季節は巡り、王都シーラムにも秋の気配が忍び寄っていた。 焦げつくような真夏の日差しは鳴りを潜め、乾いた風が石畳の街路樹を揺らす。
王都の下町、職人街の一角。 そこに、奇妙な看板を掲げた小さな店があった。
『エデン・ワークス』。
魔道具屋でもなければ、鍛冶屋でもない。「よろず技術相談所」という怪しげな肩書きをぶら下げたその店は、開店からわずか二ヶ月で、下町のちょっとした噂になっていた。
「いらっしゃいませー! あら、マダム! 今日も素敵なお召し物ですね!」
カランコロン、というドアベルの音と共に、鈴を転がすような愛らしい声が店内に響く。 声の主は、カウンターに立つ一人の少女──セーラ=クロームだ。
プラチナシルバーの髪を二つに結び、フリルのついたエプロンドレスに身を包んだ彼女の顔には、薄いブルーのサングラスがかけられている。
彼女にリクエストされ、エデンがガラスの切れ端で作ったものだ。王都の人間にとって、色付き眼鏡は珍しい。だが、セーラの愛らしさと相まって、「最新のファッション」として受け入れられていた。
「あらあら、セーラちゃん。その眼鏡、今日も似合ってるわねぇ」 「ありがとうございます! 社長がお日様の光から目を守るものだって作ってくれたんです。……ちょっと恥ずかしいんですけど」
セーラはサングラス越しに、少し照れたように微笑む。 その所作は完璧だ。 愛嬌があり、気配りができ、そして何より可愛い。 彼女目当てに通う客が後を絶たないのも無理はない。
だが、店の奥、カーテンで仕切られた作業場にいる剣崎エデンだけは知っている。 その笑顔が、彼女の演技スキル、仕事モード表によるものでことを。
「……しゃちょーさーん。3番テーブル、冷却パイプの詰まり。見積もり銅貨5枚。……あと、あのおばさん、話が長いから適当に切り上げて」
カーテンの隙間から顔を出したセーラは、客に見えない角度で、サングラスの奥の瞳を冷ややかに細め、業務連絡を告げた。 完全に「仕事モード裏」だ。
「……了解だ、優秀な従業員よ。だが言葉遣いには気をつけろ。顧客満足度が下がるぞ」 「表では完璧にしてるでしょ。……ほら、早く行って。笑顔、笑顔」
セーラに背中を叩かれ、エデンは引きつった営業スマイルを張り付けて作業場を出た。
***
あの日──宿屋での「契約」から二ヶ月。 エデンとセーラは、王都で拠点を構えていた。
ガストン男爵に売りつけた「魔導冷却器」の噂が広まり、彼らはまたたく間に小金持ちになった。その資金を元手に、この店を開いたのだ。
目的は二つ。 一つは、生活基盤の安定。 そしてもう一つは──「情報」が集まる場所を作ること。
『古代の技術を修理します』
その看板に惹かれて、多くの冒険者や商人が、わけのわからないガラクタを持ち込んでくる。 エデンはその中から、ルキナの痕跡──「現代日本の知識」が使われた痕跡を探し続けていた。
だが。
「……今日もないな」
その日の夜、閉店後の店内で、エデンはため息をついた。
作業机の上には、修理待ちの時計や魔道具が散乱している。 どれもこれも、この世界の技術で作られたものばかりだ。マナを動力源とし、精霊の力を借りる、非効率でオカルトチックな代物。 ルキナの手がかりとなるような、「科学的」な遺物は一つも見つかっていない。
「……この都市は、ハズレなのか」
エデンは椅子に深く沈み込み、天井を仰いだ。
焦りがないと言えば嘘になる。 二ヶ月。 ルキナが行方不明になってから、もうそれだけの時間が過ぎている。 彼女は生きているのか。どこかで助けを待っているのではないか。 自分がこうして商売ごっこをしている間に、彼女は──。
「エデン」
不意に、目の前にマグカップが置かれた。 湯気を立てるホットミルクだ。蜂蜜の甘い香りがする。
セーラだ。エプロンを外し、ラフな部屋着に着替えた彼女が、サングラスを外した素顔で呆れたように見下ろしていた。
「顔、死んでるよ」 「……失敬な。これは思索に耽る哲学者の顔だ」 「鏡見てみなよ。墓場から出てきたグール(食屍鬼)でも、もう少し血色いいよ」
手厳しい指摘に、エデンは苦笑した。 セーラは自分の分のカップを持って、隣の椅子に座った。 そして、作業机のカレンダーを指差す。
「明日、店休日だよね」 「ああ。溜まった在庫の整理と、帳簿の決算処理を……」 「なし」 「は?」 「明日は休み。完全オフ。……ピクニックに行くよ」
