灰色の科学者と金色の共犯者   作:AmberGlimmer

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隣にいるための資格

 王都シーラムの裏路地、そのまた奥深く。

 陽の光すらも忌避するような薄暗い地下室に、紫煙とインクの混じった独特の臭気が充満していた。

 

「……で? こいつが注文の品か?」

 

 剣崎エデンは、カウンターに置かれた一枚の羊皮紙を手に取り、目を細めた。

 そこには、精巧な偽造印章と共に、彼の新しい経歴が記されていた。

 

 『氏名:エデン・フォン・ノイマン』

 『年齢:25歳』

 『出身:北方諸国連合・自由都市同盟』

 『専攻:理論魔導物理学(未認可学問)』

 『前職:フリーランスの魔導コンサルタント』

 

「悪くない出来だ。……紙の質感も、インクの経年劣化具合も完璧だ」

 

 エデンが白衣のポケットからルーペを取り出し、ジロジロと鑑定する様子を、カウンターの向こうの男――闇ギルド『隻眼の鴉』の偽造師が、呆れたように見ていた。

 

「へっ、当たり前だ。俺の腕を疑うなよ。王家の紋章だって再現してみせるさ」

 

 男は汚れた歯を見せて笑い、エデンが積んだ金貨の山を素早く懐に入れた。

 

「だがな、旦那。忠告しといてやるが……その身分証で『王立魔術学園』の門をくぐるのは、自殺行為だぜ?」

 

 男の声が、急に低く、湿り気を帯びたものに変わる。

 

「あそこは伏魔殿だ。国中のマナの化け物が集まる場所だ。……あんたみたいにマナの匂いがしねぇ『空っぽ』な人間が近づけば、一瞬で圧し潰されるか、あるいは正体を見破られて地下牢行きだ」

 

 脅しではない。純粋な警告だった。

 この世界において、マナを持たない人間は「欠陥品」として扱われる。ましてや、エリートの巣窟である王立魔術学園において、魔力なき教師など前代未聞だ。

 だが、エデンは鼻で笑い、偽造された履歴書を丁寧に鞄にしまった。

 

「ご心配には及ばない。……僕は自殺志願者ではないし、無謀な賭けをするつもりもない」

 

 エデンは白衣の襟を正し、ニヤリと笑った。

 

「僕はただ、計算に基づいた『現地調査』に行くだけだ。……リスク管理は万全に行うさ」

「……ふん、好きにしな。死んでも文句言うなよ」

 

 男は興味を失ったように手を振った。

 エデンは地下室を後にする。

 

 地上への階段を上りながら、彼は胸ポケットに入れたもう一枚の書類に触れた。

 それは、数日かけて書き上げた、彼の「武器」だ。

 

[cite_start] 『マナ非依存型熱力学および運動エネルギー保存則に関する統一理論』[cite: 6]。

 

 要するに、高校物理の教科書を、この世界向けにそれっぽく翻訳しただけの論文だ。

 だが、この紙束こそが、魔力を持たない彼が魔術の殿堂に切り込むための、唯一の「剣」となるはずだった。

 

          ***

 

 拠点である『エデン・ワークス』に戻ると、そこには奇妙な光景が広がっていた。

 

「……おい、セーラ。それはなんだ」

 

 エデンは入り口で立ち止まり、思わず眉をひそめた。

 店の奥、姿見の前でポーズをとっている少女――セーラ=クローム。

 

 彼女が着ているのは、古着屋で買ったブレザーとスカートを改造し、それらしく仕立て直した「受験用の勝負服」だった。

 深紅の生地は丁寧にプレスされ、胸元にはエデンが夜なべして刺繍した「名家っぽい紋章(架空)」のワッペンが輝いている。

 一見すれば、地方貴族の令嬢が着ていてもおかしくない、清楚で品のある装いだ。

 

「なにって、衣装合わせだけど。……似合わない?」

 

 セーラが振り返る。

 その顔には、いつもの薄いブルーのサングラスがかけられていた。

 王都の下町では「最新のファッション」として通っているが、格式高い王立魔術学園の試験にサングラス着用で挑むというのは、いささか攻めすぎな気もする。

 

「いや、服は完璧だ。良家の子女に見える。……だが、そのサングラスはどうにかならんのか? 面接官に『ふざけてるのか』と怒られる未来が見えるぞ」

 

 エデンが指摘すると、セーラはサングラスのブリッジをくいっと持ち上げた。

 

「……だめ。これがないと、目が焼ける」

 

 セーラは頑なに首を振った。

 学園はマナ濃度が高い。彼女の敏感すぎる「魔眼」を保護するためには、フィルターが必要だという。

 

