鱗滝の養子   作:松雪草

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21話

 狭霧山に戻ってから十日が過ぎようとする朝は、いつもより少しだけ落ち着きなく始まった。

 

 俺は、罠の仕掛けられた山道を駆け上がっていた。

 頭上をかすめる石。足元で跳ねる板。

 思い切り伏せても、まだ背中に「当たるぞ」という気配が走る。

 

(ほんと容赦ないよな、この罠ッ!)

 

 飛んできた石をぎりぎりで避けて、息を吐きながら坂を駆け上がる。

 

「宗右衛! 前!」

 

「わかってる!」

 

 錆兎の声に合わせて、身体をひねる。

 そのすぐ横を、細い竹が勢いよく飛び抜けていった。

 

 前を走る錆兎は、わざとらしいほど大きく身を翻して、竹をぎりぎりで躱す。

 

「ふふん、見える見える!」

 

 自慢げな声に、俺は肩をすくめた。

 

「見えるのは分かったから、あんまりギリギリで避けるなよ。

 服が汚れる」

 

 少し離れたところを、義勇が静かに駆けている。

 罠の気配を読む感覚が、以前よりずっと鋭い。

 足運びに無駄がない。

 

(ほんと、みんな強くなったな)

 

 罠が一段落する辺りで、三人同時に息を吐いた。

 

「……いったん、ここまでにするか」

 

「そうですね。

 汗で冷える前に戻りましょう」

 

 山の上から吹き降ろしてくる風が、汗で濡れた襟足を冷やす。

 いつもの朝。

 いつもの鍛錬。

 

 ただ一つだけ――。

 

「む、カラスが……」

 

 錆兎が突然空を仰いだ。

 

 遠くから錆兎の鎹烏の声が聞こえてくる。

 

「ついに刀が届いたか……」

 

「ああ、鎹烏に日輪刀が届く前に知らせるように約束させたって言ってたよね」

 

 汗を拭いながら義勇が隣に並ぶ。

 

「ちなみに、昨日も一昨日も同じこと言ってたぞ」

 

 錆兎の鎹烏はお喋りが好きなようで、大きな声で喋っているのを聞きつけては、刀が届いたとそわそわしていた。

 

「自分の刀だぞ?

 男なら、期待するのは当然だろ」

 

「男として必要な素質なのか、それ?」

 

 そんなやり取りをしながら、家へと戻る道すがらだった。

 

 風に乗って、チリン、チリン、と涼やかな音が聞こえてきた。

 

 風鈴の音だ。

 それも、一つや二つではない。

 いくつもの風鈴が重なり合って、賑やかな音色を奏でている。

 

「……誰か来たみたいだぞ」

 

 俺が足を止めると、山道の向こうから、奇妙な集団が登ってくるのが見えた。

 

 三人だ。

 全員がひょっとこの面をつけ、唐傘を被り、背中には自分よりも大きな荷物を背負っている。

 

「あれは……」

 

「刀鍛冶だ!」

 

 錆兎が声を弾ませて駆け出す。

 俺と義勇も、慌ててその後を追った。

 

 家の前で待っていた鱗滝さんが、三人の来訪者を迎えているところだった。

 

「鱗滝殿の弟子達は、こちらかな」

 

 先頭に立った、笠に大量の風鈴を下げた男が問う。

 

「いかにも。

 三人ともご苦労だった。

 右から錆兎、義勇、宗右衛と言う」

 

 鱗滝さんに紹介されながら、慌てて頭を下げる。

 

「うむ。我々は刀鍛冶の里の者。

 先日、最終選別を突破された三名の刀を打ち、お届けに参った」

 

 刀、という言葉に、錆兎と義勇の表情がぱっと明るくなる。

 俺も、期待と不安が入り混じったような、不思議な高揚感を覚えた。

 

 三人の鍛冶師たちは、挨拶もそこそこに、土間へと上がり込んだ。

 

 そして、それぞれの担当である俺たちの向かいに座る。

 

 俺の目の前には、笠に風鈴を下げていた、鋼鐵塚蛍(はがねづか・ほたる)さん。

 

