鱗滝の養子   作:松雪草

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前話でも出してた伊黒ヒロちゃんは、原作にて小芭内君に酷い言葉を投げつけた挙げ句、その後は残された遺産引き継いで全部無かったことにしたようなハッピーな生活送ってて小芭内君を震えさせたあの娘です。

私の中で伊黒小芭内が、小芭内君になっちゃったよ。

色々想像しながら書いてるとさ、凄い可愛いんだもん。弟にしたい。


40話

 宗右衛と伊黒小芭内の背が、屋敷を離れていく。

 

 宗右衛は少し前を歩き、その後ろを、細い子どもがついていく。

 白い蛇が、首元でわずかに動いた。

 

 槇寿郎は、その背を見送った。

 

 民間人に手を上げた宗右衛を叱り、謹慎を命じた。

 宗右衛が屋敷から遠ざかっていくのを見た時、胸の内に抱いたのは安堵だった。

 

 そのことに気づいて、槇寿郎は眉を寄せる。

 

 懐には、一冊の草紙がある。

 

 何枚もの紙を綴じたそれは、ところどころに湿りを含んでいるが、血や水ではない。

 長く暗い場所に置かれた紙の匂いがする。

 

 見つけたのは、蛇鬼を斬ったあとだった。

 

 屋敷の奥に、質素だが手入れの行き届いた一室があった。

 伊黒家の総領が使っていた部屋と思われる。

 

 香の匂いと血の匂いが混ざる場所で、槇寿郎はそれを見つけた。

 

 この八丈島で伊黒家が何をしていたのか。この島が何を土台にして回っていたのか。

 

 それを、仕事の記録のように書き留めた紙だった。

 

 だからこそ、宗右衛を遠ざけられたことに安堵してしまった。

 

 あの少年に、この島の真実を知られたくなかった。

 

 いや、知られたくないと思っている時点で、すでに遅いのかもしれないが。

 

 宗右衛は聡い子だ。

 

 島へ着いた時から、彼なりに何かを感じ取っていただろう。

 

 女たちから声を掛けられた時も、赤子のことを話す時も、あの子の纏う空気が変わらないのを槇寿郎は見ていた。

 

 鱗滝殿から預かった、若い剣士。

 

 初めに話を聞いた時は、随分と若い子だと思った。

 

 うちの稽古に耐えられるだろうかと不安に思い、試しもしたが、真っ向から睨み返してきたのを見て面白い子だと思った。

 

 一緒に生活してみれば、その優面に違わず物腰は柔らかく、顔立ちも声も穏やかだからか杏寿郎と千寿郎もよく懐いていた。

 稽古の合間にも荷物を運び、水場に立ち、こちらがなにかを言わずともよく気が付いた。

 

 剣の才があるとは言い難いし、悩み事も多かったようだが、稽古は少しも手を抜かなかった。

 

 苦労の多い育ちをしたのだろうが、生真面目で、優しい子だ。

 

 だからこそ、早いと感じてしまう。

 

 あの子に、この島の底を触れさせるには、まだ。

 

「炎柱様」

 

 先遣隊の一人が、控えめに声をかけてきた。

 

 目でこれからどうするかと問うてきている。

 

 周りを見ると、少し離れたところでうずくまっていた娘は、ようやく呼吸を取り戻したようだ。

 もう一人の隊士が背をさすって、口をゆすぐためだろう水を与えている。

 

 最初に助けた女は、壁際で顔色を失って座り込んでいた。

 

 蛇鬼に襲われていたところを助けた女だ。

 

 年は宗右衛より上だが、俺よりは下だろう。

 髪は乱れていて、ヒロという子と比べると肌が黒い。

 着ている着物は血と埃に汚れているのを差し引いても、古い着物だと分かる。

 

 確か、伊黒八十江(やそえ)だと言っていたか。

 

「八十江とやらに話が聞きたい」

 

「分かりました、すぐに」

 

 隊士が女に近づいて名を呼ぶと、わずかに肩を震わせてこちらに歩いてくる。

 

「はい……お呼びでしょうか」

 

「疲れているところすまないが、聞かねばならんことがある」

 

 八十江は、ゆっくりと顔を上げる。

 

「この紙に見覚えはあるか」

 

