鱗滝の養子   作:松雪草

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12話

 春が過ぎて、山の緑が濃くなってきた。

 

 雪解け水の冷たさはそのままでも、空気は少し柔らかい。

 四人と一羽の暮らしにも、だんだんと「いつもの調子」ができてきた。

 

 朝は、相変わらず騒がしい。

 

「錆兎ー、義勇ー、起きてー」

 

 夜明け前の声掛けも、もう何十回目かになる。

 

「……おはようございます」

 

 義勇は、肩をびくつかせてすぐ目を開けるようになった。

 錆兎はといえば、布団の中で丸まったまま。

 

「……起きてない」

 

「知ってる。起きよう」

 

「さっきまで夜だったはずだ……」

 

「寝たからだよ、錆兎。起きよう」

 

 布団を引っ張れば、錆兎は布団ごと転がりながらじたばたする。

 

「寒い! まだ寒い!」

 

「寒いよ。でも水はもっと冷たいから安心して出ておいで」

 

「どこに安心要素があるんだ!」

 

 そんなやりとりをしながら、三人で沢へ下りていく。

 石の位置も、滑りやすい苔の色も、二人はもう覚えた。

 

「そろそろ空気が暖かくなってきたな」

 

「これがさっきまで布団でごねてた奴が言う言葉じゃなかったら、俺も同意してた」

 

「ふふっ、日も長くなってきましたよね」

 

 沢の水を桶に汲むと、相変わらず骨まで冷たい。

 でも、二人とも最初の頃みたいに悲鳴は上げなくなっていた。

 

 走り込みも、少しずつ変わってきた。

 

「今日は、一人一人、自分の速さで走れ」

 

 そう言われても、最初の何周かは、やっぱり二人とも俺に着いてこようとする。

 

 二周目で、義勇の息が先に荒くなる。

 三周目には、錆兎の足音が重くなる。

 毎日少しずつ、けれど確実に、ずっと長く持つようになってきた。

 

(……足の速さも昨日よりちょっと上げたのに、昨日より長く着いてきてるな)

 

 そう思うと、俺も手は抜けない。

 後ろを見ると、ふたりの周りには疲れの濃い緑に、お互い負けられないとばかりの赤が絡み合っている。

 

(俺も、負けてられないな)

 

 そうやって息を刻んでいるうちに、いつの間にか、俺の走る距離も伸びていた。

 

 夜になれば、湯殿の番をしながら、愚痴を聞く時間もできた。

 

 湯を沸かす薪の匂いに、石鹸の匂いが混ざる。

 順番は日替わりで、一番最後は鱗滝さん。

 俺と櫛那も一番は鱗滝さんがと言い続けたが、「若い者から入れ」の一点張りで、これは変わらない。

 

 ある晩、先に湯から上がった錆兎が、肩から湯気を立てながら、縁側にどさりと座った。

 

「はぁぁぁ……生き返る……。だが、今日もよく投げられた……」

 

 あとから上がってきた義勇も、髪を拭きながらこくこく頷く。

 

「鱗滝さん、木刀持ってないのに、一度も当てられませんでした……」

 

「うわー、分かる。素手でも強すぎるんだよね、鱗滝さん」

 

 笑いながら答えると、錆兎がふと真面目な顔になった。

 

「そういえば、宗右衛はなんで『鱗滝さん』って呼んでるんだ?」

 

「え?」

 

「だって、お前、鱗滝の苗字を名乗っているんだろ?

 なのに、養父を『鱗滝さん』と呼ぶのっておかしいじゃないか。

 もっとこう、呼び方あるじゃないか」

 

「それ、僕も、ちょっと気になってました」

 

 義勇まで身を乗り出してくる。

 

「お、おー……それなー……」

 

 湯殿の火を見つめながら、少し考える。

 

「……俺、養子になってから、まだそんなに経ってなくてさ」

 

 ぽつりと口から出た。

 

「俺の中だと、まだ『弟子の宗右衛』のままのところが大きくて、『鱗滝宗右衛』のところが、ごちゃごちゃしてるっていうか。

 その……呼び方変えるの、恥ずかしくて……」

 

「恥ずかしい、のか?」

 

「なんていえばいいか分かんないけど、なんかそんな感じ。布団の中で、明日から『おとっさん』とか『父上』とか、呼ぶならこうかなって考えたことも、数え切れないけど……いまだに鱗滝さんのまま来ちゃってるんだよね」

 

 思わず頭をかく。

 

「二人だったら、どうする?」

 