セーラの宣言に、エデンは目を丸くした。
「ピクニック? 何を言ってるんだ。そんな暇は……」 「ある。……エデン、パンク寸前でしょ。効率が落ちてる」
セーラは自分のこめかみをトントンと指差した。
「マナの色が濁ってる。焦りと不安でドロドロ。……そんな状態で何を探しても、見つかるわけない」 「…………」 「観測者のアドバイスは聞くもんでしょ? 社長さん」
彼女の金色の瞳に見つめられると、エデンは反論できなかった。 図星だ。 ここ数日、焦るあまり簡単な修理でミスをしたり、計算を間違えたりしていた。 パフォーマンスの低下は明らかだ。
「……わかった。君の言う通りだ」
エデンは観念して、ホットミルクを啜った。 甘い。 糖分が、疲れた脳に染み渡っていく。
「で? どこに行くんだ」 「中央広場。……有名なお弁当屋さんがあるんだって。あと、なんかすごい石碑があるらしいよ」 「石碑?」 「うん。観光名所。……この街にきて二か月もたつけどさ、観光客っぽいことしようよ」
セーラが悪戯っぽく笑う。 その笑顔は、店での営業スマイルとは違う、エデンだけに見せる柔らかなものだった。 エデンは肩の力を抜いた。
「了解だ。……たまには、太陽の下で光合成するのも悪くない」
***
翌日。 王都の中央広場は、祝祭のような賑わいを見せていた。
突き抜けるような青空。 大道芸人の笛の音。 屋台から漂う串焼きの匂い。
白亜の石畳が敷き詰められた広大な円形広場は、王都シーラムの中心点であり、最もマナが安定している聖地とされていた。 その中央に、それはあった。
『始祖の石碑』。
高さ十メートルほどの黒曜石のオベリスク。 建国の英雄、あるいは初代国王が残したとされるその石碑は、300年の時を経ても風化することなく、圧倒的な存在感で鎮座していた。
「……でかいな」
広場の芝生エリアにシートを広げながら、エデンはサンドイッチを片手に石碑を見上げた。 観光客や、王立魔術学校の制服を着た学生たちが、石碑の周りに群がっている。彼らは熱心に石碑の表面をスケッチしたり、祈りを捧げたりしていた。
「あれが『始祖の石碑』だって」
隣で薄いブルーのサングラスをかけ直したセーラが、パンフレットを読み上げる。
「えーっと……『300年前、建国の英雄が神から授かったとされる聖なる碑。表面に刻まれた模様は神の言葉であり、未だ人類には解読できていない高度な魔法陣の複合体である』……だって」 「はん……神の言葉、ね」
エデンは冷笑的に鼻を鳴らした。 この二ヶ月、エデンは死に物狂いでこの世界の言語を習得した。 現代知識と「カケラ」の補助があったとはいえ、今では街の看板も、専門書も問題なく読めるようになっている。 だから、この世界の人々は、理解できないものをすぐに「神」や「魔法」に結びつける癖があることを知っている。
「……でも、確かに綺麗」
セーラがサンドイッチを頬張りながら、石碑を見つめる。
「あの模様……すごく複雑。マナの流れが渦を巻いてるみたい。……普通の魔法陣とは全然違うリズムを感じる」 「リズム?」 「うん。……規則正しいけど、どこか歪な……」
セーラの言葉に、エデンのセンサーが反応した。 彼女の「眼」が違和感を覚えるなら、そこには何かしらの物理的な異常があるはずだ。
「……少し、近くで見てくる」
エデンは食べかけのサンドイッチを置き、立ち上がった。 人混みをかき分け、石碑の最前列へと進む。 黒曜石の表面には、確かにびっしりと、何かの文字──いや、幾何学模様が刻まれていた。
周囲の学生たちが、感嘆の声を上げている。
「素晴らしい……! 見てくれ、この配置! 黄金比を超越した神聖幾何学だ!」 「ああ、この鋭角な線の交わり……きっと、攻撃魔法の究極系を示唆しているに違いない!」 「尊い……。見ているだけで、魔力が浄化されるようだ……」
彼らの目には、それは美しい芸術品か、あるいは信仰の対象として映っているようだった。
エデンは目を凝らした。 この二ヶ月で覚えた、この世界の古代語や現代語の知識を総動員して照合する。
だが──違う。 明らかに違う。 文字の形状も、文法構造も、この世界の言語体系とは根本的に異なっている。
(……読めない。いや、文字ですらないのか?)
