前回と同じ主人公視点
司令室を出てから
廊下をとことこと歩く。
朝焼けが完全に白くほどける前の、しんと静かな時間。
まだ誰も動き出していない鎮守府は、少しだけ大きな家みたいに思える。
先程より日が上り、窓から光が入り込む。
窓から差し込む光は柔らかく、床に淡い金色の帯を作っていた。
水着に艦長服だけだと寒そうだなと思いながら扉を開け、外に出る。
外気は冷たいけれど、刺すような寒さはない。
潜水艦としての身体が寒さに強いのかもしれないな、と考える。
扉を開けて外に出ると、潮の匂いを含んだ風がふわりと頬に触れた。
風が肌にふきつける。
「……綺麗」
海面が朝の光を受けて、薄い青と金がまじり合って、揺れている。
静かな水音。
鳥の鳴き声。
(今日が始まるんだな……)
そんなふうにぼんやり思いながら、しばらく海を見つめていると──
「あ、天照……!」
背後から、聞き慣れた声。
振り返ると、肩で息をしながら小走りでこちらに向かってくる影があった。
「……はぁ、はぁ。見つけた……」
息を切らしながらも、どこか安心したような笑顔。
「時雨ちゃん?」
「もう……起きたなら起こしてくれてもいいのに。
起きたら天照がいないんだもん。びっくりした……」
泣きそうにも、怒ってるようにも、照れてるようにも見える顔で。
風に揺れる前髪と、朝日に照らされた瞳がきらきらしていて。
──朝の海より、ずっと綺麗に見えた。
「……あれ?私改名したの伝えてなくない?」
ぽつりと呟くと、時雨は「あぁ……」と小さく肩を落とした。
「……探す時、提督室にいるかもって思って……そしたら、
『今日から彼女はSEA-BATから天照へと改名された。天照なら、多分外にいるんじゃないか』って」
「そういうことが……」
気まずく笑う私に、時雨はふと表情を変えて問いかけてくる。
「ね、天照。僕が……君にできることってあるかい……?」
「え……?」
時雨は俯き、手をぎゅっと握りしめた。
「……だって……僕は命を助けて貰ったのに、なんにもお礼ができてない。
あの日、君が苦しんでる時も……何もしてあげられなかった……」
その声が、自分を責めるように震えていた。
だから私は歩み寄り、そっと時雨を抱き寄せた。
「大丈夫。大丈夫だよ、時雨ちゃん」
彼女の細い肩がびくっと震える。
「私はね、みんなが幸せなら、それだけで充分嬉しいよ。
時雨ちゃんが生きててくれた。それだけで、もう全部報われたんだよ」
時雨は唇を噛んで、涙を溢さないようにしていた。
「でも……それでも……何かしたい」
「んー……じゃあさ」
私は時雨の肩を軽くぽん、と叩いた。
「佐世保、案内してよ。私、来るの初めてだから。
時雨ちゃんのおすすめ、いろいろ見てみたいな」
その瞬間、時雨の顔にぱっと花が咲くような笑みが広がる。
「もちろんだよっ!