「俺だったら、そうだな。

 たぶん、最初から『親父』って呼ぶだろうな。

 その方が楽だろうしな」

 

「僕は……お父さん以外を、そう呼んだことないから、すぐには無理かも」

 

 義勇は少し考えてから、静かに言った。

 

「でも、呼べるようになったら、嬉しいんだろうなって思います」

 

「……そうだな」

 

 その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなった。

 

「いつか俺も、気付いたら変わってるかもな。

 そのときは笑ってくれ」

 

「よし分かった、変わったら三日三晩笑い倒してやる」

 

「やめろ」

 

 三人で笑う声が、湯気の立つ夜に溶けていった。

 

 

---

 

 

 そんな穏やかな日々の中で、ひとつだけ、気になっていることがあった。

 

 義勇の色だ。

 

 初めて山に来たときに比べれば、義勇の青はずいぶん澄んだ。

 鍛錬のときは、真剣さの赤もちゃんと混ざるようになってきた。

 

 けれど、ふとした拍子に、その色がじわりと暗く沈むことがある。

 

 初めのうちは、家族のことを思い出しているだけだと思っていた。

 

 けれど、それが鱗滝さんに叱られたとき。

 錆兎と何かを競って負けたとき。

 何でもない団欒の最中に、ふと話が途切れて黙り込んだとき。

 青がかかった暗い帯が、義勇の周りに絡みつく。

 

 最初のうちは、一日の中でふっと沈むだけだった。

 次の瞬間には、また鍛錬に集中する青に戻っていたから、「今はそっとしておいた方がいいかな」ぐらいに思っていた。

 

 でも、ここ最近は、少し違う。

 

 朝の走り込みをするとき、いつも錆兎と競争するみたいになっていたのに、最近は義勇が負けるのが当たり前みたいになっていた。

 「また俺の勝ちだな」と錆兎が笑うたび、義勇も笑ってはいるのに、その帯はじわりと暗くなる。

 

 模擬戦でもそうだ。

 攻めが得意な錆兎と守りが得意な義勇がやると、攻め手を欠いた義勇が押し切られることが多い。

 だけど、義勇はちゃんと錆兎の動きを目で追って、錆兎の出鱈目な打ち込みを受けることができる。

 

 それでも俺が思わず「さっきの錆兎、踏み込み凄かったな」と先に口に出してしまうと、その瞬間だけ、義勇の色が小さく揺れて沈んだ。

 

 夜、囲炉裏を囲んで他愛もない話をしているときも。

 錆兎が大袈裟に一日の愚痴を言って、俺がそれに乗っかるように返す。

 

 義勇もちゃんと笑っているのに、不意に黙り込む瞬間がある。

 そういうとき、色は決まって、底の方からじわじわと黒くなるのだった。

 

(……最初のうちは、櫛那姉ちゃんに似てるなって、ちょっと微笑ましく見てたんだけど)

 

 最近は、それでは済まない暗さになってきているように見えた。

 

「最近、しんどくないか?」

 

 それとなく声を掛けてみても、義勇はいつも同じことを言う。

 

「大丈夫です」

 

 そのたびに、帯の色は少しだけ暗くなる。

 

(大丈夫じゃ、なさそうなんだけどな……)

 

 鱗滝さんも、匂いで気付いているはずだ。

 明日あたり、相談してみよう。

 

 そう思って眠りについた、次の日の朝だった。

 

 

 

 目を覚ますと、鱗滝さんがいなかった。

 

 いつもなら、竈のところで静かに火の番をしているはずの人影がない。

 布団はきちんと畳まれていて、いつもの朝の景色から、そこだけぽっかり空いている。

 

「あれ……?」

 

 戸口を見に行くと、梁の上からひゅっと影が落ちてきた。

 家の烏だ。俺の頭の上をかすめて、目の前に一枚の紙を落とす。

 

「おっと……。ありがと」

 

 拾い上げて広げると、見慣れた墨の字が並んでいた。

 

『急用で山を下りる。数日戻れん。

 宗右衛、留守を頼む。

 いつも通り鍛え、いつも通り食わせろ』

 

 これはと思い奥の刀掛けを見に行くと、やっぱり一本なくなっている。

 

「……ですよねぇ」

 

 錆兎と義勇も、起きてきていた。

 

「おはようございます、宗右衛さん。

 あれ、鱗滝さんは?」

 

「鬼狩り。たぶん」

 

 ふたりの顔が、少しだけ強張る。

 

「数日で戻るって。今日は俺たちで、いつも通りやる」

 

 そう言って、自分に言い聞かせるように息を吸った。

 

