森の奥へと一歩踏み出したあとも、しばらくは何も起こらなかった。
風の音と、虫の声。
それから、ときどき遠くから響く悲鳴や、何かが折れる音。
(……なんとなくで二人の方へ向かえばいい、ってほど簡単じゃないんだよな)
夜の山は、とにかく分かりづらい。
藤襲山は狭霧山よりも起伏は穏やかで、木々も人の手で管理されているような印象を受ける。
きちんと手入れされているわけではないが、人が通るための道がある。
そんな山でも、夜となれば歩くのに支障をきたすほどに暗く、道を外れて決まった方角に歩き続けるのは至難だ。
同じ方向だと思って歩いても、いつの間にか山の起伏に流されて、全然違う方角に進んでいたりする。
山は歩き慣れないと、昼でも迷うやつがいるくらいだ。
これで夜、しかも鬼がうろついてる中「錆兎たちがいた方角だから」なんて理由で、山を走り回ろうとするのは自殺に近い。
(……あいつらなら、自分でなんとかする。今は、自分のことに専念しろ)
そう頭の中で言い聞かせながら、俺は慎重に足を運んだ。
足元の感触で斜面の向きを確かめ、木の幹を指先で軽くなぞる。
通った目印に、刃先でほんの小さく傷を入れておく。
呼吸の回数でだいたいの距離を測りつつ、むやみに駆けずに進む。
――枝が、きしんだ。
背中の方、少し高い位置から。
反射的に、確認するより先に横へ跳んだ。
次の瞬間、さっきまで俺がいた場所に、どさりと重い何かが落ちてくる。
「ちっ、外したか」
木の上から飛びかかってきた鬼だった。
大人の男とそんなに変わらない体格だが、頭に角と鋭い爪。
明らかに人ではない。
身体能力は高いのだろうが、身のこなしは素人同然。
闇の中で音を聞くだけでも、踏み込みの癖が分かる。
(上から落ちてきただけ。本体の速さは、大したことないな)
奇襲に続く突進を躱して、鬼が振り向くより早く踏み込む。
鬼が腕を振り上げる前に、その肩口をなめるように刃を滑らせる。
「なっ――」
声を出し切る前に、頸が飛んだ。
灰が舞い上がり、鬼の足跡があった場所をあっさりと覆い隠す。
(……やっぱり、何も感じない)
日輪刀を払って鞘に収める。
心臓はそれなりに速く打っているはずなのに、胸の中は驚くほど静かだった。
もう一度、息を整えて歩き出す。
(大事なのは、俺でも、充分戦えるってことだ)
しばらく進むと、足元から違和感を感じた。
慎重に違和感の出所を探ると、茂みの奥に向かって不自然に草が広がる場所があった。
そこだけ風の抜け方が違う。
土の上に、不揃いな足跡が重なっている。
(隠れてるな)
あえて通り過ぎるふりをしながら背中を見せる。足元の痕跡の位置と形を、頭の中で並べる。
一度、わざと足を滑らせてみせた。
体がぐらりと揺れ、肩が茂みの方へ落ちる。
茂みの中で、空気がはじけた。
飛び出してくる影に合わせるように、身体を回す。
「――弐の型・水車」
黒い影が、半ば茂みに埋まったまま、首だけを別の方向へ飛ばした。
灰が茂みの葉に降りかかり、暗闇に溶けていく。
胸の奥に、鈍く冷たいものが居座り続けている。
(……それでも、やることはしなきゃな)
そう決めているから、足は止めない。
誰かの悲鳴が藤襲山に響くのを聞きつつ、その声が義勇や錆兎でないことを確かめながら進む。
どれくらい歩いただろうか。
悲鳴とは違う音が聞こえてきた。
金属がぶつかり合う音。
何度も何度も、打ち合うような拍子。
(誰か戦ってる……?)
