世界は救えても、家庭は救えない?〜勇者(3児の父)、親権獲得のために魔王討伐の合間に家庭裁判所へ通う〜   作:斉宮 柴野

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勇者の仕事は、魔王を倒し、世界を救い、時に国政にも関わる。
 だが――勇者であっても、家庭内トラブルからは逃れられない。

 本作は、そんな理不尽な世界の狭間で、二つの戦場を行き来する男の物語だ。
 一つは魔王軍との死闘。
 もう一つは家庭裁判所との死闘。

 どちらが辛いかって?
 読んでいただければ分かる。

 魔王軍より恐ろしいものは、人間の感情と法律の歪みだ。
 理不尽に立ち向かう者の痛みと、それでも子供のために立ち上がり続ける父親の姿を、少しだけ笑いながら、そして少しだけ胸を締め付けられながら、楽しんでいただきたい。

 これは勇者エンライトが挑む、世界で最も面倒で、最も報われにくい冒険譚である。


勝算3割の賭けと、歪められた笑顔

魔王軍との戦いには、先人たちが積み上げてきた膨大なデータがある。

 

魔物図鑑を開けば弱点が載っているし、過去の戦記を紐解けば攻略の定石が見えてくる。  だが、俺が今から挑もうとしている『家庭裁判所』という名のダンジョンには、攻略本も全体マップも存在しない。

そこは魔境だ。理不尽という名のトラップが床一面に敷き詰められ、常識という名の装備品は入り口で没収される。

 

そんな場所に、レベルだけは高いが法律知識レベル1の脳筋勇者がソロで突入したところで、一瞬で骸に変えられるのがオチだ。

 

俺にはガイドが必要だった。この複雑怪奇な迷宮を案内し、即死トラップを解除してくれる専門家。つまり、弁護士だ。

 

不幸中の幸いと言うべきか、俺には弁護士の知り合いが山ほどいる。

 

なぜ勇者が法曹界に顔が利くのか不思議に思うかもしれない。

 

理由は単純だ。勇者の業務には、法的トラブルがつきものだからだ。

 

魔獣を倒す過程で民家の屋根を吹き飛ばしてしまったり(器物損壊)、重要アイテムを探すために勝手に人の家のタンスを開けたり(住居侵入)、魔王城の結界を破る余波で近隣の農作物を枯らしてしまったり(損害賠償)

 

そういった諸々の「やらかし」を事後処理してくれる顧問団とは、新人の頃から深い付き合いがある。

 

そのツテを辿り、俺は一人の男を紹介してもらった。

 

企業法務や刑事事件ではなく、この分野――ドロドロとした愛憎渦巻く「家事事件」にめっぽう強いと言われる凄腕、ライン先生だ。

 

 王都の一角にある事務所のドアを叩くと、出てきたのは銀縁眼鏡が似合う、理知的なナイスミドルだった。

 

 整えられた白髪交じりの髪に、仕立ての良いスーツ。机の上には分厚い六法全書と、魔導判例集が積み上げられている。

 

俺は藁にもすがる思いで、これまでの経緯を洗いざらい話した。

妻の不貞、連れ去り、口座の持ち逃げ、そして俺が独自に集めた証拠の数々。

 

「なるほど……エンライトさん。お子さんを連れて行かれたのは、正直に言ってかなり痛いですね」

 

 ライン先生は、俺が提示した魔法メモリ(不倫の自白音声や、妻からの暴言ログが入っている)を確認しながら、渋い顔で眉をひそめた。

 

「『継続性の原則』と言いましてね。司法の世界では、現状で子供を監護している親の環境を優先し、そこから動かさないのが通例なんです。たとえ連れ去りであっても、一度実効支配してしまえば、裁判所は『今の生活を維持するのが子供のため』と判断しがちです。俗に言う連れ去り勝ちというやつですね」

 

「そ、そんな……理不尽すぎませんか?俺は被害者ですよ?でも、証拠はあるんです!妻の不貞行為も、俺に対するモラハラ発言も、全部記録してあります!」

 

 俺は食い下がった。正義は我にありだ。不倫をしたのはあっちで、勝手に出て行ったのもあっちだ。こっちは被害者として、法に則って裁きを求めているだけだ。

これだけの証拠があれば、裁判官だって俺の味方をしてくれるはずだ。

 

