鱗滝の養子   作:松雪草

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4月になりましたね、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

年度初めですのでね、皆さんも進学、就職、異動などなどなどなど……忙しない時期ですね。

私は異動がありましてなんかもう色々あって心が死にそうです!

皆さんも心も体も健康に気を付けて、死なない程度に頑張っていきましょうね!


28話

 目を開けると、天井の木目がまだ薄暗く浮かんでいた。

 

 障子の向こうから、夜の名残を帯びた青白い光が、遠慮がちに部屋の縁だけを照らしている。

 しばらくぼんやりと天井を見つめてから、ゆっくり息を吐いた。

 

 煉獄家の客間。

 昨日のうちに頭では理解していたが、寝起きの心にはまだ少しだけ現実味が薄い。

 

 身を起こすと、外はしんと静かだった。

 だが、まったくの無音ではない。遠くの方で、何かが擦れるような音がする。火を起こす気配にも聞こえた。

 

 狭霧山にいた頃からの習慣で、朝は勝手に目が覚める。

 俺は布団を畳み、部屋を軽く整えた。借りた部屋を散らかしたままにしておくのは性に合わない。

 

 身支度を整える。

 袴の紐を結び、刀を腰に差す。そこでようやく、体の内側にいつもの感覚が戻ってきた。

 

 忘れ物がないか一通り確かめてから、部屋を見回す。

 それでも、いつまでもじっとしているのは落ち着かなかった。

 

(……勝手に歩き回るのは悪いか)

 

 そう思いはする。

 だが、音のする先が気になるのも事実だった。

 

 少しだけ迷ってから、俺は廊下へ出た。

 板張りの床はよく磨かれている。朝の冷たさが足袋越しにも伝わってきた。

 

 音は、廊下の奥からしていた。

 

 進んでいくと、ほのかな出汁の香りと湯気が、開け放たれた厨から流れてきた。

 淡い光を背にして、瑠火さんが炉の前に立っている。鍋に湯を張り、静かな手つきで味噌を溶いていた。

 

「……瑠火さん」

 

 俺が声をかけると、瑠火さんは振り返り、昨夜と同じ柔らかな微笑みを見せた。

 

「おはようございます、宗右衛さん。お早いのですね」

 

「おはようございます。あの……何か手伝えることはありませんか」

 

 言ってから、少し早まったかと思った。

 客間から出てきていきなりこれでは、落ち着きのない若造に見えたかもしれない。

 

 だが、瑠火さんは気にした様子もなく、やわらかく首を振った。

 

「とんでもありません。お客様にそのようなことはさせられません」

 

「いえ、でも、こちらこそ世話になっている身ですし」

 

「それでも、です」

 

 短い言葉なのに、責任とやさしさの両方がにじんでいた。

 それでも、ただ見ているだけではどうにも落ち着かない。

 

「弟子みたいなものですから、こういうのは慣れてます」

 

 思わず言うと、瑠火さんが少しだけ目を丸くした。

 俺は慌てて言い足す。

 

「すみません、弟子“みたい”じゃなくて、一応ちゃんと弟子なんですけど……家事も山仕事も一通りやってきたので。邪魔でなければ、何でも」

 

 瑠火さんの目元がふっと緩む。

 

「そうですか。では……そこまで仰るなら、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか」

 

「はい」

 

 返事が少し大きくなって、自分でも少し気恥ずかしい。

 

「では、お椀を並べていただけますか。椀はそちらの棚にあります」

 

「それくらい、いくらでも」

 

 器棚へ向かうと、瑠火さんがまた静かに笑った。

 その微笑みは、まだ朝の冷たさが残る厨の空気を、じわりとやわらげていくようだった。

 

 俺は袖を軽くまくり、言われた通りに器を出しはじめた。

 どれもよく手入れされていて、使い込まれているのに曇りがない。

 

「本当に慣れていらっしゃるのですね」

 

「鱗滝さんのところでは、手の空いてるやつがやる感じだったので」

 

「皆さんで、ですか?」

 

「はい。……まあ、やる気の差はありましたけど」

 

 思い浮かぶのは、狭霧山の朝の匂いが満ちるあの家だ。

 

