頑張ったからお気に入りとか、感想とか欲しがっても良いと思う。
欲しがっても良いと思う!!
それと、自分でも勢いで書いてるので明言したくないんですけど、普段は週1で更新できたら良いなぁと思いながら書いてます。
お気に入りとか感想とか増えたら、なんと更新頻度に影響が!
あるといいなぁ……。
「夜明けに動く」と告げられて、昨日の晩はそこで解散となった。
身体を休めなければと布団に身体を横たえ、目を閉じてはいたが、意識のどこかはずっと起きているようだった。
波の音、吹き抜ける潮風。
知らない島の夜の気配が絶えずこちらへ染み込んでくる。
夢うつつの意識の中で昨日聞いた話が、頭から離れなかった。
蛇神。
伊黒家。
赤子の貢ぎ物。
そして、歪みながらも鬼と人が共に暮らす島。
鬼殺隊士として、鬼は斬らなければならない。
そこに迷いはない。
それでも俺は、考えていた。
その鬼は、いつから、何を思ってこの島にいたのだろうか。
島の者たちを守るような事をする理由はなんなのか。
なぜ赤子の贄を欲するのか。
伊黒家とは、どうやって知り合って、なぜ手を結んだのか。
考えたところで、答えが出るわけではない。
鬼と向き合った時、話をする余裕などないかもしれない。
それは分かっている。
それでも頭のどこかでまだ、聞いてみたいと思っている自分がいた。
そんな自分に、少しだけ呆れながら目を閉じる。
短く眠り、目を覚ます。
それを何度か繰り返した頃、障子の向こうがごく薄く白み始めていた。
夜明けが近い。
起き上がると、身体は大分軽かった。
船旅の疲れは残っているが、十分に動けるだろう。
支度を整え、刀を確かめる。
羽織を肩にかけ、軽く身体をほぐす。
宿の一室では、槇寿郎さんと先遣隊の二人がすでに話をしていた。
槇寿郎さんが俺に視線だけを送ると、そのまま話を続ける。
「屋敷の表で騒ぎを起こして人を誘導してもらい、俺達は裏から入るのが間違いないだろうな」
先遣隊の一人が、広げた簡単な見取り図のようなものを指す。
「塀の北側に、荷を入れるための裏門があります。朝に荷物の出入りがありますので、そこから入れるかもしれません」
「見張りは」
「表からは見えませんが、中には居るかもしれません。ただ、島には伊黒家に逆らう者はおりませんので、いない可能性の方が高いかと」
「人が出た場合は武器を持っていても、無力化が望ましい。出来るか、宗右衛」
「はい、武器を持つなら多少の怪我は覚悟してもらいますが」
「可能な限り刀は使うな」
槇寿郎さんの声は低い。
昨日よりも、さらに余分なものが削がれているようだった。
「鬼が出たら」
槇寿郎さんは、そこで少しだけ間を置いた。
「俺が斬る」
その言葉に、迷いはなかった。
俺は膝の上で拳を握る。
鬼が出たら、斬る。
それは、間違いなく正しい。
胸の内で僅かにうずいた好奇心には蓋をする。
俺の願いは、民間人への被害と天秤に掛けて良いものではない。
「宗右衛」
「はい」
「お前は俺の傍を離れるな。屋敷の中で人を見つけても、勝手に追うな」
「……はい」
「昨日も言ったが、鬼だけを見ろ」
鬼だけを見ろ。
俺の迷いを見透かすように繰り返される言葉に、改めて自分が背負う「滅」の字の重さと、亀甲花菱を背負った意味を心の中で繰り返す。
返事は一つしかなかった。
「はい」
その時だった。
障子の向こうから、波音とは違うざわめきが聞こえた。
最初は、ただの島の朝の気配かと思った。
だが、違う。
人の声だ。
まだ夜も明けきっていない。
