秋も深まる10月27日。
夕日が沈み込んで、街並みがオレンジ色に染まり出す頃。指定の制服の上に薄手のパーカーを羽織った少年と、同じく指定の制服を着た同年代の少女が、2人並んでアーケード街を歩いていた。
毎日16時半から19時までは、周辺一帯が自転車すら走行不可の歩行者天国になる。
少年たちの様に学校帰りに立ち寄る学生はもちろん、家の冷蔵庫を埋めるための主婦(主夫)や、ブラック企業とは無縁の定時帰りを果たしたサラリーマン、パチンコを出入りする大学生など、多種多様な人物たちが、道の端から端まで行き交っている。
一日は終わりを迎えようとしているが、商店街はまさに今が最大の稼ぎ時だと言えるだろう。
「うーさむ、せっかくこの前慧梨主に衣替え手伝ってもらったのに、もう
両手をポケットに入れて、肩を狭めながら少年が嘆く。
慧梨主と呼ばれた少女は、そんな彼の姿を見てくすっと微笑みながら──少年の手がすっぽりと収まっているポケットを見つつ応える。
「そうですね。……いつもはこの時期なら、もう少しだけ寒さが控えめですけど」
「今年は苛烈だよね~。なんか、亜梨主みたいだわ」
「……もう、お兄様ったら。またそんな事言って、お姉様が聞いたら怒られちゃいますよ?」
亜梨主は慧梨主の双子の姉だが、少年は普段から亜梨主について小言を言っては、折檻を喰らうのが半ばルーティンのようになっていた。
「別に良いだろ? 今ここに居るのは慧梨主だけだし、慧梨主は俺のこと裏切ったりしないもんな?」
「は、はい! もちろん、お兄様を裏切るなんてことしません!」
「……あっはは! リアクションでかすぎるって」
大げさなくらいの反応を見せた慧梨主に、少年が吹き出す。
「なぁんか、そんなに大げさだと実はこっそり密告してないか、疑っちゃうなぁ~?」
「そんな、私は本当にお兄様を騙すような真似……」
意図せず不本意な疑いを向けられて、今度こそ本気であたふたする慧梨主だったが、少年の悪戯っぽいニタニタ顔を見てすぐに理解する。
「……お兄様、ひょっとして私のこと、からかってます?」
「……はは、バレたか」
「~~っ、もう! お兄様のいじわる!」
大好きな人に誤解されたのではと本気で焦った分、慧梨主は少年の肩をぽかぽかと叩いた。
叩いた、とは言え自分よりずっとか弱い女の子の力だ。同性の友人がする肩パンに比べれば涼風に等しい。
しかし、いつも控えめで大人しい性格の彼女にしては、珍しくアクティブな行動だ。先程の会話に出てきた姉の亜梨主が見たら、恐らく目を仰天させて『羨ましい』と呟いた後に『私の慧梨主に何させてるのよ!』と慧梨主とは比にならない制裁を加えているだろう。
少年も、突発的とは言え──いやだからこそ、慧梨主の反応を見て自分が普段よりちょっとだけ、やりすぎてしまった事を自覚した。
寒さに関する発言は秘密にして貰えるかもしれないが、揶揄われた事はこの後に桜ノ宮家の食卓で話題に上がるかも知れない。そうなったら最後、翌日の学校で自分がどんな目に遭うかなんて容易に想像できてしまう。
(これはどうにかしないと、めんどくさいなー)
慧梨主に小突かれながら考える。何かで上書きしなければ──非常に打算的ではあるが、今よりもっといい思い出で、先程のやり取りを忘れさせる事にした。
こういう時、一番手っ取り早いのは何かを一緒に食べる事だと、少年は慧梨主の性格から理解している。控えめで大人しいが、実はこっそり食べるのが好きでもある彼女は、亜梨主いわく、『たまにつまみ食い』をする。
しかし、困った事に2人は10分ほど前にもう、一緒に行きつけの店で売ってる揚げたてのコロッケを食べたばっかりだ。実はこれだって亜梨主から『夕御飯食べられなくなるでしょ!』と小言を言われていたりする。自分だってよくスイーツを無理やり奢らせて食べるくせに。
とにかく、食べ物による上書きは不可。であればそれ以外の──雑貨などに頼る他ない。
幸いなことに、お小遣いを貰ったばっかりで懐事情に問題はない。何万もする高級コスメなんかを買うのは流石に痛手だが、そういうのは名家でもある桜ノ宮家の中に幾らでもあるだろう。
であればもっとこう、慧梨主にジャストフィットする小物──そこまで考えて、少年は奇跡的に思いついた。
視界の隅に映った婦人洋品店に気づくやいなや、少年はポケットから手を出すと、慧梨主の叩く手を左右の手で包むように止めると。
「慧梨主、からかってごめんね。償うチャンスをくれるかい?」
「お、お兄様……!?」
叩かれっぱなしだった相手が急に優しく、まるでドラマや漫画のように手を握ってくれた。