 俺が布団を片付けている間、錆兎は寝間着のまま鍋を眺めている。

 義勇は無言で飯台を整え、鱗滝さんは竈の前で火の具合を見ている。

 

 必要以上のことを語らず、それぞれがやるべきことをしていた。

 山の空気と炊き立ての米の匂い。誰かのあくび。梁の上の烏の気配。

 それが、俺にとっての確かな温もりだった。

 

 瑠火さんは興味深そうにそれを聞いて、やがて静かに頷いた。

 

「鱗滝様のお家が、少し見える気がします」

 

「そうですか?」

 

「ええ。厳しくて、けれど、きちんと暮らしていらっしゃる家なのだろうと」

 

 その言い方が、何だか妙にうれしかった。

 俺はほっとしながら、器の位置を揃える。

 

 ふと瑠火さんの横顔を見る。

 手つきには慣れがあるのに、動きの節々に小さな間が混じっていた。朝の支度の合間に、ほんのわずか息を整えるような沈黙が差し込む。

 

 体調が優れないというのは、本当なのだろう。

 

 何も言わずにいると、瑠火さんの方が先に口を開いた。

 

「ご心配なさらなくても大丈夫ですよ」

 

「……顔に出てましたか」

 

「少しだけ」

 

 やわらかく笑われて、俺は素直に頭を下げるしかなかった。

 

「すみません」

 

「いいえ。ですが、今日は昨日より楽なのです。こうして朝の支度もできますし」

 

 それが気遣いなのか本心なのか、たぶん両方なのだろう。

 無理に踏み込むべきではない気がして、俺は小さく頷いた。

 

 その時、廊下の向こうからばたばたと足音がした。

 

「母上! おはようございます!」

 

 杏寿郎の声が屋敷じゅうに明るく響く。

 続いて、もう少し小さな足音。

 

「お、おはようございます……!」

 

 千寿郎が後ろから顔を出した。

 

「おはようございます、杏寿郎、千寿郎」

 

 瑠火さんがふわりと応える。

 杏寿郎はすでに支度を済ませているらしく、しゃんと背筋を伸ばしていた。千寿郎は目をこすりながらも、しっかり木刀を抱えている。

 

「宗右衛さん! もう起きておられたのですね!」

 

「まあ……癖で」

 

「うむ! 早起きは良いことだ!」

 

 朝から全力である。

 

 千寿郎が俺の方を見て、ぺこりと頭を下げた。

 

「お、おはようございます、宗右衛さん」

 

「おはよう、千寿郎くん」

 

 そう返すと、千寿郎は少しだけ安心したように目を瞬かせた。

 

 朝食の支度は程なく整った。

 座敷に瑠火さんが座り、杏寿郎と千寿郎が続き、俺も勧められるまま席に着く。

 

 そこで初めて、用意がひとつ足りないことに気づいた。

 

「あの……槇寿郎さんは」

 

 訊ねると、杏寿郎が当然のように答えた。

 

「父上は鬼狩りに出ておられる!」

 

 俺は箸を持つ手を止めた。

 

「もしかして、昨日のうちに?」

 

「うむ! 夜に伝令があったのだ!」

 

 あまりにも自然な口ぶりだった。

 今日の天気を言うように、父が鬼を斬りに出たと告げる。

 

「留守の間は、俺が家を預かるよう仰せつかっている! それから、宗右衛さんとは一緒に鍛錬するようにとも!」

 

 迷いのない返事だった。

 その目の奥には、父が鬼狩りに出たことを当然のこととして受け止める、澄んだ光だけがある。

 

「……そうなんだ」

 

「はい!」

 

 視線を逸らすと、千寿郎も静かに椀を持って食事を続けている。

 驚いている様子も、寂しがっている様子もない。幼さは残っているのに、この家の当たり前を自然に受け入れている顔だった。

 

 俺には、それが少し不思議だった。

 

 鱗滝さんが鬼狩りに出る時、俺はその背中をじっと見送った。

 見送れない時でも、心の底では「どうか無事で」と願っていた。

 

