独身おじさん(42)、TS美少女になってダンジョンへ突撃する 作:独身おじさん(42)
佐々木健太はフォークリフトのエンジンを切った。
四十二歳。独身。中堅物流会社の係長だ。
彼はヘルメットを脱ぎ、汗を拭う。
今日でこの職場ともお別れだった。
「佐々木さん。今までご苦労様でした」
総務課の社員が書類を差し出す。
退職手続きの最終確認書だ。
佐々木は印鑑を押した。
理由はAI物流システムの導入による人員削減だ。
コストカットの波は現場の長である彼をも飲み込んだ。
「退職金は来月末に振り込まれます」
金額は少ない。再就職支援の話もあったが形式的なものだ。
四十二歳で特別なスキルもない。
潰しが効かないことは彼が一番よく知っていた。
佐々木はロッカーの中身を段ボールに詰める。
私物はマグカップと予備の軍手、腰痛対策のクッションだけだ。
帰るべきアパートはあるが、真っ直ぐ帰る気にはなれなかった。
足は繁華街へと向かう。
馴染みの赤提灯が見えた。安さが売りの大衆居酒屋だ。
佐々木は暖簾をくぐる。
「いらっしゃいませー! 一名様ですか?」
カウンターの隅に座る。
とりあえず生ビールを頼む。
運ばれてきたジョッキを一気に空ける。二杯目からはハイボールに変えた。
隣の席では若手のサラリーマンたちが上司の悪口を言っている。
佐々木はそれを聞き流し、杯を重ねる。
真面目に働いてきた結果がリストラだ。
組織は個人の献身など見ていない。
「お会計お願いします」
二時間後。
佐々木は店を出た。
財布の中身は減っていた。
今後の生活費を考えれば無駄遣いは厳禁だ。
頭では理解しているが、足はコンビニへ向かう。
缶チューハイと乾き物を買い込んだ。
夜の公園。
佐々木はベンチに座る。
プルタブを開け、酒を煽る。
酔いが回ってきた。
「くそっ……」
悪態をつく。
答えは出ない。
佐々木は空を見上げた。暗い空だ。
「随分と荒れているな」
声がした。
佐々木は周囲を見る。誰もいない。
幻聴かと思い、再び酒を飲む。
「ここだ。上を見ろ」
街灯の上にカラスが止まっていた。
通常の個体よりも一回り大きい。
その目が佐々木を見ていた。
鳥が喋るわけがない。泥酔が見せる幻覚だと彼は判断した。
「鳥が……喋ったのか?」
「喋る鳥もいれば喋らない人間もいる」
カラスは舞い降り、ベンチの背もたれに着地する。
不気味なほどに落ち着いていた。
「お前は人生に行き詰まっているように見える」
「……見ての通りだ。今日クビになった」
「組織からの放逐か」
「言うねえ。鳥の分際で」
佐々木はスルメを齧る。
相手が幻覚だろうと構わない。誰かと話したかった。
「俺の名前はミナト。この世界の観測者だ」
「観測者? 俺は佐々木。ただの無職だ」
「ササキ。お前の魂は疲弊している。だが腐ってはいない」
「褒められてる気がしないな」
ミナトと名乗るカラスは小首を傾げた。
佐々木は残っていた酒を飲み干し、空き缶を転がす。
「人生をやり直したいか?」
ミナトが問う。
明瞭な日本語だ。
やり直せるならやり直したい。
だが時間は不可逆だ。
「魔法使いみたいなことを言うなよ。どうせ夢だろ」
「夢ではない。契約だ。力があれば現状を変えられるか?」
「力……?」
佐々木は自分の手を見る。
節くれだった中年男の手だ。
この手に何ができるというのか。
「金があればいい」
佐々木は言った。
金があれば生活できる。
今の彼にとって金こそが必要だった。
「金か。現世的な欲望だ。だが悪くない」
ミナトは嘴を開く。
「契約成立だ。ササキ。お前には適性がある」
「適性? 何の……」
「新しい世界への適性だ。対価として古い肉体と常識を捨ててもらう」
「何を言って……」
意識が遠のく。
地面が崩れ落ちるような感覚。
視界の端でミナトが翼を広げるのが見えた。
闇が佐々木を包み込む。
彼はベンチに倒れ込んだ。
翌朝。
佐々木は目を覚ます。
頭痛がする。二日酔いだ。
身体中の関節が痛い。
ベンチで寝てしまったらしい。
彼は起き上がる。
視界が低い。地面が近い。
「……飲みすぎた」
声を出そうとして違和感を覚える。
喉の調子がおかしい。
服がやけに大きい。
ジャケットがずり落ち、ズボンの裾が余っている。
ベルトは緩すぎて腰骨で止まっている状態だ。
「おい。起きろ」
声がした。
ベンチの背もたれにカラスのミナトがいる。
「なんだこれ……」
自分の声を聞いて佐々木は凍りついた。
高い。少女の声だ。
口元を押さえる。髭がない。
「まずは顔を洗え。あそこのトイレに鏡がある」
ミナトが告げる。
佐々木は立ち上がるが、足がもつれる。
