鱗滝の養子   作:松雪草

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11話

 四人と一羽の暮らしは数日が過ぎたが、いつもにぎやかだ。

 

 まず、朝の音が増えた。

 

 今までは、外の風と木の軋む音と、囲炉裏の炭のはぜる音だけだった。

 そこに、新しく二種類の寝ぼけた声と、布団を手繰る音が加わる。

 

 夜明け前。外がまだ青いころ。

 俺は目を覚まして、隣に並んだ布団に声を掛ける。

 

「錆兎ー。義勇ー。起きて」

 

 声を掛けると、義勇の方がびくっと肩を揺らして、すぐに目を開けた。

 錆兎はというと、布団の中で丸くなったまま、微動だにしない。

 

「……起きてる?」

 

「……起きてない」

 

「正直でよろしい。起きよう」

 

「あと五……五十……五十日……」

 

「それはもう季節が変わるね」

 

 布団の端をつまんで、ずるずると引っ張る。

 錆兎は布団にしがみついたまま、じたばたと足を動かした。

 

「寒い! 外、絶対寒い!」

 

「寒いよ。でも水はもっと冷たいよ」

 

「だからいやなんだ!」

 

 梁の上で、家の烏が迷惑そうに羽根を膨らませる。

 小さく「カァ」と鳴いて、頭を翼に埋めた。

 

 結局、義勇に説得されて、錆兎はしぶしぶ顔を出した。

 寝癖で跳ねた宍色の髪を片手で押さえながら、半目で俺を睨んでくる。

 

「……宗右衛、お前鬼か」

 

「朝はね、皆そう思うよ」

 

 俺も昔は、そう思っていた。

 

 外に出ると、山の空気は刺すように冷たかった。

 桶を持って、三人で沢へ向かう。足場の悪い道を、一列になって下る。

 

「ここ、石が滑るから気を付けて。右足から下りた方が楽だよ」

 

 振り返って言うと、義勇はこくりと頷き、言われた通りに足を置いた。

 錆兎は「これくらい平気だ」と強がりながらも、しっかり石を確かめながら降りてきている。

 

 桶を沢に沈めると、冷たさが腕まで跳ねた。

 

「うわっ……」

 

「これを毎日か……」

 

「そう。毎日」

 

 二人の肩が小さくすくむ。

 それでも、桶を放り出したりはしなかった。

 

 水を運んで戻るころには、指先の感覚はほとんどなかったが、息は少しだけ温かくなっていた。

 

 囲炉裏に火を起こし、鍋に水と米と干肉を入れる。

 山菜を刻んで放り込めば、すぐに煮立ってくる。

 

「いただきます」

 

 四人で手を合わせる。

 

 茶碗によそわれる粥の量は、自然と四者四様になっていた。

 鱗滝さんは少し多め、錆兎と義勇はほどほどの量。

 俺の茶碗にはいつも山盛りだ。

 

 ひと口、ふた口と掻き込み、あっという間に茶碗の底が見える。

 何も言わなくても、空になった茶碗を鱗滝さんの方へ差し出す。

 

 向こうも何も言わないまま、話を続けながら粥を盛り足してくれる。

 

「今日は山の向こう側まで回る、午後は型の訓練にする」

 

「はい」

 

 ふんふんと頷きながら、二杯目を食べ終え、また茶碗を差し出す。

 三杯目がよそわれるのも、もう当たり前のことになっていた。

 

 その様子を、錆兎と義勇が、やや引き気味に見ていた。

 

「……それ、もう三杯目ですよね?」

 

「うん?」

 

 口いっぱいの粥を飲み込みながら見返すと、二人とも同じ顔をしていた。

 

 どんだけ食うんだ、この人、って顔だ。

 

「そんなに食べて、走れるんですか」

 

 義勇が、おそるおそる聞いてくる。

 

「食べないと走れないよ。

 体じゅう動かすんだから、その分入れとかないと」

 

 俺が言うと、鱗滝さんが「うむ」と短く頷いた。

 それで良い、ということだ。

 

「……俺も、それぐらい食べるべきだろうか」

 

 錆兎がぼそりと言う。

 

「いやー、どうだろ。最初の頃はね、俺も並盛二杯でいっぱいいっぱいだったよ」

 

 言いながら、少しだけ笑う。

 

(ああ、そうか)

 

 いつの間にか、これが「いつも通り」になっていた。

 

 最初の頃の自分なら、きっと今の俺を見て、二人と同じ顔をしていただろう。

 

「二人も、そのうちもっと食べられるようになるよ。

 動く分だけ、腹も減るから」

 

 気軽にそう言うと、二人はとても微妙な顔をした。

 

「……なりたいような、なりたくないような」

 

