リビングには、午後のやわらかな光が差し込んでいた。
ソファに腰を下ろしたアクアは、無言でコーヒーを口に運んでいる。湯気の向こうで、雑誌のページが一枚、静かにめくられた。
その向かいで、ルビーがクッションを抱えたまま、ふと思い出したように顔を上げる。
「ねえ、お兄ちゃん」
「……なんだ」
「ママの誕生日プレゼント、もう決めた?」
カップが、ほんの一瞬だけ止まった。
「……まだだが」
その一言に、ルビーは大げさに身を乗り出す。
「えー! もうすぐだよ? ほんとに大丈夫?」
「騒ぐほどのことじゃねぇ。日にちは把握してる」
「その“把握してる”が一番あやしいんだよね」
ルビーはじっとアクアを見つめ、にやりとする。
「お兄ちゃんのセンスだとさ、
なんか変なもの送りそう」
「……」
アクアの眉が、ぴくりと動いた。
「お前……今、なんつった」
「だって前にさ、母の日に“重そうな健康器具”渡してたでしょ」
「“重厚”と言え。実用的だ」
「ママ、ちょっと困ってたよ?」
「…………」
アクアはカップを置く。
「……じゃあ聞くが」
低く、落ち着いた声。
「お前はどうなんだ、ルビー」
「え?」
「お前のプレゼントは決まってるのか」
ルビーは一瞬、視線をそらした。
「……まだ」
「ほう」
「だってさ、予算も少ないし……」
もごもごと声が小さくなる。
「高いものは買えないし、手作りは去年やったし……」
アクアはルビーを見下ろし、少しだけため息をついた。
「お前……」
「な、なに?」
その視線に、ルビーが身構える。
「……まあ、無理もねぇか」
意外にも、声は責める調子ではなかった。
「アイは、値段で喜ぶタイプじゃねぇ」
ルビーは少し驚いた顔をする。
「……そう、だよね」
一瞬の沈黙。
それからルビーは、意を決したように、アクアのほうへ身を寄せた。
「……でさ」
「?」
「お願いなんだけど」
両手を胸の前で合わせ、上目遣いになる。
「お兄ちゃんと、わたしで
一緒にプレゼントしない?」
「……共同、か」
「うん。二人分なら、少し良いものにできるし」
「それに……」
ルビーは少しだけ声を柔らかくする。
「ママ、きっと喜ぶと思うんだ」
アクアはルビーを見つめ、数秒考え込む。
「……構わねぇ」
「ほんと?」
「ただし」
「うん?」
「何を贈るかは、ちゃんと考えるぞ」
ルビーはぱっと表情を明るくした。
「じゃあさ!」
「……ああ?」
「明日の放課後、一緒にお店見に行こ?」
「……了解だ」
アクアは短く答え、再びコーヒーに手を伸ばす。
ルビーは嬉しそうに笑いながら、クッションを抱きしめた。
⸻
翌日の放課後。
駅前の商店街は、夕暮れの色に染まりはじめ、ガラス越しの照明が淡く揺れていた。
アクアは、少し先を歩くルビーの背中を見つめながら進む。
目的は一つ――アイの誕生日プレゼント。
「結構お店あるね」
ルビーは楽しそうに言い、ショーウィンドウを覗き込む。
「……ああ」
短く答えながらも、アクアの意識は自然と引き締まっていた。
軽い気持ちで選ぶものじゃない。
相手は――アイだ。
雑貨屋、陶器屋、小さな専門店。
いくつか回ったところで、ルビーが足を止めて振り返る。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだ」
「それぞれで選ばない?」
一瞬、アクアは目を細める。
「最後に見せ合うの。どう?」
(……俺のセンスを試す気だな)
だが、口元にはわずかな余裕が浮かぶ。
「いいだろう」
低く落ち着いた声。
「その勝負、受けて立つ」
ルビーは満足そうに笑い、別の棚へ向かった。
――静かな“プレゼント選びの戦い”が始まる。
アクアは一人、陶器の並ぶ棚の前に立った。
派手さはないが、落ち着いた色合いの品々。
その中で、ひとつの湯呑みが目に留まる。
深い釉薬、手に取ると不思議と馴染む重み。
(……これだな)
自然と、情景が浮かぶ。
――年を重ねたアイ。
縁側で湯呑みを両手で包み、柔らかく笑っている。
『これ、アクアがくれたのよ』
ルビーや、さらにその先――
家族に囲まれて、少し照れながらも幸せそうな顔で。
(……長生きしろよ、アイ)
胸の奥が、静かに温かくなる。
