中庭の風景にも、初夏の気配が濃くなってきた頃だった。柔らかな日差しが落ち、若い緑の葉がきらきらと揺れている。そんな穏やかな空気の中、アクアがルビーと歩いていると、花壇の縁に一匹の猫が座っていた。白地にキジ模様が混ざった、どこか気品のある毛並み。尻尾をゆったりと揺らし、こちらを見ている。
「ふーちゃんだ!」
ルビーがぱっと顔を明るくして指をさした。
「……ふーちゃん?」アクアが眉を上げる。
「鳴き声が**“
ルビーはそっと近づこうとするが、ふーちゃんは細い足をすっと立たせ、ひらりと身を翻す。まるで風のように軽やかに走り去ってしまった。
「……あぁ~今日こそ撫でられると思ったのに……!」
肩を落とすルビーの声は、本気で残念そうだった。
アクアはその背中を見ながら、小さく息をつく。
「猫には…あまりいい思い出がない」
「え?ひっかかれでもした?お兄ちゃん運動神経いいのに?」
「まあ、そんなところだ」
曖昧に濁す。あれを説明できるわけがなかった。
——前世で戦った“キラークイーン”。
猫が絡むと、どうしてもあの戦いが脳裏をかすめる。
爆殺を操り、死をまとう敵。
その影が“ふーちゃん”の後ろ姿と重なり、胸の奥に薄く冷たい感覚が広がった。
ルビーはまだ名残惜しそうに、猫の去った方角を眺めている。
「ふーちゃん、触りたいなぁ……絶対仲良くなれると思うんだけどな……」
アクアは横目でルビーを見る。
その声に滲む純粋な気持ち。
——その優しさに、水を差すわけにはいかない。
だからこそ口には出さなかった。
“あれは怪異だ”
という確信を。
最初にふーちゃんを見たとき、アクアは本能的に理解した。
ただの野良ではない。
どこか世界の綻びから滲み出したような、歪みを帯びた気配。
動きが妙に滑らかで、存在の輪郭が淡い。
スタンドではないが……普通の猫とは違う。
だが、あれが危険だとは思わなかった。
むしろ、こちらを害する意思はない。
ただ、何かを探して彷徨うような、そんな静かな気配だけがあった。
だからアクアは、そっとルビーの頭を撫でる。
「そのうち、触れる日も来るだろ。焦らなくていい」
「……うん!」
ルビーはぱっと笑顔を取り戻す。
その笑顔を見て、アクアはわずかに目を細める。
ふーちゃん——あの怪異が何者なのか、すぐに答えは出ない。
けれど、今はそれでいい。
ルビーの平穏を守れるなら、それで。
アクアは目を細め、初夏の風を受けながらふーちゃんの消えた方角を一度だけ見る。
ーー静かに、しかし確かに、警戒を宿したまま、アクアは歩き出した。
後六話で最終回です