Q.ヒスイの大地を独りで生き抜く方法は? 作:ZA
ヒスイの風はいつだって気まぐれだ。
木の実を落としてくれる優しい風もあれば、ボクたちを木から叩き落とそうとする乱暴な風もある。
あの日黒曜の原野に吹いていたのは、妙に湿った嫌な風だった。
「えぱぁ」
地面に落ちたボングリがコロコロと転がって、草むらの中にある塊にぶつかって止まった。
「ぱ?」
岩じゃない。倒木でもない。
ボクは枝から枝へと飛び移り、警戒しながらその「塊」に近づいた。
鼻をひくつかせる。獣の臭いじゃない。
土と、汗と、それから……嗅いだことのない異質な繊維の匂い。
それは"人間"だった。
でも、ボクが知っている人間とは違う。
この辺りをうろつく「ギンガ団」とかいう人間たちは、いつもピリピリしていて丸いボールを投げてくるから嫌いだ。
「コンゴウ団」や「シンジュ団」の人間は、偉そうに歩いているから近づきがたい。
でも、こいつは違った。
見たこともない服を着ている。泥だらけだ。
そして何より──川に落ちたムックルみたいに弱々しい。
「ぱぁ?」
ボクは恐る恐る、尻尾の先でそいつの頬を突っついた。
反応がない。死んでるのか?
死んでるなら、腰についてる鞄を漁っても怒られないかな。
見たことない形の鞄だけど、木の実くらい入ってるかもしれない。
ボクがそいつの鞄に手を伸ばそうとした、その時だ。
「……ん、ぅ……」
そいつが呻いて、ゆっくりと目を開けた。
ボクは飛び上がって距離を取った。
威嚇のポーズをとる。
歯をむき出しにして、いつでも逃げられるように筋肉を緊張させる。
さあ、どうする。
ボールを投げるか?
石を投げるか?
けれど、そいつはボクを見て驚きもしなければ、怖がりもしなかった。
虚ろな目でボクをじっと見つめ、乾いた唇を動かした。
「……エイ、パム……?」
そいつはふらりと体を起こそうとして、すぐに崩れ落ちた。
腹の音が、雷みたいに「グゥゥゥゥ」と盛大に鳴った。
「腹ぁ……減ったなぁ」
……なんだこいつ。ただの腹ペコか。
ボクは急に拍子抜けしたと同時に、奇妙な興味が湧いた。
こいつからは、他の人間が持っている「害意」や「恐怖」の匂いがしない。
まるで、森の石ころやただの倒木みたいに、風景に溶け込んでいる。
ボクは少し考えてから、さっき捨てた齧りかけのボングリ……ではなく、懐に隠し持っていたとっておきの「ナナのみ」を取り出した。
「ぱっ(ほらよ)」
ポスッ、とそいつの顔の前に投げてやる。
そいつは目を丸くして、震える手でナナのみを掴み───皮も剥かずに齧りついた。
「……うまい!」
ボロボロと涙を流しながら、夢中で食べている。
その姿があんまりにも必死で。
ボクは思わず「えぱぱぱ!」と笑ってしまった。
食べ終えるとそいつは深呼吸をして、ボクを見た。
今度は、はっきりとした意思のある目で。
「ありがとう。助かった」
言葉はわからない。
でも、声の音色が優しかったことだけはわかった。
そいつはゆっくりと手を伸ばしてきた。
捕まえられる! と身構えたが、その手はボクを掴もうとはせず、ボクの頭のてっぺん、耳と耳の間を、優しく掻いた。
「おーすげぇ、モフモフだ」
そいつの指は、魔法みたいに的確にそこを刺激した。
あ、やばい。力が抜ける。
気づけばボクは、そいつの膝の上で脱力していた。
「はは。現金なやつだな」
そいつは笑った。
不思議なやつだ。ボールも持っていない。武器も持っていない。
こんな弱っちい体で、このヒスイの地で生きていけるわけがない。
放っておけば、今夜にはオヤブン・コロトックの餌食だろう。
……仕方ない。
ボクはそいつの肩に、ヒョイと飛び乗った。
そいつは驚いてボクを見た。
「ついてくるのか?」
違う、お前が迷子にならないように見張ってやるだけだ。
ボクはそいつの耳を引っ張って「あっちに川があるぞ」と教えてやった。
そいつは「痛い痛い」と言いながらも、嬉しそうに歩き出した。
その背中は、頼りなくて、情けなくて。
でも、ボクの特等席にはちょうどいい広さだった。
──────────