「……それに、エデンだって言ったじゃん。『眼精疲労対策は重要だ』って」

 

 セーラは口を尖らせ、エデンの言葉を盾にした。

 

「ぐっ……まあ、確かに言ったが……」

 

 エデンは言葉に詰まった。

 彼もまた、セーラの「眼」が特殊なものであることは理解している。過度な光やマナの奔流が、彼女の神経に負担をかけるのだろうと推測していた。

 

「……まあいい。そこは『光過敏症』という設定で押し通そう。診断書も偽造しておく」

 

 エデンはため息をつき、許可を出した。

 

「ただし、面接官の前で外せと強く言われたら、大人しく従うんだぞ。……心証が悪くなるからな」

「……頑張る」

 

 セーラは曖昧に答え、スカートの裾を摘んでくるりと回ってみせた。

 

「で、エデン。……私の設定は?」

「ああ、完璧に仕上げてある」

 

 エデンは鞄からもう一枚の書類を取り出した。

 

 『氏名:セーラ・クローム』

 『年齢:16歳』

 『出身:地方の寒村(詳細は火災により記録消失)』

 『特待生枠志願』

 『保護者:エデン・フォン・ノイマン(叔父)』

 

「叔父?」

 

 セーラがサングラス越しに嫌そうな顔をする。

 

「私が姪? ……何でそうなるの?」

「誰が老け顔だ! これはカモフラージュだ! 兄妹設定だと、僕の年齢設定の25歳と微妙に合わないし、親子だと若すぎる。消去法で叔父と姪が一番自然なんだ」

 

 エデンは力説する。

 

「いいかセーラ。学園に入ったら、僕たちは赤の他人ではないが、ベタベタする関係でもない。あくまで『保護者と生徒』の距離感を保つんだ。ボロを出さないためにな」

「はいはい。……わかったよ、おじさん」

「おじさん言うな!」

 

 軽口を叩き合いながらも、二人の間には心地よい緊張感が漂っていた。

 これは遊びではない。

 ルキナの痕跡を追うための、命がけの潜入任務だ。

 

「準備はいいか、セーラ。……明日が本番だ」

「うん。……任せて、エデン」

 

 セーラはサングラスの奥で、微かに笑ったようだった。

 その夜、エデンは遅くまで論文の最終チェックを行い、セーラは鏡の前で「普通の生徒」に見える立ち居振る舞いを練習し続けた。

 

          ***

 

 翌朝。王立魔術学園の正門前。

 そこは、圧倒的な「格差」の見本市だった。

 

「うわぁ……」

 

 エデンは門の前に立ち、思わず呻き声を上げた。胃の腑が裏返りそうだ。

 高さ二十メートルはある巨大な鉄門。その左右には、マナを動力源とするゴーレムの守衛が立っている。

 

 そして、門をくぐっていく受験生たちの姿。

 彼らが乗ってくるのは、豪華絢爛な馬車や、あるいは浮遊魔法で浮かぶ駕籠(かご)だ。

 身にまとっているのは、最高級のシルクや魔導繊維で織られたローブ。

 そして何より――彼らの全身から立ち上る、濃密なマナのオーラ。

 

(……酸素濃度低下。マナ濃度、致死レベル。……ここは毒ガス室か?)

 

 エデンは白衣の袖で口元を覆い、必死に吐き気を堪えた。

 「マナ盲」である彼にとって、高密度のマナ環境は、放射能汚染されたエリアに生身で放り込まれるようなものだ。

 皮膚がチリチリと焼けつくように痛い。平衡感覚が狂い、地面が斜めに見える。

 

「……大丈夫? エデン」

 

 隣を歩くセーラが、心配そうにエデンの袖を引く。

 彼女はサングラスをしているおかげか、涼しい顔をしている。

 

「問題ない。……これは高地トレーニングのようなものだ。……肺活量が鍛えられる」

 

 エデンは青白い顔で強がりを言い、震える足を踏み出した。

 

「行くぞ。……舐められたら終わりだ。胸を張れ」

「エデンこそ、猫背になってるよ」

 

 セーラがエデンの背中をつつき、エデンの背筋がすっと伸びる。

 二人は人波に逆らうように、校門をくぐった。

 周囲の視線が突き刺さる。

 

「おい、見ろよあいつら」

「徒歩で来たのか? 平民か?」

「あの男、マナを感じないぞ。……使用人か?」

「女の方、なんだあの眼鏡。……色付き眼鏡なんて、遊びに来てるのか?」

 

