鱗滝の養子   作:松雪草

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葬式だったり、友人の仕事の手伝いをしたりとしていたら、ここ何週間か休みの時間がなくなり更新止まっておりました。

ごめんなさい!!!!


33話

 水の呼吸を教える鍛錬は、それから数日続いた。

 

 最初はただの思いつきだったが、いざ杏寿郎君と千寿郎君の前に立つと、それだけでは済まなかった。

 

 まずは、体で覚えていただけの水の呼吸が持つ理念を言葉にしなければならない。

 

 それを言葉にしようとすれば、自分が水の呼吸の何を分かっていないのかが、嫌でも見えてくる。

 

 それは、思っていたよりもずっと難しいことだった。

 

「水が流れるように動く」

 

 そう言ったはいいが、では水が流れるように動くとはどういうことかと問われれば、俺自身もすぐに答えに詰まる。

 

 足を緩める。

 腰を立てすぎず、落としすぎないこと。

 身体の一箇所だけで刀を振らないこと。

 

 受けは、流すように。

 流した力をそのままに、次へ移る。

 次へ移った先で、また刃を流れに乗せる。

 

 そうして言葉にしながら、俺は少しずつ、自分が鱗滝さんから何を教わっていたのかを掘り返していった。

 

 狭霧山で、転げ落ちながら覚えた足の置き方。

 滝の前で、呼吸が乱れぬよう叩き込まれた身体の使い方。

 錆兎の重い一撃を避けるために、義勇の静かな刃を読み違えぬために、必死に考え続けた間合い。

 

 俺の中にある水は、綺麗なものではない。

 

 泥にまみれ、木の根に足を取られ、それでも次へ動くためのものだ。

 

 それを人に教えるとなると、なかなか骨が折れた。

 

「千寿郎君。そこで足を止めない方がいい」

 

「は、はい」

 

「受けたあと、そのまま次に行くつもりで。受けて終わりじゃなくて、受けた力を貰いながら始める感じかな」

 

「受けた力から、始める……」

 

 千寿郎君は木刀を握ったまま、真剣な顔で繰り返した。

 

 まだ身体が小さい。

 木刀の重さにも振り回されている。

 全集中の呼吸が出来ないのは当然として、体力もまだまだ足りない。

 疲れが出てくると、足を動かそうとすれば腕が遅れ、腕を意識すれば腰が止まる。

 

 杏寿郎君のように、一度見ただけで型を身に着けるようなことはできない。

 

 けれど、千寿郎君はよく考える子だった。

 

「宗右衛さん」

 

「うん?」

 

「水は止まらないことを重んじているんですよね?」

 

「うん、そうだね」

 

「でも、構える時は止まっていますよね。止まっている時は、水として構えているわけではないのですか?」

 

 思わず、言葉に詰まった。

 

 千寿郎君は不安げにこちらを見る。

 

「す、すみません。変なことを聞いてしまいましたか……?」

 

「いや」

 

 俺は首を振る。

 

「変じゃない。今のは、すごく大事なことだと思う」

 

 止まっている時は、水ではないのか。

 

 そんなこと、考えたこともなかった。

 

 炎の呼吸は立ち方から学んだし、毎日立ち方の稽古から始める。

 けれど、水の呼吸の訓練でそんなことをしたことはない。

 

 けれど、水の立ち方とてただ固まって立っていることとは違うはずだ。

 

 静かに自分の身体の感覚を探る。

 

 水の立ち方と、炎の立ち方を変えながら、その差を何とか言葉にしてみる。

 

 水として立っているとき、止まっているように見えても、身体は次へ行ける状態でいること。

 どこへでも移れるような、“不安定さ”を身体の中に残しておくこと。

 

 歩くのに適さない不安定な山の道を走らされる中で、いつのまにか身に着けていた立ち方。

 

「言葉にするのは少し難しいけど……水の立ち方は、止まっているんじゃなくて、留まっている、んだと思う」

 

「留まる、ですか?」

 

「うん。葉の上の朝露みたいな、その場にあるけど、まだ動いていないだけ、というか。

 少しの力で、どこへでも流れ出してしまうような、そんな感じかな?」

 

 言いながら、自分でも少し驚いた。

 

 千寿郎君に説明するために言葉を探しているはずなのに、その言葉で俺自身が教えられている。

 

 千寿郎君はしばらく考え込んで、それから小さく頷いた。

 

「では、止まって見える時も、“不安定さ”という準備をしているのですね」

 

「……そうだと思う」

 

 千寿郎君は頭が良い。

 

 今の段階では剣の才は分からないけれど、物事を掴もうとする時の目がいい。

 

 杏寿郎君は見て、感じて、身体で学ぶ。

 