こいつを拾ってからしばらくして。
こいつは「コトブキムラ」という人間がたくさん集まる巣を目指していたらしい。
なんでも、そこには雨風をしのげる「家」や「布団」があるんだとか。
「ゲーム通りなら……あった! やっと着いたな」
大きな木の門の前で、こいつはホッとした顔をした。
でも、ボクは嫌な予感がしていた。
門の周りにいる人間たちが、こいつを見て眉をひそめているからだ。
「止まれッ!! 何奴だ!」
ほら、やっぱり。
門番の男が叫び、鋭い棒を突きつけてきた。
「ストップストップ……。あ、怪しい者じゃないですよ。中に入れてもらえませんか?」
こいつは穏やかに言ったけど、門番の男は聞く耳を持たない。
それどころか、こいつの肩に乗っているボクを見て顔を青くした。
「なっ、貴様! その肩に乗っている化け物は何だ!」
「えぱぁ!?」
ボクが文句を言おうと身を乗り出すと、門番は「ヒィッ!」と悲鳴を上げた。
なんだこいつら。
ボクたちポケモンを、まるで悪霊か何かみたいに怖がってる。
「ばっ、化け物を使役せず、あまつさえ肩に乗せるとは……! 狂人か! 立ち去れ! ここは人間を守るための砦だ! 不審者を入れるわけにはいかん!」
門番の後ろから他の人間たちも出てきて、こいつに向かって石を投げようとする仕草をした。
こいつは、怒らなかった。
悲しそうな顔も、悔しそうな顔もしなかった。
ただ「ああ、やっぱりダメか」とでも言うように、小さくため息をついただけだった。
「……仕方ない、行くぞエイパム」
「えぱぱぁ!」
「やめとけ。下手すりゃ槍で刺されるぞ」
ファイティングポーズを取るボクをなだめて、コイツは踵を返した。
背中越しに、門が閉まる重い音が聞こえた。
こいつが求めていた「布団」とやらはあの壁の向こうにあって、ボクたちには手の届かないものになってしまったらしい。
──────────
人間に追い返されて、結局いつも通りの自然の中で過ごすことになった。
こいつは相変わらず弱っちいけど、木の実の知識だけはやたらと詳しかった。
でも、人間ってのは木の実だけじゃ生きていけないらしい。
「塩」とかいう粉がないとダメなんだそうだ。面倒な生き物。
そんなある日。
街道沿いで、派手な黄色いマークを付けた大きな荷車を見つけた。
「イチョウ商会じゃねえか!」
こいつが声を弾ませて駆け寄る。
荷車の影には、眠そうな目をした初老の人間が座っていた。
コトブキムラの人間とは違う。
こいつはボクを見ても怖がらなかった。
「おや、珍しいお客さんだ」
その人間は、こいつの泥だらけの服を見てニヤリと笑った。
「村を追い出されたクチかい? まあ、うちは金さえあれば誰にでも売るよ」
こいつは「金」なんて持ってない。
代わりに、リュックから道端で拾った「赤い石」や「黒い玉」を取り出した。
ボクからすればただの石ころだけど、その商人の目はギラリと光った。
「ほう……いい素材だ。村の連中はビビって外に出ないから、こういう在庫がなくてね」
商談成立だ。
こいつは石ころと引き換えに、「塩」の入った小袋と重そうな「鉄の鍋」を手に入れた。
「まいど。あんたみたいに壁の外でポケモンと生きるのも、悪くないかもしれんね」
商人は去り際、こいつにそう言った。
こいつは嬉しそうに鍋を抱えてボクに笑いかけた。
「見たかエイパム。これで煮込み料理が作れるぞ」
「ぱぁ?」
その夜。
その鍋で煮込んだ木の実のスープは今まで食べたどの食事よりも温かくて、美味かった。
こいつの料理の腕は、魔法使い級だ。
焚き火の前で、こいつがスープをすすりながらコトブキムラとやらの方角を見つめていた。
壁の中には入れない。
でも、こいつにはボクがいるし、この鍋がある。
それに、あの商人に会えば生きていくための物は手に入る。
「……ま、悪くないか」
こいつが呟いて、ボクの頭を撫でた。
ボクも「まあな」と答える代わりに、尻尾をこいつの腕に巻き付けた。
こうして、ボクとこの変な人間の、ヘンテコな旅が始まったんだ。
評価・感想・ここすきが励みになるのでよければ!