 クスクスという嘲笑。あからさまな侮蔑の視線。

 貴族の子弟たちにとって、マナを持たない者や、TPOをわきまえない者は、同じ人間とは認識されない。

 セーラのサングラスも「生意気な平民のファッション」として映っているようだ。

 

 エデンはそれらを全て「環境ノイズ」として脳内で処理(ミュート)し、受付へと向かった。

 

[cite_start]「教師採用試験の面接に来た、エデン・フォン・ノイマンだ。……こちらは入学試験のセーラ・クローム」[cite: 7]

 

 受付の事務官は、エデンの差し出した書類と、彼らの身なりを交互に見て、あからさまに嫌な顔をした。

 

「……予約は確認できていますが。……本当に受けるのですか? その……魔力測定の結果も提出されていませんが」

「必要ない。私の専攻は物理学だ。魔力はあってもなくても関係ない」

 

 エデンがきっぱりと言い放つと、事務官は「はぁ……物好きもいたものだ」と小声で呟き、通行証を投げ渡した。

 

「生徒の試験会場は右の講堂。教師の面接室は中央塔の最上階です。……遅刻なさらぬように」

 

 ここで、二人は別行動になる。

 

「……セーラ」

 

 エデンは立ち止まり、セーラに向き直った。

 

「無理はするな。……もしマナ酔いが酷くなったら、すぐに棄権しろ。僕の面接がどうなろうと、君の安全が最優先だ」

 

 エデンは本気で言っていた。

 セーラは「眼」を酷使すると、マナの影響を受けやすい。こんな高濃度の環境で、彼女が耐えられるか不安だった。

 だが、セーラはサングラスの奥で、力強く頷いた。

 

「平気。……私、これでも鍛えられてるから」

 

 彼女は小さな拳を握ってみせる。

 

「エデンこそ、吐かないでね。……面接官にゲロ吐いたら、伝説になっちゃうよ」

「……善処する」

 

 二人は拳を軽くぶつけ合い、それぞれの戦場へと向かった。

 

          ***

 

 エデンは地獄の釜の底にいた。

 中央塔の最上階。重厚な扉の向こうにある面接室は、物理的にも心理的にも圧迫感のある空間だった。

 窓はなく、壁一面に歴代の学園長の肖像画が飾られている。

 

 部屋の中央には長い机があり、その向こうに三人の面接官が座っていた。

 両脇の二人は、疲れ切った初老の教授たち。

 そして中央に、その男はいた。

 

 ギデオン・バルバロス教頭。

 

 禿げ上がった頭、鷲鼻、そして神経質そうな薄い唇。彼がまとっているローブは深紅で、胸には無数の勲章がジャラジャラとついている。

 彼から発せられるマナの圧力は、部屋の空気を歪めるほどだった。

 

「……入りたまえ」

 

 エデンは深呼吸し、マナ酔いの吐き気を胃の底に押し込んで、入室した。

 

「失礼します。エデン・フォン・ノイマンです」

 

 一礼し、用意された椅子に座る。

 ギデオンは手元の書類――エデンが偽造した履歴書と、自作の論文――をパラパラとめくった。

 その指先は、汚いものを扱うように軽蔑に満ちている。

 

「……ノイマン君、だったかね」

 

 ギデオンが、鼻にかかった不快な声で言った。

 

「君の経歴……『自由都市同盟』の出身? 聞いたことのない名前だ。どこの田舎だ?」

「北方の小規模な都市国家群です。……学術研究に特化した、閉鎖的なコミュニティでして」

 

 エデンはスラスラと嘘をつく。設定は完璧に頭に入っている。

 

「ふん。……で、専攻が『理論魔導物理学』? なんだそれは。魔法学の亜種か?」

「いえ。魔法(マナ)に依存せず、自然界の法則のみで現象を解明・制御する学問です」

「マナに依存しない?」

 

 ギデオンの手が止まった。

 彼は顔を上げ、エデンを睨みつけた。

 その目には、明確な敵意が宿っている。

 

「……君、自分が何を言っているのかわかっているのかね?」

 

 ギデオンは論文の束を机に叩きつけた。

 

「この世界はマナでできている! 神の恵みたるマナなくして、火も水も風も生まれない! それを『依存しない』だと? ……これは学問ではない。ただの冒涜だ!」

 

 唾を飛ばしての激昂。

 強い言葉と態度で非論理的なことを主張するギデオンに、エデンはムカッとして反論しかけて――。

 

『理屈っぽすぎるよ、エデン』

 

 ふと、セーラの顔が浮かんだ。

 

(『原理』じゃなくて『恐怖』や『神秘』に弱いタイプかもしれない、か)

 