「で、でも、食べられるようになった方が、強くなれるんですよね?」

 

「うん。強くなりたいなら、よく食べて、よく動く。これ大事」

 

 義勇は小さく頷いて、残りの粥を口に運んだ。

 錆兎も、渋い顔をしながらも、茶碗を空にした。

 

 飯が終われば、走り込みだ。

 

「宗右衛、先頭で走れ」

 

「はい」

 

 いつもの山道を駆け上がる。

 俺の前には、いつかの俺と櫛那の足跡が、そのまま残っている気がする。

 

 後ろからは、二人の足音。

 一周目の終わりで、義勇の息が荒くなる。

 二周もすれば、錆兎の足音も重くなっていく。

 

 識彩を少しだけ開くと、二人とも随分と緑が濃い。

 その中に、「やってやる」とばかりの赤も混じっていた。

 

(……こういうとこで止めると、逆に次が辛かったりするんだよなぁ)

 

 自分のときのことを思い出す。

 

「止まりそうになったら、歩いていいから。前には進めよー」

 

 わざと大きな声を出すと、後ろから息も絶え絶えの返事が返ってきた。

 

「宗右衛さん、息切れてないの、おかしくないですか……!」

 

「慣れれば、なれる!」

 

「それ説明になってません!」

 

 そんなやりとりをしているうちに、午前の走り込みが終わった。

 

 二人は地面にへたり込み、しばらく立てそうにない。

 地面にへばりつくような苔色が段々と薄くなって、赤と青が入り混じった色に移っていく。

 

「水、持ってくる」

 

「じ、自分で……」

 

「いいって。ここまで走れたの、普通にすごいから」

 

 沢へ小走りで向かいながら、昔のことを思い出した。

 自分がここで吐いた回数と、吐いたあとに掃除をして、また走らされた日のこと。

 それと比べれば、吐いてないだけでも本当に凄いことに思える。

 

(……ほんと、よくやってたな俺)

 

 戻ると、錆兎は大の字、義勇は前かがみで息を整えている。

 柄杓を渡すと、二人とも、まるで命の水みたいに大事そうに飲んだ。

 

 昼飯のときも、さっきと同じだった。

 俺が茶碗を差し出せば、鱗滝さんが無言でよそってくれる。

 それを二人が、なんとも言えない顔で見る。

 

「あれだけ走っておいて、平気な顔して四杯も……」

 

「うぷっ……なんか、見てるだけで……吐きそうです」

 

「二人とも、恥ずかしいからこっち見ないで」

 

 錆兎がぼやき、義勇が小さく笑った。

 

 午後の稽古のメインは、型と素振りだ。

 

「午後は素振りだ。型を叩き込む」

 

 鱗滝さんの声で、空気がきりっと引き締まる。

 

「前半分は、錆兎を宗右衛。義勇を儂が見る。

 後ろ半分で交代だ」

 

「はい」

 

 木刀を握ると、手のひらに馴染む重さが伝わってくる。

 今はもう、この重さがないと落ち着かないくらいだ。

 

「じゃ、錆兎。まず百本いこうか」

 

「はい!」

 

「最初はゆっくりでいいよ。錆兎は型崩さないように振るように気をつけて」

 

 構えを見ていると、錆兎の足の置き方や腰の位置が、最初に握ったときよりもずっと自然になっているのが分かった。

 

 以前は木刀を握ると気持ちが前に出て来るように赤が多かったが、今は青が増えた。

 構えの段階から、身体の感覚によく集中している。

 

「いち、に、さん……」

 

 錆兎の口が、振るたびに数を刻む。

 

 その隣で俺も型の素振りを始めると、錆兎が十を数えたときに、刀の軌跡がわずかにぶれる。

 

「今の、踏み込みの前で腰が浮いてる。

 錆兎は集中したらちゃんと出来るんだから、次じゃなくて今の動きに集中して」

 

「ハァッ……! こうッ……! ですか!」

 

「うん。いい。――錆兎さ」

 

 良い機会だと思って、前から気になっていたことを聞いてみる。

 

「ここに来る前って、何か体動かすようなことしてた?」

 

「宗右衛、いまッ……! それに! 答えないとダメか!?」

 

「木刀振ってるだけだと暇かと思って。

 最初から足の運びとか、腰の据わり方がしっかりしてたから、前から気になってたんだよ」

 

 錆兎は、少しだけ視線を落としてから答えた。

 

「……よく、近所の子とっ! 相撲してたぞっ!