 槇寿郎は懐から草紙を出した。

 

 八十江の目が、紙の表紙をなぞる。

 『御用留』の表紙書きの下に書いてある名前を読んで、顔色がまた一段白くなった。

 

「……いいえ」

 

「そうか……。これが何かは?」

 

「御上様の書いたものだということ以外は、分かりません……。私は、島の方々との取引や、荷の出入りを受け持っておりました。蛇神様に関わるお仕事には、触れさせてもらえませんでしたので」

 

 声はかすれていた。

 

「これには、伊黒家がこの島で何をやっていたのか、その大筋が書いてある」

 

 槇寿郎は草紙を開いた。

 

「まずは、ここに書かれたことが事実であるかどうか、確認をしたい」

 

 八十江はしばらく黙っていた。

 

 先遣隊の隊士も、言葉を挟まない。

 

 屋敷の外では、遠くから人の声がしている。

 人が入らぬように門は閉めさせたが、あの人の集まり様だ。

 伊黒家で起きたことが、島の者たちの間へ広がり始めているのだろう。

 

 八十江は、意を決したように口を開く。

 

「……それを読んで、どこまで、お分かりになりましたか」

 

「八丈島を女護島として、表と裏での商いをしていたこと。それを援助していた商人の名が幾つか。伊黒家が蛇神の御威光とやらを建前に、八丈島全体の取りまとめをしていたこと。他には、蛇神への赤子の供物に、地下牢で育てていた伊黒小芭内のことも」

 

 供物の話を出した時、八十江の顔がわずかに歪んだ。

 

「大筋はそんなところだ、偽りはあるか」

 

「……ありません」

 

 声は小さかった。

 

「伊黒家とは、色と、祟りで以て栄えた家だというわけだ」

 

「……はい、相違ありません」

 

「蛇神はいつからいる」

 

「わかりません……少なくとも祖母の代よりも前から、ずっと伊黒家を守ってくれているのだと」

 

「守る? この様で、守られていたのか」

 

 八十江は答えなかったが、その沈痛な表情だけでも、この女が伊黒家は蛇神に守られていたなどとは考えていないことは伝わった。

 

 槇寿郎は草紙へ視線を落とす。

 

 そこには、淡々とした文字が並んでいる。

 

 客の情報と、島に必要な荷の数。

 内地への返礼の内容に、特別に段を分けて蛇神様御機嫌の欄が書かれている。

 

 そして、供え、の文字。

 

 紙の上では、人の命が、米俵や反物と同じように扱われていた。

 

 思わず手元の草紙を握りつぶしそうになるのを、息を吐くことで抑える。

 

「赤子を捧げていたのは、いつからだ」

 

「分かりません、ただ一つ確かなのは、伊黒家は私が生まれるずっと前から、そうしてきたのです」

 

「それが、おかしいとは思わなかったのか」

 

 問いかける声は、思ったより低く出た。

 

 八十江は視線から逃げるように目をそらし、それから責められたように顔を伏せた。

 

「思いました」

 

 槇寿郎はその答えに、少しばかり面食らう。

 

「伊黒家も、思わない者ばかりでは、ありませんでした。赤子が蛇神様のもとへ上げられることも、おかしいと分かっている者はいました」

 

「ならば」

 

 なぜ、と言葉を重ねようとして、言葉が詰まった。

 

 八十江の指が、袂の上で強く握られているのが見えた。

 

「止められませんでした」

 

「……殺されるからか」

 

「それも、あります」

 

 八十江は、震えながら息を吸った。

 

「でも、私たちは、そこから生まれたものを食べていたんです。

 米も、味噌も、お金も、内地との取引は、蛇神様がいて、初めて交渉できるんです。

 い、嫌だと思っても、私はその恩恵を受けていました。私は末の者でしたが、それでも伊黒の者です。

 伊黒では、それが役目だと教えられました。

 蛇神様がいるから家が栄え、蛇神様がいるから島が守られる。

 蛇神様がいるから、内地の商人も伊黒家を立てる。

 だから、機嫌を損ねてはならないのだと」

 

 声は、ずっと震えている。

 言い訳というよりは、ずっと言葉に出来ずに堪えていた想いが、今になってやっとあふれ出してきているようだった。

 

