斜陽の国のダークエルフ   作:生きるの辛之

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ようこそマクシムープルへ

 マクシムープルのイスマイル駐箚オルクセン公使館に彼女が赴任してきたのは、星暦877年の6月末のことであった。ベレリアント戦争の終戦処理に原隊が慌てふためく中の転任であったから、イスマイルでの生活準備などほとんどしていない。軍務にかかわる最低限の荷物だけ抱えて、ヴァルダーベルクの兵舎による暇もなく陸軍省で辞令だけ受け取って国際列車に飛び乗った。アスカニアとオスタリッチを経由して地裂海に出て、ヴルカン半島をぐるっとまわる海路でのマクシムープル入りであった。

 

 「嗚呼、これなら戦場のほうがましだった」

 

 彼女が思わずそうつぶやいたのも仕方のないことである。この時期の地裂海の貨客船は、しばらく後に就役するエルテモンテ号のような快適なものではない。まして彼女は海など知らない山育ちである。そう、彼女はダークエルフの、アンファングリア出身の騎兵中尉であった。

 

 アンファングリアの騎兵将校であるから、当然マクシムープルに着任するときは軍装である。つまり例の熊毛帽に肋骨服であって……夏のイスマイルで着るような服では当然ない。疲労と暑熱で彼女はすっかり参ってしまっていた。

 

 「中尉、ここでそんな恰好をするのはグラックストンの前に騎兵突撃をかますより危険だぞ」

 

 公使室を出るなりそう声をかけられた。先輩武官の大尉で、コボルト族である。大柄なバーニーズ種の牡であった。だが、彼がバーニーズ種だと知るのはしばらく後の話。なぜなら、その特徴的な長毛をこれでもかと短く刈り込んでいたからである。

 

 「いいか中尉、マクシムープルでは外を歩くだけで命がけなんだ。だからここでは式典以外で本国式の制服は着ないし、俺は自慢の毛も短く刈りつめた。軍人は見た目も大事だがそれは生存よりは大事ではない。そういうことだから、中尉もここに合わせた軍服を仕立てるように」

 

 軍人が制服を着ないとはなんとも緩い任地であると思ったものであるが、確かにこのうだるような暑さはいかんともしがたい。部屋に設置された冷却用刻印式魔術板をもってすら滝のように汗が流れた。

 

 「大尉殿、了解いたしました。早速仕立て屋へ向かわせていただきます」

 

 「まぁまて中尉、ここはオルクセンのように何でもかっちりと進む国じゃないんだ。仕立て屋は後で出入りのものを公使館に呼びつけるから、とりあえず私服に着替えて食事としようじゃないか」

 

 公使館での私室でここまでの道中の旅装にしていたロングスカートにブラウスの気軽な服装に着替える。暑苦しいい熊毛帽ももちろん脱いで、長い髪は丸めてネットをかけた。あらわになるうなじや耳は、ダークエルフとしても色黒といえるほど日焼けしている。地裂海にたどり着いた時に初めての海で……その、少々はしゃぎ過ぎたのだ。

 

 「ダークエルフの方は初めてお目にかかりますが、本当に白エルフと違って肌が黒いのですね」

 

食堂に行くと先についていた書記官にそんなことを言われる。まぁ仕方あるまい、彼らはアンファングリアの結成どころか、あの決死行の前からこのイスマイルの地にいるのである。だから公使館の面々にとっては、彼女が初めて目にするダークエルフであるわけである。

 

 「中尉、暑気あたりにはこれがいいぞ。俺も着任したての時は散々お世話になった」

 

 そういいながら大尉に差し出されたコップを受け取ると、中には泡立った白い液体が入っている。ミルクかなと顔に近づけると、酸っぱいにおいが広がったので傷んでいるのかと慌ててコップを置いた。この暑さならミルクなど数時間で腐るだろう。

 

 「大尉殿、これは……」

 