鬼同士でこんな音は出さない。
誰か、少なくとも一人は受験者が戦っている。
(錆兎か、義勇か、別の誰かか)
山の中を突っ切ることになるが、音を頼れば迷うことはない。
それに、音の質が違う。
この距離なら、まだ間に合うかもしれない。
(見に行く価値はあるか)
そう判断して、俺は地形を読みながら音のする方角へ向かった。
やがて、木々の間から、月明かりが少し開けている場所が見えてきた。
そこにいたのは――義勇だった。
飛び出す前に、一度、足を止める。
義勇の前には鬼が二体。
どちらも、大人の男とそう変わらない背丈だが、一体は異様に腕が太く、もう一体は猫のように背が丸まっていて身こなしが軽い。
「おらぁッ!」
太腕の鬼が義勇に拳を叩きつける。
義勇はそれを受け流すと、鬼の拳が地面を抉る。
確実に刀で拳の芯を捉えて、力の流れを逸らしている。
錆兎の時に見た「沈むような受け」が、そのまま鬼相手にも出ていた。
(受けてる……二体の鬼相手に受けきれている)
二体の鬼を相手取り、義勇に大きな怪我は無いことを遠目に確認する。
だが、その分、足は止まっている。
身軽な方の鬼が、義勇の死角から飛びかかり、爪で斬り裂こうとする。
「くっ――」
義勇は身を捻って避けるが、肩口の羽織が裂けた。
肌まで達してはいないが、太腕の鬼に距離を詰めさせるには十分な隙だった。
(今俺が出ていけば、鬼の頸は容易く斬れる)
木陰に身を隠したまま、柄に添えた手に力が入る。
出るか、出ないか。
一瞬で結論を出す。
(義勇は既に鬼の攻めを何合も受けきっている。
なら、今は俺が助けるよりも、義勇自身が鬼を斬ることの方が大事な気がする)
危なくなりそうなら、その瞬間だけ助ければいい。
それまでは、義勇自身に任せるべきだ。
そう決めて、俺は木陰から離れず、義勇の動きを見守った。
義勇の色は打ち合いのときに見たままの、灰を帯びた青だ。
灰色は鱗滝さんと同じ、俺には輪郭しか掴めない意識の色。
義勇が深く集中したときに見せる色。
「がははは! 守ってるだけか小僧!」
太腕の鬼が義勇に腕を振るいながら吠え、身軽な鬼が義勇の視界から外れるように木々の間を跳ぶ。
義勇は太腕の拳を捌きながら、身軽な方を視界から外さないように位置を変える。
太腕の鬼を見れば、強気な言葉とは裏腹に、二体がかりでも攻めきれないことに焦りの色が見える。
(さすが義勇、二体同時でも受けは危なげないな)
「おい、テメェはさっきから飛び回ってばかりで何やってんだ!!」
「話しかけてんじゃねぇ!! お前こそそんなチビ相手にいつまで掛かってんだ!!」
冷静な義勇と対極に、互いに罵りあう鬼達。
鬼の周りに赤が噴き出る。
思考よりも本能が前に出た、単純で、分かりやすい怒りの色だ。
その色の帯が一直線に義勇に伸びる。
(来る――)
義勇もそれを感じ取ったのか、青が揺れる。
縁だけ灰に揺れていた帯の全体が、澄んだ青に変わる。
義勇が型を放つ前の特有の色。水を思わせる澄んだ青。
ただ一つの「踏み込み」に集中した色。
色の帯が伸びた時には、もう義勇の身体は走っていた。
「――水の呼吸」
息を整える音が、はっきり聞こえる。
「肆ノ型・打ち潮!」
太腕の鬼の懐へと一気に踏み込み、斜め下から、巻き上げるように刀を振る。
波が打ち寄せるような、地面を滑るような足運び。
刃の軌道に合わせて、義勇の身体がしなり、踏み込みの力をそのまま刃へと乗せていく。
単純な攻めになった太腕の鬼の首が、ふわりと浮き上がり、そのまま宙に転がる。
次の瞬間には、鬼の身体が灰になって崩れ落ち始める。
「なっ――」
身軽な鬼が、一瞬、義勇から目を離した。
その隙を、義勇は見逃さない。
水の呼吸の本質は、水の流れの如く止まらないこと。
義勇の打ち潮はまだ終わっていない。
体勢を崩すことなく、そのまま半歩だけ太腕の方に足を送る。
太腕の鬼の崩れゆく身体を足場にするように蹴り、体の向きを変えた。
振り返りざま、軽い鬼の首筋に一閃。
鱗滝さんの型に遜色ない、完璧な型を実戦でやってみせた。
身軽な鬼もまた、驚いた顔のまま灰へと還っていく。
「……はぁっ、はぁっ……」
義勇の肩が大きく上下する。
今度は、刀を握る手がわずかに震えていた。
十分だ。