「いつか、こんな暮らしは破綻すると思っていました。きっと天罰がくだると。

 でも、わたっ、私は、蛇神様に殺されそうになった時、助けてくれと願いました。

 今まであの方に殺されている者がいたことを知っていたのに、それでも自分が死ぬのは嫌だったのです……」

 

 八十江は、畳に額をつけるほど深く頭を下げた。

 

「それが、私です」

 

 槇寿郎は返事をしなかった。

 いや、できなかった。

 

 八十江を許す気にはなれない。

 伊黒家のしたことを、仕方がなかったの一言で済ませる気にもなれない。

 

 ただ、目の前で頭を下げる女は、鬼ではなかった。

 

 たまたま、こんな小さな島の、鬼を祀る家の中に産まれただけの。

 家に生かされて、しきたりに従って、それがいつの頃か異常なことだったと分かっても、逃げられなかっただけの。

 

 そんな、ただの人間だ。

 

 正しく生きることが簡単ではないことを、槇寿郎は知っている。

 

 知っているからこそ、胸の奥で言葉に出来ない思いが渦を巻く。

 

 それでも。

 

『俺とて、それでも正しくあろうとしているのに』

 

 その言葉が喉まで上がってきたが、外には出なかった。

 

「伊黒小芭内は」

 

 槇寿郎は草紙の頁をめくる。

 

「蛇神様への供物、とある」

 

「……はい」

 

「此度の蛇鬼の暴走は、この子が原因ということで間違いないか」

 

 八十江は唇を噛んだ。

 

「蛇神様は、あの子をお気に召しているのだと、聞きました。

 多くの肉を食べたいから、そのためによく育てるのだと……。

 言葉を覚えさせて、字を教えて、綺麗に保って。それで、蛇神様がお喜びになる、と」

 

 槇寿郎の手の中で、紙がかすかに鳴った。

 

 鬼が人を喰うことなら、何度も見てきた。

 

 この家は、子どもを育てていた。

 

 鬼に食われる日まで、言葉を教え、字を教え、世話をし、綺麗に保っていた。

 

 人として育てて、鬼へ差し出すために。

 

 この島は、鬼のための、人間の牧場だ。

 

「まさか、小芭内様一人が逃げ出しただけで、一族が皆殺しにされるほどのこととは、思ってもいませんでしたが……」

 

 八十江が波の音に混じるほどに小さく呟くが、それは聞こえないふりをして話を続ける。

 

「世話役の名に、そこの娘の名がある」

 

 八十江の目が、ヒロの方へ動いた。

 

 娘は、こちらを見ていなかった。

 吐いたあとで、まだまともに起き上がれないらしい。先遣隊の一人が様子を見ている。

 

「ヒロと、その母が小芭内様の世話役でした。ほかにも三人の者が、世話役だったはずです」

 

「その娘、ヒロは……小芭内を恨んでいるのか?」

 

「……ヒロは、母親を慕っておりましたので」

 

「母親は?」

 

「蛇神様に」

 

 八十江の声は、そこで一度切れた。

 

「昨日の晩、小芭内様がいなくなったのが分かった時、ヒロもいる前で首を、と聞きました」

 

 槇寿郎は目を閉じる。

 

 それでか、と思った。

 

 ヒロが小芭内へ向けた怒りは、母親の仇に向けるものだったのか。

 

 宗右衛が小芭内の前に立った時、俺もヒロの尋常ではない形相を見た。

 

 宗右衛が拳を握るのを感じたときには、俺は止められる位置にいた。

 

 宗右衛の動きは確かに速かった。

 

 それでも、止められなかったほどではない。

 

 なのに、遅れた。

 

 あれは伊黒家の娘だから、と。

 

 宗右衛がヒロを殴るのを分かっていながら、ヒロのことを“そう”見てしまった。

 

 あの娘もまた、守るべき人の側に置かねばならなかったのに。

 

 鬼を祀る家の中に生まれ、その仕組みの内側で育った子どもに、どれほどの罪を問えるのか。

 

 罪がなかったとは言えない。

 それでも、まだ子どもだ。

 

 分かっていた。

 

 分かっていながら、槇寿郎は一瞬遅れた。

 

「炎柱様」

 

 先遣隊の声で、槇寿郎は目を開ける。

 

