鱗滝の養子   作:松雪草

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わーい、なんか評価のバーに色がついたよー。

あんまり言わなくて申し訳ないのですが、いつもお気に入り、しおり、評価など、拙作を読んでいただきありがとうございます。

自身の妄想を皆様と共有したく投稿しているのはもちろんですが、皆さまに読んでもらえていること、それにリアクションがあることをいつも嬉しく思っています。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。


41話

 民間人に手を上げたことについて、槇寿郎さんから謹慎を言い渡された。

 

 ただし、その謹慎は罰だけではなかった。

 

 あの日の晩、宿へ戻ってきた槇寿郎さんは俺の部屋へ来て、小芭内君が眠っているのを確かめてから、本州の応援が来るまではこの子から目を離すなと言った。

 

 伊黒家に男児がいたことを、島の者の多くは知らないらしい。危険は少ないはずだが、万が一がある。

 

 そう言われて、俺は表向き謹慎という形で、小芭内君のそばにいることになった。

 

 先ほどまで、叱られるかもしれないと内心戦々恐々としていた俺は、つい自分から聞いてしまった。

 

「怒らないんですか」

 

 槇寿郎さんは、少しばつの悪そうな顔をした。

 

 八十江とヒロからも、事情を聞いたらしい。

 

 ヒロの口からは、小芭内君には聞かせられないような言葉も出たという。

 

「民間人に手を出したことが良いとは言えん」

 

 槇寿郎さんはそう言った。

 

「だが、あの場であの子を近づけなかった判断は、間違いではなかった。先遣隊の二人も同じ見立てだ」

 

「……そうですか」

 

「もっとも、隊士が民間人を殴った事実が消えるわけではない。お前には、しばらく謹慎してもらう」

 

「はい」

 

「そのついでに、小芭内の護衛をしろ」

 

「ついで、ですか」

 

「名目は大事だ」

 

 槇寿郎さんは疲れたように息を吐いた。

 

「小芭内の前では、あまり余計なことを言うな。お前が罰を受けていると思わせる必要も、守られるために閉じ込められていると思わせる必要もない。ただ、今は外へ出るな」

 

 俺は頷いた。

 

 槇寿郎さんはそれを見届けると、もう一度眠っている小芭内君へ目を向けた。布団の中で、小芭内君は鏑丸を首元に巻いたまま眠っている。

 

 槇寿郎さんは、それ以上何も言わず部屋を出ていった。

 

 そうして、四日が過ぎた。

 

 俺はまだ宿の部屋で謹慎を続けている。

 

 と言っても、俺だけが閉じ込められているわけではない。小芭内君も、同じ部屋にいる。

 

 襖は閉められている。けれど、閉じ込められているわけではない。

 

 そう思ったのは、俺の側だけだったのかもしれない。

 

 小芭内君は、部屋の中で過ごすことに、さほど戸惑っていないように見えた。畳の上に寝転がり、鏑丸を首元に巻いたまま、雪見障子の下のガラスから外を眺めてぼんやりしていることが多い。

 

 庭の木。

 移り行く空の色や雲。

 通り過ぎる人の足。

 風に揺れる洗い物。

 遠くに煌めく海の光。

 

 小芭内君は、部屋の中からそれらをじっと見ていた。

 

 外へ出てみたいと思っているのかもしれない。

 

 それでも、小芭内君が言い出すまでは、そっとしておくことにした。

 

 食事は、決まった時刻に運ばれてきた。

 

 宿の膳は、俺から見れば十分すぎるほど整っている。というか、御馳走だ。

 

 飯と汁物、魚のおかずと煮物が少し、香の物もついている。

 

 海の魚というものを、俺はこの島に来て初めて食べた。川魚よりも香りが深く、身に張りがある。正直、世の中にこんなものがあるのかと衝撃を受けながら食事をした。

 

 槇寿郎さんや先遣隊の二人が遅くに戻ってくる時には、握り飯や湯も別に用意されている。非常に上等な宿であるように思われた。

 

 けれど、小芭内君は初めて膳を前にした時、しばらく動かなかった。

 

 眺めていると食べづらいだろうかと思い、先に食べ始める。それでも、小芭内君は膳の前で箸を取らない。

 

 小芭内君の話から察するに、おそらく丸二日ほど食事をとっていないはずだ。

 

 お腹は空いている、と思うのだが。

 

「食べられそう?」

 

 そう聞くと、小芭内君は少し迷うようにして箸を持った。

 

 持っただけで、しばらく食べない。

 