それなのに遠くで、誰かが何かを叫んでいる。
障子を少し開けて外を覗くと、慌てたような足音と、伊黒家へ向かう人の影が見える。
俺は反射的に槇寿郎さんへ目を向けた。
「……外が騒がしいです。伊黒家で何かが―――」
槇寿郎さんの顔が変わった。
ほとんど一瞬だった。
立ち上がる。
刀を取る。
戸を開ける。
その動きに、迷いがない。
外へ出た槇寿郎さんは、町の空気を一度だけ見た。
それだけで、何かを察したのだろう。
「先に行く」
短く言って、駆け出した。
「え!? 槇寿郎さん!?」
返事をした時には、もう背中は遠かった。
速い。
地を蹴るたびに、空気が破裂しているかのような加速。
俺も慌てて全力で走る。
けれど、距離が縮まらない。
むしろ、槇寿郎さんの背中はどんどん小さくなる。
家々の間を抜け、細い坂道を上り、高台へ向かう。
まだ夜明け前の町は、薄青に沈んでいるというのに、伊黒家の方角だけがざわついている。
まばらに集まってきている人たちを避けて走る。
誰かがこちらを見て驚くような声が上がるが、振り切るように更に駆ける。
伊黒家の塀が見えた時、槇寿郎さんの姿が門の向こうに駆けていくのが見えた。
昨日は重く閉ざされていた門は開け放たれており、門の周囲に人は集まっているが誰も中に入ろうとしていないようだった。
空が白み始めているのを確認しながら、遅れて門をくぐった時、思わず足が止まる。
門の内側の土には、黒く濡れた跡があった。
近づいた瞬間、血の匂いが鼻を刺す。
門の内側に、人が倒れていた。
一人。
その奥に、もう一人。
どちらも女だった。
逃げようとしていたのだろうか、門へ向かって倒れている。
背中が裂けていた。
爪痕のような深い傷が、肩から腰へかけて走っている。
もう一人は、顔の半分がひしゃげて、首が倍に伸びている。
あまりの惨状に、喉の奥が固くなる。
逃げようとしたところを、後ろからやられた。
そう分かってしまう倒れ方だった。
屋敷の奥から、悲鳴が聞こえた。
続いて、何かが壊れる音。
槇寿郎さんは、もう中にいる。
迷っている暇はなかった。
俺は屋敷の中に飛び込んだ。
伊黒家の屋敷もひどい状態だった。
良く磨かれた石が規則正しく並ぶ広い三和土が、何かを強く打ち付けたようにひび割れている。
黒々と光る梁が長く渡されている高い天井には、飛び散った血の跡が見える。
普段であれば格調高い玄関であっただろうが、今は血の匂いに満ちている。
廊下に上がると、足元がぬめる。
畳に、廊下に、柱に、血の跡がある。
襖は破れ、障子は倒れ、棚はひっくり返っている。
柱には、深く抉られた爪痕が残っていた。
どう見ても人の手で付けられたものではないが、獣とも違う。
何か大きなものが、怒りに任せて屋敷の中を走り回ったような跡。
廊下の先には、太い血の筋が続いていた。
最初は、誰かを引きずった跡かと思った。
だが、違う。
血溜まりの中を、長い胴を持つ何かが這い回った跡だ。
蛇が通ったように、廊下を曲がり、柱の前をうねり、奥へ続いている。
屋敷そのものが、蛇に呑まれたようだった。
途中に倒れている人影がある。
若い女。
年老いた女。
何が起きたのか分からないまま逃げようとしたのだろう、障子に手をかけた姿勢で倒れている子供もいた。
すでに死んでいる。
ただ、血の赤と、朝の薄暗さだけがある。
胸の奥が冷えていく。
昨日、俺たちはこの家の人々にも被害を出さないようにと、そう考えて作戦を練っていたはずなのに。
鬼に赤子を捧げる家。