 鱗滝さんが欠ければ、あのあたたかな家の輪が崩れてしまうような気がしていた。

 最終選別の時だって、錆兎や義勇のことを考えると胸がざわついた。

 

 だが、煉獄家は少し違う。

 

 父が鬼狩りに出る。

 残された家族は淡々と役目を背負う。

 語るでもなく、騒ぐでもなく、日々の鍛錬と暮らしを続けていく。

 

 行く側も、待つ側も、その覚悟をわざわざ口にしない。

 

 俺は箸で米を口に運んだ。

 炊き立ての白米はやわらかく、噛むほどに甘さがゆっくり広がっていく。

 

 その温かさが、かえって胸の奥にひやりとしたものを生んだ。

 

 この家では、鬼狩りが日常なのだ。

 

 厳しいようにも思えるが、決して冷たいわけではない。

 むしろ、ひどく強い。

 

 そこに、自分の知らなかった生き方の差を感じた。

 

 朝食を終えると、杏寿郎がすぐさま立ち上がった。

 

「では宗右衛さん! さっそく鍛錬に参りましょう!」

 

「今から?」

 

「今からです!」

 

 勢いに押されながら瑠火さんを見ると、苦笑しながらも鍛錬に向かうように促される。

 

「分かった」

 

 そのまま庭へ出ると、朝の冷たい空気がまだ残っていた。

 

 千寿郎は俺の隣で、木刀を腰に差している。

 

 先を歩く杏寿郎が、こちらへ振り向いた。

 

「まずは宗右衛さんにも、千寿郎と共に基礎から行っていただきます!」

 

「何からすればいい?」

 

「まずは立つ練習です!」

 

 即答だった。

 

「立つ、練習……?」

 

 杏寿郎は千寿郎の肩を軽く叩く。

 

「千寿郎、まずはお前からだ!」

 

 千寿郎は小さく息を吸い、足を揃えて直立する。

 肩の力を抜こうとしているが、まだわずかに緊張が残っている。

 

「宗右衛さんも千寿郎を真似してください!」

 

「わ、分かった」

 

 俺も千寿郎を真似るように、静かに足を揃えた。

 土の上に立つ両足の裏に、朝露の冷たさがほんのり沁みてくる。

 

 そして、立つ練習と言われて生まれて初めて、「立つ」ことを意識した。

 千寿郎を真似るつもりで立ったのに、自分の足のどこへ重心を置くべきか、一瞬迷う。

 

 杏寿郎は真剣な面持ちで二人を見比べ、ゆっくりと説明し始めた。

 

「自然に立つだけでは、人の身体というのはとても不安定なんです。炎の呼吸では、まず正しく、安定して立つことを身につけます!」

 

 俺は思わず足裏の感触に意識を向ける。

 

 杏寿郎は、槇寿郎に何度も指摘されて身につけたのであろう立ち方の注意を、迷いなく口にしていく。

 

 親指のつけ根、小指のつけ根、かかと。

 三点で地面を押し広げるように立つこと。

 腰を少し落とし、左右の足裏にかかる重さを揃えること。

 目線は遠く、背筋はまっすぐ。

 頭のてっぺんから糸で引かれているように、重力と吊り合いを取ること。

 呼吸に合わせて、余分な力だけを静かに抜いていくこと。

 

 千寿郎も大きく息を吐きながら、少しずつ身体の力を抜いていく。

 その様子を横目に、俺も同じように、体の内側に残るわずかな緊張を流した。

 

 何度か杏寿郎に姿勢を直されながら、身体の隅々に意識を巡らせる。

 庭の端で枝葉が揺れ、静かな朝日が地面を照らし始める頃、ただ「正しく立つ」ことの難しさにふと気づいた。

 

 杏寿郎は誇らしげに続けた。

 

「この立ち方を、ひと時も崩さずできるようになったら、次へ進めるのです! 昔の自分も、何度も何度も父上に立たされました!」

 

 その言葉に、俺は初めて、炎の呼吸の家が受け継いできたものの一端に触れた気がした。

 

 単純に見えることを、ただひたすらに、愚直なまでに繰り返す。

 その反復が、この家の強さを形づくっているのだ。

 