エデンがその模様を至近距離で捉えた瞬間。 ゾワリ、と。 背筋を冷たいものが駆け上がった。
(……違う。これは魔法陣じゃない)
円環構造ではない。 五芒星でも六芒星でもない。 そこにあるのは、左端を起点として、整然と右へと流れる文字列の羅列。 一定の規則で段落が下がり、空白が設けられている。
エデンは、無意識に目をひそめた。 この世界の文字は、彼には読めないミミズのような記号だ。 だが、この石碑に刻まれた記号は、明らかに異質だった。 崩されている。風化や、あるいは意図的な偽装によって、一見すると装飾的な模様に見えるように加工されている。 だが、その骨格は隠しきれていない。
波括弧 { } セミコロン ; そして、行の先頭に頻出する、二本の斜線 //
「……嘘だろ」
エデンの唇が震えた。 脳内のエライザが、パターンマッチングを開始する。 ノイズ除去。文字形状の補正。 装飾としてねじ曲げられた線を、直線へと還元していく。
浮かび上がってきたのは、魔法の呪文ではない。 現代知識からみると──あまりにもありふれていて、でも世界を変える力を秘めた、現代の呪文。
「これ……C言語……いや、Javaか? ……まさか」
エデンは石碑にへばりつくように近づいた。 周囲の白い目など気にならない。 彼は「模様」として無視されている部分を、脳内で現代のアルファベットに置換して読む。
学生たちが「聖なる光の雨」と崇めている、二本の斜線 //。 それは、プログラムにおける「コメントアウト(注釈)」だ。 実行されない行。プログラマーが自分自身や、後任者のために残すメモ。
エデンは、その注釈部分を解読した。
// TODO: Memory Leak detected in Sector_School_B5.
// Fix urgency: High.
// Note: Lucina, don't forget the backdoor.
──息が止まった。
Sector_School_B5 School……学校。 B5……地下5階。 Memory Leak……メモリーリーク。 この世界で言うなら、「マナの漏洩」あるいは「暴走」か。
そして、極めつけは。
Note: Lucina
その文字列を見た瞬間、エデンの視界が歪んだ。 ルキナ。 愛しい人の名前。 探していた名前。 それが、300年前の石碑に刻まれている?
(……どういうことだ?)
