Q.ヒスイの大地を独りで生き抜く方法は? 作:ZA
────腹が、減った。
身を絞るような空腹で目が覚めた。
寝袋から顔を出すと、テントの隙間から差し込む朝日が空気中に舞う塵をキラキラと照らしている。
(……朝か)
身じろぎすると、腹のあたりでどしん、という重みを感じた。
「えぱぁ」
紫色の長い尾が、俺の腕にくるりと巻き付いている───相棒のエイパムだ。
ヒスイの朝はよく冷える。こいつも暖を求めて、最近は夜中に布団へ潜り込んでくるのが習慣になっていた。
「おーい、エイパム、起きろ。出発すんぞ」
尻尾を揺らすだけで起きる気配のないエイパム。
仕方なくそのまま上半身を起こし、テントの外へ這い出した。
────場所は黒曜の原野、その外れにある岩陰。昨晩はここで雨を凌いだのだった。
目の前にはどこまでも続く荒野と、遠くに見えるテンガン山の威容。
初めてこの景色を見たときはその圧倒的な自然に足がすくんだものだが、今となっては今日の天候を確認するための指標でしかない。
軽く背伸びをして、手際よく焚き火の準備をする。
枯れ枝を組み、火打石代わりの赤ぼんぐりを擦り合わせる。
パチ、と火花が散り、すぐに暖かな炎が揺らめいた。
今日の朝食はシンプルだ。
ナイフでオレンのみを半分に切り、木の枝に刺して火にかけるとジュウ、と甘酸っぱい香りが漂い始めた。
視界の端に、匂いに釣られて体を起こすエイパムの姿が見えた。
「こっちに来て、もうだいぶ経つなぁ」
串を回しながら独りごちる。
ここが『ポケットモンスター』の世界──それも、最も過酷なヒスイ地方──だと気づいたのは、この世界で目が覚めて案外すぐのことだった。
けれど、知識があるからといって楽に生きられるわけじゃあない。
やっとの思いで訪ねたコトブキムラからは"異端者"という烙印と共に突っぱねられた。
オヤブン個体はゲーム画面越しに見るより数千倍恐ろしかったし、夜の森でムウマの鳴き声を聞いた時の寒気はコントローラーを握っている時には味わえない類のものだ。
本当に、我ながらよく死ななかったものだと思う。
それでも、人間というのは恐ろしいもので。
慣れてしまうのだ。
死と隣り合わせの、このヒスイの日常に。
「ぱぁッ!」
香ばしい匂いに釣られたのか、エイパムがテントから飛び出してきた。
俺の肩に軽々と飛び乗り、焼けたオレンのみに手を伸ばす。
「こら、熱いぞ。……ほら、半分」
「えぱ!」
「ちょ、取りすぎ!」
エイパムとの一悶着を終えたあと、焼いてトロトロになったオレンの実を干し肉に乗せて食べる。
果実の甘みと肉の塩気が混ざり合い、冷えた体に染み渡る。
絶品とは言えないが、生きるための味がした。
食事を終え、火の始末をしてテントを畳む。
慣れた手つきで荷物をまとめ、リュックを背負った────その時だった。
ふと、視界の端に違和感を覚えた。
近くの茂みからコリンクが一匹、顔を出している。
威嚇するように体毛を逆立て、青白い電気をパチパチと弾けさせていた。
「……なんだ、
普通の村人なら、悲鳴を上げて逃げ出す場面だろう。
あるいは、ギンガ団の団員ならモンスターボールを構えるかもしれない。
俺は、ただじっとコリンクを見つめた。
距離は5メートル。
あの筋肉の収縮具合なら、飛びかかってくるまであと2秒。
だが、こちらの殺気を見せなければ、コリンクは縄張りを主張するだけで満足するはずだ。
俺は呼吸一つ乱さず、心拍数も上げず、ただ「そこにいる石」のように立ち尽くした。
しばらく睨み合った後、コリンクは「フンッ」と鼻を鳴らし、興味を失ったように茂みへと消えていった。
俺も人間だから、恐怖を感じないわけではない。
もし、少しでも行動を誤れば───例えば、気性の荒いガブリアスを怖がって背中を見せれば───あっけなく命を失ってしまうだろう。
ただ、俺はこのヒスイにおいて、どう動けば死なないかを知っている。
「……さて、行くか」
エイパムが肩の上で、去っていったコリンクの方を向き、ベーっと舌を出して挑発している。
「やめな」と宥めながらも、やんちゃな相棒の頭を撫でて歩き出した。
ザッ、ザッ、と土を踏む音が響く。
風が吹いた。
ヒュゥゥゥ――……ブツッ。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、風の音が途切れた気がした。
まるで録音テープが巻き戻されたような、あるいは世界の解像度が落ちたような、奇妙な空白。
空を見上げる。
青く澄んだヒスイの空。
だが、雲の流れがほんのわずかに───不自然に歪んで見えたのは気のせいだろうか。
「えぱ?」
エイパムが不安げに俺の頬を突く。
「大丈夫だ。多分、気のせいだよ」
そう答えて、俺は視線を正面に戻した。
空の歪みも、時空の裂け目も、今の俺にはどうすることもできない。
俺にできるのは、今日食べる分の木の実を探し、今夜寝る場所を見つけることだけだ。
「今日は川沿いに行ってみようか。良いマゴのみが落ちてるかもしれない」
「ぱぁー!」
一つ伸びをして、俺たちはまた歩き始めた。
名前のない旅人の、名前のない一日がまた始まる。
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