放課後の商店街。
夕方の風が、制服の裾を軽く揺らしていた。
「ねえお兄ちゃん、これ安くない?」
「……同じの、家に三つあるだろ」
「でも色が違うし」
「違わねぇ」
そんな他愛もないやり取りをしながら、二人は並んで歩いていた。
買い物袋を揺らしながら、ルビーはご機嫌だ。
「今日はアイスも買っていい?」
「夕飯前だぞ」
「一本だけ!」
「……一本だけだ」
その時だった。
「あ」
ルビーが、足元に視線を落とす。
何かを見つけたように、しゃがみ込み、手を伸ばした。
「ルビー——止まれ」
声が、低く鋭くなる。
ルビーの指先は、まだ宙にあった。
触れていない。
「え? なに、お兄ちゃん?」
きょとんとした顔。
その無防備さに、アクアの背中を冷たいものが走る。
(……なんで、こんな所に)
アクアの目には、はっきりと見えていた。
アスファルトの隙間に落ちている――白い円盤。
「それ、俺が拾う」
「え? ゴミじゃ——」
「いいからだ」
短く言い切り、アクアは一歩前に出る。
ルビーの前に立ち、そっと拾い上げた。
スタンドを纏った視界で、確信する。
間違いない。
前世で見たものと同じ。
ホワイトスネイクが作り出した、DISC。
アクアは無言でそれを握りしめ、
平然を装ってルビーに背を向けた。
「行くぞ。暗くなる」
「? うん」
何も知らない妹の声を背に、
アクアは心の中で、低く舌打ちした。
(……冗談じゃねぇ)
⸻
アクアは、買い物袋をルビーに押し付けるように渡し、そのまま自室に入った。
ドアを閉め、鍵をかける。
学習机。
椅子に腰を下ろし、手のひらを見る。
そこにあるのは――DISC。
「……」
スタープラチナを静かに出す。
視界が研ぎ澄まされ、円盤の輪郭がくっきりと浮かび上がる。
(記録内容は不明)
(中身を見る為に“入れる”訳にもいかねぇ)
(物理的な破壊も……無理)
拳を握る。
(どこから紛れ込んだ)
(これ一枚だけか?)
(もう使われたDISCは……?)
考えが最悪の方向へ転がりかけた、その時。
「……にゃ」
小さな鳴き声。
視線を落とすと、足元にキジ白のふーちゃんがいた。
いつの間に。
「……いたのか」
そう思った瞬間、ふーちゃんはひょいと跳び、アクアの膝の上へ。
(俺のとこに来るのは珍しいな)
だが、すぐに理由に思い当たる。
DISCが、照明を反射して淡く光っている。
(……これに反応したか?)
次の瞬間。
「おい——」
制止の声より早く、
ふーちゃんの前脚が、DISCに触れた。
――す、と。
音もなく、DISCが消えた。
「……は?」
手のひらには、もう何もない。
痕跡すら残っていない。
アクアは、ゆっくり息を吐いた。
(……そういうことか)
以前、ふーちゃんが街をうろついていた理由。
ただの気まぐれじゃない。
(異物……か)
(DISCみたいなのを、処理してたんだな)
「……守ってたってわけか」
そう言って、頭を撫でようとする。
が。
ふーちゃんは、ひらりと身をかわし、膝から降りた。
床の上で振り返り、じっとアクアを見る。
気安く触るなと言わんばかりに。
無言のまま見つめ合い、数秒。
「お兄ちゃーん!」
リビングからルビーの声。
「晩ごはんできたよー!」
リビングに行くと、キッチンが目に入った。
……惨状だった。
「今日は……カレーです!」
最後の一言、妙に元気がいい。
いや、目が泳いでいた気がする。
「……」
「え、えへへ……」
「たまには、わたしが作ろうかなーと」
「ちょっと、ミスっちゃって……」
「……後で片付ける。俺が」
「ごめん!」
足元を見ると、ふーちゃんが小さくため息をついたように見えた。
結局、二人で食べたのはレトルトカレー。
「これ当たりじゃない?」
「……ああ」
普通に、美味い。
スプーンを動かしながら、アクアは思う。
(ひとまず……問題はない)
平凡な夕食。
騒がしい妹。
少し焦げた匂いの残るキッチン。
世界は、何事もなかったかのように回っていた。
⸻
アイは思った。
――ああ、夢を見ている。
その夢の中で、アイは笑っていた。
胸の奥があたたかくなるのが、自分でもはっきりわかる。本当の笑顔だった。
目の前には、家族がいる。
アクアとルビーは少し大人びていて、その隣には、それぞれ寄り添う誰かの姿があった。顔は不思議とぼんやりしているのに、懐かしさだけは確かにある。
さらに、その足元をちょろちょろと動き回る小さな影。
アクアやルビーの子どもの頃によく似た、アイにとっての孫たちだった。
「ほら、おいで」
ルビーが、子どもの頃の自分そっくりな女の子の肩に手を置いて言う。
「ママのママだから……お婆ちゃん、かな?」
「ちょっと!」
アイは思わず声を上げ、ほんの一瞬だけ頬を膨らませる。
「そんな年じゃないでしょ」
けれど次の瞬間、こらえきれず吹き出してしまった。
それにつられて、アクアも、ルビーも、周りのみんなも笑う。
「ねえ、お歌おしえて」
孫娘が、きらきらした目で言う。
「ぼくも、聞きたい!」
少し遅れて、孫息子が手を上げた。
アイは一瞬驚いてから、柔らかく微笑む。
「いいよ」
そう言って、手を叩く。
「じゃあ、みんなで歌おうか」
声を合わせる。
拙くて、自由で、それでも確かにひとつになった歌声。
アイは思う。
――幸せな夢だ。
けれど、同時に気づいていた。
これは、ただの夢じゃない。
決して、手の届かないものでもない。
今のまま。
アクアとルビーと、ちゃんと話して、笑って、協力して生きていけば。
きっと、この先に続いている未来。
そう思った瞬間――
ふっと、意識が浮かび上がった。
目を開けると、枕元にはキジ白猫のふーちゃんが丸くなっている。
アイがそっと撫でると、ふーちゃんは小さくあくびをして、のびをした。
そのままリビングへ向かう。
フライパンの音。
朝の匂い。
アクアが無言で朝食を作り、ルビーはサラダを整えていた。
「おはよう」
そう声をかけると、二人が顔を上げる。
「ママ」
ルビーが言う。
「仕事で遅かったんだから、まだ寝ててもよかったのに」
アクアも、静かに頷いた。
アイはくすっと笑う。
「いい夢、見たから元気あるんだ」
「どんな夢?」
ルビーが身を乗り出す。
朝食を囲みながら、アイは夢の話をする。
お嫁さんと旦那さんの顔は思い出せなかったこと。
でも、どこかで知っている気がしたこと。
「へえー」
ルビーは目を輝かせる。
「続き、見たいね」
アクアは何も言わず、料理を皿に盛った。
騒がしくて、あたたかい朝。
胸の奥に残る、やさしい余韻。
――昨夜もらったプレゼントが、テーブルの上で静かに光っていた。