「大尉ぃ、この怪しい街は何ですかぁ?」
大尉に渡されたマントのフードを深くかぶった彼女は、顔をさらして堂々と歩く大尉の耳元でささやく。
「中尉は田舎者だなぁ。ただの悪所だぞぉ?」
ただの悪所、ただのってなんだ。彼女はベレリアント半島の寒村の出身であり、脱出行の後も兵舎と戦場でばかり過ごしていたから、そういったところにはなじみはない。同じオルクセン軍でもほかの部隊であれば戦地で「その種の慰安施設」に通ったりもするのだろうが、いかんせん女所帯のアンファングリアである。酒を飲むにしても多少上品な店に行くのが普通であった。
「仕方ないだろぉ。船着き場の酒屋通りだぞぉ。娼婦であふれてて当たり前じゃないかぁ」
まだ昼下がりなのに道端に酔漢が転がり、店店の間口からは肌をさらけ出した美女が顔を見せる。股間が見えそうな短いズボンをはいた男娼までいる。ここはムスル市場から湾を挟んで反対側の新市街だ。
「だからって、もう少し上品な店もありますでしょう?」
「中尉、君は任地のことをもう少し勉強したまえぇ。イスマイルの宗教では原則禁酒、飲み屋街となると星教徒地区のこういった悪所になるわけだぁ」
そういいながら悪所の路地を奥へ進む大尉は、なんとなく鼻の下が伸びているように見える。あと、酌婦や娼婦たちがよくわからないがイスマイル語で声をかけてきているのだが、この牡はこういったところに通い詰めているのだろうか。
「ついたぞぉ。ここだぁ」
路地裏の酒場に入ると、なんと牝のコボルトが出迎えてきた。彼女は少し古風なオルク語で話しかけてくる。
「あら坊や、今日は女連れなんてどういう風の吹きまわしかしら」
「ねぇさん、新任の武官ですよ。アンファングリアの出身です。中尉、もうフードをとっていいぞぉ」
この牝には敬語なのか。しかしよく見ると、かなり歳がいっているように見える。
「貴女、私の年齢を考えたわね」
なんと、アールヴ語でそういわれた。いったいどういう事だ。
「私はロザリンドのだいぶ前にモーリアを出たの。あの頃はこの街にもコボルト商人の住む小さな地区があって、貿易商だった夫についてやって来たわ。お高く留まった白エルフも、東方の香辛料には目がなくていい取引をしていたわよ」
なんと。確かにロザリンド前の方が香辛料はまだ安かった。そうか、コボルト商人を追い出したから……
「それに歳のことを言ったら、貴女だって同世代でしょう?」
う、なんでばれた。
「中尉ぃ、何を話してるぅ?」
実は切れ者らしいとわかってきた大尉もアールヴ語は聞き取れないようで、怪訝な顔をしてオルク語で聞いてくる。だがそれを意に介せず彼女はアールヴ語でつづけた
「この坊やはデュートネ戦争の後に生まれたのよ。だからまだまだお子様なの」
そういえば、大尉に年齢の話はしたことなかったな。彼女が生まれたのはロザリンドよりかなり前。出征はしていないから所謂ロザリンド世代ではないが、実は中尉よりもかなり年嵩である。旅団長よりは多少若い、というくらいの歳であった。
「私がモーリアで生まれたころの白エルフは、お高く留まっていても酒場では気のいい牝たちだったのだけれどね……だからロザリンドの後に起きたことを知った時は驚いたものだわ。とにかく、戦争お疲れ様。これで私も夫の遺骨を故郷に返せるわ」
白エルフのやつらが気がよかった? それは彼女も知らない時代の話ではないか……
「坊や、大人の話は終わったわよ。レモネード飲むかしら?」
ここで会話はオルク語に戻り、大尉は安堵の表情を浮かべた。
「ねぇさん、だから子ども扱いはよしてくれと……いつものヴィシュナーブを頼みます。大尉ぃ、貴様こそレモネードを飲むかぁ?」