任せて!佐世保のことなら僕、いっぱい知ってるから!」
「ふふっ、じゃあ行こ!」
そう言って歩き出そうとした時──
「その前に朝食だよ。天照」
時雨がくるりと振り返り、にっこり笑って言った。
「まずは食べないと、案内もできないからね」
その声の明るさに、胸がほっと温まった。
あぁ、日常って──
こんなに優しいんだ。
……
………
食堂へ向かう廊下には、朝の静けさと一緒に ふわりと湯気を帯びた香りが漂っていた。
昆布と鰹のだしの温かい匂い。
炊きたての麦ご飯の、ほんのり甘くて落ち着く香り。
そして焼き鮭の、香ばしく焼けた皮がはぜる匂いが混ざり合って、
まるで無言の手招きをされているようだった。
扉を開けると、食堂はすでに賑やかだった。
目をこすりながら席を探す子。
すでに頬をいっぱいに膨らませて夢中で食べる子。
黙々と箸を進める子。
眠そうに湯呑みを支える子。
まさに十人十色の朝。
「今日は麦ご飯、焼き鮭、ほうれん草のおひたし、味噌汁だね」
「どれも美味しそう!」
食堂の窓から差す朝日が膳を照らし、湯気がきらきらと揺れる。
──早く食べたい。
「いただきます!」
箸を手にし、まずは麦ご飯をひと口。
つやつやと光る粒がふんわりと舌の上に乗り、麦特有のぷちりとした食感が心地よく弾ける。
噛むたびにほのかな甘みが広がり、炊き立ての温かさが喉へすっと落ちていく。
あぁ……生き返る。
次に鮭。
箸を入れた瞬間、皮がパリッと音を立て、脂がじゅわっとにじむ。
香ばしさと塩気が絶妙で、ふわりとほぐれる身は想像以上に柔らかい。
麦ご飯を運ぶ箸が自然と加速する。
おひたしは優しい味。
ほうれん草の瑞々しさに、だしの旨味がじんわり染み込み、シャキッとした歯ごたえが心まで整えてくれる。
味噌汁をすする。
ふわりと漂う味噌の香り、豆腐のやわらかさ、わかめのとろっとした舌触り。
胃の奥がゆっくりと温まっていく。
(久しぶりの日本食……しみる……)
そんな中──
「ここ、座ってもいいっぽい?」
聞き覚えのある明るい声。
「夕立。おはよう」
「ゆぅだちちゃん、おはよう」
「こら、天照。食べるか喋るかにしなさい」
「しょうがないよ、食べてる時に来たんだもん。どうぞどうぞ〜」
「もう……夕立、座りなよ」
「じゃあ失礼しますっぽい!」
夕立が席に腰を下ろすと、なぜか食堂の空気が少し明るくなる。
その横で、私はまた麦ご飯に箸を伸ばす。
夕立が不思議そうにこちらを見る。
「……?あれ?天照?」
それもそうだ。
改名したことを知っているのは、私と──提督、時雨の三人だけ。
「あぁ、私。SEA-BATから改名したの。これからの名前は天照。よろしくね、夕立ちゃん」
「もちろん!でも、前の名前もかっこよかったのに、なんで改名したの?」
「上からの命令でね、どっちつかずとか不吉みたいでさ〜」
「あ〜…なるほどね〜」
それならしょうがないか。という感じで夕立は頷く。
「夕立、僕たちこれから鎮守府を回るけど一緒に来るかい?」
「いくいく!」
「じゃあ食べ終わったら行こっか」
再び箸を動かす。
麦ご飯の温かさがじんわり胸に沁みる。
味噌汁の湯気が、視界をほんの少し柔らかく歪ませる。
焼き鮭の香ばしさが鼻をくすぐり、おひたしの優しい味が舌の奥に広がる。
(こうやって誰かと食べるなんて、久しぶりだな……)
──気づいたら、視界が滲んでいた。
ぽたり、と涙が落ちる。
少しだけ目が滲む。
しばらく忘れていた。温かさに触れて、止まらなくなる。
「だ、大丈夫?!」「大丈夫っぽい?!」
二人が同時に身を乗り出してくる。
「ふ、二人とも……大丈夫。だよ。久しぶりに誰かと一緒に食べて……その……幸せが溢れちゃっただけだから……」
うまく言葉にしようとするほど、喉が震える。
涙が勝手に零れ続ける。
そんな私に、時雨がそっと微笑んだ。
「……これからは毎日一緒だよ。一緒に食べて一緒に寝て。一緒に笑おう」
「っぽい!夕立も一緒に笑うっぽい!」
「 二人とも……ありがどう」
(……私、この世界に来てから……泣き虫になっちゃったな)
けれど。
それでも──
こんな朝なら、泣いたっていい。
泣けるくらい幸せだという証なんだから。
ハッピーコーンです
8話目いかがでしたか?
日常。いいですよね。
和食。よきです。
[次回]
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