 エデンは感情を抑え込み、教頭の怒りを分析する。

 (そうだ。……ガリレオもコペルニクスも、きっと、こうやって怒鳴られたんだろう)

 彼は怒っているのではない。「恐れて」いるのだ。自分の理解できない概念、自分の権威を脅かすかもしれない異物を、本能的に排除しようとしているだけだ。

 

「教頭先生。……冒涜ではありません。これは『拡張』です」

 

 エデンは静かに反論した。

 

「マナは確かに偉大です。ですが、マナが枯渇した環境下では? あるいは、アンチマジックフィールド内では? ……私の理論は、そうした極限状況でも生存・活動するための技術なのです」

「黙れ!」

 

 ギデオンが立ち上がった。

 彼の指先から、バチバチと火花のようなマナが迸る。

 

「屁理屈をこねるな! ……そもそも、君からはマナの匂いが微塵もしない! 魔力ゼロの『空っぽ』が、王立魔術学園の教師になろうなどと……片腹痛いわ!」

 

 ギデオンはエデンを指差した。

 

「帰れ! 薄汚い詐欺師め! 二度とこの神聖な学び舎の敷居を跨ぐな!」

 

 決定的な拒絶。

 両脇の教授たちも、「やれやれ」といった顔でエデンを見ている。

 ここで引き下がれば、全ては終わりだ。

 ルキナの手がかりも、地下迷宮への道も閉ざされる。

 

(……さて、ここからが交渉の時間だ)

 

 エデンは心の中でニヤリと笑った。

 彼は立ち上がらなかった。

 代わりに、白衣のポケットから、一つの小瓶を取り出した。

 中には、透明な液体が入っている。

 

「……なんだそれは。毒でも飲むつもりか?」

 

 ギデオンが警戒して眉をひそめる。

 

「いいえ。……これはただの水です」

 

 エデンは瓶の蓋を開け、机の上にこぼした。

 そして、もう一つのポケットから、小さな金属片を取り出した。

 

「教頭。あなたは言いましたね。『マナなくして火は生まれない』と」

「当然だ! 発火の詠唱もなしに、火など……」

「では、賭けましょう」

 

 エデンは金属片を指で摘まみ、ギデオンに見せつけた。

 

「私が、詠唱もマナも使わず、この水から『爆炎』を生み出したら……私の話を聞いていただけますか?」

「は? ……馬鹿な。そんなこと……」

「イエスかノーか。……教育者なら、未知の可能性を否定せず、公平に判断すべきでは?」

 

 挑発。

 ギデオンのプライドを刺激する。

 彼は顔を真っ赤にして、吼えた。

 

「いいだろう! やってみろ! もしできなければ、不敬罪で衛兵に突き出してやる!」

「交渉成立だ」

 

 エデンは金属片を、水たまりへと放り投げた。

 ポチャン。

 

 軽い音と共に、金属片が水に触れる。

 その瞬間――

 

 化学反応が起きた。

 ナトリウムと水が激しく反応し、水素ガスが発生する。そして反応熱によって水素が引火し――

 

 ドォン!!

 

 爆発音と共に、オレンジ色の炎が舞い上がった。

 それは魔法のような優雅な炎ではない。暴力的で、不規則で、科学的な爆発だ。

 

「なっ……!?」

 

 ギデオンがのけぞり、椅子ごと後ろにひっくり返りそうになった。

 両脇の教授たちも、目を剥いて立ち上がる。

 

「ひ、火が……!? 詠唱もなしに!?」

「マナの光も見えなかったぞ! ……なんだ、今の現象は!?」

 

 煙が漂う中、エデンは涼しい顔で(内心ではビビりながら)ハンカチで机を拭いた。

 

「これが化学です。……マナではなく、物質の性質を利用した発火現象。私の専門分野の一つに過ぎません」

 

 静寂。

 ギデオンは口をパクパクさせ、顔を青くしたり赤くしたりしている。

[cite_start] 彼は認めたくない。マナを持たない若造に、自分の常識を覆されたことを。[cite: 8]

 だが、目の前で起きた現象を否定することもできない。

 

「……ぐ、ぐぬぬ……」

 

 ギデオンは歯ぎしりをした。

 ここでエデンを追い出せば、「未知の魔法(に見えるもの)」の秘密を知る機会を失う。それは魔術師としての探究心に反する。

 だが、こんな生意気な男を認めるわけにはいかない。

 

 その時、ギデオンの脳裏に、ある「厄介事」が浮かんだ。

 学園の恥部。

 誰も担任を引き受けたがらない、落ちこぼれと問題児の掃き溜め。

 

 ――Fクラス。

 

