Q.ヒスイの大地を独りで生き抜く方法は? 作:ZA
あれからしばらく経って、俺たちは群青からそのまま内陸へと進路を取り、『天冠の山麓』へと足を踏み入れていた。
なんかとんでもない遠回りをしている気もするが、旅とは往々にしてそういうものである。多分。
さて、ここはヒスイ地方の背骨とも言える場所だ。
荒々しい岩肌、迷路のように入り組んだ崖、そして古代の遺跡が点在する、神秘と危険が同居する聖域。
海辺の開放感とは真逆の重苦しい空気が漂っている。
「えぱー……」
エイパムが不満げに鳴いた。
無理もない。ここは木々が少なく、エイパムが得意な木登りができないのだ。
あるのはゴツゴツした岩と、足を滑らせたら死につながるであろう断崖絶壁だけ。
「我慢しろ。ここを抜けないと山頂への近道が使えないんだ。それに、この辺りには美味い食料が生えるらしいぞ」
「ぱぁ!」
洞窟内は暗く湿っている。
松明代わりのカンテラ(これも物好きな行商人から買い取った)を掲げ、慎重に進む。
目前の目的は、この洞窟の奥深くに群生しているという『ごりごりミネラル』の鉱脈と、『きらきらミツ』の採取だ。
英雄がヒスイを救うべく奔走している間に、モブはモブらしく生活物資を蓄えるとしよう。
「マニューラ、足元を警戒しろ。ポケモンの鳴き声がしたら止まるんだ」
俺が指示を出した、その直後だった。
ズルッ。
足元の岩が、何の前触れもなく崩れ去った。
人為的な罠でも、ポケモンの攻撃でもない。
ただの経年劣化による崩落。
だが、サバイバルにおいて最も命を奪うのは、こうした
「しまっ────」
声が出るよりも早く、視界が回転した。
重力が内臓を鷲掴みにする感覚。
エイパムの悲鳴が遠ざかる。
下の闇は深い。落ちてしまって打ち所が悪けりゃ恐らく即死。
良くても骨折で動けなくなり野生ポケモンの餌食ENDだ。
(ああ、ここで終わりか。昨日の飯、もっと食っとけばよかったなあ……)
走馬灯のようにパラセクトのリゾットやマンムーのポタージュが脳裏をよぎった、その時。
強烈な衝撃が体を襲った。
硬い地面に叩きつけられたのではなく、何か、しなやかで強靭なものに受け止められたような感触。
「……ッ!?」
目を開けると、そこは空中だった。
いや、正確には垂直な岩壁の途中だ。
俺の体は、籠のようなものを背負った巨大な紫色のポケモンに抱えられていた。
長く鋭い爪が岩壁に食い込み、俺一人の体重など物ともせずにぶら下がっている。
────オオニューラだ。
そのオオニューラの背中の籠から、ボロボロの黒いコートを纏った男が顔を出していた。
独特な帽子。無精髭。
そして、暗闇の中でも異様に鋭い眼光。
「危険です! 白線の内側……いえ、崖の内側までお下がりください。転落事故はダイヤの乱れに繋がります!」
男は俺の顔を覗き込み、指差し確認をするようにビシッと指を突きつけた。
「乗客の安全確認、ヨシ! ……ふぅ、間一髪でしたね」
安心感で力が抜けると同時に、俺は思考を巡らせた。
───何を隠そう、俺は知っている。
この男がシンジュ団のキャプテンであり、記憶を失った迷い人、ノボリその人であることを。
──────────
オオニューラの驚異的な身体能力で、俺たちは洞窟内の安全な広場へと運び上げられた。
エイパムも無事に合流し、今は俺の周りでオロオロしている。
「怪我はありませんか? 点検いたします」
「何から何まで申し訳ない……」
ノボリは俺の腕や足を手際よく触診した。
その手つきは慣れているというか、事務的で正確だ。
「打撲少々。骨に異常なし。運行に支障はありません。……しかし、このような場所へ軽装備で立ち入るとは。貴方は死へ向かいたいのですか?」
「いや、ただの各駅停車の旅ですよ。ちょっと脱線しかけましたが」