 「大尉さん、ちゃんと説明しなきゃダメでしょう。ダークエルフのお嬢さん、この酸味はオルクセンのサワークリームみたいな発酵乳製品ですよ。ヨウルト、といいます。これはそこに塩と牛乳を加えたアイランという飲み物です。滋養があって夏場にはいいんですよ。お口に合わないかもしれませんが、薬だと思って飲んでください」

 

 先任の武官と書記官に強く勧められては、飲まないわけにはいかない。勇気を振り絞って口をつけると、慣れない酸味と塩味が口の中に広がるが、しかし案外と心地の良い味であった。故郷で冬場に飲んでいたサワークリームのスープがあるが、それを冷やして薄めたようなものだと思えば悪くない。なるほど、暑気あたりの頭痛がだんだん和らいでいくのがわかる。

 

 「さあお嬢さん座って。食事にしよう」

 

 不調法にも彼女は立ったままアイランを飲み干していた。大尉との間では無頼な軍人流でもいいが、いかにも学者肌な書記官殿にそれを言われると少し恥じらいというものを思い出そうというものだ。しかも、どうやらこの場ではこの年おいたオークの書記官が一番上席であるようだった。

 

 時間を置かずに現地人の給仕がやってきて、大量の大皿を食卓の上に並べていく。これらすべてが現地風の前菜であるらしい。

 

 「中尉、ここの飯はうまいぞ。こればっかりはオルクセンに勝っている。俺は除隊したらヴィルトシュバインでイスマイル料理屋を開いて一山当てようと思うんだが、貴様も一口かまんかね?」

 

 木の実や干し果物、チーズ、干しトマトの油漬け、エンドウ豆の煮物など味の想像がつく料理もあるが、その他のものは訳が分からない。マッシュポテトに魚卵が入っているのと魚の酢漬けらしきものはかろうじて理解できるが、このでこぼこの付いた奇妙な棒はなんだ。

 

 「お嬢さん、それはタコですよ。オルクセンでは嫌う方も多いですが、地裂海の名物なんです。おいしいですから、だまされたと思って食べてみてください」

 

 上席の書記官に言われたから仕方なく……ではなく、さっきのアイランがおいしかったから信じて食べる。妙に硬くてグニグニした変な歯ごたえだが、嚙んでると何やら旨味が口の中に広がってくる。干し肉のようなものだろうか。

 

 「ほら中尉、それを口に入れたら今度はこれをぐっとやるんだ」

 

 大尉から渡された白い液体の入ったグラスを、またアイランかと飲み干して……むせた。酒じゃないか。それもかなり強くて、香辛料のきいた火酒だ。昼間からこんなものを飲んだくれて随分いい職場じゃないか。

 

 「なんだ中尉、ダークエルフはみないける口だときいていたが。貴様のようなお嬢さんはレモネードのほうがいいかね?」

 

 大尉にそう煽られたので、意地で飲み干した。香辛料の強烈な香りが鼻に抜ける。

 

 「お嬢さん、それはラクという土地の火酒ですよ。水を入れると白く濁って、ミルクのような色合いになるんです。面白いですが強いですから、無理はなさらないでくださいね」

 

 そう声をかけてくれた書記官のほうを見ると、氷を浮かべたレモネードを飲んでいる。くそ、大尉にしてやられた。

 

 「ははは、怒るなよ中尉。ラクを飲みかわすのはこの土地では大事な社交場なんだ。慣れといて損はないぜ。まぁ、書記官殿が下戸な分俺が飲んでるんだがな」

 

 吹き出すようにそういう大尉のほうを見ると、自分のものより濃そうなラクを平然と飲み干している。この牡は相当にいける口らしかった。

 

 彼女も負けじとラクとやらをあおりながら、メゼを口に運ぶ。なじみのないものがほとんどだが、どれも確かにうまい。タコとやらには面食らったが、焼いているのに歯ごたえのあるチーズは面白くもおいしいし、鉄海と地裂海に挟まれた港湾都市だけあって海鮮料理がどれもうまい。海の魚なんてニシンの酢漬けと干し鱈ぐらいしか知らなかった故郷の暮らしからは信じられない御馳走である。