 ギデオンの口元が、歪な笑みの形に吊り上がった。

 

「……よかろう。ノイマン君」

 

 ギデオンは立ち上がり、埃を払った。

 その目は、先ほどまでの激昂から一転、陰湿な光を宿していた。

 

「君のその……大道芸のような技術、少しは興味深い。だが、教師としての適性があるかは別問題だ」

「ごもっともです」

「そこでだ。……君に『試用期間』を与えよう」

 

 ギデオンは机の引き出しから、一枚の辞令書を取り出し、乱暴にサインをした。

 

「君を特別講師として採用する。……担当クラスは『1年F組』だ」

 

 両脇の教授たちが、息を呑んだ。

 

「き、教頭! F組など……あそこは教師の墓場ですよ!」

「殺されますぞ! 先月も担任が三人辞めたばかりだ!」

 

 ギデオンはそれを手で制し、意地の悪い笑みをエデンに向けた。

 

「どうだね? Fクラスの担任を全うできれば、正式採用を考えてやらんでもない。……まあ、君のような『空っぽ』に、あの猛獣どもが従うとは思えんがね」

 

 これは罠だ。

 Fクラスに放り込み、生徒たちにボロボロにされて、泣いて逃げ出すのを待つという算段だ。

 エデンもそれを察知した。

 

 (Fクラス……。学園漫画でお約束の展開だな。……望むところだ)

 

 正規のルートで潜り込めるなら、泥沼だろうが掃き溜めだろうが構わない。

 むしろ、エリートクラスよりも、落ちこぼれクラスの方が、学園の「裏側(地下)」にアクセスしやすいかもしれない。

 エデンは辞令書を受け取り、恭しく一礼した。

 

「謹んでお受けします、教頭先生。……その『猛獣』たちに、新しい芸を仕込んでみせましょう」

「ふん。……口だけは達者だな」

 

 ギデオンは鼻を鳴らし、背を向けた。

 

「下がっていい。……明日の朝、教員室に来い。地獄への片道切符を渡してやる」

 

 部屋を出たエデンは、廊下で大きく息を吐き、壁に背中を預けて崩れ落ちた。

 

「……はぁぁぁ……死ぬかと思った……」

 

 手足が震えている。冷や汗でシャツがぐっしょりと濡れている。

 ナトリウム爆破の時、実は分量を間違えて、想定より大きな爆発になっていたのだ。もう少しで自分の前髪が燃えるところだった。

 

「……だが、通った。……第一関門突破だ」

 

 エデンは震える手で、辞令書を握りしめた。

 『1年F組 担任 エデン・フォン・ノイマン』

 その文字が、地下迷宮への通行手形に見えた。

 

          ***

 

 講堂は、数百人の受験生で埋め尽くされていた。

 熱気が凄い。

 誰もが必死だ。王立魔術学園に入学することは、将来の栄達を約束されたも同然。貴族たちは家の名誉をかけ、平民たちは成り上がりを夢見て、殺気立っている。

 セーラは会場の隅、一番後ろの席に座り、深く息を吸った。

 

(……臭い)

 

 マナの臭いではない。

 欲望の臭いだ。

 「合格したい」「あいつより良い点を」「失敗したら親に殺される」

 具体的な欲望まで読むことはできない。だが、薄いブルーのサングラス越しに見える世界は、彼らの欲望でどす黒く濁っている。

 

 セーラにとって、この「見えすぎる眼」は呪い以外の何物でもなかった。

 人の嘘がわかる。悪意がわかる。

 だからこそ、彼女はずっと一人だった。誰も信じられなかった。

 ――エデンに出会うまでは。

 

(……エデンは、違う)

 

 あの詐欺師の男。

 口を開けば嘘ばかり。ハッタリと虚勢で生きている、どうしようもないペテン師。

 けれど、彼の嘘には「色」がない。

 誰かを傷つけるための濁った色ではなく、ただ生き残るための、必死で、透明で、どこか悲しい色。

 そして何より――彼は、セーラの眼を「綺麗だ」と言った。

 初めてだった。

 眼を、必要だと言ってくれた。

 

(……受かる)

 

 セーラはスカートの上で拳を握りしめた。

 エデンが目的を果たすためには、私もここに潜り込まなきゃいけない。

 足手まといにはならない。

 私は、あの人の「眼」になると誓ったのだから。

 

「試験開始!」

 

 試験官の合図と共に、筆記試験が始まった。

 科目は『魔導理論』『魔法史』そして『一般教養(数学・自然科学)』。

 セーラは迷わずページをめくり、後半の『一般教養』セクションに進んだ。

 そこにあるのは、弾道計算や、魔力消費の効率計算の問題だ。

 セーラはペンを走らせた。

 