 沢の水汲みを二人に任せて、飯の番は俺がした。

 

 鍛錬の内容も少し悩んだが、結局いつもの内容は変えないことにした。

 変えてしまう方が、きっと不安になる。

 

 朝の走り込みでは、俺が先頭を走る。

 いつも通り後ろから、二人の足音がついてくる。

 

 義勇の息がいつもより早く乱れた。

 帯の色も、鍛錬の赤と一緒に、濃い青が混じっている。

 

 ここ数日、ずっとこんな調子だ。

 走り込みのあとも、型のあとも、「自分で自分を縛りつけている」ような色が、義勇の周りにまとわりついている。

 

(……なんか嫌な感じだ)

 

 

 

 昼を食べ、型の練習をして、少し休憩を入れたあと、模擬戦をすることにした。

 

「立ち会いも混ぜとくか。三人で回しだ」

 

 鱗滝さんがいつもやっている順番を、そのまま真似る。

 

 最初は、俺と錆兎。

 

 木刀を合わせた瞬間、錆兎の目がきりっと細くなる。

 踏み込みは強いが、まだ軸が少し前に寄りすぎる。

 

「今の、踏み込みすぎ。もう少し身体を残して」

 

「くっ……!」

 

 打ち込まれる気迫自体は、悪くない。

 むしろ、良すぎるぐらいだ。

 

 打ち込まれる木刀を受けながら、ふと思い出す。

 

(櫛那は、色が見えてても間に合わないぐらいの速さで打ち込んできたな)

 

 あのとき俺は、色に頼るなと叱られながら、ただ受けるだけで精一杯だった。

 今は、錆兎の攻撃をいなしながら、錆兎の色や足の向きを確かめていられる。

 

(……ちょっとは、成長できてるのかな)

 

 嬉しくなったところで、錆兎の踏み込みをいなして、木刀を下ろす。

 

「はい、そこまで。よし、次は義勇な」

 

「……はい」

 

 義勇と向かい合う。

 構えはきれいだ。呼吸も、かなり整っている。

 

 けれど、識彩に映る色は良くなかった。

 青と紫の間に、墨を落としたみたいな黒が混じっている。

 

「行くぞ」

 

 軽く声をかけて、間合いを詰める。

 義勇の木刀が、わずかに揺れて俺の木刀が弾かれる。

 

 義勇は受けの反応が本当に良い。

 錆兎なら受けきれないだろう角度から何度か打ち込んでみても、きれいに捌く。

 

 攻守交替だ。

 打ち込める隙を、あえて作って木刀を振る。

 そこで一歩踏み込めるかどうかで、だいぶ変わる。

 

 俺の攻撃が流すように捌かれたのを指で感じながら、返される木刀が来るのを待ち構える。

 ……来ない。

 

 義勇の足が、その場で固まっていた。

 肩と腕に力が入りすぎている。あれでは反撃どころじゃない。

 

 もう一度、間合いを外して仕切り直す。

 今度は少し遅く入る。

 

 それでも、義勇の木刀は動かなかった。

 打ち込む気配すらない。

 

「義勇!」

 

 横から錆兎の声が飛んだ。

 

「何やってるんだよ! 打ちこまなきゃ斬れないだろ!」

 

「……」

 

「さっきまで型は振れてただろう!

 なんで立ち会いになると止まるんだ!」

 

 錆兎の周りに、真っ赤な色が立ち上がる。

 

 対して義勇は、叱られた子供のように身体を縮こまらせて固まっている。

 

「わー、待った待った! 一回休憩!」

 

 俺は慌てて両手を上げた。

 

「今日は、ここまで。午後は各自で素振りにしよう。な?」

 

「でも!」

 

「錆兎」

 

 名前を呼ぶと、錆兎はぐっと口を噤んだ。

 義勇は、木刀を握りしめたまま俯いている。

 

(これ以上続けたら、もっとまずい)

 

 義勇の帯の色が、そう告げていた。

 

 それからの稽古は、言葉通り「各自」で進めた。

 三人とも同じ場にいるのに、別々の場所にいるみたいな空気だった。

 

 

 

 夜の飯は、見事に静かだった。

 

 囲炉裏を囲んではいるが、山菜と芋の汁をすする音と、箸が器に当たる音だけが、囲炉裏の周りに落ちていく。

 

(しゃ、喋ること、なんか……)

 

 いっそ食事も『各自で』と言えれば楽だろうと思うが、それはきっと兄弟子失格だと自分を鼓舞し、何とか勇気を振り絞る。

 

「……今日は、よく走ったな」

 