「ええ、確かに。これだけの証拠が揃っているのは素晴らしい。通常、男性側は証拠集めが甘くて門前払いされることが多いですからね。これなら、勝てる見込みはないわけではないですよ」

 

 ないわけではない。その慎重な言い回しに、俺は僅かな希望を見出して身を乗り出した。

 

「本当ですか!?先生、単刀直入に聞きます。俺が親権を取り戻せる勝算は、どれくらいありますか?」

 

 ライン先生は眼鏡の位置を直し、少し言い淀んでから、静かに告げた。

 

「そうですね……3割といったところでしょう」

 

 俺は絶句した。口がパクパクと動くが、声が出てこない。3割?たったの?降水確率の話をしてるのか?それともクリティカルヒットの発生率か?こっちは圧倒的な被害者で、相手は有責配偶者だぞ?普通、9割9分とかじゃないのか?

 

「せ、先生……3割って、それもう負け戦確定じゃないですか……。魔王討伐だって、生存率5割は確保してから挑むんですよ?」

 

「エンライトさん。厳しい現実をお伝えしなければなりません。現在のこの国の司法運用において、父親側の親権獲得率は、通常1割もありません。100回やって1回勝てれば奇跡、というレベルです」

 

 1割以下。その数字の暴力に、俺はめまいを覚えた。

 

「特に、お子さんが幼い場合や、これまで主たる養育者が母親だと見なされた場合は顕著です。3割というのは、エンライトさんが育児に関わっていた実績と、相手方の有責性の証拠があって初めて弾き出せる、異例の『高確率』なんですよ。それほどまでに、この国の司法は父親に厳しいのです」

 

 俺は頭を抱えた。なんてことだ。俺が命がけで守ってきたこの国は、俺のような父親に対してここまで冷酷だったのか。

 

 魔王の方がまだ、実力主義で公平だったかもしれない。

 

「で、費用についてですが……」

 

 ライン先生は現実的な話へと移行した。

 

「『子の監護者指定・保全処分』、これは緊急で子供を返せという手続きです。それに本丸の『審判』、並行して行う『離婚調停』、さらに相手から請求されている『婚姻費用分担調停』への対応……これらを全てセットで受任する場合、着手金として合わせて45万ゴールドになります」

 

「よんじゅうご……ッ!?」

 

 俺の声が裏返った。45万ゴールド。俺の月給が丸ごと吹き飛ぶ額だ。いや、今の俺は口座を空っぽにされた文無しだから、これは親からの借金で払うことになる。高い。高すぎる。

 

一般市民の年収に近い額を一括で?

だが、俺に迷っている時間はなかった。

ここでケチって三流の弁護士に頼み、勝率を1割以下に下げるわけにはいかない。

金で買える可能性なら、買うしかない。

俺は懐から、なけなしの借金が入った革袋(財布)を取り出した。

 

「……払います。必要経費だ。子供たちを取り戻せる可能性があるなら、安いもんです」

 

 震える手で金貨を積み上げながら、俺は腹を括った。やってやる。金なら、また魔王城の備品をメルカリ(闇市)に流してでも稼げばいい。

 

 

 

 こうして、法廷という名の戦場で狼煙は上がった。最初の激戦区は「面会交流」だ。  子供たちに会わせろ。俺のこの要求に対し、当初フレアは頑として首を縦に振らなかった。

 

「子供たちが会いたがっていない」

「夫は暴力的で危険だ」

「精神的に不安定になる」

 

と、ありとあらゆる理由をつけて拒絶してきた。

 

だが、俺に弁護士がついたと知った途端、彼女の態度は掌を返したように一変した。  裁判所に「正当な理由なく夫に子供を会わせない妻」というレッテルを貼られると、親権争いで不利になる。そう彼女側の弁護士に入れ知恵されたのだろう。

 

『私は一度も断ってませんけど?夫が仕事で多忙だから来なかっただけでしょう?被害妄想もいい加減にしてほしいわ』

 

 第一回調停の席上、調停員を通じて伝えられた彼女の主張を聞いて、俺は危うく魔導端末を壁に叩きつけるところだった。

 

ふざけるな。俺の端末には、『二度と連絡してくるな』『顔も見たくない』『会わせるわけないでしょバーカ』という拒絶の履歴が山のように残っているんだが?