 鏑丸が首元でわずかに動く。小芭内君はその頭を指先で撫で、それから、飯をほんの少し口に運んだ。

 

 噛むのが遅い。

 

 口元の傷が痛むのかもしれない。けれど、どうにもそれだけではないようにも思えた。

 

 俺は、自分の膳に箸をつけた。

 

 食べられる時に食べておく。

 

 それは、裏長屋でも狭霧山でも変わらない。

 

 飯を食べ、汁を飲み、魚の身を口に放り込む。小芭内君は、自分の膳よりも、俺の箸の動きを見ていた。

 

「……なにか、顔についてる?」

 

「い、いいえ……そんなことは、ありません」

 

 慌てたように手をぱたぱたと振りながら否定する。

 

「……ただ」

 

「ただ?」

 

「よく、食べるな、と」

 

 ぽつりと言った。

 

「そりゃあ、食べないと動けないからね」

 

 小芭内君は、俺の言葉を聞いているのかいないのか、膳の上へ視線を戻した。

 

「動く、ため」

 

「うん。あと、残すともったいないし」

 

 小芭内君の目が伏せられる。

 

 盆の上の飯は、まだ半分以上残っている。

 

 俺は自分の膳を食べ終えてから、少し迷った。

 

 こういう時、何を言えばいいのだろうか。

 

「食べられないなら、無理に食べなくていいよ」

 

 小芭内君が、はっとしたようにこちらを見る。

 

「怒られませんか」

 

「怒られない、と思うよ。少なくとも俺は怒らないけど」

 

「残しても、いいんですか」

 

「うん、いいよ」

 

 小芭内君は、しばらく黙っていた。

 

 食べることが、小芭内君にとって楽しいものだったとは思えない。

 

 あの座敷牢で、膳がどういう意味を持っていたのか。

 食べることが、何に繋がっていたのか。

 そう考えると、箸の先を見る小芭内君の顔が、少しだけ分かった気がした。

 

 やがて、小芭内君は箸を置いた。

 

 俺は、残った飯を見た。

 

「もらっていい?」

 

 小芭内君の目が、少しだけ大きくなる。

 

「さっきの、五杯目ですよね……?」

 

「うん? そうだけど」

 

 小芭内君は、何とも言えない、よく分からない顔をしていた。

 

 俺は膳を引き寄せ、残っていた飯と煮物を食べた。宿の人のことも思えば、器を空にして返した方が落ち着く。

 

 小芭内君は、最後までそれを見ていた。

 

 その日から、小芭内君は食事を残す時、俺の方を見るようになった。

 

 俺が食べると分かってからも、すぐに残せるようになったわけではない。箸を持って、置いて、また持って、結局少しだけ食べる日もあった。汁だけ飲む日もあった。鏑丸を見てから、もう一口だけ飯を口に運ぶ日もあった。

 

 それから俺は、食事の時は特別に声を掛けるようなことはしないことにした。

 

 食べることが、この子にとってどんな意味を持っているのか。

 

 それを、俺はまだ知らない。

 

 夜になると、小芭内君はよく魘された。

 

 最初に気づくのは、たいてい鏑丸だった。

 

 小芭内君が魘されると、枕の傍で丸まっていた白い身体が布団の上を滑る。小芭内君の首元へ戻り、頬の近くで小さく頭をもたげる。

 

 その気配で、俺も目を覚ます。

 

 小芭内君は、目を閉じたまま息を荒げていた。声にならない声が、喉の奥でひっかかっている。指は布団の端を強く掴み、眉を苦しげにひそめている。悲鳴にもならない声を聞くたび、口元の傷がなお痛々しく見えた。

 

 俺は鏑丸を見る。

 

「俺もいい?」

 

 鏑丸は、じっとこちらを見返した。

 

 許されたのかどうかは分からない。

 けれど、咎められる気配もしなかった。

 

 俺は小芭内君の額へ、そっと手を置いた。

 

 熱はない。

 汗で少し湿っている。

 

「大丈夫だよ」

 

 小さく言う。

 

「大丈夫。鏑丸もいるよ」

 

 小芭内君の眉が寄る。手が、布団の上で何かを探すように動いた。

 

 俺はその手に指を添える。

 

 小芭内君が、はっと目を開けた。

 

 息が荒い。

 

 まず鏑丸を探す。

 

 鏑丸が首元にいることを確かめようとして、動かした手が俺に握られていることに気づいたらしい。小芭内君は、こちらを見た。

 

 左右で色の違う目が、暗い部屋の中で揺れている。

 

