女の園から十日後、今度は男臭い場所へ向かうことになった。公使館から歩いて宮殿近くの船着き場に行き、大陸の境の海峡を乗合船で渡る。このマクシムープルという街は、二つの大陸にまたがって発展しているのである。
「大尉どのぉ、なんで今日は本国式の制服なんですかぁ。暑気あたりで死にそうなんですがぁ」
揺れる船の上で叫ぶように言うと、珍しくピカピカに磨き上げた参謀記章を光らせた牡が返した。
「中尉ぃ、仕方ないだろぉ。今日の相手は近衛第一軍のお偉方だぁ。それに熊毛帽の中には本国から届いたアレを仕込んであるだろぉ? 貴様ぁ、倒れるときは言えよぉ」
そう、確かに軍服の随所に刻印式魔術版が仕込んであるのだが、それでも暑いものは暑い。アンファングリアの制服はオルクセンやエルフィンドの夜に寒くないように作ってあるのであって、夏のマクシムープルの日中に快適なようには作られていない。
先日つくったアンファングリア風イスマイル服を着ていこうと思ったら、大尉に怒られた。あれは宮廷人相手にはいいが軍人相手には示しがつかない、と。いい加減極まりない大尉にそんなことを言われるようでは私も公使館のゆるさにあてられたな、などと彼女は思う。
「お嬢さん、見えてきましたよ。あれがイスマイル近衛第一軍の兵舎です」
一人だけ平然としてる書記官殿が、いつもの優しい口調で言った。この牡は文官だから、夏用の涼しげな背広姿なのである。制服がないというのはうらやましいことである。
乗合船が港に着くと、イスマイル軍の馬車が迎えに来ていた。それに乗ってすぐ目の前の兵舎に入っていく。事務官殿はここで別れて、文官同士の付き合いに行くらしい。
イスマイルの軍人たちに案内されるまま、兵舎の貴賓室に入る。イスマイルの軍人たちはみな星欧風の軍装に身をまとっていて、唯一の違いはフェズをかぶっていることだけである。なるほど、ここにあのイスマイル服で着たら赤っ恥だったに違いない。
「イスマイルにようこそ、可憐な勇士ちゃん。ベレリアント戦争での活躍は耳にしておりますぞ」
勲章をじゃらじゃら付けた老年のイスマイル軍人が、流暢な低地オルク語でそう言った。
「わしも戦地は経験があっての。20年前のタリウス戦争じゃ。その時にグスタフ陛下からただいたエリクシル剤に命を救われたんじゃ。そのあとレマン国際医療条約にイスマイルが加盟するときに武官として派遣団の末席におっての、しばらくヴィルトシュヴァインでお国の言葉と兵法を習ったんじゃ」
「中尉、砲兵師団の師団長閣下だ。イスマイル軍きってのオルクセン通であらせられる」
いつになくかしこまった大尉にそう言われて、彼女は慌てて敬礼をして官姓名を名乗る。
「なんのなんの、そうかしこまらんでも構わんのじゃ。わしのような老骨に最新の戦争の話を聞かせてくりゃれ」
老人の低地オルク語は何やら古風でおかしみのある響きもあったが、しかし冒頓な人柄が伝わってくる温かみのある声だった。彼女としてもタリウス戦争の勇士の話はぜひとも聞きたかった。
「ほれ、姫様に茶とお茶請けをお出しせんか」
最近少しだけ聞き取れるようになってきたイスマイル語で、老将軍がそう言っているのが分かった。姫様ってなんだ、とは思ったが口には出さない。
老将軍に勧められるままに椅子に腰かけるとだんだん緊張がほぐれてきて、この部屋の中では軍装をしていても暑くないことに気付いた。
「ほっほっほっ、勇士ちゃんはお気づきだろうの。この部屋にはグスタフ陛下からいただいた魔術式冷房がついてるんじゃ。これがないとマクシムープルの夏は老骨には堪えてのぉ」
やっぱりマクシムープルの夏はイスマイル人でもつらいようだった。
「わしはヴルカンの山生まれじゃからの。マクシムープルは暑くてかなわのじゃよ」
イスマイルという国は、巨大だ。オルクセンなど比べ物にならないくらい大きい。老いたるとはいえ大国であり、その軍隊も多民族であった。
「ほれほれ、勇士ちゃんお食べなさい。ヴルカン風のフェタとほうれん草の焼きボレクじゃよ。マクシムープル式の揚げボレクは老骨の胃には堪えるのじゃよ」
ボレク、というのは中に具を入れたイスマイル風の揚げパイである。マクシムープルの露店で売ってるチーズを入れて揚げた細長いボレクは大尉と食べたことがあるが、ヴルカン風の焼きボレクは初めてだ。マクシムープル風と違って渦巻き状をしていて、オーブンで焼いて作るらしい。サクサクしたパイ生地の中にとろっとしたチーズと少し苦みのあるほうれん草のペーストが入っていてこれがなんともうまい。
「ほっほっほっ、お気に召したかなぁ。毛玉君はひき肉のボレクが好きだったの?」
大尉殿は老将軍とすでに親しい仲らしい。肉汁を垂らしながらボレクにかじりついている。このいやしんぼめ。あ、ラクも飲んでやがる。おいこら公務中だぞ。
「やはり閣下の作られるボレクは最高でありますな。ラクが進みます」
「ほっほっほっ、若い衆に食わせて飲ませるのは楽しいのぉ。炊事兵を押しのけて厨房を乗っ取った甲斐があったわい」
なんと、このボレクは師団長閣下の手料理なのか。それはそれはありがたいものである。
「ヴィルトシュヴァイン赴任中に故郷の味が懐かしくての、いい歳して料理を覚えたんじゃ。ほれほれ、勇士ちゃんもラクを飲まれるかな? それともレモネードがよいかの?」
くぅ、ここでも牝だからと舐められる。ダークエルフを侮るなよ、と思いながらラクをぐっと飲み干す。香辛料はきついが故郷の火酒ほど強いわけではない。
「なんとなんと、いけるクチじゃの。視察が終わったら午餐に付き合ってくれの」
そう、ここにはイスマイル陸軍への顔通しと視察に来たのであった。任務を思い出した彼女は、ラクのお代わりを断りレモネードに切り替える。子供っぽいと思うなかれ、イスマイルでは甘いものを大人が飲むのは恥ずかしいことではない。酸味だけでなく甘みも強烈なレモネードに、イスマイルの豊かさを思い知らされる。故郷では砂糖なんてめったに手に入らなかった。
「ほほっ、レモネードを飲む姿は可憐じゃのぉ。戦場帰りとは思えんわい」
老将軍はさっきから子ども扱いするが、実は長命の魔種族である彼女のほうが年上である。とはいえ軍歴は老将軍のほうが長いのだからお子様扱いは甘んじて受ける。階級に屈したわけではない。けしてない。
「さて、そろそろ時間じゃの。歩兵連隊と騎兵連隊を一個ずつ待たせてあるんじゃ。それから……これは後のお楽しみじゃ。ほほっ」
席を立った老将軍の後について、中尉と大尉もグラスを置いて練兵場へと歩を進めたのであった。
「閣下のとっておきのお楽しみ」に続く