 

これが記憶喪失でなければ、息を吐くように嘘をついていることになる。

だが、ここで俺がキレて大声を出せば、それこそ相手の思う壺だ。

「ほら、やっぱり暴力的だ」と言質を取られるだけだ。

 

俺は唇を噛み締め、口の中に鉄の味を感じながら耐えた。今は我慢だ。子供に会うためなら、泥水だって飲んでやる。

 

 そして、ついにその日はやってきた。

 

 調停の結果、月1回の面会交流が認められたのだ。場所は自宅ではなく、第三者機関であるギルドが運営する貸し会議室。

監視員付きという屈辱的な条件付きだが、贅沢は言っていられない。

 

 

 

 指定された会議室の無機質なドアを開けた瞬間だった。

 

「パパぁぁぁーーッ!!」「父さぁぁん!!」「おとーさぁぁん!!」

 

 小さな弾丸のような影が、三つ同時に俺に飛び込んできた。

コウも、ライトも、エマも。

全員が、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

その温もりを感じた瞬間、俺の中で張り詰めていた何かが決壊した。

 

「会いたかった! ずっと会いたかったよぉ!」

「パパ、なんで来なかったのぉ!」 「ごめん、ごめんな……! パパも会いたかったぞ!! 迎えに来るのが遅くなってごめんな!!」

 

 俺もボロボロ泣いた。勇者の威厳?知ったことか。今はただの、子供に会えて嬉しい一人の親父だ。俺たちは数ヶ月分の空白を埋めるように、狭い会議室の中で遊び倒した。  持ってきた玩具で遊び、俺が徹夜で作った手作りのお弁当を広げた。

冷めてしまっている唐揚げや卵焼きを、子供たちは「美味しい、美味しい」と言って頬張ってくれた。

 

「ママのご飯より美味しいよ……」

 

 ライトが、口の周りをご飯粒だらけにしながら言った。その言葉を聞いた時、俺は涙で視界が滲んで、自分の弁当の味がしなかった。フレアは家事をしない。

おそらく、子供たちの食事は出来合いのものか、メイドに作らせたものなのだろう。  

 

俺が毎日作っていたあの食卓の風景は、もうあっちにはないのだ。

 

 楽しい時間は、残酷なほど一瞬で過ぎ去る。終了時刻。ドアが開き、迎えに来たフレアの姿が見えた瞬間、子供たちの表情が一斉に強張った。さっきまでの笑顔が消え、怯えたような顔になる。

 

「はい、時間よ。帰るわよ」

 

 フレアは無表情で告げた。

 

「やだ! 帰りたくない! 今日はパパと泊まる!」

 

 ライトが俺の腕にしがみついた。小さな手が、俺の服を強く握りしめて離さない。

 

「ライト、ダメだ。今日は帰る約束だから……。パパも泊まりたいけど、ルールだから……」

 

「やだぁぁぁ!! パパがいいぃぃ!!」

 

 泣き叫ぶ息子の声が、俺の胸を引き裂く。連れて帰りたい。このまま抱きかかえて、ダッシュで逃げ出したい。

だが、それをすれば俺は「誘拐犯」になる。

 

 

その時だ。

 

 

 バチィッ!!

 

 

 鋭い破裂音と共に、フレアの指先から青白い紫電がほとばしった。

ライトの足元、ほんの数センチ横の床が黒く焦げ付く。威嚇射撃だ。

 

「――ライト?『聞き分けの良い子』は、どうするのだったかしら?」

 

 フレアは笑顔だった。美しい、完璧な笑顔だ。だが、その目は笑っていない。瞳の奥にあるのは、絶対的な支配欲と冷酷さ。元宮廷魔術師長の固有スキル『威圧』が、物理的な重圧となって子供たちを押し潰す。それは躾ではない。恐怖によるコントロールだ。

 

「……っ、ぅ……かえる……」

 

 ライトは青ざめ、ガタガタと震えながら俺の手を離した。コウとエマも、俯いて動けなくなっている。俺は拳を握りしめ、爪が掌に食い込むほどの力で耐えた。ここで俺が動けば、怒鳴れば、魔法を使えば、全てが水の泡になる。