 無理矢理ひねり出した鱗滝さんを真似した言葉は、自分でもびっくりするぐらい薄かった。

 

「……はい」

 

「……別に、普通だ」

 

 会話にならない。

 

(助けて、鱗滝さーん……)

 

 心の中で、どこかにいるであろう天狗面に助けを求める。

 

 でも、返ってくるのは、囲炉裏のぱちぱちという音だけだ。

 

 湯殿の番をしているときも、二人の愚痴はほとんど出なかった。

 湯気だけが静かに立ちのぼる。

 

 布団を並べて横になってからも、三人ともなかなか眠れないでいるのが分かった。

 寝返りを打つ音と、小さな息遣いが、闇の中で揺れる。

 

(……俺が、なんとかしてやらなきゃいけないんだろうけどなぁ)

 

 自分の人生経験の少なさが、こういうときに骨身に染みる。

 何をどう言っていいのか、分からない。

 

(明日、鱗滝さん帰ってきてくれるかな……。

 いや、何弱気になってんだ、俺が鱗滝さんに任されたのに)

 

 ぐるぐる考えて、余計に眠れなくなってきたときだ。

 

 布団を抜け出して、そっと板を踏む音がした。

 

 ひとり分じゃない。二人分。

 

 続いて、戸が静かに開いて、また閉まる音。

 

(……錆兎と、義勇?)

 

 ゆっくりと身体を起こす。

 

 居間を覗き込むと、梁の上の烏と目が合った。

 しばらく見つめあった後、烏が「お前が見に行け」と言わんばかりに目を閉じた。

 

 息を潜めて、戸口までそろそろと歩く。

 格子の隙間から外を覗くと、月明かりの下に、二つの影が見えた。

 

 少し離れたところで、向かい合っている。

 

 声をかけるべきか、迷った。

 けれど、あの二人の色を見て、足が止まる。

 

 義勇の周りは、真っ黒に近い紫。

 錆兎の方は、燃えるような赤と、少しの白。

 

(……今、俺が入ると、多分、余計こじれる)

 

 そう思って、戸の陰に身を寄せた。

 

 

 

「……さっきは、怒鳴って悪かった」

 

 最初に口を開いたのは、錆兎だった。

 

「怒鳴るつもりはなかった。

 でも、どうしても我慢ならなかった」

 

 義勇は、うつむいたままだった。

 

「立ち会いで、なぜ刀を出さない。

 あのままじゃ、鬼の前に出たとき、何もできないぞ」

 

「……分かってる」

 

 小さく、かすれた声が返る。

 

「分かっているなら、なんでだ」

 

「……」

 

「なんで、踏み込まない」

 

 しばらく沈黙が落ちてから、ようやく義勇が口を開いた。

 

「……怖いんだ」

 

 絞り出すような声だった。

 

「木刀を振るのは、まだ、何とかできる。

 でも、いざ斬るって思うと……足が固まるんだ」

 

 義勇の帯が、ますます黒く沈む。

 

「宗右衛さんも、錆兎も、ほとんど同じ年なのに、僕なんかよりずっと凄くって……。

 鍛錬だって、ちゃんとしてるつもりなのに。

 走っても、振っても、立ち会いになると怖くて。

 二人みたいに、一歩、前に出られないんだ」

 

 静かな声だったけれど、それは悲痛な叫びだった。

 

「僕みたいな弱虫なんかが鬼殺隊になって、もし、誰かを守れなかったら。

 あの時みたいに――」

 

 そこで言葉が途切れる。

 

「あの時?」

 

「……姉さんが」

 

 義勇の声が震えた。

 

「本当は、僕が死ねばよかったっ……。

 そうしてれば、姉さんは今頃……」

 

 その先は、言わなくても分かった。

 

 俺は戸口の陰で、ぎゅっと拳を握った。

 

(それを言っちゃ、駄目だ。義勇)

 

 心の中でそう呟いた瞬間、錆兎が一歩詰め寄った。

 

 肉を打つ音が、静かな山に響いた。

 

 一瞬、なにがあったのか分からなかったが、弾かれるようにして尻もちをついた義勇を見て、錆兎が義勇を殴ったのだと分かった。

 

 殴られた義勇本人も、自分が何をされたのか分からないような顔で頬を押さえる。

 

「『自分が死ねばよかった』と言ったな」

 

 低い声だった。

 さっき鍛錬場で怒ったときより、ずっと静かで、ずっと怖い声。

 

 義勇の肩がびくっと震える。

 

「その言葉をこれから先、一度でも口にしたならば」

 