俺は木陰から出ることにした。
「義勇」
「っ!?」
びくっと肩を跳ねさせて、義勇がこちらを見る。
俺の顔だと分かると、ほっと息を吐いた。
「宗右衛さん……」
「ちゃんと、自分で斬れたな」
そう言うと、義勇は一瞬、泣きそうな顔をしてから、ぎこちなく笑った。
「……はい。怖かったですけど」
「そこで怖いって言えるのが、義勇のすごいとこだよな」
思ったことが、そのまま口から出た。
「俺なんか、さっきからずっと、『どうやって斬るか』ばっかり考えてるからさ」
義勇が、少しだけ不思議そうに俺を見る。
「そっちの方がすごいんじゃないんですか……?」
「うーん、どうなんだろ、俺は怖いのに立ち向かった方がすごいと思ったけど」
二人で首を傾げる。
ふっと笑うように息を吐き出す義勇の色は、さっきよりもずっと、白に近かった。
―――
俺と義勇は、そのまま二人で山を歩くことにした。
互いの鬼の討伐数を確認し、怪我の有無をざっと見合う。
義勇の肩の裂けた羽織の下に、かすり傷がある程度で、大きな傷はなかった。
「斬ったのは、さっきの二体だけです。
宗右衛さんは?」
「俺は、全部で三体かな。
一体ずつ斬らせてもらって、義勇より楽してるけど」
数だけなら悪くないと思う。
ただ、問題はこれからだ。
あちこちから金属のぶつかる音、悲鳴や怒号や、鬼のものと思われる笑い声が聞こえてくる。
「助けに行かなくていいんですか……?」
義勇が、音のする方角をちらちら見ながら言った。
その気持ちは、分かる。
俺だって、耳を塞ぎたいわけじゃない。
「行きたければ、行きたいって言っていいんだよ?」
正直にそう言う。
義勇は、唇を噛んで、少し俯いた。
「行きたいです。
でも――」
そこで言葉を切り、ぐっと息を飲み込んだ。
「でも?」
「宗右衛さんに、止められそうだなって」
「うん。止めるね」
即答した。
「この夜の山で鬼がどこにいるかも分からないのに、初日からあっちこっち走り回ってたら、絶対に体力が持たない。
暗がりの中で、鬼が待ち伏せしてないとも言えないし、自分から飛び込むのは危ないから」
夜はどうしても視界が狭くなる。
音も匂いも光も、鬼の方がよく拾える。
ただし、さっきの鬼たちの様子を見ているかぎり、空腹なのか、かなり積極的に人間を襲いに来ている。
道を外れたところでの待ち伏せはあまり心配しなくて良さそうだが、それは言わない。
「それに、助けに行った先で、俺たちがまとめてやられる可能性だってある。
助けられるはずって向かっても、着く頃には死んでるかもしれない。
そしたら、俺達は無駄に走って、無駄に強い鬼と戦わなきゃいけなくなる」
義勇は、悔しそうに眉を寄せた。
「正しいことをしたつもりでも、結果として、一番悪い形になりかねないんだよ」
だから、と肩をすくめる。
「今は、まだ初日だ。
まずは、自分たちが七日間生き残れる道を選ぶべきだと思う。
誰かを助けるのはその余裕が出来てからだ」
冷たい言い方だとは、自分でも思う。
でも、俺にはどうしても、そう考えてしまう。
(俺がこの山で一番助けたかったのは櫛那姉ちゃんで。
その櫛那姉ちゃんが助からなかったのなら、他の誰かだって助ける必要なんかない。
とは、言えないけどね)
義勇はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……分かりました」
声の調子で分かる。
義勇は全然納得してない。
けれど、俺の言っていることの正しさも理解できる、そういう感じだ。
それでもいい。
その少し後だった。
悲鳴ではない、しゃくり上げるような泣き声が、近くから聞こえてきた。
―――
木の根元に蹲っていたのは、一人の少年だった。
髪をおかっぱに切り揃えていて、額には汗と土が張り付いている。
着物はあちこち破れ、腕には小さな傷がいくつも走っていた。
「あ……!」
こちらに気付くと、少年は縋るような目で見上げてきた。
「た、助けてくれ!」
「えっと、お前……あー、確か、さっきの広場で『鬼なんか楽勝だ』って言ってたやつだよな」
思わず、そんな言葉が口から出る。
少年は、苦笑とも引きつりともつかない顔をした。
「は、はは……言ってたな、そんなことも……」
声も震えている。