しかも急にメロドラマみたいな気障ったらしいことまで口にし始めたが、悲しいかな恋は盲目。
「あの店に行こう、ちょっと気になるものがあるんだ」
「あの店って……良いんですか? その、お兄様が使うものは売ってないはずですが」
「だから良いんじゃない」
何のこともなさげにさらっと。流れるように慧梨主の右手を握って歩きだし、それに抵抗する事なく追随する慧梨主。
少年が普段なら絶対に入らない、女性向けの商品しか取り扱っていない店にスルスルと入っていき、まるで最初から何処に何があるか分かっているかのような足取りで店内の一角にまで進むと、そこに陳列されてある商品を見定め始めた。
「うーん、どれもいいけど、もっと慧梨主っぽい概念がな……」
手は相変わらず握ったまま。ブツブツと呟いて棚の上から下までを見る少年。
果たして『慧梨主っぽい概念』とはなんぞやと伺いたい気持ちがあるが、自分のため真剣に商品を選んでいる横顔と、温もりがダイレクトに伝わる右手の感触でいっぱいいっぱいの慧梨主。
もし、何か余計なことを言ってしまったら、この手を離してしまうかもしれない。自分に対してこんなに積極的な少年は珍しいのだから、今はただ静かに見守りつつ、唐突に巡ってきた幸せな時間を堪能する事にした。
そうやって十数分後。
「はい、どうぞ。できるだけ慧梨主に似合いそうなのを選んだつもりだけど、どうかな?」
店を出て、流石に手も離した少年は自分が買ったものを慧梨主に手渡す。
それは淡い桜色を基調にして、ワンポイントでうさぎのデフォルメイラストが描かれた手鏡だった。
「お兄様……どうして、これを私に?」
貰った手鏡をまじまじと見つめながら、当然の疑問を慧梨主は尋ねる。
「あー……っね?」
まさか『亜梨主に怒られる可能性を少しでも減らすため』だなんて正直に言えるわけも無いので、少年は脳みその普段使わない部分までフル動員させて、それっぽい言い訳を考え──思いついた。
「ほら、慧梨主って他の女子みたいに手鏡で顔や髪型チェックする事、してないよなぁって思って」
「それは……はい」
咄嗟の言い訳だが、実際に慧梨主は女子高生という10代で一番容姿を気にする年代ど真ん中にしては、普段から自分の顔を確認するといった仕草をしていない。
自分の前だけかと思いきや、同性とのコミュニケーション中でもそれは変わらない。
手鏡ではなく、スマートフォンで自撮りしながら確認する事もない。
──それがどうしてなのかを、考えたことも無い。
「せっかく可愛い顔してるんだから、もっとおしゃれに気を使っていいと思うぜ? もったいないじゃん」
「……お兄様は、私のこと、可愛いと思ってくれるんですか?」
「え? 当たり前じゃん、そんなの。だって──」
亜梨主と双子の妹で、似てるんだから。
そう言いそうになって、喉まで上がってきた所で、珍しくそれが今の会話の流れで言うべき言葉ではない可能性を考慮する。
いや、男なら普通にカッコいい俳優に似てると言われて悪い気はしないけども。
そもそも、慧梨主だって普段から亜梨主を敬愛してるんだから、似てると言っていいと思うんだけども。
自分を可愛いと思ってるか尋ねる慧梨主の顔が、夕焼けを浴びていつもより朱に染まって見えたから。
まっすぐ見つめてくるその瞳が、こころなしか潤んで震えているようにも見えたから。
ちょっとだけ、違うことを言ってみようかと、思ったのだ。
「だって──慧梨主は唯一無二の可愛い女の子だもんね」
うーんこれはちょっといただけない。カッコつかない。言ったその瞬間から背中が痒い!
とてつもない失言だったと後悔してのたうち回りたくなる衝動が、マッハで少年の全身を駆け巡ったが、しかし。
「お兄様……ありがとうございます! 私、この手鏡大事にしますね!」
羞恥心が暴走しそうな自分を他所に。
涙ぐみ、大事そうに手鏡を両手で握りながら喜んでる慧梨主を見て。
「……うん!」
なんかもう、普通に良かったなぁ。と思えたのだった。
その日の夜。
少年は寝る前に、亜梨主から送られたチャットを読んだ。
『聞いたわよ』
『アンタ、今日あの子に手鏡プレゼントしたのね』
『お兄様から初めて誕生日プレゼントを貰ったって、その話ばっかり聞かされたわ』
『手鏡ってセンスは思う所あるけど、あんなに喜んでる慧梨主を見るのひさしぶりだからそこは目をつぶってあげる』
『でも、慧梨主にはプレゼントして、アタシには何も無いってどういうつもり!?』
『明日、きっちり説明してもらうから、覚悟しなさいよね!』
『(中指を立てる絵文字)』
「──すぅ…………」
そういや桜ノ宮姉妹の誕生日か。
誕生日なんてすっかり忘れてた。