俺が軽口を返すと、ノボリは一瞬きょとんとして、やがて乾いた笑い声を上げた。
彼は笑っているが、その瞳の奥には常に薄い霧がかかっているような深い虚無がある。
記憶喪失。
自分が何者で、どこから来て、どこへ行くのか分からない恐怖。
それを「車掌」としての振る舞いで必死に繋ぎ止めている男。
「助けていただきありがとうございました。お礼に、食事でもいかがですか?」
命の恩人に対し、俺ができるのは美味い飯を提供することだけだ。
ここには石竈も鉄鍋も展開するスペースはない。
ならば、手早く作れる「あれ」だ。
「食事? お気持ちはありがたいですが、私は巡回中ですので」
「休憩も業務のうちでしょう。
俺は強引に座らせると、手早く準備を始めた。
取り出したのは、両手でギリギリ持てる程度の大きさの──黒曜の原野で採取していた──葉。
そこに朝に炊いておいた米を敷き詰め、梅干し代わりにイアの実を入れる。
おかずは干し肉を炙ったものと、クスリソウの塩漬け、そして甘く煮たラッキーのタマゴ。
それらを彩りよく配置し、最後に別の葉で包んで紐で縛る。
「どうぞ。即席ヒスイ弁当です!」
俺が差し出すと、ノボリは不思議そうにそれを受け取り、まじまじと見つめた。
「……弁当」
ノボリが紐を解いて中身を見た瞬間、手が止まった。
あっと俺が声を漏らすよりも前に、ノボリは
四角く仕切られたような配置。ご飯とおかずのバランス。
それは、このヒスイ地方の食文化というよりは──もっと未来の、鉄道の旅に欠かせない「駅弁」のスタイルを模したものだった。
「いただきます」
ノボリは一口食べた。
冷えているが、噛みしめるほどに味がするご飯。甘いタマゴ。塩辛いクスリソウ。
彼の目から、不意に涙がこぼれた。
「何故でしょう。この味、この形状、ひどく懐かしい。揺れる車窓……流れる景色……発車ベルの音……」
彼は涙を拭いもせず、無心で弁当をかきこんだ。
あまり俺の存在に違和感を抱かせるようなことはしたくないのだが、作ってしまったものはどうしようもない。
俺は何も言わず、静かにお茶を沸かして差し出した。
──────────
食後、少し落ち着いた空気が流れる中。
俺は休憩がてら、手持ちのポケモンたちをボールから出してケアをしていた。
「エイパム、怪我はないな。マニューラもご苦労さん」
「あとは〜そうだな、ポリゴン2、お前も少し外の空気を吸っておけ」
俺はポリゴン2をボールから出した。
暗い洞窟の中に、人工的なピンク色の光が灯る。
角が一切存在しない滑らかなボディ。
電子音のような鳴き声。
その瞬間、お茶を飲んでいたノボリの手が止まった。
彼の視線が、ポリゴン2に釘付けになる。
俺は一瞬何事かと考えたが、一瞬でその過ちに気づく。
「あー……」
ヒスイの生態系には存在しないはずの、データポケモン。
オヤブンを見ても動じない彼が、その人工的なフォルムを見た途端に顔色を変えた。
「そのポケモンは」
ノボリの声が震えている。
「この時代の、ヒスイのポケモンではありませんね? その滑らかな質感……電子の光……私は、これを知っている……?」
さらに、間の悪いことは重なるものだ。
冷や汗が止まらず、俺が取り敢えず水を飲もうと腰袋に手を伸ばした時、先日群青の海岸で拾ったペットボトルが、手から滑り落ちた。
─────ペコッ。
あーあーあーあー! もう終わりだよ。
乾いた、軽い音が洞窟に響く。
木でも、石でも、土器でもない。
石油化学製品特有の、薄っぺらくも硬質な音。
ノボリが反射的にそれを拾い上げた。
透明な筒。ラベルのない容器。
彼はそれを指で押し、へこませ、戻る感触を確かめる。
「『ぷらすちっく』……」
ノボリが呟き、ゆっくりと顔を上げ俺を直視した。
その瞳から、先ほどまでの霧が晴れている。
そこにあるのは、確信と、同郷の者を見つけた驚きだ。
