長かった。
深く息を吐いた時だった。
夕立がきょとんと首を傾げる。
「ねぇ時雨。その子、誰?」
夕立の指を指す方向を見る。
水面からひょっこりと出ている顔。
白い艦長服。
白髪に朱色のインナーカラー。
海風に揺れる髪。
神秘的な雰囲気をまとった、僕の命の恩人。
「……あ、」
(……伝えるの忘れてた……!!)
ハッピーコーンです
5話目、いかがでしたか?
視点コロコロ変えすぎかも……?
夕立、他の子も。みんなお疲れ様
[次回]
【入港】