「ごめんね。触ってた」

 

 握っていた手を離そうとすると、小芭内君の指に力が入ったので、そのままにする。

 

 しばらく、返事はなかった。

 

 ただ、息だけが浅く続いている。

 

 やがて、小芭内君が言った。

 

「……ごめんなさい」

 

 何に謝っているのかは、分からなかった。

 

 魘されたことか。

 俺を起こしたことか。

 手を握ったことか。

 

 それとも、理由などなく、まず謝ることだけが身についているのかもしれない。

 

「いいよ」

 

 それだけ言った。

 

 小芭内君は返事をしなかった。

 

 鏑丸が、首元で白く動く。

 

「ここにいるから」

 

 俺がそう言うと、小芭内君はようやく目を伏せた。眠ったのか眠っていないのか、しばらく分からなかったけれど、繋いだ手は冷たかった。

 

 次の夜も、その次の夜も、小芭内君は魘された。

 

 同じ夢を見ているのか、違う夢なのかは分からない。

 

 その度に鏑丸が動く。

 その気配で俺が起きる。

 小芭内君の額に手を置く。

 手を握る。

 

 小芭内君は、目を覚ますたびに鏑丸を探した。

 

 その次に、俺を見るようになった。

 

 そうして最初は布団一枚分ほど離れていた小芭内君の寝床が、少しずつ近くなった。

 

 ある夜、小芭内君は布団を引きずるようにして、俺の方へ寄ってきた。

 

 俺は何も言わず、場所を空けた。

 

 小芭内君は、俺の近くで横になる。その間に鏑丸が滑り込んできたのを見て、なぜか少し笑ってしまった。

 

 朝になると、宿の人が飯を運んでくる。

 

 いただきますと手を合わせて食べる。

 小芭内君が残せば、俺がもらう。

 

 食事が終われば、雪見障子から外を見る小芭内君の横で、俺は畳の上に立つ。

 

 一応謹慎中なので、外には出られない。

 

 部屋の中では刀を振ることもできない。

 

 だから、ただ立つことにした。

 

 頭の中では、槇寿郎さんの動きを追っている。

 

 蛇鬼を斬った時の、体捌き。

 刃を振る前の脱力。

 足の置き場。

 爆発するように奔った力の流れ。

 そして、意識の向き。

 

 思い出して、なぞろうとして、すぐに分かる。

 

 真似は、できない。

 

 体格も、鍛え方も、呼吸の深さも、積んできた年月も、何もかもが違う。

 

 それでも、見たものをそのままにしておくこともできなかった。

 

 自分の立ち方を見つけるために、畳の上で、ほとんど動かないまま体の奥だけを動かす。

 

 足の裏にかかる重さを変える。

 膝を固めすぎない。

 腰の位置を探る。

 肩に入った力を抜く。

 

 外から見れば、ただ立っているようにしか見えないだろう。

 

 小芭内君は、最初、それを黙って見ていた。

 

 雪見障子の前に座ったまま、鏑丸を首元に巻いている。こちらを見ているのか、ぼんやりしているのか、よく分からない日もあった。

 

 その朝、俺がほんの少し重心を移した時、小芭内君の視線が動いた。

 

 明確に、はっきりと。

 

 俺の内側で起こった動きを追うような目だった。

 

 俺は、そのまま何も言わずに立ち方を変える。重心をほんのわずかだけ、沈めるように移した。

 

 小芭内君の目が、それを追う。

 

 見えている。

 

 そう思った。

 

 ただ、何を見ているのかは分からない。

 

 服を着ている人間の立ち方の変化なんて、目で追えるものなのか。

 

 少なくとも、俺には出来ない。

 

 杏寿郎君との立ち合いでも、何合か打ち合うまでは俺がどういう立ち方をしているのかは、杏寿郎君だって分かっていなかったはずだ。

 

 俺が見ている色とも違う。

 

 槇寿郎さんや錆兎たちのような、剣士としての感覚とも違う。

 

 けれど、この子の目は、普通なら見落とすものを追っている。

 

 左右で色の違う目が、じっと俺を見ていた。

 

 少しだけ、冷たい感覚が背筋をなぞった。

 

 だから、もう一度だけ立ち方を変える。

 

 小芭内君の視線が、また動く。

 

 今はそれだけでよかった。

 

 次の朝も、その次の朝も、俺は畳の上に立った。

 

 足の裏にかかる重さを変える。

 息を浅くしすぎない。

 膝を固めない。

 腰の位置を探る。

 