「悪くないだろ」
そう呟き、湯呑みを手にルビーの元へ向かう。
――その途中だった。
ルビーが、二人組の男に話しかけられている。
距離が近い。ルビーの表情は、はっきりと迷惑そうだ。
(……ナンパか)
アクアの足取りが変わる。
「ルビー」
低い声。
「どうした」
同時に、男たちへ視線を向ける。
「あ、お兄ちゃん」
ルビーがこちらを見る。
男たちは振り返り、アクアと目が合った瞬間、はっきりと動揺した。
「……あ、いや」
「じゃ、じゃあな」
ぎこちなく去っていく背中。
「何だったんだ」
アクアが言うと、ルビーがくすっと笑った。
「お兄ちゃん、すごい目してたよ」
「……そうか?」
「うん。
殺し屋の“ブッ殺す”じゃなくて、
“もうブッ殺した”みたいな目」
アクアは軽く鼻を鳴らす。
「無意識だ」
「こわーい」
そう言いながらも、ルビーは楽しそうだった。
「何かあれば、すぐ呼べ」
「大丈夫」
ルビーは即答する。
「お兄ちゃんがいるから。どこにいても」
その言葉に、アクアは何も言わなかったが、視線は確かに柔らいだ。
「それで?」
ルビーが聞く。
「いいの、あった?」
アクアは湯呑みを差し出しかけて――
「渋い湯呑みが」
「却下」
即答。
「……まだ見せてないが」
「だってお兄ちゃんのセンスだし」
「見もしないで言うな」
ため息が漏れる。
その瞬間まであった信頼感との落差に、アクアは少しだけ肩を落とした。
だが、ルビーは気にした様子もなく、ぱっと笑った。
「大丈夫」
そう言って、アクアの手を引く。
「わたしが選んだのがあるの。
きっとママ、喜ぶよ」
それを聞いた瞬間、アクアの胸がわずかに揺れた。
引かれるまま歩きながら、思う。
(……俺が選んだものじゃなくてもいい)
(ルビーが、こうして笑って)
(アイが喜ぶなら――それでいい)
数歩進んだところで、ルビーはふと足を止めた。
「……ねえ、お兄ちゃん」
「なんだ」
ルビーは振り返らず、ショーウィンドウに映る二人の姿を見つめたまま言う。
「さっきのさ」
「湯呑みのことか?」
「……うん」
ルビーは小さく息を吸う。
「ね、悪いって言ってるわけじゃないんだよ」
「わかってる」
「ほんと?」
「ああ。却下は却下だがな」
「もう」
苦笑してから、ルビーは続けた。
「でもね……ちょっと思ったの」
「それ、お兄ちゃんらしいなって」
アクアの視線が、わずかに向く。
「どういう意味だ」
「未来のママを見てる」
その言葉に、アクアは何も言わなかった。
「お婆ちゃんになっても笑っててほしい、長生きしてほしい、家族に囲まれててほしい」
「……全部、正しいよ」
ルビーはゆっくり振り返る。
「でもね」
「ママは今、“今日”を生きてる」
アクアの脳裏に浮かぶのは、朝のキッチンで眠そうに笑うアイ。
仕事帰りに少し疲れた肩を回しながらも、二人を気遣うアイ。
「女優で、母親で、忙しくて」
「それでも、わたしたちに『おかえり』って言ってくれる人」
「だから……」
ルビーは一歩近づいた。
「今のママに、合うものがいいなって」
沈黙。
アクアはゆっくり息を吐く。
「……なるほどな」
低い声。
「俺は、先を見すぎてた」
「うん」
即答だった。
「それが悪いってわけじゃないよ」
「お兄ちゃん、優しすぎるだけ」
アクアは小さく鼻を鳴らす。
「……褒めてるのか」
「褒めてる」
迷いのない声。
ルビーは、もう一度アクアの袖を引いた。
「ねえ」
「一緒に選ぼ?」
「今のママが、今日使って」
「今日、ちょっと嬉しくなるやつ」
アクアは、少しだけ考えてから頷いた。
「……ああ」
「それがいい」
二人は並んで、さっきとは別の棚へ向かう。
別々ではなく、同じ視線で。
未来の話ではなく、今の話をしながら。
「これは仕事向けすぎるかな」
「家で使うなら、こっちだな」
「ママ、これ好きそうじゃない?」
「……ああ。悪くねぇ」
夕暮れは、いつの間にか夜へと移り始めていた。
けれどその光は、二人の背中を静かに照らしている。
“いつか”ではなく、“今”のために選ぶ時間。
その積み重ねが、きっと未来へ続いていく――
アクアは、そう確信していた。
アイの誕生日は12月ぐらいらしいですが ⋯⋯
番外編なんで時系列ごっちゃです