 どれくらいそうしていただろうか。

 朝日がゆっくり庭に降り注ぎ、自分の呼吸だけがやけに耳につく頃、ようやく杏寿郎の声が響いた。

 

「そこまで!」

 

 その言葉に、俺も千寿郎も同時に小さく息を吐いた。

 緊張の糸がほどける。

 

 杏寿郎がぱっと俺に満面の笑みを向ける。

 

「こんなにわずかな時間で正しい立ち方を習得されるとは、さすがです!」

 

 素直な賛辞に、少し照れくさい気分になる。

 だが、鱗滝さんに「骨で立て」と付きっきりで鍛えられた日々を思えば、どこか誇らしくもあった。

 

「……うん。鱗滝さんの修行が厳しかったからね」

 

 自然と笑みがこぼれる。

 横では千寿郎も、どこか誇らしげに背筋を伸ばしていた。

 

「さて、次は何をする?」

 

 俺が問うと、杏寿郎は意気込みに満ちた顔で木刀を差し出してきた。

 

「運足の練習です!」

 

 打ち合いになるのだろうと思っていた俺は、つい笑いそうになる。

 

「いや、まあ、やるけどさ」

 

「基礎は何より大事ですから!」

 

 杏寿郎の真剣な眼差しに、冗談めいた気持ちはすぐに引っ込んだ。

 

 俺は木刀を受け取り、杏寿郎と並ぶ。

 

 踏み込む。

 引く。

 腰を捻る。

 木刀を振り下ろし、時に薙ぐ。

 

 ひとつひとつは基本中の基本だ。狭霧山でも腕が上がらなくなるほど繰り返した。

 今さら、と思う気持ちがどこかにあった。

 

 だが、「正しく立つ」ことを守りながらとなると、話はまるで違ってきた。

 

 無意識に省いていた身体の細かな調整、足裏の圧、腰の高さ。

 それら全部を意識しなければ、すぐどこかが崩れる。

 雑に動かせば、重心はあっという間に揺らいでいく。

 

 さっきまではただ静かに立っていただけで、これでは「身についた」などとはとても言えない。

 俺は少しだけ、調子に乗っていた自分が恥ずかしくなった。

 

 ふと視線を横に送ると、まだ身体に幼さを残した杏寿郎の姿が映る。

 

 背丈も俺より低い。

 筋肉のつき方も、これから育つものだと分かる。

 

 けれど、その動きはまっすぐだった。

 

 踏み込みにも、木刀を振るう腕にも、迷いがない。

 踏み出す一歩も、振るう一太刀も、「これでいい」という確信を持っているように見える。

 

 俺は、自分の視線が足元に落ちそうになるのをなんとか堪えた。

 

「よし!」

 

 杏寿郎の声が、空気の張りつめた鍛錬に一区切りをつけた。

 

 千寿郎はその場に膝をつき、肩で荒く息をしている。

 俺は静かに水筒を取り出して差し出した。

 

「ほら」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 太陽はもうかなり高い。そろそろ昼が近いのだろう。

 

 杏寿郎がくるりとこちらを向き、両目を輝かせて言った。

 

「宗右衛さん、軽く打ち合っていただけますか!」

 

「軽く、ね」

 

「はい! 軽くです!」

 

 軽くで済むのだろうか、と俺は思う。

 だが杏寿郎の目はきらきらしていて、断れる空気ではない。

 

「分かった」

 

 二人は向かい合い、距離を測る。

 

 杏寿郎の構えは、まだ成長しきっていない身体の線に不似合いなほど、正確で揺らぎがない。

 足元から一本の糸が天へ伸びるように、まっすぐ俺を見据えていた。

 

 正面から来る。

 色で分かる。

 

 迷いのない太刀筋。

 澱みも小細工も入り込む余地がない。

 

 俺は木刀を正眼に構え、深く息を吐いた。

 

「いつでもどうぞ」

 

「行きます!」

 

 杏寿郎が一直線に踏み込んでくる。

 

 速い。

 だが、まだ見える。

 

 体の未熟さ。間合いの詰め方の粗さ。直線的な動き。

 その全部を、俺の経験が受け止める。

 