 義勇の前には、丁寧な物腰の小柄な男、鉄穴森鋼蔵(かなもり・こうぞう)さん。

 

 そして、初めに刀を取り出したのは、錆兎の前に座ったひときわ大柄で、岩のような筋肉を晒した巨漢だった。

 錆兎の太腿ほどもありそうな剛腕。

 着物の袖を捲り上げ、盛り上がった筋肉が脈打っている。

 

「……鉄地河原 厳鉄(てっちかわら・げんてつ)だ。

 錆兎殿の刀を打たせてもらった」

 

 男は、ひょっとこの面の下から、重低音の声を響かせた。

 

 その威圧感に、錆兎がごくりと喉を鳴らすのが分かった。

 

 けれど、錆兎の目は「どんな刀なんだろう」という、期待に満ちてきらりと光っている。

 

「わざわざ遠いところ、ありがとうございます」

 

 錆兎が姿勢を正して頭を下げると、厳鉄さんは「うむ……」と重々しく頷き、刀の包みを解き始めた。

 

「錆兎殿。

 ……単刀直入に聞くが」

 

「はい」

 

「刀を、折ったことはあるか」

 

 試すような問いかけに、場の空気が張り詰める。

 

 「ある」と答えるのが正解なのか、「ない」と答えるのが正解なのかも分からないが、この質問が鉄地河原さんにとって、大事な質問であることはなんとなく分かった。

 

 「真剣を折れば骨を折る」と脅された俺たちは、日ごろから真剣の取り扱いには注意してきたし、幸いなことに鱗滝さんに骨を折られたことはまだない。

 

 だから、この質問をされたのが俺や、義勇であれば「ない」と即答できただろう。

 

 けれど、錆兎は最終選別で刀を折るその一歩手前まで異能の鬼に追い詰められている。

 

 ちらりと錆兎の横顔を伺うと、真剣な眼差しで真っ直ぐに答えた。

 

「ありません。

 ……ですが、最終選別では、あと一歩で折れるところでした。

 自分の未熟さを痛感しています。

 ですが、必ずもっと強くなります」

 

 錆兎が選んだのは彼なりの誠実さが伝わる、まっすぐな言葉だった。

 強がらず、事実を認め、これからの精進を誓う言葉。

 

 それを聞いた鉄地河原さんは、包みを解く手を止めて、ふう、と深く溜息をついた。

 

「そうか……やはり、そうか……」

 

「え?」

 

「あと一歩で、折るところだった、か……。

 ああ……なんてことだ。

 私は、そんな乱暴な戦いをする人の元へ、この子を嫁がせねばならんのか……」

 

「……は?」

 

 錆兎の目が点になった。

 厳鉄さんの屈強な肩が、みるみると小さく丸まっていく。

 

「いっそ……いっそ、私が打たなければよかったんだ。

 そうすれば、この子が傷つく未来もなかったのに……。

 ああ、私の可愛い刀たち……。

 どうしてこの世はこんなに過酷なんだ……」

 

 鉄地河原さんは、大きな手でひょっとこの面を覆い、しくしくと泣き始めた。

 

 こちらの三人が唖然とする。

 

 俺もあまりのことに、思わず鉄地河原さんの色を見る。

 周りに漂う色は、じめじめとした湿気を含んだ暗い苔色。

 見ているだけで気が滅入りそうな、重たくて湿っぽい悲しみの色だ。

 

 これは、本当に悲しんでいる、らしいのだが……。

 これは……なに?

 

「あ、いや、あの……?

 俺は、次は絶対に折らないように大事に使うと……」

 

 錆兎が慌てて言葉を繋げるが、それが余計に燃料を投下した。

 

「『次は』……?

 つまり、いつかは折れるかもしれないという覚悟があるということかね?

 ひどい……なんてひどいことを言うんだ君は……!