 錆兎は、はっきりと言い放った。

 

「そのときはお前とはそれまでだ。

 友達をやめる」

 

 夜風が、二人の間を吹き抜ける。

 

「な、なんで……」

 

「なんで、じゃない」

 

 錆兎の赤が、夜の中でぐっと濃くなった。

 

「翌日に祝言を挙げるはずだったお前の姉も、そんなことは承知の上で、命を懸けてお前を守ったはずだ」

 

 義勇は、唇を噛んで俯いた。

 

「他の誰でもない、お前が……お前の姉のしたことを冒涜するな」

 

 錆兎は続ける。

 

「死んだ方が良い命なんか、ない。

 お前は絶対に死ぬんじゃない」

 

「でも……」

 

「『でも』じゃない!」

 

 錆兎の鋭い声が、夜闇を裂くように響く。

 

「俺はお前のこと、弱虫だとは思ってない。

 怖いのは、当たり前だ。

 怖くても、前に進もうとしてる奴を、弱虫だなどと呼ばない」

 

 義勇の帯に、小さな赤が滲む。

 黒い青の帯の中で、小さな赤が、少しずつ大きくなっていく。

 

 一息置いて、錆兎は少し声を落とした。

 

「姉が命を懸けて繋いでくれた命を、決して粗末に扱うな」

 

 錆兎の声が、少しだけ柔らかくなる。

 

「俺たちは、誰かに託された未来を繋いでいく方なんだ。

 生き延びて、幸せになってくれって、そう願われた方なんだ」

 

 錆兎も、きっとそうなんだ。

 そうやって、誰かに託されてここに来たんだと分かる、まっすぐな言い方だった。

 

「だったら、お前がやることはひとつだろ」

 

 錆兎は義勇の肩を、ぐっと掴んだ。

 

「しぶとく生きて、生きて、生きて。

 姉に胸張って会えるくらい、ちゃんと生き切ることだ」

 

 ぽかんとしたような義勇の目から、ぽろぽろと涙が零れた。

 

「……そんな簡単に、言うなよ」

 

「簡単だなんて思ってない」

 

 錆兎はきっぱりと言う。

 

「今だって死ぬほど努力しているつもりだ。

 それでも、俺の実力は宗右衛の足元にだって届いていない。

 努力しても努力しても、これから先、努力しなくて良くなる日は来ないんだろう」

 

 そう言って、義勇の前に手を差し出す。

 

「義勇。お前は、生き残ったんじゃない。

 生かされたんだ。

 その違いを、決して間違えるな」

 

 長い沈黙が落ちた。

 

 やがて、義勇がすすり上げながら、かすれた声を出した。

 

「……もし、また、僕がそういうことを言いそうになったら」

 

「ああ」

 

「また殴ってでも止めて」

 

「望むところだ」

 

 錆兎が、ふっと笑う。

 その笑いにつられて、義勇も、少しだけ口元を緩めた。

 

 義勇が差し出された手を取った。

 

 義勇の帯から、ゆっくりと黒が薄れていく。

 暗い桔梗の色の中に、少しずつ青と白が戻ってきた。

 

(……よかった)

 

 戸の陰で、そっと息を吐く。

 

 俺なんかが半端に口を出すより、きっと今の方が良かった。

 そう思えるやりとりだった。

 

 二人はしばらく夜空を見上げてから、並んで戸口の方へ歩いてきた。

 

 俺は慌てて布団に戻り、寝たふりをする。

 足音が近づいて、戸がそっと開いて、また閉まる。

 

 しばらくして、義勇の寝息が、少しだけ落ち着いたリズムになる。

 錆兎の方はまだ、むずむずと寝返りを打っていたが、やがて静かになった。

 

(……錆兎、ありがとな)

 

 心の中で、誰にも聞こえない礼を言う。

 

(義勇も、よく頑張った)

 

 机の上の名札が、月明かりに薄く浮かび上がって見えた。

 

(櫛那姉ちゃん。

 俺も、繋いでいくよ)

 

 預けられた未来が、またひとつ、前に進んだ気がした。

 

 そう思いながら、ゆっくりと目を閉じた。




12話をお読みくださり、ありがとうございます。

今回は、原作でも非常に大切で、そして私自身も大好きなシーンを描かせていただきました。
少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。

そして、今回こうしてあとがきの筆を取ったのは、この作品を投稿してまだ数日しか経っていないにもかかわらず、すでに多くの方に読んでいただき、さらにはお気に入り登録までしていただけたことへの感謝をお伝えしたかったからです。

大変に励みにしております、本当にありがとうございます。
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