こうして子ども扱いされるのがあまり悪い気がしないので、彼女は年齢については黙っているのである。ロザリンドよりさらに前に多少の軍歴があったからアンファングリアで士官になったことも、まぁ言いふらすほどの話ではないし。
「大尉ぃ、私が酒を飲まないわけがないでしょう。御姐さん何かおすすめを」
「ならボスナ地方産のペリンコバックにしましょうかしら。ダークエルフさんならガツンとした火酒がお好きでしょう?」
「さすがねぇさん、あったこともないダークエルフの好みまで知っているとは博識でいらっしゃる」
このコボルトのご夫人の半生は、大尉にも話してないことだったらしい。まぁ、わざわざ教えてやる義理はない。なんか大尉が彼女に熱っぽい視線を向けてることだし。私たちの年齢を知ったら驚くのだろうなぁと思うと、この牡がちょっとかわいそうでありかわいらしくも思えてくる。
外国からの船乗り相手の酒場なだけあって、オルクセンと同じイスとテーブルの食事だった。腰かけると若い人間の給仕が、料理を運んでくる。まずはオリーブの塩漬けやトマトの油漬けで食前酒を呷る。このペリンコバックとやらはきつい苦みのある薬酒みたいだが、なかなか旨い。
そのあとは次々に魚料理が出てきて、それを食べながら葡萄酒を飲む。料理はヘレニカ風で、葡萄酒もヘレニカ産。料理人がヘレニカ人らしい。大尉曰く最近ヘレニカが独立したものの、ヘレニカ系の住民はこの街にはまだまだ多く、とりわけ酒場といえばヘレニカ人の得意技なのだそうだ。そしてだから酒場の料理はヘレニカ風となり、つまり魚料理になるそうだ。
こうして二人は昼間から大量の酒を呷った。ヘレニカ風サラダとやらはなかなか面白くて、輪切りにした胡瓜などの大量の野菜に新鮮なチーズとカリカリに焼いたパンをのせ、その上にオリーブ油をこれでもかとかけた代物だった。これが実に葡萄酒がすすむのである。大量の玉ねぎが入っているので、大尉は食べなかったが。可哀そうであるが自分の取り分が増えるからいいとした。
食後に西瓜をしゃくしゃくとかじり、大尉のおごりで店を出た。いや、正確には例の密輸商売の売り上げによる裏帳簿から出るそうだ。まぁ大尉曰く密輸ではなく「現地の特産品の見本を本国に送る公使館の通常業務」とのことだが。売り上げも「オルクセンでの市場価格より安く払い下げているだけだから問題はない」という。もう、深いことは考えないでおこう。
店を出たころにはもう夕暮れ時になっていた。公使館まで酔い覚ましに歩きかな、などと持っていると大尉が面白い乗り物があるというのでついていくことにした。旧市街へとつながる橋のたもとからその乗り物は出ている。ただし船ではなく、行先は新市街の背後にそびえる丘の上であった。
「見たまえ中尉ぃ。これが世界で二番目の地下鉄道だぁ」
ログレスに地下鉄道があるという話は聞いたことがあったが、まさかマクシムープルにもあるとは。グロワールの技師の発案で作られ2年前に開業したらしくまだ真新しい。。蒸気機関で動く策動式だそうだ。ちょうど港に星欧からの船がついたのか、旅装に身を固め旅行鞄を外国人に交じって乗ることになった。
さすが大都会マクシムープルだと感心しているうちにもう下車である。3分にも満たない乗車時間であったが、しかし座席が階段状になっていることからもわかる急勾配ぶりを考えると、確かに便利な乗り物なのだろう。
こうして地下鉄道を降りた彼女を待っていたのは星欧式の街並みが広がる綺麗な繁華街で、オークやコボルトも人混みに交じって歩いていた。当然しゃれた酒場もある。なんだあの悪所は結局大尉の趣味じゃないかとつぶやきつつ、しかしあの時代を知っている牝がいるならまた行くのも悪くないな、などと思いもしたのであった。