混乱する頭で、エデンはさらに下へと視線を走らせる。 石碑の最下部。 誰もが見落とすような、地面すれすれの位置。 そこに、崩された文字で、署名があった。
Admin: Lucina 「管理者:ルキナ」。
「は……」
乾いた笑いが漏れた。 膝から力が抜けた。
「ははっ……傑作だ」
エデンは石碑に手をつき、肩を震わせて笑った。 周囲の学生たちが「なんだ、あの不敬な奴は」と眉をひそめる。 だが、笑わずにはいられなかった。
この石碑は、神の言葉でも、英雄の偉業を称える詩でもない。 これは──『バグ報告書(デバッグ・レポート)』だ。
しかも、かなり切羽詰まった、走り書きのメモだ。 「学校の地下でヤバいバグが起きてるから直せ。バックドア(裏口)を開けるのを忘れるなよ、ルキナ」という、自分自身への備忘録。
王国の賢者たちは、300年間、ただの「システム管理者のメモ」を、ありがたがって崇拝し、研究していたのだ。 滑稽すぎる。 そして──あまりにも、ルキナらしい。
「300年前……あいつ、そんなに昔に飛ばされたということか?」
エデンは思考を巡らせる。 転移のタイムラグ。 エデンが到着したのは二ヶ月前だが、ルキナはもっと過去──300年前に飛ばされた?
わからない。情報はまだ断片的だ。 だが、一つだけ確実なことがある。
ルキナは、ここにいた。 そして、メッセージを残した。 School──王立魔術学校の地下に。 そしてそれを読めるのは、この世界でただ一人。 魔法という名のブラックボックスの中身(ソースコード)を知る、現代のエンジニアであるエデンだけだ。
「……見つけた」
エデンは石碑から手を離した。 冷や汗は乾き、代わりに熱い血潮が身体を駆け巡っていた。 迷いは消えた。 道は見えた。
エデンは人混みをかき分け、シートで待つセーラの元へと戻った。 足取りは速い。 顔色は青白いままだが、その瞳には鬼気迫る光が宿っていた。
「エデン? どうしたの、すごい顔して」
セーラが薄いブルーのサングラス越しに、心配そうに覗き込む。 エデンは彼女の肩を掴んだ。 その指先が、熱を帯びて震えているのが伝わってくる。
「セーラ。……撤収だ。ピクニックは終わりだ」 「えっ、まだお弁当残ってるよ? ほら、エデンの好きなタマゴサンド……」 「歩きながら食え。……忙しくなるぞ」
エデンは振り返り、広場の中央にそびえ立つ石碑を、そしてその向こうに見える王立魔術学校の尖塔を睨みつけた。 その視線は、もうここにはない。 遥か遠く、時空を超えた先にある「誰か」を見据えている目だ。
「……行き先は決まった。『王立魔術学校』だ。……あそこの地下に、僕たちが探している『答え』がある」
セーラの手が、止まった。 口元に運ぼうとしていたサンドイッチを、ゆっくりと膝の上に戻す。
「……答え、か」
その言葉は、咀嚼されないまま口の中で溶けたパンのように、頼りなく響いた。 セーラは、サングラスの奥でまぶたを伏せた。
「セーラ?」
沈黙を不審に思ったのか、エデンが視線を戻してくる。 セーラはハッとして、慌てて何かの表情を作ろうとして……小さくため息をついた。
そして、わざとらしくサングラスのブリッジを指で押し上げ、顔を上げた。 レンズの奥で揺れていた瞳を、強気な光で塗りつぶす。
「……ふーん。やっと見つけたんだ」
少しだけ低いトーンで言うと、彼女は口角を無理やり持ち上げ、ニッと笑ってみせた。
「よかったじゃん、社長。……これでやっと、あのボロい店ともおさらばできるかもね」 「おい、ボロいとはなんだ。あれはヴィンテージ感のある隠れ家風オフィスだ」 「はいはい。……で、やるんでしょ? デバッグだか何だか」
セーラはサンドイッチを口に放り込み、咀嚼して飲み込んだ。 そして、テキパキと荷物をまとめ、立ち上がった。
「了解、社長。……面白くなってきたね」 「ああ。……ここから、バグをつぶすぞ」
エデンは満足げに頷き、白衣の裾を翻して歩き出した。 その背中は、もう迷子の遭難者ではなかった。 世界のバグを修正し、失われた半身を取り戻すために戦う、一人の「技術者」の姿だった。
セーラは、その背中をサングラス越しに見つめ、小さく呟いた。
「……置いていかないでよ、エデン」
その声は、広場の喧騒にかき消され、誰の耳にも届かなかった。 彼女はリュックを背負い直すと、小走りでエデンの隣に並んだ。