「聞きたいことは聞けた」

 

「では、この者たちはどうしますか?」

 

 八十江は頭を伏せて、袂を強く握りしめたまま動かない。

 ヒロはまだ気持ち悪そうに、地面に伏せている。

 

 この場にいる者たちを、俺に裁くことはできない。

 だが、関係ないと言うこともできない。

 

 そういうものばかりが、人の世には多すぎる。

 

「応援が来るまで六日から十六日か……。それまで、生存者は分けておきたい」

 

 槇寿郎は言った。

 

「伊黒家の者同士を、今は近づけるべきではないだろう。特に、小芭内には会わせないように気をつけろ」

 

「はい」

 

「屋敷には必ず一人残すようにする。屋敷の書き付けは、すべてまとめる。持ち出す者がいれば止めろ」

 

「承知しました」

 

「遺体は、そのままというわけにはいかんな。動かす前に位置を記した方が良いだろう。身元が分かりそうなものも、分けておけ。

 島の者は屋敷に入れたくないが、入ろうとする者を止められるか?」

 

 先遣隊の二人が、顔を引き締めて頷く。

 

 槇寿郎は、手の中の草紙を閉じた。

 

「これは万が一のために俺が預かって、産屋敷様へ上げる」

 

 八十江が顔を上げた。

 

「私にも、お手伝いさせてください」

 

 その言葉に、槇寿郎は少しだけ八十江を見た。

 

 その声には、苦さがある。

 生き残ってしまった事への罪悪感か、今までの行いへの後悔か。

 

 槇寿郎には分からなかった。

 

「遺体は、見ればどなたなのかは分かります。島の者とのやりとりも、伊黒家の私がすれば円滑に行えるかと思います」

 

 八十江の目を見るが、悪意は感じられない。

 

 少し考えて答えを出す。

 

「今は、人手が足らん。協力してもらえるならば、助かる」

 

 八十江はどこかほっとしたように、静かに頭を下げる。

 

 槇寿郎は踵を返して、屋敷の中を歩く。

 

 壊れた襖。

 裂けた柱。

 血を吸った畳。

 

 鬼が暴れた跡に連なるように倒れた人を、一人ずつ運ぶ。

 

―――

 

 地下の豪奢な座敷には、鬼を神としてもてなすための品が並んでいた。

 女たちの控えの間には、化粧の道具と着物が並び、地下だからか閉じた部屋の澱んだ匂いが残っていた。

 

 今回も、鬼だけを斬れば終わるものではなかった。

 

 そのことを、槇寿郎は島に入った時からどこかで分かっていた。

 

 港に降りた時の空気からして、なんだか嫌な予感がしていたのだ。

 

 案の定、この島では、鬼が人々の暮らしの中に組み込まれていた。

 

 鬼を恐れながらも利用し、鬼に赤子を捧げて、鬼から零れ落ちる利益で島を成り立たせていた。

 

 だから、宗右衛を離したかった。

 

 あの子は、きっと気づいているのだろう。

 

 だからこそ、草紙を読めば、八十江の声を聞けば、屋敷の隅々を見れば、きっと俺たちの誰よりも正確に、伊黒家で起こった事の輪郭を掴むのだろうという確信があった。

 

 そして、誰よりも傷ついてしまうのではないかと思った。

 それとも、あの子の心が、この場所で歪むのを恐れたのか。

 

 そこまでは、自分でも分からない。

 

 宗右衛は、優しい子だ。

 

 だが、あの子の優しさは、水面に広がる波紋のようにどこまでも広がるものではない。

 

 あの子は守るべきものをすでに決めている。

 そういう立ち方をする子だ。

 

 鬼殺隊として、全ての人を守らなくてはならないことを理解しながらも、心の内では全てを救えないと決めつけている。

 

 ヒロへ拳を入れた瞬間の、迷いのなさを思い出す。

 一般人に手を挙げたのだ。

 決して褒められるものではない。

 

 それでもあの時、迷いなく伊黒小芭内の傍に立とうとした宗右衛を、心のどこかで眩しく思ってしまった。

 

 宗右衛に『明日も立てれば、それで良い』などと偉そうな口を叩いておいて、その実、俺自身こそが何のために鬼と戦っているのかが分からなくなっているというのに。

 