 後は! 木を運んだりとかっ!」

 

「やっぱり」

 

 思わず笑みがこぼれる。

 

「相撲好きで! 仕事の手伝いの後とかで、ハァッ……! 親方が連れてってくれたっ!」

 

 言いながらも、木刀を振る手は止まらない。

 無駄な力みが取れて、腰の位置がさっきよりも安定した。

 

 錆兎の色の帯に、緑と少しの白が混じる。

 型をなぞらせるのも大事だが、錆兎は“遊び”のある方が動きがいい。

 

「なるほどな。

 だから、身体の動きが良いんだな。中が出来てる」

 

「ッ……! 中とは!?」

 

「中って、身体の真ん中に太い柱が一本通ってるみたいな感じ?

 俺はそれが出来るまで、2年ぐらい掛かったもん。

 すごいよ」

 

 錆兎は褒められたのが少し照れくさいのか、口元を緩めた。

 

「男なら! やはり相撲だな! これで百ッ!」

 

「そうそう。その調子」

 

 その後もしばらく、足さばきと踏み込みのタイミングを中心に見ていった。

 錆兎は、言ったことを素直に試してみるし、失敗してもすぐ立て直す。

 

(……やっぱり、筋がいいな)

 

 錆兎は一つ教えると、そこから二つも三つも見つけて、突き進んで行くようなところがある。

 そのぶん基礎が疎かになる癖もあるが、それを直すのは鱗滝さんに任せて、俺は錆兎の凄いところを伸ばすようにしてみる。

 

 そうして前半が終わるころには、錆兎の腕はぷるぷる震えていたが、目の奥の光は消えていなかった。

 

「では、入れ替えだ」

 

 鱗滝さんの声で、配置が変わる。

 今度は俺が義勇を見る番だ。

 

 義勇も既に腕が震えているようだが、色を見ると、気持ちを奮い立たせているのだろうことが分かる、明るい赤が見えた。

 

「それじゃ義勇、構えてみて」

 

「……はい」

 

 義勇は、少し緊張したように木刀を構えてみせた。

 指の位置、手首の角度、力の入り方。どれも、丁寧に「こう」と考えた形になっている。

 

「さっき鱗滝さんが見せた型、ゆっくり一本やってみて」

 

 義勇は、小さく息を吸い込んでから、動いた。

 

 最初の一振り目で、すぐに分かった。

 義勇は目で見たものを、そのまま自分の身体に落とし込むのが、驚くほど上手い。

 

 俺なんかは、鱗滝さんの動きを目で追えても、自分の身体を動かすとてんでちぐはぐになっていた。

 

 集中するときの青色が、鱗滝さんの動きをそのまま模倣するかのように動き、それを自身の身体で更になぞったのが見えた。

 当然、鱗滝さんと同じ速さでとなれば模倣は難しいだろうが、それでも十分に凄いことだ。

 

(ただ、考えすぎて固くなってる、か)

 

「うん、凄いよく見てるし、動きもめちゃくちゃ良かった。

 肩、力抜いたらもっと良くなると思う。

 えっと、動きを頭で追いかけるんじゃなくて、体で覚えてく感じで」

 

「……はい」

 

 何本か振ってもらってから、口を開いた。

 

「義勇、覚えるの、すごく上手いよ」

 

「え」

 

「さっき鱗滝さんが見せたの、一回だけだったろ。

 それをここまで形にできるの、普通はなかなかできない」

 

 義勇の帯の色が、ふわっと揺れた。

 青の中に、わずかに白が混ざる。

 

「目で見たものを、そのまま自分の体に写していくの、得意だろ。

 それと、自分の体が今どう動いてるか、ちゃんと感じてる」

 

 それは本当に、感心して出てきた言葉だった。

 

「だから、俺が見てても直すところそんなにない。

 『ここ、今の感じで覚えといて』って言えるの、すごく助かる」

 

「…………」

 

 返事がないので顔を見ると、義勇は木刀を握ったまま、ぽろりと涙をこぼしていた。

 

「えっ、ちょ、ちょっと待って。

 何か変なこと言った?」

 

 慌てて声を上げると、義勇は首を横に振った。

 

「な、なんでも……ない、です」

 

 そう言いながらも、涙は止まらない。

 帯の色が、くすんだ桔梗みたいになっていた。

 青と紫と、少しの黒と。どれもが沈んで、ほどけなくなっている。

 

(……ああ、これ、たぶん家のことだ)

 

 口に出さなくても分かった。

 

 褒められたことそのものじゃなくて――

 きっと「誰かにそう言われたこと」が、あったんだろう。

 家族か、近しい誰かに。

 

「ご、ごめん、義勇。

 変なこと言ったなら、謝る」

 

「ちが……違います」

 

 義勇は、袖で慌てて目をこすった。

 

「怒ったとか、じゃなくて……

 ただ、その……思い出して、しまって」

 

「……そうか」

 