 形あるものはいつか壊れる、そんな無常を、生まれたばかりのこの子に突きつけるのか……!」

 

「えええ……この子に……?」

 

 錆兎が助けを求めるように俺を見る。

 

 でも俺だってこんなのどうしたら良いのか分からない。

 ただ分かったのは、あの筋骨隆々とした体躯からは想像もできない程に、後ろ向きな人物であるらしいということだけ。

 

 錆兎には視線だけで「頑張れ」と送る。

 

 錆兎が壊れたカラクリのように、ギリギリと首を回して鉄地河原さんに向き合う。

 今の錆兎に必要なのは、刀よりも彼とまともに会話ができる人かもしれない。

 

 俺の目の前にいる鋼鐵塚さんは、我関せずといった様子で刀の包みを解いている。

 

 身体を小刻みに震わせながら、俺の顔と、まだ鞘に収まったままの刀を交互に見ている。

 

 鉄地河原さんの方の補助とか、説明とか、なにもないの……?

 な、なんで喋んないの?

 なんか怖い……。

 

「……えー、冨岡殿、でしたね」

 

 唯一、まともな会話が成立しそうな鉄穴森さんも、鉄地河原さんを無視して、義勇に穏やかに刀を差し出している。

 

「改めまして、私は鉄穴森と申します。

 あなたの刀は、兄弟子とお聞きしました宗右衛殿の拵えを元に、私の持てる技術の全てを注いで打ちました。

 いかがでしょう?

 水の呼吸の使い手ということで、柄糸の色にもこだわってみたのですが……」

 

 鉄穴森さんの言葉に、義勇が刀を受け取る。

 しげしげと鞘を見つめ、柄を握り、少しだけ鯉口を切る。

 

「…………」

 

 無言だ。

 なんともいえない真顔で、じっと鉄穴森さんを見つめている。

 

 鉄穴森さんの顔が、仮面の下で少しずつ引きつり始めた。

 

「……あの、冨岡殿?

 もし、何か気に入らない点があれば、遠慮なく……」

 

「いえ……良い刀です……」

 

 義勇ーーーー!!

 それだとなんか言いたいことあるけど黙ってるみたいな間になってる!!

 

 鉄穴森さんも困ってるよ!!

 

 俺には義勇の周りには、感動と感謝を表す「白」と「青」の混じった綺麗な色が溢れ出しているのが見える。

 

 でも、当然それは鉄穴森さんには見えない。

 

 義勇、なんでそんな言葉少ないの?

 

 最終選別の時もちょっとおかしいなと思ってたけど、もしかして初対面の人と喋るの苦手なの?

 

(……まずい)

 

 俺は額に汗が滲むのを感じた。

 

 右では、泣き崩れる巨漢の鉄地河原さんと、会話が成り立たずおかしくなっている錆兎。

 

 左では、無言のまま何を考えているのか分からない表情で固まってる義勇と、笑顔のまま気まずくなっている鉄穴森さん。

 

 正面では、俺の顔を穴が開くほど見つめて、何故か鼻息を荒くしている鋼鐵塚さん。

 

(え、なにここ……藤襲山より、精神的に堪えるかもしれない。

 帰りたい。

 あ、家ここだった)

 

 俺は遠い目をして、助けを求めるように鱗滝さんの方を見た。

 

 俺たちが敬愛する師は、腕を組んで目を閉じていた。

 

 ……全く関わる気がない。

 

「お前ら、いいからさっさと刀を抜いてみろ」

 

 突然、鋼鐵塚さんが口を開いた。

 

「日輪刀は別名『色変わりの刀』。

 持ち主によって色が変わるんだ。

 特に宗右衛、俺の刀が何色に染まるのか、早く見せてくれ!」

 

 鋼鐵塚さんに急かされるまま、俺たちは観念したように刀に手を伸ばす。

 

 まずは、義勇。

 静かに鯉口を切り、刀身を抜き放つ。

 

 しゃらり、と涼やか音がして現れた刃は、根元から切っ先まで、鮮やかな「青」に染まる。

 

「おお……!」

 

 鉄穴森さんが感嘆の声を漏らす。

 

 それは、どこまでも深く、澄んだ水の色だった。

 義勇の心根が現れたような、美しい青。

 

「良いですねぇ。

 まさに水の剣士といった、綺麗な青だ」

 