 千寿郎君は頭の中で組み立てて、言葉にして問うことで、型の奥にあるものを探ろうとしている。

 

 俺は二人を見ながら、不思議な気持ちになっていた。

 

 水の呼吸を教えているのは俺のはずだ。

 だが、学んでいるのもまた俺だった。

 

 杏寿郎君は、相変わらず恐ろしいほどの速さで動きを拾っていく。

 

 水の立ち方をしても、水にはならない。

 水の足運びをしても、炎の芯が消えない。

 

 槇寿郎さんに言われた通り、杏寿郎君は水に引きずられていない。

 

 水になろうとするのではなく、炎のままで水から学べるものだけを取り込んでいく。

 

 受け流しの動きを見せれば、翌日にはその一部が杏寿郎君の打ち込みに混じっていた。

 相手の力を受けるときに流して終わりにするのではなく、受けた瞬間に身体の芯ごと回転して次の踏み込みへ。

 

 それは水の呼吸ではない。

 けれど、水の理念を取り込んだ炎の呼吸だった。

 

 俺が何日も考えてようやく言葉になるものを、杏寿郎君は言葉にする必要すらないままに身体の中であっさりと掴んでしまう。

 

 思うところが無いわけではない。

 

 だが才能ある者が、自分より先に進むこと。

 

 そんなことは、今さらだった。

 

 錆兎も、義勇もそうだ。

 杏寿郎君も、間違いなく才能がある側だ。

 

 そんなことで落ち込む暇なんてない。

 

 けれど、鱗滝さんの弟子としてここに来ているという事実が心の奥で重みを増している。

 

 杏寿郎君はどんどんと俺の水の型から技術を吸収しているというのに、肝心の俺はまだ何も掴めていない。

 

 鱗滝さんが道を用意してくれた。

 槇寿郎さんが時間を割いてくれている。

 杏寿郎君も千寿郎君も、俺の思いつきに付き合ってくれている。

 

 これだけのものを受け取っているのに、自分はちゃんと前に進めているのか。

 

 そう思うと焦りと不安が、ずっと足元に絡みついている。

 

 それでも、立ち止まるわけにはいかない。

 

 

―――

 

 

 俺は、それから数日、炎の呼吸と水の呼吸を交互に振り続けた。

 

 そうして、炎の型が身体に馴染んできた頃に、お互いの型を混ぜるように練習した。

 

 炎の立ち方で、水の型を振ってみる。

 水の立ち方で、炎の型をなぞってみる。

 

 杏寿郎君との立ち合いでも、同じことを試した。

 

 炎の立ち方のまま、相手の打ち込みを受け、流し、次へ繋げる。

 水の立ち方のまま、身体の芯を逃がさず、一太刀に重さを乗せる。

 

 どちらも、杏寿郎と立ち会うのに不足はない。

 けれど、今の段階ではどちらも水のみで戦う俺よりも弱い。

 

 水の立ち方で炎を振れば、流れは作れるが、重さも足りていない。

 

 炎の立ち方で水を振れば、刃は重くなるが、流れがぎこちない。

 

 やはり、杏寿郎君のようにはいかない。

 

 杏寿郎君は、炎の芯を持ったまま、水の動きを取り込める。

 水に引きずられることなく、水から必要なものを拾える。

 

 俺には、それができない。

 

 だが、できないと分かったなら、別のやり方を探すしかない。

 

 俺は、呼吸を丸ごと混ぜることを諦めた。

 

 水の呼吸を炎にするのではない。

 炎の呼吸を水にするのでもない。

 

 もっと小さく分ける。

 

 立ち方。

 姿勢。

 重心の移し方。

 身体の連動。

 型ごとの考え方。

 

 それぞれの要素をもっと細かくして、ひとつひとつを、分けて考える。

 

 水の立ち方は、俺の身体に馴染む。

 不安定さを残したまま、どこへでも移れるように立つ。

 その方が、俺は相手の隙へ入りやすい。

 

 姿勢は、少し炎へ寄せてもいい。

 完全に腰を沈めれば水の流れが死ぬ。

 けれど、身体の芯を通せば、流れを殺さずに重さは増す。

 

 重心の移動のさせかたは、水のままがいい。

 身体に重心を寄せすぎると、次へ移れなくなる。

 

 だが、身体の連動は炎から学べる。

 足、腰、背、腕。

 全身をひとつの刃へ繋げる感覚。

 あれを身に着ければ、俺の一太刀は間違いなく重くなる。

 

 型も同じだ。

 

 水の奥義、生生流転。

 あの型が持つ、流れを重ねるほど力を増していく理。

 

 炎の奥義、煉獄。

 力のすべてを一点へ集め、爆ぜるような加速と力強さで断ち切る、必殺の意思。

 