「……二人と、一緒に来たんだ」
ぽつぽつと、少年が話し始めた。
同じ育手のところから来た二人の仲間。
鬼に出会うことなく運良く二人と合流して、途中までは一緒に山を歩いていたこと。
最初の鬼に遭遇したとき、三人とも怖くて足がすくんだこと。
「そしたら、もう一匹の鬼がいきなり飛びかかってきてさ。
一人が、すぐに……」
少年の喉が詰まる。
「もう一人は、俺を庇って……。
俺、何も出来なくて……逃げることしか出来なくて……。
気付いたら、一人になってて……」
言葉が途切れ、嗚咽だけが漏れる。
「そのあと、そいつが追ってきて……。
もう駄目だって思ったときに――」
少年が顔を上げた。
「宍色の髪のやつが来てくれたんだ」
「……宍色?」
それは、見慣れた髪の色だった。
「すごい勢いで飛び出してきて、鬼の首、いっぺんで斬っちまったんだよ」
少年の目が、一瞬だけ輝く。
「そしたら少し話して、『ここでじっとしてろ。朝になったら藤の外へ出ろ』って言って、また別の方へ走ってった」
(やっぱり、錆兎か)
義勇が、ぽつりと息を吐く。
「さすが錆兎……」
尊敬と安堵と、不安が混じった声だった。
(さすが、って言葉で済ませられたら楽なんだけどな)
内心、頭を抱える。
(七日生き残ればいいだけの選別で、初日からこんな動き方してたら、体力尽きるに決まってるだろーがよー……。
刀だって無限に使える訳じゃないんだぞ、何やってんだよ錆兎……)
やっていることが間違いだとは思わない。
助けられる命を助けるのは、正しい。
でも、その「正しさ」で死なれたら、残された方はたまったもんじゃない。
頭の中で錆兎にありったけの文句を言おうとして、櫛那のことが頭をよぎる。
櫛那もきっと、こうやって誰かを庇ったんだろうか――。
答えは分からない。
でも、櫛那は多分、錆兎と同じ事をやるだろうなと思った。
かつての夕日の中、助けられなかった家族への悲しみと、その悲しみを抱える人が一人でも少なくなるようにと、決意を語ってくれた櫛那の紅い色が瞼の裏に浮かぶ。
胸の奥で、答え合わせをしてしまったような感覚が広がる。
どこかで、やっと線が繋がった安堵を覚えてしまう自分に、また少し嫌気がさす。
「俺……もう、駄目だ。
こんなの、俺には出来ない」
おかっぱの少年が、ぎゅっと膝を抱える。
「い、今すぐ山を下りちゃ駄目なんですか……?」
試験の基準で考えれば、藤の帯の外に出れば、それは脱落だろう。
ただ脱落で済めば、まだいい。
俺にもどちらの方角が藤の檻の出口に近いのかが分からない。
この闇の中、戦意を失ったまま手探りで山を歩く方が危ないように思えた。
「ここから先は、自分で決めるしかない」
俺は、出来るだけ淡々と告げた。
「俺達はやらなきゃいけないことがある。
足手まといを抱えることは出来ない。
ここで朝まで耐えて山を出るか、さもなきゃ死ぬかだ」
少年が、泣きそうな顔でこちらを見る。
「夜明けまでは、この辺りでじっとしてろ。
木の陰から離れず、動かず、音を立てないようにしろ。
この辺りの鬼は多分もういないから、そうすれば鬼にも、そう簡単には見つけられないだろ」
義勇が、少し驚いたように俺を見る。
「朝になって、陽が昇ったら、道を頼りに山を下りていけ。
それで、お前の試験は終わりだ」
「……それで、いいんでしょうか」
「良いか悪いかは、自分で決めろ。
ただ、俺たちがここでお前に付き合って喋ってたら、それこそ三人まとめて鬼に喰われるかもしれない」
言いながら、自分の言葉の冷たさは分かっている。
義勇が、少しだけ眉を寄せた。
「宗右衛さん、さすがに冷たくないですか……?」
「そうかな」
否定も肯定もしない。
「俺たちは、鱗滝さんの弟子だ。
錆兎も、義勇も、俺もだ。
そして俺は、鱗滝さんに二人を連れて、三人で帰るって約束した」
だから、とおかっぱの少年を見る。
「お前のことを、二人と同じように大事には出来ない。
そんな余裕は、俺にはない」
おかっぱは、唇を噛んで俯いた。
義勇は、少しだけ黙ってから、ぽつりと呟く。
「ここにいれば、しばらくは安全なんですよね……?」
「そう願うしかないな」
出来ることと出来ないことを、ちゃんと分ける。
そうしないと、誰も守れなくなる。