 

 だが彼女が一番気に入ったのは茄子の料理であった。詰め物をした茄子の揚げ煮込みらしい。

 

 「中尉、気を確かに持てよ。こいつは坊主の気絶って名前でな、坊主がにおいを嗅いだだけで気絶するぐらいうまいんだ」

 

 確かにうまい。とろとろの茄子に味が染みていて、詰め物は香味野菜と香辛料が効いている。よく見ると書記官殿は食べていないが、コボルトは香味野菜がダメだからだろうなどと考えつつも、考える間もなく食事は続く。なぜならメゼは前菜だからである。

 

 いつの間にか飲み物は赤ワインに変わり、パン籠と一人一皿のメイン料理が運ばれてきた。おお、これはわかりやすい。パンは少々形は違うが茶色い皮に純白の中身の白パンだし、メイン料理は肉団子の煮込みでトマト味で炊いた米が添えられている。先ほどまでのメゼが頭が混乱するような目名ぐるしい珍味の連続だったのに対し、今度は懐かしさと珍しさが半々ぐらいの落ち着く食べ物だ。肉団子に添えられたヨウルトとやらも故郷のサワークリームを思い出させる。ワインも軍で飲んでいたオルクセンのものよりだいぶ上等である。

 

 これで食事が終わったと一息つこうとしたら、最後にパイ菓子と茶が出てきた。まぁ、最後に菓子が出るのはオルクセンと同じであるが、ずっと故郷で粗末な食事ばかり食べていたからいまだにこう言うのには面食らうのである。

 

 そしてパイ菓子を口に放り込んだらさらに面食らった。歯が痛くなるほど甘いのである。自分には虫歯はないはずだが、それでも歯に刺さるような甘味だ。その上に大量のバターと木の実が使われている。これはさすがによっぽどの御馳走だろう。公使閣下……いや、イスマイルの皇帝陛下からの贈り物だろうか。

 

 「お嬢さん、これはバクラヴァと言ってね、宮廷菓子だよ。宮廷の厨房だけで作られていたんだ」

 

 やっぱりそうか、と彼女は思った。しかし、書記官の言葉は続く。

 

 「昔は断食月の特別な日にだけ宮殿の外の軍人に下賜されていた甘味なんだけどね、ここ最近の近代化で街中にも専門店が出てきて市民に大人気だよ。こればかりはうちの料理人にも作れなくて、小間使いを人気店に並ばせているんだ」

 

 この書記官殿、下戸の甘党らしい。食事中もずっと甘そうなレモネード飲んでいたというのに、この強烈に甘いパイ菓子に合わせる紅茶にも角砂糖を三つも落としている。いくらイスマイル風の紅茶がやたらと渋いとはいえ、随分贅沢な趣味だ。

 

 「中尉、今日の料理はイスマイルの平均的な中流家庭の食事だ。もちろん多少の贅沢はしてあるが、週末には普通に食べられる程度のものだ。この意味、貴様ならわかるな?」

 

 そう、彼女にはよくわかる。ベレリアント半島の山奥の寒村に育ち、オルクセンの美食と飽食に驚かされてきたダークエルフの彼女だから、痛いほどよくわかる。老いたといわれる大国イスマイルの、文化と繁栄の程度が。

 

 「お嬢さん、駐イスマイル公使館にようこそ。美食と飽食と退廃の都にようこそ。これから君にはダークエルフの五感を通して土地の空気を記録してもらう。よろしく頼みますよ」

 

 「中尉、食べ過ぎには気を付けたまえよぉ」

 

 こうして彼女のイスマイルでの駐箚武官としての日々が始まったのだった。




「イスマイル式身支度」につづく
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