バランスが取れない。
公衆トイレへと向かう。
洗面台の前に立つ。
黒髪のロングヘア。琥珀色の瞳。
十六歳ほどの美少女が映っていた。
佐々木は頬に触れる。
鏡の中の少女も同じ動きをする。
頬をつねる。痛い。
「嘘だろ……」
佐々木健太四十二歳。
昨日リストラされた中年男。
それが彼だ。
しかし鏡に映る姿は未成年の女子だった。
ダボダボのスーツを着ている。
「契約は履行された」
背後からミナトの声がした。
「説明しろ! これはどういうことだ!」
少女の声で怒鳴る。
「お前はダンジョン適格者として再構成された。以前の肉体では魔力に耐えられない」
「だからって性別まで変える必要はないだろう! 俺はおっさんだぞ!」
「魂の形状に合わせた結果だ」
「ふざけるな! 元に戻せ!」
「不可能だ。エネルギーが足りない」
ミナトは淡々と告げる。
佐々木は洗面台の淵を掴む。
状況が理解できない。
「ダンジョン適格者……? 再構成……?」
「そうだ。世界の歪みを正すのがお前の仕事だ」
「仕事? 俺は無職だ」
「だから再就職先を斡旋した。探索者という職業だ」
ミナトが外を指す。
公園の向こう側に空間の歪みが見えた。
コンビニがあった場所がダンジョンの入り口になっている。
それは三年前に突如世界中に出現した亜空間だった。
内部は物理法則が歪んだ異界となっている。
そこには魔石という未知のエネルギー資源が眠っていた。
石油に代わる次世代エネルギー。
一攫千金を夢見て多くの人間が挑み、そして死んだ。
現代のゴールドラッシュである。
危険地帯であり、一般人が近づいてはいけない場所だ。
ミナトはそれを仕事にするよう彼に求めていた。
「断る。俺は平和に暮らしたい」
「元には戻れないぞ。その姿で社会復帰できるのか?」
言葉に詰まる。
戸籍も身分証明書もない。
誰が彼を佐々木健太だと信じるのか。
「稼ぐしかない。その体を使って」
「言い方!」
「ダンジョンには富がある。魔石を換金すれば金になる」
佐々木は唇を噛む。
金は欲しい。だが戦闘などできるわけがない。
「俺に戦えるわけがない」
「肉体はアップデートされている。ギフトもある」
「ギフト?」
「固有スキルだ。試してみれば分かる」
ミナトは飛び立った。
佐々木は後を追う。
ベルトを締め直し、靴の踵を踏んで歩く。
公園を出る。
ジョギング中の老人が佐々木を見て驚いた顔をする。
羞恥心で顔が熱くなる。
「どこへ行くんだ」
「家だ。とりあえず家に帰る」
佐々木は自宅アパートを目指した。
現実を受け入れたくなかった。
しかし、アパートの前に着いて呆然とする。
鍵が入らない。シリンダーが交換されている。
郵便受けはガムテープで塞がれ、『管理物件』の張り紙があった。
「どういうことだ……」
「お前が行方不明になってから三ヶ月が経過している」
「三ヶ月!?」
「肉体の再構成には時間がかかる。その間、お前はこの世界にいなかった」
三ヶ月。
季節が変わるほどの時間だ。
家賃滞納による強制退去。
荷物は処分されたか、倉庫へ送られたか。
所持金は数千円のみ。
スマホを取り出すが、完全に放電して電源が入らない。
仮に電源が入っても、通信契約は切られているだろう。
帰る場所がない。
頼れる人もいない。
文字通り、佐々木健太の居場所は消滅していた。
「詰んだ……」
佐々木はその場にしゃがみ込む。
空腹だ。昨夜以来何も食べていない。
金を使えば寿命が縮まる。収入の当てがない。
「腹が減ったか?」
ミナトが見下ろしている。
「……うるさい」
「ダンジョンに行けば稼げる」
「死ぬかもしれないんだぞ」
「このまま野垂れ死ぬのとどちらがいい?」
究極の二択だ。
佐々木は立ち上がる。
怒りが湧いてきた。
運命への怒り。会社への怒り。無力な自身への怒り。
彼は決意する。失うものは何もない。
「分かったよ。行けばいいんだろ」
「賢明だ」
「ただし条件がある」
「なんだ」
「フリフリの服は着ない。魔法少女みたいな格好は御免だ」
ミナトは翼をすくめる。
「服装は自由だ」
「なら行くぞ」
佐々木は歩き出した。
まずは金だ。当面の生活費を稼ぐ。
ダボダボのスーツの袖を捲り上げる。
白い腕が露わになる。
向かう先は近所のコンビニ跡地。Fランクダンジョン。
佐々木は道端に落ちていた鉄パイプを拾った。
工事現場から転がってきたものだろう。
錆びついているが重い。
武器はこれでいい。
「行くぞミナト」
「承知した。パートナー」
カラスが舞う。
美少女が鉄パイプを引きずって追う。
佐々木はダンジョンの入り口へ足を踏み入れる。