 どう言っていいか分からず、木刀を持ったまま頭をかく。

 

「今は、続けられそう?」

 

「……はい。大丈夫です」

 

「無理そうだったら、ちゃんと言えよ。

 鱗滝さんも怒らないから。

 稽古休んだって、取り返せばいいだけだしさ」

 

 櫛那にも、何度か似たようなことを言ったことを思い出す。

 

「……はい」

 

 義勇は、もう一度小さく頷いた。

 涙の跡を残したまま、木刀を構える。

 

「じゃ、さっきの続き。

 一振りごとに、自分で『今の良かった』とこ探してみて」

 

「……良かったところ、ですか」

 

「うん。悪いところばっかり探すと、どんどん縮こまるから」

 

 それは、自分にも言い聞かせる言葉だった。

 

 それからしばらく、義勇と一緒に素振りを続けた。

 一振りごとに少しずつ、肩から余計な力が抜けていくのが分かった。

 

 義勇が「ここが少し楽でした」とか、「今のは手首が軽かったです」とか、小さなことを言葉にするたび、帯の桔梗色が少しずつほどけていった。

 

 そうして夕方には、腕も足もがくがくになった二人が地面に倒れ込んでいた。

 

「はぁ……はぁ……死ぬ……」

 

 錆兎が地面にひっくり返りながら、息を吐く。

 

「死なん。死ぬ手前までしかやらん」

 

 鱗滝さんの声は、いつも通り淡々としていた。

 

「死んでないから、まだ大丈夫、ってことですね……」

 

 義勇が、ゼエゼエ言いながらも、妙に納得したような顔をしている。

 

「そうそう。生きてるうちは追い込めるだけ追い込んだ方がいいしね」

 

「宗右衛さんは元気ですね……」

 

「慣れだよ、慣れ」

 

 本当にそうだと思う。

 最初は木刀を振るだけで精一杯だった。

 

 夜になって、三人で囲炉裏を囲んだ。

 

 肉と山菜の汁をすすりながら、ぽつぽつと話をする。

 最初の頃に比べたら、二人とも、少しだけ自分のことを話すようになってきていた。

 

「相撲で負けなしだったんだっけ」

 

「ああ。一回り年上の奴らとやっても負けなかったな」

 

「そりゃすごい。

 じゃあ、いつか俺と取ってみる?」

 

「……今は絶対に断る」

 

 錆兎が即答して、鱗滝さんの天狗面が、微妙にこちらを向いた気がした。

 ……俺も鱗滝さんに相撲やろうとか言われたら嫌ですよ。

 勝てないとか以前に、訓練でぶん投げられすぎて、鱗滝さんとの相撲で痛い思いをする未来しか思い描けなかった。

 

「義勇は? 何か好きなこととか、得意なこととか」

 

 鱗滝さんの視線に気付かないふりをして、義勇に話を振る。

 

「……魚、捌くのは、好きでした」

 

「魚?」

 

「姉さんが、料理をよくしてくれて。

 僕は、その手伝いで……骨を抜いたり、皮を引いたり」

 

 言いながら、義勇の声が少し柔らかくなる。

 帯の色も、深い青に、少し白が混じる。

 

「魚、食べたいな」

 

 錆兎がぽつりと言う。

 

「鱗滝さんに山を下りたときに、魚を買って来てもらう?」

 

「え、いいんですか?」

 

「それなら、川で魚を釣った方が早いんじゃないか?」

 

 それを聞いた鱗滝さんが、いつもの調子で言った。

 

「……釣った魚を捌いてもらうのも、よいかもしれんな」

 

「そうしたら、僕、頑張ります」

 

 義勇が、少しだけ声を弾ませた。

 

 梁の上で、家の烏が羽根をふくらませて様子を見ている。

 たまに首をかしげて、鱗滝さんの肩に降り、小さな声で何かを囁いていた。

 もしかして、魚好きなのか、お前。

 

 布団を並べて眠る前、机の上の名札が目に入った。

 櫛那の名前が刻まれた、小さな板。

 

 梁の上に上げるには、まだ、もう少しかかりそうだ。

 

 名札は増えていない。

 代わりに、布団の数は増えた。

 

 悲鳴も、笑い声も、話し声も。

 前よりずっと、山に響く音が増えた。

 

(櫛那姉ちゃん)

 

 心の中で、そっと呼びかける。

 

(弟弟子二人来たよ。

 よく食べて、よく転んで、よく泣いて、よく笑うやつらだ)

 

 いつか、三人で藤襲山に旅立つ日のことを思い描く。

 その日まで、今日という日を胸を張って自慢できるように。

 

 そう思いながら、目を閉じた。

 

 新しい手と、昔の手と。

 日々が、静かに積み重なっていく。

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