 小芭内君は、雪見障子のそばでそれを見ていた。

 

 毎日見ている。

 

 そう気づいたのは、さらに二日ほど過ぎてからだった。

 

 外を見ている日もある。鏑丸を撫でている日もある。

 けれど、俺が立つ鍛錬をしていると、小芭内君の目がこちらへ向く。

 

 何かを言うわけではない。

 

 ただ、見ている。

 

 見られていると思うと、なぜだか少しだけやりにくかった。

 

 狭霧山では、鱗滝さんに見られていることが当たり前だった。

 錆兎や義勇の前で型を振って見せたこともある。

 

 けれど、小芭内君の目は、そのどれとも違った。

 

 もっと静かに、ただ、俺の身体の中で起こっていることを追われている。

 

 それが少し不思議で、少し落ち着かなかった。

 

「……何をしているんですか」

 

 小芭内君がそう言ったのは、昼前のことだった。

 

 その時、俺は畳の上に立ったまま、足の位置を探っていた。

 

 声が聞こえて、小芭内君の方を見る。

 

 小芭内君は、いつものように雪見障子のそばに座っていた。鏑丸が首元に巻きつき、白い頭だけをこちらへ向けている。

 

「鍛錬、かな」

 

「鍛錬、ですか」

 

 小芭内君は、そのまま繰り返した。

 

 首をコテンとかしげるようにしていて、分かったようには見えない。

 

 俺は少し考えた。

 

「体を動かす練習、かな。今はほら、あんまり動けないから、頭の中で練習してる」

 

「体を動かすことを、練習をしてるんですか?」

 

「うん。教わったことを、忘れないように」

 

「教わった、こと」

 

 俺は頷いた。

 

「槇寿郎さんに見せてもらった動きとか。あの人みたいには動けないけど、見たものを全部捨てるのは、もったいないから」

 

 小芭内君は、槇寿郎さんという名前に少しだけ瞬きをした。

 

 槇寿郎さんの姿は何度も見ているし、名前も聞いているはずだ。けれど、俺はあの人のことをほとんど説明していない。

 

 小芭内君からすれば、少し怖い大人の男、くらいに見えているのかもしれない。

 

 蛇神を斬った人ですとも、炎柱っていうですとも紹介できないし。

 

 と槇寿郎さんの紹介の仕方を心の中で悩んでいたが、小芭内君はそれ以上は聞かなかった。

 

 俺は少しだけほっとして足を置き直す。

 ほんの少しだけ、体の重さを沈める。

 

 小芭内君の視線が動いた。

 

 やはり追っている。

 

 俺が自分で意識しているよりも、ずっと細いところを見られているような気がして、妙な感じがした。

 

 小芭内君は、しばらく俺の足元を見ていた。

 

 それから、自分の膝に目を落とす。

 

 畳に手をつき、少しだけ身体を起こす。

 

 座っていていいよ、と言いかけてやめる。

 

 そう言われたら、この子はたぶん座るだろうけれど、それは少し違う気がした。

 

「一緒にやってみる?」

 

 そう聞くと、小芭内君が顔を上げた。

 

 俺は、自分の隣を指す。

 

「ここに立つだけだけど」

 

 小芭内君は、しばらく俺を見ていた。

 

 それから鏑丸を見る。

 

 鏑丸は、何も言わない。

 

 当たり前だけれど。

 

 小芭内君は、ゆっくり立ち上がった。

 

 線が細い。

 肩も薄い。

 足の置き方も、なんとも心もとない。

 

 それでも、小芭内君は俺の隣に立った。

 

 俺は、どう教えればいいのか分からなくなった。

 

 裏長屋で、年下の子に飯の分け方や、寒い日の丸まり方を教えたことはある。狭霧山で、錆兎や義勇に水汲みの場所や薪の置き方を教えたこともある。

 

 けれど、鍛錬を教えることには慣れていないことに、今やっと気が付いた。

 

「ええと」

 

 小芭内君が俺を見る。

 

 青緑と黄色の目が、真面目にこちらを待っている。

 

「まず、転ばないように立とうか」

 

 言ってから、少し間の抜けたことを言った気がした。

 

 けれど、小芭内君は真剣に頷いた。

 

「転ばないように」

 

「うん」

 

「立つ」

 

「うん。立ってみようか」

 

 小芭内君は、畳の上で足をそろえようとした。

 

「そこまできちんとしなくていいよ」

 

 小芭内君の動きが止まる。

 

 言ってから、俺は少し困った。

 

 小芭内君は、言われたことを本当にそのまま受け取ってくれる。

 