 鉄穴森さんも先ほどまでの気まずさも忘れて、自身の打った刀が美しく色づくのを喜んでいるようだ。

 

 次に、少し疲れた様子の錆兎が勢いよく抜刀する。

 

 現れたのは、独特な渋い輝きを放つ刀身だった。

 

 基本は黄緑色に近いが、そこに鈍い金色のような茶色が混じっている。

 「威光茶(いこうちゃ)」だろうか、渋みのある、力強さを感じさせる色。

 

「……ほう」

 

 泣いていた厳鉄さんが、涙目で顔を上げた。

 

「……とても、品のある色だ……。

 でも、こういう綺麗な色に限って、ポッキリいくんだ……ああ、可哀想に……」

 

「だーかーら、折らねぇように気を付けるって言ってんだろ!!」

 

 錆兎が堪えきれずに叫ぶ。

 

 二人とも、見事な変化だ。

 

 日輪刀は“ある程度”の実力が無いと色が変わらない、というのは鱗滝さんの言葉だ。

 

(俺は……)

 

 俺は、ずしりと重く感じる柄を握りしめた。

 

 正直、怖い。

 

 ここで色が変わらなかったら?

 

 それは、俺が鱗滝さんの弟子として相応しくないという証明になってしまう気がして。

 

「おい、早くしろォ!!」

 

 鋼鐵塚さんの怒号に背中を押され、俺は覚悟を決めて刀を抜いた。

 

 すらり、と現れた刀身。

 俺は、目を見開いた。

 

 変わ、らない?

 

 いや、違う。

 よく見れば、刀の表面が、うっすらと曇ったように変化している。

 一見、鋼の色のまま、何色ともつかない、くすんだ淡い、淡い灰色に。

 

 白鼠(しろねず)色。

 

「…………あ?」

 

 鋼鐵塚さんの口から、低い音が漏れた。

 

 鋼鐵塚さんの周りの色が、どす黒い何かに変わっていくのが見えた。

 

「日輪刀の色が変わらないような奴にやる刀はねぇぞ!!!!」

 

「えっ……あ、いや!

 よく見てください、鋼鐵塚さん。

 ほら、うっすらと、色が……」

 

「地味だァァァァァッ!!!!!」

 

 鼓膜が破れそうな絶叫と共に、俺は鋼鐵塚さんに圧し掛かられた。

 

「なんだこの色はァ!!

 鮮やかさがない! 覇気がない!

 どっちつかずだァ!!

 俺の最高傑作が、こんな鼠色になるなんてェェ!!」

 

「ぐわあああ!! 殴らないでえええ!!」

 

「お前みたいなやつの頭なんぞ、かち割ってやる!!」

 

 揉みくちゃにされながら、俺は視界の端で、地面に転がった自分の刀を見た。

 

 白鼠色。

 何色にも染まらず、何色でもない色。

 

 水にもなれず、炎のような激しさもなく。

 ただ、ぼんやりとした鼠色。

 

 妙に、腑に落ちた気がした。

 

 俺の心にある、認めたくない事実。

 

 刀の色で、その人の適性のある呼吸が分かるという。

 

 きっと俺は、「水の呼吸で柱になれる」ほどの適性はない。

 

 それが、俺という人間そのものの色なのだと、刀が教えてくれているようだった。

 

 ひとしきり暴れた鋼鐵塚さんが、息を切らして畳に突っ伏したあと。

 ようやく静けさが戻った部屋で、鱗滝さんが俺の刀を拾い上げた。

 

「白とは……珍しい色だ」

 

 そう言って、刀身を光にかざす。

 

「宗右衛」

 

 鱗滝さんが、刀を俺に差し出した。

 

「お前は、お前のやり方で生きろ。

 誰かの真似をする必要はない。

 やりたいようにやれ」

 

 その言葉に、胸のつかえが少しだけ取れた気がした。

 

 何色でもないなら、何にでもなればいい。

 錆兎の隣にも、義勇の隣にも、この色はきっと寄り添える。

 

「……はい」

 

 俺は、日輪刀を受け取った。

 

 その重さは、さっきよりも少しだけ、手に馴染むような気がした。

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