 槇寿郎は、自身の心の在り様を思って乾いた笑いがこぼれる。

 

 回収してまとめた遺品を座敷において、階段を上がる。

 

 空を見るとすっかり日が暮れてしまっていた。

 

 長く掛かったが、八十江の協力のおかげもあり、これでひと段落がついた。

 

 隊員たちからは鬼を斬ってもらった上に、柱に事後の手伝いまでをさせてしまったと、何度も頭を下げられながら、屋敷から外へ出た。

 

 海に沈んでいく光が眩しい。

 

 門の外には、遠巻きに島の者たちが集まっているのが見える。

 

「伊黒家がなくなったら、誰が島をまとめる」

「あの蔵はどうなる」

「内地の商人には、誰が話を」

 

 そんな声が、断片になって聞こえる。

 

 鬼は斬った。

 

 伊黒家で虐殺を起こした蛇鬼は、もういない。

 

 だが、鬼を斬って、この島が救われたのかと問われれば、槇寿郎には答えられなかった。

 

 人々のために、鬼へ立ち向かう。

 

 煉獄家が掲げてきた炎の意思。

 

 炎柱としての、責務。

 

 今は亡き父の背中を思い出す。

 

 かつては憧れて、自分が受け継ぎ、杏寿郎に継がせねばならないもの。

 

 その言葉を、信念を、槇寿郎は既に何度も投げ出しそうになっている。

 

 伊黒家のことだけではない。

 

 かつて、鬼を集め、不老不死を研究する者がいた。

 鬼に喰われる女を見て見ぬふりをし、商いを続ける者がいた。

 鬼になるために、人を捧げ続けた者がいた。

 

 どれも、鬼だけの罪では終わらなかった。

 

 分かっている。

 

 世の中は、そんな者ばかりではない。

 自分の背の後ろには、踏みにじらせてはならない平穏がある。

 

 飯を炊き、子を抱き、明日の天気を気にして生きている者たちがいる。

 

 守るべき人々は、確かにいる。

 

 それでも、その“人々”の姿が見えなくなる時があるのだ。

 

『伊黒家などという人喰いの一族が滅びたところで―――』

 

 胸の奥で、暗い声が形になりかけた。

 

 その前に、瑠火の顔が浮かんだ。

 

 瑠火に初めて自分の胸の内を明かした夜の日を思い出す。

 

 既に何度も、何度も、父の言葉を疑ってしまっていることを。

 

 人々のために鬼へ立ち向かうという責務を、胸の内で何度も取り零しかけていることを。

 

 それでも瑠火は、責めなかった。

 

 消えかけた火を守るように、ただ座って、そこにいてくれた。

 風を避けて、小さな火が消えないように。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 槇寿郎は、ゆっくり息を吐いた。

 

 草紙を懐の奥へ押し込んで、宿の方角を見た。

 

 宗右衛は、あの子と上手くやれているだろうか。

 伊黒小芭内は、いまこの島で一番危うい立場にいる子だ。

 

 今にして、宗右衛と小芭内をこの場から離しておいてよかったと、心から思った。

 

 けれど、同時に、あの少年はいずれ自分からこういう場所へ踏み込む日がくるのだろうと思った。

 

 宗右衛は、小芭内のような子を救うためとなれば、間違いなく行くのだろう。

 

 その時のために、自分は何を教えられるのか。

 

 自分自身が、守るべき人の姿が分からないまま刀を握っているというのに。

 

 人々のために、鬼へ立ち向かう。

 

 その守るべき人々の姿が見えなくなった時に、俺は何のために刀を振るえばいいのか。

 

 そんなことは、誰よりも俺自身が知りたかった。

 

 それでも、足は宿へ進む。

 

 立つ理由が見えない日でも、立たねばならない時はある。

 

 そういうものを、人は責務と呼ぶのだろうか。

 

 槇寿郎には、その言葉がひどく遠かった。




槇寿郎さんは息子あんなに立派なのに、心折れてクソ親父化しててどうなん?って言われてるけど、その前段階でこれぐらいのこと起こってるよなぁって妄想。

そして、この後心の支えにしてる瑠火さん死んじゃうんですよねぇ……

槇寿郎さん、お労しくて好き……
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