 解ける。スラスラと解ける。

 エデンに教わった物理法則を使えば、複雑な魔法式など必要ない。最短ルートで「正解」が見える。

 

 楽しい。

 世界がクリアに見える。

 マナを見る眼と、エデンの教え(ロジック)が組み合わさった時、彼女の中で「正解」が光って見えた。

 

 だが、問題は次だった。

 実技試験。

 会場は屋外の演習場。

 一人ずつ、水晶玉に手をかざし、魔力量を測定する。

 

「次、受験番号404番、セーラ・クローム!」

 

 名前を呼ばれ、セーラは前に出た。

 ざわめきが起こる。

 

「なんだあの格好」

「眼鏡? 遊び半分か?」

 

 試験官も眉をひそめている。

 

「君、そのサングラスは……」

「……外せません」

 

 セーラは小声で、しかし頑固に言い張った。

 

「光過敏症なので。……外すと、マナに酔って暴走します」

「暴走? ……ふん、大げさな」

 

 試験官は不満げに鼻を鳴らしたが、水晶玉を指差した。

 

「まあいい。測定を始めろ」

 

 セーラは恐る恐る、透明な水晶玉に手を触れた。自分の内側にあるマナをコントロールする。

 水晶が、淡い青色に発光した。

 

「……ふむ。魔力量、平均よりやや上。まあ、悪くはない」

 

 試験官が記録用紙にペンを走らせる。

 セーラはほっと息をついた。

 次は的当てだ。

 動かない案山子を破壊すればよい、単純な実技。

 魔法は使えないが、エデンに教わった通り、隠したギミックで石を発射し、乗り切るつもりだった。

 

 だが――

 

[cite_start]「おい、ちょっと待て」[cite: 9]

 

 背後から、傲慢な声がかかった。

 振り返ると、そこには豪華なローブを着た少年が立っていた。金髪碧眼、取り巻きを引き連れた、いかにもな貴族の息子だ。

 

「なんだ、そのふざけた格好は。神聖な試験場にサングラスなど、不敬にも程があるぞ」

 

 少年はセーラを見下し、ニヤリと笑った。

 

「平民が調子に乗るなよ。……顔を見せろ」

「やめて……」

 

 セーラが後ずさる。

 だが、少年は聞く耳を持たず、指先を振った。

 

「『風よ、暴け(ウィンド・ブラスト)』!」

 

 無詠唱の風魔法。

 本来なら、スカートをめくる程度の悪戯魔法だ。

 だが、今のセーラにとっては致命的だった。

 突風が、彼女の顔面を直撃した。

 髪が舞い上がり、固定していたサングラスが宙を舞う。

 

「あ……」

 

 時間が止まった。

 白日の下に晒されたのは、隠し続けてきた少女の素顔。

 整った、人形のような美貌。

 そして……その中心で、太陽の光を浴びて輝く、二つの「金色」の瞳。

 

「ひッ……!?」

 

 少年が、悲鳴を上げて尻餅をついた。

 彼の顔から血の気が失せ、指差す手が小刻みに震えている。

 

「き、金色の……魔眼……!?」

 

 その言葉は、まるで波紋のように会場全体に広がっていった。

 ざわめきが、悲鳴に変わる。

 

「おい、嘘だろ……」

「あれは……伝説の『魔法殺しの呪い』の瞳だ!」

「目が合うと呪われるぞ! 石になるぞ!」

「殺せ! いや、捕らえろ! 衛兵!!」

 

 生徒たちが逃げ惑い、試験官たちが杖を構える。

 数百の視線が、恐怖と敵意に染まってセーラに突き刺さる。

 

「ち、ちがう……わたしは……!」

 

 セーラは震える手で顔を覆おうとした。

 だが、もう遅い。

 世界が反転した。

 エデンと過ごした温かい日々が嘘のように、彼女は再び、あの冷たく、残酷な「拒絶」の中心に立たされていた。

 

「確保しろ! 危険因子だ!」

「結界班、急げ! 魔女を封じ込めろ!」

 

 衛兵たちの怒声が響く中、セーラはただ立ち尽くしていた。

 逃げることも、弁明することもできず。

 ただ、心の中で一つの言葉だけを繰り返していた。

 

(ごめんなさい、エデン。……ごめんなさい……)

 

          ***

 

 数十分後。

 学園の正門前には、放り出された二人の姿があった。

 

「……二度と来るな! この詐欺師め!」

 