「ああ、それと最後に聞きたいことがある」
少年が顔を上げる。
「宍色の髪の奴が、どっちへ走っていったか。覚えてるか?」
―――
おかっぱの少年と別れたあと、俺たちは少しだけ歩いてから、足を止めた。
「どうしますか……?」
義勇が不安そうに聞く。
「決まってるだろ」
息を一つ吐く。
「錆兎を追う」
あいつは、おそらく今もどこかで鬼を追いかけ回している。
さっきのおかっぱの話だと、既に何人か助けているかもしれない。
「……でも、さっき宗右衛さん、自分たちの体力を温存しようって」
「言った」
認める。
「でも、あいつがこの調子で動き回ってたら、そのうち本当に倒れる」
それはそれで一大事だ。
「走り続けるのは絶対に良くない。
だから、錆兎を見つけて、殴ってでも走り回るのを止めさせる」
義勇が、少しだけ笑った。
「なんか、宗右衛さんらしいです」
「……もしかして褒めてる? それ」
「ふふっ、半分くらいは」
なんとも言えずため息をつく。
「さっきのおかっぱに聞いた『宍色の髪の男が走っていった』方向、覚えてるか」
「はい。
あっちの斜面の方です」
「多分、錆兎のことだから、本当に真っ直ぐ突っ込んでる。
俺達も真っ直ぐ進んでみよう。途中で戦闘音がしたら、その都度考えよう」
そう決めて、俺たちはふたたび走り出した。
夜の山を走るのは、やっぱり危ない。
木の根に足を取られそうになるたびに、義勇の腕を引き、息を合わせて進む。
途中で、人の話し声がかなり近くから聞こえた。
「宗右衛さん!」
「いま行く」
今度は、迷わなかった。
さっきまで「助けには行けない」と言っていたくせに、結局こうなる。
自分の都合の良さに、内心苦笑する。
音のする方へ飛び込むと、そこには鬼の姿はなかった。
代わりに、地面に座り込んだ少年二人と眼が合った。
慌てて刀を構えようとしていたようで、少し気まずい雰囲気が流れる。
「大丈夫か?」
「あ、あんたらも、最終選別の参加者か……?」
「そうだ。急で悪いんだけど、宍色の髪の男と同門でね。
探してるんだけど」
「それなら」と少年は、震える指で斜面の上を指さした。
「宍色の髪のやつがさ、鬼を斬って、助けてくれて、他の悲鳴を聞いて、あっちの方に走ってった……!」
またか。
「ありがとう。ここから、あんまり動くな。
朝まで警戒は怠らないように……」
簡単に指示を出し、義勇と顔を見合わせる。
「行きますか」
「行くしかないだろ」
斜面を駆け上がる。
息が荒くなる。
それでも、足を止めない。
やがて――
空気そのものが変わる地点に、たどり着いた。
―――
そこは、木々が不自然な形で折れ曲がった場所だった。
幹が、根元からえぐられている。
地面には大きな窪みがいくつも穿たれ、土と石がむき出しだ。
さっきまで、何か巨大なものが暴れていた。
そんな痕跡が、そこら中に残っている。
その中心に、ゆらゆらと灰が舞っていた。
人間の何倍もあるような、大きな身体の輪郭だったものが、ゆっくりと形を崩していく。
(でかい……これも、鬼なのか……)
鱗滝さんに厄徐の面を貰ったあの夜の、「鬼は人を喰うごとに強くなる」という言葉が思い出される。
こいつはきっと、この山で一番厄介な鬼の一体だ。
その少し先で、膝をついている影が一人。
「錆兎!」
義勇が叫ぶと、影がこちらを振り向いた。
宍色の髪が、月明かりに薄く光る。
額には汗、頬には土がついていて、息は荒い。
それでも、口元だけは、いつもの調子で吊り上がっていた。
「……早かったな、二人とも」
かすれた声で、錆兎が笑う。
「もうちょっと休んだら……鬼、楽勝だったって、言ってやりたかったんだが……。
ちょっと、しんどかった……」
その言葉に、胸の奥が、ぎゅうと締め付けられた。
「この馬鹿」
思わず出た声は、怒りとも安堵ともつかない響きだった。
「生きてりゃ充分だ」
錆兎は、きょとんとした顔をしたあと、へへっと笑う。
「そうだな。
生きて帰って、あの鍋、また三人で食おうな」
灰が、完全に風に溶けていく。
(櫛那姉ちゃん)
心の中で、そっと呼びかける。
(今度は、俺が“こういう馬鹿”を支えてやれるようになるよ)
そう思いながら、俺は錆兎の肩を支えるために、一歩、彼のそばへ歩み寄った。