 だから、言い方を間違えると、たぶんそのまま固まってしまう。

 

 俺は自分の足元を見せた。

 

「少し開く。これくらい」

 

 小芭内君は俺の足を見て、自分の足を動かした。

 

 肩幅ほどに開く。

 

「そう」

 

 そう言うと、小芭内君の肩がかすかに下がった。

 

「次は、膝を固めない」

 

「固めない」

 

「うん。ぴんと伸ばしすぎると、動きにくいから」

 

 小芭内君は膝を見る。

 

 膝を曲げる。

 

 曲げすぎる。

 

「あ、そこまでじゃない」

 

 小芭内君がまた止まる。

 

「ごめん。俺の言い方が悪いね」

 

 俺は自分の膝を少しだけ緩めてみせた。

 

「これくらい」

 

 小芭内君は、じっと見た。

 

 それから、自分の膝をほんの少し緩める。

 

 今度は近い。

 

「そう。そんな感じ」

 

 俺は、少し息を吐く。

 

 教えるというのは、思ったより難しい。

 

 鱗滝さんは、よく俺たちに教えられたものだと思った。

 山道を走らせ、地面に転がし、木刀で打ち、滝へ立たせる。

 

 厳しかったけれど、今思えば、何をどうすれば身体が覚えるのかを知っていたのだろう。

 

 俺には、まだそんなことはできない。

 

 だから、千寿郎君に教えた時のことを思い出しながら、丁寧に言葉にしてみる。

 

「足の裏、畳についてる感じ、分かる?」

 

 小芭内君は足元を見る。

 

「……はい」

 

「その重さを、少しだけ前に」

 

「前に」

 

「うん。でも倒れないくらい」

 

 小芭内君は、一度足元を見ると少しだけ重さを前に移す。

 

「良い感じ」

 

 俺が言うと、小芭内君は息を止めたままこちらを見た。

 

「今のですか?」

 

「うん。今の」

 

 小芭内君は、自分の足元を見る。

 

 鏑丸が、その首元で小さく動いた。

 

 外では、風が庭の木を揺らしている。

 

 宿のどこかで、湯を運ぶ足音がした。

 

 遠くで誰かの声がする。

 

 槇寿郎さんたちは、今日も蛇鬼の後始末の為に島を駆け回っているのだろうか。

 

 そんなことを考えながら、俺たちはただ立っていた。

 

 誰かのためではなく、誰かに命じられたからでもなく。

 自分のための構えを、見つけるために。

 

 小芭内君が、自分の足で畳の上に立っていた。

 

 そうしてしばらく続けていると、すぐに小芭内君の肩が揺れ、息が少し上がる。

 

「今日はここまでにしようか」

 

 小芭内君は俺を見た。

 

 まだ続けたいのか、終わっていいのか分からないのか、判断に迷っている顔だった。

 

「また明日もできるよ」

 

 そう言うと、小芭内君は瞬きをした。

 

「明日も、やっていいんですか?」

 

「うん。明日もやろう」

 

「……はい」

 

 小芭内君は明日という言葉を、小さく噛み締めているようだった。

 

 それから、ゆっくり座った。

 

 鏑丸が首元から畳へ降りる。白い身体が、小芭内君の膝の上で丸くなった。

 

 小芭内君は、しばらく自分の足を見ていた。

 

 俺も隣に座る。

 

 雪見障子の向こうで、海の光が揺れている。

 

 小芭内君は、顔を上げなかった。

 

 けれど、膝の上の鏑丸を撫でながら、ぽつりと言った。

 

「明日も、晴れますかね」

 

「うん」

 

 俺は頷いた。

 

「きっと晴れるよ」

 

 小芭内君は、それ以上何も言わなかった。

 

 ただ、鏑丸を撫でる指先が、さっきより少しだけゆっくりになった。

 

 俺たちはその日、しばらく並んで座っていた。

 




ちなみに小芭内君は救われているかのように見えているかもしれませんが、全然一族が死んでしまったのは自分のせいだと思っているし、拒食はあるし、今も宗右衛に依存しているだけで他の人間への不信感は消えていません。

宗右衛に対してだけは安定しているように見えているだけで、逆に宗右衛と離れればそれはそれで精神不安定になります。

でね、全く関係のない話なんだけどさ。

他の柱とか炭治郎とかも、常中のせいかカロリー消費爆上がりして食事量が増えているはずなのにさ、小芭内ってほとんど食事が一般人並みのまま柱になるらしいんだよね。

燃費すごくない?

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