「貴方……貴方の『始発駅』は、ここではありませんね?」
隠しようがなかった。
ポリゴン2と、プラスチック。
この二つの証拠品は、言い逃れを許さない。
そらそうなるわ。我ながらガバチャーにもほどがある。
俺は観念して、小さく息を吐いた。
「さあ、どうでしょうね。気がついたらここにいて、ただ生きるのに必死なだけですよ。コトブキムラの連中もやけに冷たいですし」
肯定も否定もしない。だが、それは事実上の肯定だった。
ノボリはペットボトルを握りしめ、何かを叫び出したいような、すがりつきたいような表情をした。
───元の世界への帰り方を知っているか。
───お前も記憶がないのか。
聞きたいことは山ほどあるはずだ。
「俺はただの乗客です。運転士にはなれないし、レールの行き先を変える力もない」
それは、「俺に期待するな」という拒絶であり「俺もお前と同じだ」という慰めでもあった。
ノボリはしばらく俺を見つめていたが、やがてふっと力を抜いた。
彼はペットボトルを俺に返し、深く帽子を目深に被り直した。
「……承知いたしました。貴方もまた、途中下車した旅人ということですね」
「まあ、多分?」
ノボリは少しだけ寂しそうに、けれどどこか安心したように微笑んだ。
「私は……まだ、自分の始発駅も思い出せません。ですが、貴方のような乗客がこの世界にいると知れて、少しだけ……線路の先が明るく見えました」
この孤独なヒスイの地で、その秘密を共有できる相手がいるだけで、心の重荷は少し軽くなる。
──────────
しんみりとした、男二人の静かな共有の時間。
それを切り裂いたのは、あまりにも元気すぎる声だった。
「あーーーっ!! ノボリさーーーん!!」
洞窟の入り口の方から、ドタドタという足音が近づいてくる。
俺とノボリが同時に振り向くと、青い服を着た少女が飛び込んできた。
いつぞやの再会か。ギンガ団の調査隊員、ショウだった。
「もう、探しましたよ! 追いつくの大変だったんですから!」
ショウは頬を膨らませてノボリに駆け寄る。
そして、その場にいる俺に気づき、目を丸くした。
「あ! 貴方は……!」
まずい。
俺は反射的に顔を背けたが、遅かった。
「この前の! コトブキムラの前ですれ違った、エイパム連れの人ですよね!? あと、海岸でセキさんが『面白い料理人を見た』って言ってたのも、もしかして貴方ですか!?」
さすが主人公。情報収集能力が高すぎる。
ショウは目を輝かせて、俺とノボリを交互に見た。
「え、なんで二人が一緒に? もしかして知り合いですか? どういう、どういう関係!?」
ショウがグイグイ来る。
これはまずい。非常にまずい。
ここで彼女に関われば、図鑑タスクを手伝わされたり、キングクイーン騒動に巻き込まれたりする未来が見える見える。
平穏なサバイバル生活が崩壊する危機だ。
俺は素早く荷物をまとめ、エイパムを肩に乗せた。
「いやー、俺はただの通りすがりの駅弁売りです! 遭難しかけたところを助けてもらっただけで! それでは!」
「えっ、駅弁!? 待ってください、私もお腹空いてるんです!」
ショウが追いかけてこようとするが、俺は全力で洞窟の出口へ向かってダッシュした。
「ノボリさん、お元気で! 安全確認、ヨシッ!」
俺が叫ぶと、ノボリは驚いた顔をした後、ビシッと敬礼を返してくれた。
「出発進行ッ! ご安全に!」
背後でショウが「ちょっとー! 逃げないでくださいよー!」と叫んでいる声をBGMに、俺は天冠の山麓を転がるように逃げ出した。
やっぱり、メインキャラクターとの接触はカロリーを使う。
だが、懐に入っているプラスチックの感触とノボリとの短い共有時間は、悪くない思い出として残りそうだ。
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