蛇神の名前の下で、島を守るというお題目で、不幸を生み出してきた家。
その家の者たちが、今は床の上で血の海を作っている。
それは許しがたい行いだったのだろうけれど、こんな終わり方をしていいはずはない。
ただ一つ確かなのは、今は彼女たちを哀れむよりも、鬼を追うべきだ。
余計なことは考えないように足を動かす。
奥から、女の悲鳴が聞こえる。
それに重なるように、嫌に高い音の混じる湿った声が響いた。
「役立たずめ」
短い言葉だが、空気がわずかにきしむような怒りを感じる声だった。
鬼が誰かと喋っている。
「餌の管理もできず、わたしのものを逃がす……。お前たちを何のために生かしてやっていたと思っているの」
「お、お許しください……!」
女の震える声が響く。
「必ず、必ず見つけます! どうか、どうか命だけは!」
「もう要らないわ」
間に合わない、そう思った直後、空気が裂けるような音が響く。
何かが振るわれる音。
同時に、炎のような気配が爆ぜる。
「聞くに堪えんな」
槇寿郎さんの声だった。
俺が角を曲がった時、そこには巨大な影があった。
女の上に覆いかぶさるようにしていた、蛇のような身体。
上半身は女の形をしている。
だが、その下に長く、太く、鱗に覆われた蛇の身体が繋がっている。
白くぬめるような肌に、耳まで裂けた口。
驚いたように開かれた目には、蛇のように縦に割れた瞳孔が覗く。
これが、蛇神様と呼ばれていた鬼。
赤子を喰らい、伊黒家に祀られ、この島を守るものと呼ばれていた鬼の姿。
槇寿郎さんの足元には、今の一瞬で斬られたのであろう腕が転がっている。
異様に伸びた鋭い爪が生えた腕が、ピクリと一度震えると次第に灰になっていく。
鬼は槇寿郎さんを睨んでいた。
「誰よ、お前」
「鬼殺隊だ」
槇寿郎さんは短く答えると、女を庇うように一歩前に出る。
「鬼殺隊……?」
蛇鬼の目が細くなる。
次の瞬間、その長い身体が廊下を打った。
畳が裂ける。
血が跳ねる。
蛇鬼の身体が、一気に槇寿郎さんへ迫る。
速い。
俺は息を呑んだ。
だが、槇寿郎さんは動じなかった。
僅かに引いた足で、放つ技が分かる。
炎の呼吸・弐ノ型。
その呼吸が、空気の色を変えたように見えた。
昨日の鍛錬で見た炎とは違う。
鬼を前にした、本物の炎柱の色。
赤と橙が、黒い屋敷の中でひときわ強く燃え上がる。
「昇り炎天」
蛇鬼の爪が届くより早く、槇寿郎さんの刀が走った。
一閃。
迷いのない刃。
蛇鬼の伸びた腕が斬り飛ばされる。
なおも迫ろうとした上体へ、刃はそのまま昇っていった。
「わたしの……」
蛇鬼の声が、掠れた。
「わたしの……だいじな……こども……」
次の瞬間、蛇鬼の首が落ちた。
畳の上に、音を立てて転がる。
長い胴が、びくびくと震えながら崩れていく。
俺はその場に立ち尽くした。
あまりにも速かった。
俺が何かをする余地も、なかった。
蛇鬼の身体が崩れきると、屋敷の中に急に静けさが落ちた。
今まで満ちていた濁った気配が、少しずつ薄れていく。
槇寿郎さんは刀を振って血を払い、女の方を見る。
「立てるか」
女は答えなかった。
震えたまま、畳の上に座り込んでいる。
顔は涙と血で汚れていた。
だが、生きている。
槇寿郎さんは眉を寄せ、こちらを見た。
「宗右衛」
「はい」
「この女を連れて下がれ。先遣隊が追いついたら預けろ」
「分かりました」
俺が女に近づくと、彼女の色が大きく揺れた。
俺たちへの恐怖と、蛇鬼を斬ったことへの混乱。
助かったことへの安堵が見える。