 打ち込まれた木刀をさばき、半歩ずらし、自分の得意な間合いを作る。

 相手の勢いを流すようにして、一打を返す。杏寿郎も必死に食らいつき、乾いた音が何度も庭に響いた。

 

「もう一度!」

 

 杏寿郎が笑う。

 

 俺は受け、流し、時に攻めを入れる。

 何合か交えれば、実戦経験の差ははっきり出た。今の時点では、俺の方が一枚上だ。

 

 それは杏寿郎も分かっているだろうに、その表情には楽しくて仕方ないと書いてあるようだった。

 

 少年特有の楽しさ。

 いや、まなざしだけは、幼さ以上に澄んでいる。

 

 ただ、これが今だけの優位だということも、肌で分かっていた。

 

 それ以上に姿勢の正しさがもたらす安定、太刀筋の鋭さ、攻防の切り替え。

 杏寿郎の動きには、無駄な力の入り込みがない。

 

 崩れなく立ち続ける芯。

 これが炎の呼吸の基礎がもたらすもの。

 

 ふと、脳裏をよぎるのは、あの山で同じように三人でしのぎを削った日々だった。

 

 錆兎と義勇の姿を思い出す。

 

 互いに自分の持ち味を認め、吸収し合いながら、少しずつ高みに手を伸ばしてきた。

 今だけの優位。

 それはいつだって、数日後には誰かに追い越されていく。

 

「はあっ!」

 

 再び返ってきた杏寿郎の打ち込みを、丁寧に受け流す。

 

 手首を返し、木刀の先を素早く相手の脇腹に当てる。

 

 静まり返った庭で、千寿郎が小さく息を呑むのが聞こえた。

 

「……一本、かな?」

 

 俺が言うと、杏寿郎は一瞬きょとんとしたあと、ぱっと顔を輝かせる。

 

「うむ! 負けました!」

 

 悔しさよりも、真っ直ぐな嬉しさが先に立っている。

 

「やはり宗右衛さんは強いですね!」

 

「いや……今のは年と経験の差だよ」

 

「それでも強いものは強いです!」

 

 きっぱり言われれば、うまく返す言葉もなく、俺は自然と木刀を下ろした。

 

 今は、どう動いても自分の方が上回れる。

 心も技も経験も、まだ差があるのだと分かる。

 

 それにもかかわらず、心の奥にじっとりとしたものが沈みはじめるのを感じていた。

 

 杏寿郎の目に宿る真っ直ぐな意志と、立ち姿のぶれなさ。

 そして、迷わずに「斬るべきもの」を見つめられそうなまなざし。

 

 胸の中の何かが、ぞくりと震えた。

 

 自分は、鬼を斬ってきた。

 

 襲いかかられれば、斬るしかなかった。

 

 そのたびに胸の奥には、うまく名づけられない燻りだけが残った。

 

 それに比べて、この家はどうだ。

 

 鬼狩りを、もっと当たり前の責務として抱いているように見える。

 少なくとも、今の俺の目にはそう映る。

 

 その違いが、少しだけ怖かった。

 

「もう一度お願いします!」

 

 杏寿郎が木刀を握り直す。

 

「……まだやるの?」

 

「もちろんです!」

 

 迷いを取り繕うように、わざと大きく息を吸った。

 

「はいはい、分かったよ」

 

 そう答えて、もう一度木刀を構える。

 

 庭の端では、千寿郎もまた苦しそうな顔の奥に何かを見つめながら、木刀を握り直していた。

 庭の向こう、座敷の中からは、瑠火さんが静かにこちらを見守っている。

 

 この家では、昨日の延長のまま、今日も明日も、鍛錬と暮らしと鬼狩りが途切れずに繋がっていくのだろう。

 

 俺は改めて木刀を構えた。

 

 まだ、ここへ来たばかりだ。

 それなのに、胸の内側のどこかを静かに抉られている気がする。

 

 煉獄家の朝は、思っていた以上にあたたかく、そして厳しかった。

 その眩しさを、まっすぐ見返す勇気が、今の自分にはまだ持てそうになかった。

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