一日たりとも忘れたことはない。
恐怖に支配され、姉と抱きしめ合って声を殺すことしかできなかったあの日。
玄関の戸が壊され、部屋の明かりが消えたと同時にぐしゃりと肉の潰れる音。部屋中に充満する鮮血の匂い。この世のモノとは思えないような化け物がハアハアと荒げる呼吸音。数秒後、くちゃくちゃと肉を貪り喰らう音。
やがて汚い咀嚼音が聞こえなくなり、化け物の矛先が此方へと向いた瞬間、今度は襖が壊された。そしてそれを認識した瞬間、化け物の頸と胴は斬り離されていた。
命を助けられた。
だというのに、安堵感は微塵も感じなかった。
動かない。声がしない。冷たい。
お父さん、お母さん。
……死んだ。殺された。なんで。どうして。どうして奪うの。
返して。返して。……返せ……返せ……。
憎い、憎い。
殺してやる
既に息絶え、塵となっていく化け物を……鬼を見て、言い表せようのないほどに怒りがこみ上げた。
私の人生における、一つ目の分岐点。
そして二つ目…………
「姉さん……」
明け方、血を流して力なく道端に倒れる姉を抱き上げた。
「しのぶ……鬼殺隊を辞めなさい……」
医学に精通しているから……いや、そうでなくとも分かる。腹部から肩にかけて、臓器を巻き込んだ深く鋭い切り傷。どう足掻こうと、姉の命は助からない。寧ろ意識がある方がおかしい。
姉が今際の際で話した……戦った鬼のこと。
頭から血を被ったような鬼だった。
にこにこと屈託なく笑う。穏やかに優しく喋る。
使う武器は、鋭い対の扇。
忘れられる訳がない。
次第に力が…心拍が弱まっていく、途轍もなく長く短い姉の最期の瞬間。
割り切れる訳がない。私は姉さんとは違って、鬼を可哀想だなんて微塵も思わないもの。罪なき人の命を奪う存在を許しはしない。必ず罪を償わせる。
…………命に代えても
全てはこの時のために。
溜まりに溜まった
四回、五回、六回。
突き刺す度に毒は効かなくなっていく。やはり最終手段を使う他ない。
これだけ力を尽くして戦ったのだ。間違いなく喰らう。己の糧とするために、肉一片たりとも残さず。
「言い残すことはあるかい? 聞いてあげる」
「……地獄に堕ちろ」
扉が乱雑に開かれる音がした。
「師範!!」
カナヲが来た。間に合った。これで伝えられる。
”吸ってはいけない”
瞬間、骨の砕ける音とともに私の意識は完全に途切れた。
……………………………………
……………………………………
「姉…さん…?」
気付くと、姉の亡骸を抱えていた。
どういうことなのか。先刻までの戦いは夢? ……いや、夢にしてはあまりに鮮明すぎる。
継子はカナヲ以外殺され、無限列車で煉獄さんは殺された。遊郭で炭治郎くんたちが宇髄さんと協力して上弦の陸を倒した。刀鍛冶の里で時透くんが上弦の伍を倒し、甘露寺さんたちが上弦の肆を倒した。
そして鬼の根城に落とされ……。
「うっ…!?」
途轍もない不快感と吐き気。己の死に様を見て気分が悪くならない訳がない。
逆流する胃液を何とか飲み込み、姉の亡骸を少しばかり抱きしめる。
「姉さん……。私……何か駄目だったのかな……」
当然ながら、その問いに返答はない。肉体は力無く項垂れるだけで、抱きしめ返してくることもない。呼吸も脈も止まっていて、姉は完全に生命活動を停止している。
辛いけど、いつまでも悲しみに暮れている場合じゃない。兎に角一旦屋敷に戻ろう……。考えるのは……それから……。
「感情を……制御できないのは……未熟者…………」
【あとがき】
お読みいただきありがとうございます。
無限城編第一章の円盤が届いて、鬼滅熱が再点火しました。
一番推しである胡蝶しのぶが主人公のお話を書いてみたいと思い、簡単な冒頭部分を書きました。
極端に短いのは今回だけの予定です。
半年前から停滞中になっているお話は地道に書き進めていきます……。
誤字脱字があれば報告していただけると幸いです。