 衛兵が、エデンの荷物を地面に投げつける。

 その中には、先ほどもらったばかりの「採用辞令書」も混じっていたが、それは無残にも破り捨てられていた。

 

「魔女を連れ込むなど、正気を疑う! 貴様らの名前はブラックリストに登録した! 国中の教育機関に手配してやるから覚悟しろ!」

 

 鉄の扉が、重々しい音を立てて閉ざされた。

 後には、乾いた風だけが残った。

 

「……」

 

 エデンは無言で、散らばった荷物を拾い集めた。

 破れた辞令書。

 書き上げた論文。

 全てがゴミになった。

 ルキナの手がかりがある地下迷宮への道は、目の前で閉ざされたのだ。

 

「……エデン」

 

 背後で、小さな声がした。

 セーラだ。

 彼女はサングラスをかけ直し、フードを目深に被っていたが、その肩が震えているのは隠せなかった。

 

「ごめんなさい……。私のせいで……」

 

 消え入りそうな声。

 彼女は知っている。エデンがどれだけ準備してきたか。どれだけのリスクを冒して、このチャンスを作ったか。

 それを、自分の「眼」が全て台無しにしたのだ。

 

「…………」

 

 エデンは振り返り、セーラを見た。

 彼女は顔を上げようとしない。

 エデンはため息をつき、乱暴に頭をかきむしった。

 

「……チッ、見る目のない連中だ」

 

 吐き捨てた言葉は、セーラに向けたものではなかった。

 

「あんなレベルの低い試験官どもじゃ、君の才能は見抜けなくて当然だ。……それに、Fクラスなんてどうせロクな環境じゃない。ブラック職場を回避できてラッキーだったと思えばいい」

「……でも」

「帰るぞ、セーラ。……腹が減った」

 

 エデンはセーラの言葉を遮り、スタスタと歩き出した。

 強がりだ。

 内心では、はらわたが煮えくり返るほど悔しいし、計画が白紙になって途方に暮れている。

 

 だが、ここで彼女を責めて何になる?

 彼女が一番傷ついていることは、その震える背中を見れば痛いほどわかった。

 

          ***

 

 拠点である『エデン・ワークス』に戻ったのは、日が暮れてからだった。

 店の中は静まり返っていた。

 朝に出かける時は希望に満ちていた空気が、今は重苦しい沈黙に支配されている。

 

「……金貨が尽きたな」

 

 エデンはカウンターで帳簿を開き、独り言のように呟いた。

 偽造身分証に、セーラの衣装代、そして面接のための工作費。

 手持ちの資金は底をついていた。

 明日の食費すら怪しいレベルだ。

 

「……別の金策を練る必要がある。ルキナの件はいったん保留だ。まずは生存が優先だ」

 

 エデンはセーラが心配しないよう、わざと明るく言ったつもりだった。

 だが、その声には隠しきれない疲労と焦燥が滲んでいた。

 

 店の奥、カーテンで仕切られた居住スペースで、セーラはその言葉を聞いていた。

 膝を抱え、暗闇の中でうずくまる。

 サングラスは外していたが、その金色の瞳には涙が溜まっていた。

 

(私のせいだ……)

 

 エデンの計画を壊した。

 エデンの財産を無駄にした。

 そして何より――エデンの夢を、遠ざけてしまった。

 

 『役立たず』

 『疫病神』

 

 村人たちの罵声が蘇る。

 エデンは優しいから、私を責めない。

 けれど、このままじゃ私は、ただのお荷物だ。彼に寄生して、彼の足を引っ張るだけの、呪われた存在だ。

 

「……エデン」

 

 セーラは、カーテンの隙間からエデンの背中を見た。

 彼は机に突っ伏して、疲れ果てて眠っていた。

[cite_start] その机の上には、学園の地図や、地下迷宮に関する資料が散乱している。[cite: 10]

 その中の一枚。

 エデンがメモ書きした、「欲しいものリスト」が目に入った。

 

 『地下迷宮探索用装備リスト』

 ・高輝度ライト

 ・対魔物用スタンガン

 ・高純度ミスリル合金(※重要! これがないと迷宮のマナに僕は耐えられない気がする。迷宮に入るにはぜひ欲しい。市場価格:金貨100枚。……高すぎ。無理ゲー)』

 

 高純度ミスリル。

 地下迷宮の奥深くにしか存在しないとされる、希少なレアメタル。

 エデンはそれを「重要でこれがないと迷宮に入るのは無理」と書いていた。

 そして、その横には「金貨100枚」という絶望的な数字。

 

(……これがあれば)

 