「あ、あなた、たちは、いったい……」
「お話は後でしますので、ひとまず外にいきましょう。歩けますか?」
「い、いえ、身体の力が入らなくて……」
「では失礼しますね」
声をかけて女を抱えると、戸惑うような声が漏れた。
けれど今は説明している余裕もない。
できるだけ揺らさないようにして、玄関まで運ぶ。
人垣を抜けてきた先遣隊の二人の声が聞こえた。
走ってきたのだろう、息が切れている。
「か、彼女は……」
「生存者です。鬼は既に炎柱が斬りました」
そう告げると、先遣隊の二人は一瞬だけ言葉を失った。
息を切らしながらも、その目が屋敷の奥へ向く。
むせ返るような血の匂い。
壊れた玄関。
奥へ続く、蛇が這ったような赤黒い跡。
それだけでも、ここで何が起きたのかの一端は伝わったのだろう。
「この方をお願いします」
「あ、ああ」
先遣隊の一人が、俺の腕から女を受け取る。
女はまだ震えていた。
唇が何かを言おうとして動くが、声にはならない。
その目は恐怖と混乱に乱れている。
けれど、生きている。
それだけでも、今は十分だった。
「鬼はもう……?」
もう一人の隊士が問う。
俺は一度、屋敷の奥へ視線を向けた。
「分かりません。少なくとも、伊黒家と繋がっていた蛇神と呼ばれていた鬼は、槇寿郎さんが斬った鬼で間違いないと思います」
あの様相であれば蛇神と呼ばれても違和感ないし、今の話を聞いている女の目を見る限り、鬼への恐怖はないように見えるので、他の鬼がいるようにも思えなかった。
例え居たとしても、既に日が昇りはじめている外には出られないし、屋敷の中には槇寿郎さんがいる。
「万が一を考えて、ひとまず屋敷内に入るのは俺と槇寿郎さんだけにしましょう」
そう言いながら、自分がどう動くべきかを考える。
鬼は斬られたので、次は生存者を探したいが、まずは槇寿郎さんと合流して判断を仰ぐべきだろう。
俺は女を先遣隊に預け、踵を返して屋敷の中へ戻った。
血の跡を辿るようにして、さっきの場所へ向かう。
蛇鬼が首を落とされた場所。
だが、そこに槇寿郎さんの姿はなかった。
畳の上には、崩れた鬼が身に着けていた宝飾品が残っている。
死の間際に蛇の胴が暴れた血の筋と、焼けるように消えていった灰の名残。
鬼がそこに居た跡は、もうほとんど残っていない。
槇寿郎さんが、すでに動いているということは生存者を探しているのだろう。
そう判断して、俺も槇寿郎さんと生存者を探すために屋敷の奥へ進むことにした。
「槇寿郎さん!」
声を張るが、返事はない。
血の匂いの濃い廊下に、自分の声が妙に乾いて響いた。
「まだ生きている人はいませんか! 蛇神は斬られました!」
ただ、屋敷のどこかで板が軋む音がした。
それが人の気配なのか、壊れた建具が風に揺れているだけなのか、すぐには分からない。
部屋を一つずつ確認していく。
開いた襖の向こう。
倒れた屏風の影。
押し入れ。
廊下の隅。
どこにも、生きている人の姿は見えない。
無残に引き裂かれた、多くの人の死体が見つかるだけだ。
昨日までは、ここには人の暮らしがあったはずだ。
食器があり、布団があり、畳まれた衣があり、誰かが使っていた櫛が転がっている。
それなのに、今は何もかもが置き去りにされている。
赤子を捧げていたことは、許せない。
だが、床に倒れている者たちに与えられたのは、罪への罰ではなく、鬼によってもたらされた気まぐれな死でしかなかった。
「誰か、いませんか」
もう一度声をかける。
返事はない。
心の内では、最早生存者など一人もいないのだろうと諦めそうになる。