 

「面会中に勇者が妻を威嚇した」

「子供の前で暴れた」

 

と記録され、二度と会えなくなる。

 

フレアはそれを待っているのだ。俺が手を出してくるのを、獲物を待つ蜘蛛のように待ち構えているのだ。

 

 俺は引きつった笑顔を作り、震える子供たちの頭を順番に撫でた。

 

「また来月、絶対会えるから。な?パパはどこにも行かないから」

 

 嘘だ。来月会える保証なんてない。それでも、今はこう言うしかなかった。

 

 

 それから数日後。弁護士のライン先生から連絡が入った。先日の面会交流に関する報告書が、相手方、つまりフレア側の弁護士から届いたらしい。

 

俺は少しウキウキして受話器を取った。あんなに子供たちは喜んでいたんだ。泣いて「会いたかった」と言ってくれたんだ。

きっと良い報告になっているはずだ。

「父子の絆は良好」と書かれているはずだ。

 

『もしもし、エンライトさん……。落ち着いて聞いてくださいね』

 

 受話器の向こうのライン先生の声は、酷く暗かった。嫌な予感が背筋を走る。

 

『相手方からの主張書面を読み上げます。

「当日の子供たちは終始緊張しており、楽しそうではなかった」』

 

「……は?」

 

 俺は耳を疑った。楽しそうじゃなかった?あんなに笑っていたのに?飛びついてきたのに?

 

『続けます。「父親は子供たちに対し、母親の悪口を執拗に吹き込み、現在の生活状況について根掘り葉掘り尋問を行った」』

 

「はあ!?」

 

『「子供たちは父親の態度に怯え、『パパが怖かった』『もう行きたくない』と述べている。よって、今後は面会の中止、または第三者による厳重な監視付きの面会のみを希望する」……とのことです』

 

「ふ……ふざけるなァァァァッ!!」

 

 俺は絶叫した。血管がブチ切れそうだった。悪口なんて一言も言っていない。

 

「ママの言うことをよく聞くんだぞ」とすら言った。尋問?「元気だったか?」「ご飯ちゃんと食べてるか?」「学校は楽しいか?」と聞いたのが尋問なのか!?

 

それを尋問と呼ぶなら、世の中の親子の会話はすべて尋問になるぞ!

パパが怖かった?あれはフレアの雷魔法に怯えていたんじゃないか!帰りたくないと泣いたライトの涙は、全部なかったことにされているのか!

 

 俺の記憶の中にある、あんなにも温かかった子供たちの笑顔が、フレアの書かせた冷淡な文章によって、どす黒く塗りつぶされ、歪められていく。事実なんて関係ない。真実なんて価値がない。これが、家庭裁判所という世界だ。書面に書かれた「嘘」が、裁判官の目には「真実」として映り、記録され、判決の基礎となる世界。

 

俺の必死の愛情も、子供たちの本心も、紙切れ一枚の嘘の前では無力だった。

 

 俺の中で、何かがプツンと切れた音がした。我慢の限界だ。誠意を見せれば分かってくれるとか、大人の対応をすれば情状酌量されるとか、そんな甘い考えはドブに捨てる。  もう、お上品な戦い方は終わりだ。

 

相手がルールを悪用して殴ってくるなら、こっちはそのルールごとひっくり返してやる。

 

「先生」

 

 俺は受話器を握り潰さんばかりの力で言った。声が地響きのように低くなる。

 

「……『共同親権』の話、詳しく教えてくれ」

 

 ライン先生が息を飲む気配がした。

 

『エンライトさん……それは、まだ法案が通るかどうかも分からない、未知の領域ですよ? 茨の道になります』

 

「構わん。この腐ったルールの中で、これ以上コケにされるのは御免だ」

 

 俺は決意した。親権を取れないなら、制度を変えればいい。家庭裁判所が敵だと言うなら、国会に殴り込みをかけてでも、新しい法律を作ってやる。ルールそのものを、ぶっ壊してやる。

 

魔王を倒すより遥かに面倒で、遥かに困難なミッションだが、やるしかない。

 

待ってろよ子供たち。パパが、世界(システム)ごと変えて迎えに行ってやるからな。




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