 俺に奥義そのものが十全に使えるとは言えないが、その理合いを、思想を頭の中で分解する。

 

 流れを絶やさず、力を重ねる。

 一瞬にだけ、炎のように身体の芯を通す。

 

 炎の勢いのままに、水の流れの中へ飛び込む。

 

 そう考えると、少しだけ道が見えた気がした。

 

 ただし、やろうとしてみるとそれは決して簡単なものではない。

 

 実際に杏寿郎君と立ち合うと、俺の太刀筋は日ごとに変わった。

 

 昨日は水に寄せすぎた。

 今日は炎の要素を混ぜすぎた。

 次の日は姿勢だけを炎に寄せて水を振るう。

 その次は、踏み込みの一瞬だけ炎を借りてみる。

 

 杏寿郎君は、そのたびに目を輝かせた。

 

「宗右衛さん! 今日は昨日よりも速かったですね!」

 

「立ち会ってても分かる感じだった?」

 

「はい! 昨日は重心を身体に寄せていましたが、今日は握りを広くとって振りを炎に寄せていましたね!」

 

「……本当に、よく見ているな」

 

「立ち合っていると分かります! とても面白いです!」

 

 杏寿郎君は、日々変わる俺の立ち回りに戸惑いながらも楽しそうだった。

 

 俺の太刀筋が変わるたびに、その変化を真正面から受け止める。

 そして、立ち合いの中でその変化に対応してくる。

 

 こちらが試しているように、向こうもまた学んでいる。

 

 槇寿郎さんは、そんな俺たちの立ち合いを庭の端で見ていた。

 

 ある日、俺が水の立ち方から一瞬だけ炎の姿勢へ寄せて打ち込んだ時、槇寿郎さんが薄く笑いながら短く鼻を鳴らした。

 

「方向性は、悪くないんじゃないか」

 

 それだけだった。

 

 褒められた、というにはあまりに短い。

 

 けれど、それだけでほんの少しだけ胸が軽くなる。

 

「ただし」

 

 槇寿郎さんは続ける。

 

「今はまだ、水だけで戦った方が強いな」

 

「……はい」

 

 自分でも分かっていたが、言葉にされると喉の奥がギュウと締め付けられるような気持ちになる。

 

 今の俺は、水と炎を組み合わせて強くなっているのではない。

 むしろ、余計なことを考えすぎて、動きが鈍る時の方が多い。

 

 水のまま戦えば、今よりもっと自然に立ち回れる。

 今の試行錯誤は、実戦ではまだ邪魔になる。

 

 けれど、それでも。

 

「それでも、やるしかないんです」

 

 思わず、言葉がこぼれた。

 

 槇寿郎さんは、俺を見た。

 

「そうか」

 

 それだけ言って、何も続けなかった。

 

 突き放されたわけではない。

 

 ただ俺がそう言うなら、やってみろと言われた気がした。

 

 それからも、俺は立ち合いを続けた。

 

 水で立つ。

 炎に寄せる。

 また水へ戻す。

 

 けれど、戦いの中で戦い方を大きく切り替えるのは難しい。

 

 呼吸を変える。

 立ち方を変える。

 重心を変える。

 

 そんなことができるほど余裕のある相手なら、そもそも切り替えなどせずとも勝てるのだ。

 

 そう思うと、今のやり方のままでは使える場面は限られていると分かる。

 

 硬い鬼。

 動きの鈍った鬼。

 罠や暗器で、足を止めた鬼。

 

 そういう相手に対して、炎の重さを借りる。

 

 それくらいが、今の俺にできる限界だ。

 

 けれど進む方向も、少しは見えた。

 

 今のように切り替えるのではなく、各要素を組み合わせて自分の身体に馴染むものを探す。

 

 水としての自分と、炎としての自分の良いところをそれぞれ活かせるように、組み合わせる。

 

 それは分かっている。

 

 それでも、焦りは消えなかった。

 

 なぜなら、その間にも杏寿郎君は伸びていくからだ。

 

 杏寿郎君の成長と比べれば、俺の成長なんて微々たるものだ。

 

 俺が考えて、言葉にして、試してみて、ようやく小さな欠片を掴む。

 杏寿郎君はその欠片を見て、それを自然に取り込んでいく。

 

 千寿郎君の問いも、俺の理解を深めてくれる。

 槇寿郎さんの短い言葉も、進むべき方向を示してくれる。

 

 煉獄家で得るものは多い。

 

 多すぎるほどだ。

 

 だからこそ、これだけのものを受け取っている自分が、足踏みしているように思えてしまう。

 

 少しずつ前には進んでいるはずだ。

 

 そう信じたい。

 

 けれど、目の前で杏寿郎君が日ごとに変わっていくのを見ていると、自分の歩みだけがひどく遅く感じられた。

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