それほどに屋敷の中は酷い有様だった。
奥へ進むほど、空気が湿っていった。
廊下の先に、下へ続く階段がある。
屋敷の奥、丘の斜面へ食い込むように作られているのだろう。
そこから、甘い脂の匂いと、古い香の匂いが混じって漂ってくる。
俺は刀の柄に手を添えた。
鬼はもういないだろうと思っていても、警戒は緩めない。
階段を下りる。
空気が一段重い。
外の薄明かりも届かず、壁にかけられた燭台のいくつかだけが、消えかけの火を残していた。
揺れる光が、地下の廊下を赤く照らしている。
その先に、座敷があった。
立派な座敷だった。
畳は上等で、屏風には鮮やかな絵が描かれている。
異国情緒の香炉に厚い座布団。
飾り棚には、細工物や宝石が並んでいた。
だが、窓はない。
これだけ煌びやかに飾られているというのに、そこは外の光から切り離された穴蔵だった。
ここが、蛇鬼の居場所だったのだろう。
鬼が部屋を煌びやかにしたのか。
それとも、伊黒家の者が神の住まいとして整えたのだろうか。
座敷の隅には、血の跡があった。
階段に向かって延びる血の跡で、あの鬼がここから這い出したのだと分かる。
そこから数部屋離れたところに、格子のついた部屋があった。
座敷牢だ。
だが、中には布団が敷かれ、多くの料理が乗った膳が置かれ、本州でも高級品である菓子の入った器もあった。
一見してただの牢ではないことが分かる。
閉じ込めるための部屋ではあるが、牢屋というよりは、大切なものを仕舞い込む箱のようだった。
中には、誰もいない。
けれど、いた痕跡はある。
食べ物が載ったままの膳が幾つも並び、幾つかは床にひっくり返っている。
油の浮いた汁が、畳に染みていた。
甘い菓子が、踏まれて潰れている。
壁際に寄ると、牢の隅が不自然に削られていることに気づいた。
木組みの格子の下の方。
畳と柱の境目に近いところが、少しずつ削り取られている。
大人は通れないが、小さな子どもなら、どうにか身体を押し込められるかもしれない。
俺は膝をつき、削られた跡に指を触れた。
長い時間をかけて削った跡だ。
小さな道具か、爪か。
何度も何度も、少しずつ。
蛇鬼の言葉を思い出す。
餌の管理もできず、わたしのものを逃がす。
餌。
わたしのもの。
嫌な想像をしてしまうが、ほとんど間違いはないだろう。
この座敷牢に閉じ込められていた子どもがいた。
蛇鬼は、その子を餌として飼っていた。
そして、その子が逃げた。
それで、癇癪を起こしたのだ。
屋敷中を壊し、人を殺し、伊黒家を血の海に沈めた。
虐殺の理由としては、あまりにも釣り合わない。
だが、鬼にとってはそんな理由で十分だったのだろう。
大切なおもちゃをなくした子どもが、怒りに任せて部屋中のものを壊すように。
違うのは、その手に人を殺す力があったこと。
それだけで、屋敷一つが滅んだ。
「……生きているなら、返事をしてください」
声をかける。
地下の空気に、自分の声が沈む。
それはもう、生存者への呼びかけではなく、祈りに近かった。
だが、僅かな違和感。
頭の隅でなにかが引っかかる。
そうだ、鬼に命乞いをしていた女は「必ず見つけます」と言っていたのだ。
屋敷の奥の座敷に閉じ込められていた子供が探し物だとするならば、まだ見つかっていない。
そうだとすれば、これ程奥まった場所にある座敷に閉じ込められていた子供が、決死の思いで座敷牢の一部を壊し逃げ出したとして。
その後、屋敷の誰にも見つからないように逃げ出せるものだろうか?