 セーラの瞳が、暗闇の中で揺れた。

 もし、私がこれを手に入れられたら。

 お金がなくて買えないなら、私が直接行って、取ってくればいい。

 あの迷宮には、魔物がいるらしい。 危険な場所らしい。

 そして、エデンはミスリルがないと迷宮に入れない。 でも、私の眼なら、魔物の動きも、マナの罠も見える。

 

 捨てられたくない。

 エデンの隣にいる資格が欲しい。

 そのためなら、命なんてチップは安かった。

 

「……行ってくるね、エデン」

 

 セーラは音もなく立ち上がった。

 メモ用紙に、書き置きを残す。

 そして、自分のリュックと、護身用のナイフだけを持って、静かに店を出た。

 

 夜の王都は冷たい。

 だが、彼女の足取りは迷っていなかった。

 目指すは王立魔術学園。

 その地下に広がる、死の迷宮。

 

          ***

 

 翌朝。

 鳥のさえずりと共に、エデンは目を覚ました。

 

「……うっ、身体が痛い」

 

 机で突っ伏して寝ていたせいで、首と背中がバキバキだ。

 あくびをして、伸びをする。

 そして、習慣のように名前を呼んだ。

 

「おーい、セーラ。朝だぞ。……パンの耳くらいなら残ってるから、朝飯に……」

 

 返事がない。

 カーテンの奥も静まり返っている。

 

「……セーラ?」

 

 嫌な予感がして、エデンはカーテンを開けた。

 もぬけの殻だった。

 ベッドは綺麗に整えられ、彼女の荷物がなくなっている。

 そして、枕元に一枚の紙切れが置かれていた。

 

『エデンへ。

 ごめんなさい。私のせいで、いろいろダメにしちゃって。

 お詫びに、キミが欲しがってた「高純度ミスリル」を取ってきます。

 地下迷宮にあるって、資料に書いてあったから。

 これがあれば、エデンの研究も進むよね。

 必ず戻ります。だから、心配しないで待ってて。

                   セーラより』

 

 エデンの思考が凍りついた。

 数秒後。

 彼はその紙を握りしめ、顔面蒼白になって叫んだ。

 

「バ……バカかあいつはああああああッ!!!」

 

 店中に響き渡る絶叫。

 エデンは髪をかきむしり、その場をうろうろと歩き回った。

 

「ミスリル!? あれはただの『あったらいいなリスト』だぞ! 必須じゃない! それに耐えられない『気がする』って、ちゃんと書いてあるだろ! ああ、もう……国語ゼロ点かよ!」

 

 エデンの脳内シミュレーターが、最悪の未来予測を弾き出す。

 地下迷宮。

 そこは、王立魔術学園ですら管理しきれていない、古代の遺物が眠る危険地帯だ。

 強力な魔獣。致死性のトラップ。そして高濃度のマナ汚染。

 いくらセーラの「眼」が優秀でも、たった一人で、しかもまともな装備もなしに潜れば……。

 

「生存確率、ほぼゼロ……! 自殺しに行くようなもんだ!」

 

 エデンは白衣を羽織り、棚から大きなリュックをひったくるように取ると、店を飛び出した。

 靴紐を結ぶ時間すら惜しい。

 走りながら、脳内のAIに命令を飛ばす。

 

(エライザ! 索敵モード起動! セーラの生体反応を追え!)

 

『――警告。対象のID反応、微弱。王立魔術学園地下エリアにて、急速に深度低下中。……おそらくはマナ濃度の上昇により、通信途絶の恐れあり』

 

「くそっ、もう潜ってやがるのか……!」

 

 エデンは王都の石畳を全力疾走した。

 心臓が破裂しそうだ。足がもつれる。

 だが、止まれない。

 昨日、彼女が最後に浮かべた、今にも泣き出しそうな顔が脳裏に焼き付いている。

 

 『心配しないで待ってて』

 

 その言葉が、呪いのようにエデンの胸を締め付ける。

 

「ふざけんなよ……! 心配しないなんて、できるか、あのバカ!」

 

 学園の裏口。 あそこに、敷地内につながる排水溝があることはリサーチ済みだ。 エデンはためらうことなく排水に飛び込むと、敷地内へと侵入した。

 目指すは中央塔の地下。

 迷宮への入り口。

 教員でも生徒でもなくなった今、見つかれば即逮捕だ。

 だが、そんなリスクなどどうでもいい。

 

 エデンにとっての「宝」は、地下に眠るレアメタルなんかじゃない。

 あの不器用で、生意気で、そして危なっかしい「共犯者」だけなのだから。

 

「待ってろ、セーラ……! 今行く……!」

 

 エデンは闇の口を開けた地下への階段を、転がるように駆け下りていった。

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