伊黒家の屋敷が、鬼を神様のように据えて活動していたのであれば、最低でも夜に動く人と、昼に動く人の二つで屋敷の中が回っていたはず。
ましてや、階段に行くためには蛇鬼の座敷の前を通らなくてはならない。
勿論がむしゃらに逃げた可能性もあるが、閉じ込められていたのが俺ならば、造りも分からず人が徘徊する屋敷の中に逃げるよりも、まずは近くに身を潜めてやり過ごすだろうと考える。
そう仮定して地下の部屋をくまなく調べていく。
座敷牢より奥の地下の廊下は狭く、ところどころに横穴のような隙間があった。
換気のためなのか、古い造りの名残なのかは分からない。
一番奥には、地下土屋(むろ)として使われている部屋があった。
埃と湿った土が混じった床に薄い跡。
奥に向かう子どもの足跡がある。
俺は息を潜めた。
足跡を追う視線の前で、白いものが動いた。
蛇だった。
白い、小さな蛇。
一瞬、手が刀へ伸びかけるが白蛇は、こちらをじっと見ていた。
逃げるでもなく、威嚇するでもなく。
まるで、何かを待っているようだった。
「……君は」
俺が小さく声をかけると、白蛇はするりと部屋の隅の方へ動いた。
置かれた壺の棚をどかすと細い横穴がある。
大人はとても通れない。
子どもでも、小柄な子がかなり身を縮めなければ入れないだろう。
白蛇が、その奥へ入っていく。
俺は膝をつき、穴の中を覗き込んだ。
暗い。
だが、奥に僅かな光を返す二つの色がある。
それが人の目だと気付いたとき、暗く濁った恐怖の色が見えた。
それに混じる、静かに息を殺すような青。
そして、ほんの細い金色。
その金は、穴の奥にいる誰かから、先程の白い蛇へ向かって伸びているように見えた。
生きている。
俺は息を呑んだ。
「大丈夫だよ」
できるだけ声を柔らかくする。
裏長屋で、小さな子どもを宥める時のように。
「俺は、君を傷つけに来たんじゃない」
返事はない。
穴の奥で、何かが小さく動いた。
白蛇が、その何かの首元へ戻る。
やがて、諦めたように穴から出て来ると、暗がりの中ではっきりと顔が見えた。
大きな目だと思った。
左右で色の違う目が恐怖に見開かれ、信じられないといった強ばった表情。
そこにいたのは、小さな男の子だった。
身なりは良い。
着物は、かなり上等な物に見える。
けれど、顔色は悪く、肌には不健康な艶がある。
甘ったるい脂の匂いが、衣に染みついている。
身体は細いけれど、飢えて痩せた子どもとは違う。
牢に閉じ込められて、あそこにあったような食事を取らされていたのだろう、なにか嫌な不健康さがあった。
そして、最も目立つのは口元。
口が蛇鬼のように、耳まで裂けていた。
逃げる中で緩んだのであろう包帯の下で、頬へ向かって走っている傷が見える。
驚いてはいけない。
哀れんでもいけない。
直感的にそう思う。
すぐに呼吸を整える。
この子は、今こちらの反応を見ている。
「その子は、君の友達?」
俺は白蛇を見て言った。
男の子の色が、ほんの少しだけ揺れた。
恐怖の中で、細い金が強くなる。
白蛇が、少年の首元に巻きつく。
「そうか。君を守ってくれていたんだね」
男の子は何も言わない。
けれど、目が問いかけてきている。
あなたは誰。
何をするつもり。
もう終わりなのか。
それでも、助けてほしい。
恐怖で黒く濁った色の奥に、そんな細い願いが見えた。
同時に、その願いすら信じきれずにいるような怯えもある。
けれど首元の白蛇へ伸びた金色だけは、細くても途切れていなかった。
この子は俺を信じているわけではない。
けれど、この白蛇のことは信じているのだろう。
俺は刀から手を離し、両手を見えるようにした。
「俺は宗右衛。鬼殺隊として鬼を斬りに来たんだ」
少年の肩が、小さく震える。
「君には蛇神様と言った方が伝わるかな? もう、蛇神様はいないよ。安心していいよ」
信じていない。
当然だと思った。
この子にとって、大人の言葉は信じられるものではないのだろう。
俺は少しだけ距離を置いたまま、膝をつく。
「付いてきてくれる?」
男の子は動かない。
白蛇だけが、こちらを見ている。
「無理に連れて行くことはしないよ。俺はここにいる。君を連れて行くなら、君が嫌がらないようにする」
それができるかどうかは、分からない。
けれど、少なくとも今は、そう言うしかなかった。
穴の奥で、男の子の指が白蛇に触れる。
細い金が、そこに絡む。
恐怖で黒く潰れた色の中に、それだけが消えずに残っていた。
俺は静かに息を吐く。
この地獄のような伊黒家の中で、まだ消えていない色がそこにあることが、どうにも嬉しかった。
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